1章
1話 生焼けステーキとチャンコナベ
リッチモ王国。大小様々な都市や村で構成され、温暖な気候による農作物と豊富な地下資源による豊かさを持つ国である。
そんな平和を打ち砕いたのは、突如出現した獣の暴力であった。
燃え盛る国境の村。逃げ惑う人々を追いかける、狼の獣人や豹の獣人。
この村を突如襲ったのは、獣人たちの群れ、いや、獣人たちの部隊だった。
村は悲鳴と絶叫が支配する、地獄絵図となっていた。
指示を飛ばしているのは、村に出現した山に座るひときわ大きな牛の獣人だ。
異変を察知し、駆けつけてきた兵士たちの死体でできた、座り心地の悪そうな山のてっぺんで不機嫌そうにしている。
「ああ、くだらねえ。平和ボケの連中なんて、椅子か火種にしかならねえ! くだらねえ!」
牛男の独り言は、もはや咆哮であった。
退屈に殺されそうな彼の目の前に、傷だらけの豚の獣人が転がり出てきた。
牛男は、傷まみれでうめく豚男をじっと見下ろす。
どうやら彼は、誰かに負けたらしい。
遅れて飛び出してきたのは、一人の精悍な騎士だった。
使い込まれた鎧と剣、顔中の傷跡が、彼の戦歴を物語っている。
「貴様ら……いったい、何のつもりだ!」
部下の死体に腰掛ける牛男に激昂する騎士。そんな騎士を、牛男は鼻で笑った。
「何のつもりって、戦争だよ! 戦争といえば、火、泣き声、死体! それ以外に、なにがあるんだ?」
「戦争だと? 貴様ら、ただの野党ではないな!」
「なんと! 俺様を知らないってことは、お前、モグリだな。まあ、いい!」
死体の山から降りた牛男は、多少は骨の有りそうな騎士に微笑みかけた。
「お前らのルールじゃなくて、世界共通のルールを持ち出してやるよ。一騎打ちだ。勝てば天国、負ければ地獄。どうだ? わかりやすいだろ」
「……心得た!」
この軍勢の大将である牛男との一騎打ち。騎士に断る理由はない。
剣を構え直す騎士であったが、即座に自分の過ちを知るハメになる。
牛男は倒れたままの豚男の足を掴み上げると、思いっきり地面に叩きつけた。
豚男の身体が、醜くひしゃげた。
「俺の武器はコレだ」
巨漢の豚男の身体を、容易く振り回す腕力。
何より、負傷した部下を武器同然に扱おうとする狂気。
騎士の戦意は、完全に萎えてしまった。
気づけば、腰が引け、切っ先が震えている。
そんな騎士の恐怖に構わず、牛男は話し始める
「こういう決闘の時は、名前を名乗るんだっけな。俺の名はボルグ。さて、お前の名前はなんだ?」
暴風のボルグ。巨大かつ不均等な二本の角と巌の如き身体を持つ、牛の獣人。
ボルグと彼が率いる数百の獣人で構成された傭兵部隊は、さながら災害。
その暴威を直に叩きつけられれば、どんな城塞もどんな部隊も粉砕されてしまう。
かつての大戦での彼らの悪行は、半ば伝説と化していた。
「ああ……ああっ!」
誇りも建前も暴風の前に吹き飛び、呆然となる騎士。
ボルグはそんな騎士を見下ろすと、豚男の死骸を騎士めがけ叩きつけた。
◇
国境の村で野党が暴れている。
国境の村が獣人たちに焼かれている。
リッチモ王国に暴風のボルグがあらわれた。
戦争が始まる。
時と共に情報が正確になるにつれ、王都の混乱は激しくなっていった。
徹底抗戦をうたう者、交渉を試みる者、逃げ出す者。
統治者の混乱は容易く伝播し、街全体が不必要に浮足立っていく。
そんな中、街の酒場ではまったく揺らがず、日常を送っている者たちがいた。
「逃げないのかい?」
恰幅の良い酒場の女将が、カウンターで飲み続ける唯一の客に話しかける。
普段は喧騒あふれる酒場も、ここ数日