19話 つかれつかれてカエシワザ

 あれだけ穴だらけで、廃墟としか言えなかった砦跡が、見事な城塞としての姿を取り戻している。人間の大工が千人いても叶わぬことを、数日で可能としてしまう。これが魔の力と言うのであれば、感嘆するしかない。

 だが、城内に入ったヴィルマたちが口をぽかんと開いている理由は、別にあった。


「ウォォォォォォ!」


「ガアアアア!」


 マワシを巻いたオークの胸にぶち当たっていく、魔に侵された熊ことエビルベア。

 一方、巨大な人型の石像であるリビングスタチューが、同程度の巨躯を持つドラゴンをぶん投げている。

 彼らは皆、大中小とそれぞれの体格に合ったドヒョウの上にいた。

 城門と城の間にある広場の至るところにドヒョウがある。

 石畳を削って、ドヒョウが作られている。

 間違いない。

 城門を通るだけの力を持つ魔物たちは皆、ここでスモウを取っているのだ。


「え? ちょっと待って、なにコレ。一旦整理させて」


 スモウに惚れここまでついてきたヴィルマですら、この状況を理解することができなかった。二足歩行だけでなく、四足歩行の魔物も腰にマワシらしいものを巻きつけられている。手をついてはいけないスモウで四足歩行アリは、有利すぎやしないか。


「わ……わ……」


 かたやブルブルと震えているアギーハ。

 驚くにしても、あまりに大きなリアクションすぎる。


「わたしが、これを。カラテでこれをやりたかったんだぞぉぉぉ! なんというパクリ、剽盗、窃盗! おいマスタツ、ここにあるすべてを壊すぞ!」


『主、落ち着いてください』


 破壊指令を出す主を止めるマスタツ。実によく出来たゴーレムである。

 魔物憑きをカラテで屈服させ、配下の魔物をまるごとカラテに引き込む。

 アギーハのアイディアをそのまま実現したかのような光景が城内では繰り広げられていた。ただし、魔物がやっているのはカラテでなくスモウである。

 拳を握りしめ、悔しがっているアギーハ。彼女は驚いていなかった。ただスモウに先を越された悔しさに、カラテカとしてもだえているだけだ。


「うっうっ……うわ~~~ん……」


というか、半泣きだ。


『主、お察しします』


 あまりに悔しさ全開なアギーハを、マスタツが慰める。

 アギーハはマスタツに任せて、ヴィルマは辺りを見回す。

 魔の王に近しい存在が住まう城の正体は、スモウの楽園であった。

 こんなの、誰が想像できるのか。


「スモウベヤ……」


 思わず呟くヴィルマ。


“魔物は、単純な力勝負を好むからな。リキシを集めれば、スモウベヤが作れる! スモウベヤを作れば、オヤカタが言ってた、伝説のホンバショを開けるかもしれん!”


 この砦跡だった場所に来る前、魔王憑きに出会う前に、ライデンはこんなことを言っていた。力自慢の魔物たちがスモウで競うこの光景は、まさにライデンが夢見たスモウベヤそのものではないか。


「もしかして、ライデンは」


 ドン!

 ヴィルマの言葉を遮ったのは、重々しい振動であった。

 ライデンのシコを思わせる、力による地震。

 ヴィルマたちの目は、自然と震源地に向かう。


「キサマラ」


 シコを踏んでいたのは、スライムの集合体であるスライム・レギオンであった。人型の巨大なスライムは、そのぶよぶよの身体にマワシを巻くだけでなく、ユカタに似たボロ布までまとっていた。

 ビキニアーマーの上に、ユカタを羽織った姿。つまり、似たような格好をしているヴィルマが、少しだけ嫌そうな顔をする。


「ココデハ、チカラヲシメセ。デナケレバ、デテイケ」


 本来ならば知恵者のワイト・プーリストにいいように使われるだけだった魔物は、己の力を持ってして、この場の支配者となっていた。

 力が、奸智を吹き飛ばした光景である。

 もっとも近い場所にあるドヒョウから、オークが退く。

 土俵で待ち構えているのは、エビルベア。

 魔の熊と戦うことを、ヴィルマたちは強いられることとなった。


『私が出ましょう』


 ずいっと先に出るマスタツ。


「いいの?」


『主もヴィルマ様も、いわばとっておきです。逆に言えば、露払いが必要です。雑事は、私にお任せください。そのための、ゴーレムです』


 マスタツはヴィルマにそう言うと、二人を残しドヒョウに向かう。

 エビルベアの待つドヒョウに足を踏み入れたマスタツは、気合の叫び声をあげる。


『オス!』


 あくまで、カラテ式の一礼。

 ドヒョウに踏み入っても、自分のやることは変わらない。

 カラテを、このドヒョウの中で発揮するだけだ。

 スモウを根本から否定する四足歩行の存在もよしとしている以上、カラテの技も許されるはずだ。少なくとも、マスタツはこう解釈した。それに、スモウに先を越されて涙目だった主のうさを、せめてカラテで晴らしてあげたい。

 牙をむき出しにして襲ってきたエビルベアの身体が、マスタツのチュウダンゲリにより、一気にドヒョウの外まで吹き飛ばされた。



 砦跡から城塞へと変貌することにより、その内部は大きく変わった。

 玉座、執務室、厨房。城にあるべきものが、作られていく。

 その中でもっとも変わったのは、虫の一匹すら逃さぬほど規律正しく作られた牢獄であった。内向きに棘のついた鉄格子が脱出を阻み、中に入れられた囚人の動きを制限している。そんな牢の前に、主たるシュンシュウはいた。


「どうだ? 肉体だけでなく、心も屈し始めているのではないか?」


「くっ……」


 囚人である女戦士は、ただ臍を噛むしかなかった。

 この牢に入れられて数日、きっと自分は鉄格子の向かい側にいる、魔族の思う通りになりかけている。

 シュンシュウは思い出したかのように呟く。


「そうそう、お前の仲間は既に屈したぞ」


「なん……だと……?」


「もはや、我の言いなり。思うがままよ。お前も、早々に屈したほうが賢いのではないか?」


「キサマぁ!」


 女戦士は、思わず鉄格子の向こうのシュンシュウに掴みかかろうとする。

 だが、わずかに残っていた判断力が、鉄格子の針を目の前にして足を止めた。


「不満や義憤を力に変え、がむしゃらに突き進もうとする精神こそ、我が欲しているものである。その素質、生かしておいて正解だったぞ」


 シュンシュウは食事を差し入れるための小窓から、どろどろとした液体がなみなみと注がれた器を牢内に入れる。

 女戦士の目が、自然と器に注がれる。

 その目にあるのは、躊躇と羨望。決して手にとってはならない。

 とにかく飲み干したいが、飲めば相手の思うつぼとナル。

 彼女がこの牢に入れられてからずっと、この器が与えられない日は無かった。

 

 “仲間は既に屈した”


 シュンシュウの屈辱的な物言いが脳内で反響する。

 仲間が屈したのならば、自分も屈してしまっていいのではないか。

 屈辱が許しとなり、鉄の心をじわりと溶かす。

 気づけば女戦士は、器の中身を獣の如き勢いで貪っていた。


「ふふふ、ようやく心を許したか」


 シュンシュウは背後で温められていた鍋の中身を、新たな器にゆっくりと注ぐ。

 鍋の中では、鶏や豚の肉と、様々な野菜がくつくつと煮えている。

 鍋の中身は、まごうことなくチャンコであった。


「さあ、二杯目もいくがよい。お前の仲間は、五杯ほど食って、今は就寝中だ。我が求めている通りの行動と言えよう」


「おのれ、そこまで我が友たちを堕落させたか! 食ってすぐ寝ても肥えるだけだと言うのに! なぜ、我慢ができなかった!」


 女戦士は怒りを吐き出しつつ、牢の中に入れられた二杯目のチャンコをいい勢いでかっ食らう。なぜ、抵抗できないのか。それは、このチャンコが美味いからである。


「どうやら、英雄の子孫と言えど、あまり良いモノを食べてこなかったようだな。さあ、どんどん喰らえ。そして寝て、食事を己の肉にするが良い」


 女戦士がチャンコを喰らうのを見て、満足げな様子を見せるシュンシュウ。

 そんなシュンシュウに、女戦士は疑問をぶつける。


「我々を肥えさせて、いったいどうしたいんだ? まさか、食う気なのか?」


 シュンシュウが捕らえた女戦士たちに強いたのは、食って寝ることだけである。

 自身をかつて倒した英雄の子孫に恨みも怒りもぶつけず、処刑や拷問なんてものはまったく匂わせない。しかも、チャンコという名の美味い鍋を持って、自ら牢にやって来る。残虐な魔族のやり口として、いくらなんでも呑気すぎる。

 呑気なまま、女戦士たちを安心させて、やがて肥えたところで食べる。

 それがまあ、現状におけるギリギリの魔族らしいやり口だ。


「わからぬ」


 シュンシュウの返答は、簡潔であった。

 シュンシュウはそのまま自らの困惑を口から吐き出す。


「我は、魔族であり魔王となるべきもの。そしてお前たちは、そんな我を止めに来た人間。本来ならば、我は敗北者たるお前たちを無残に殺すべきなのだ。だが、我の中で何者かが叫んでいるのだ。貴様らを肥えさせ太くし、リキシにしろと」


「リキシ? いったいそれは?」


「わからぬと言っておろう。だが、我の内で、このような未知の単語が溢れている。スモウ、リキシ、ドヒョウ、チャンコ……これらの単語が脳をかすめる度に、我の行動はおかしくなっていく。力自慢の魔物たちだけを厚遇し、貴様らを肥え太らせようとし、魔物たちに得体のしれない力比べのやり方を教え込む。我はどうやら、おかしくなっているらしい。このようなこと、初めてだ」


 自らの内から湧き出てくる謎の知識、時には自らの預かり知らぬ行動を起こす身体に、戸惑いに近い感情を見せるシュンシュウ。

 女戦士もまた、そんなシュンシュウの様子に驚いていた。これではまるで、取り憑く側のシュンシュウが、魔王憑きにあったようではないか。

 魔王憑きとは、生物の体に高位の魔族の魂が取り付く現象である。魔族に取り憑かれた生物は、強大な力を得て己の感情を暴走させるものの、そのうち魔族に身体も心も乗っ取られてしまう。抵抗は苦しみでしかない。

 魔王憑きの存在を知り、先祖代々対処するために生きてきた女戦士は、魔王付きの概要を知っていた。だからこそ、今のシュンシュウが、魔王憑きの被害者とダブって見える。内に潜む魔の囁きにその身を侵され、戸惑う被害者に見えてしまうのだ。


「我は魔の王にならねばならない、ならねばならないのに、なぜだかヨコヅナにならねばという声が聞こえてくる。下もこの奇妙な格好のまま、鎧をつける気がせぬ。この雑音をどうにかして取り払わなければ、我は我でなくなる……」


 上半身は鎧、下半身はマワシ一丁という奇妙な格好のシュンシュウは、ぶつぶつと言いながら牢を去っていく。牢に残された女戦士はただその背を困惑したまま見つめることしかできなかった。

 おそらく、これは、今シュンシュウが取り憑いている、オーガ族のなにがしのせいだ。シュンシュウの魔王への道程を強烈に早めるだけの肉体を持つ男は、シュンシュウの魂をも侵食する心の強さを持っていた。規格外すぎる。

 だが、その心の強さとシュンシュウをも支配する力の原動力となっている、スモウやリキシやチャンコと言った言葉の意味が、女戦士にはわからなかった。わからないまま、与えられたスープを啜る。


「おいしい」


 スープはなんとも、美味であった。

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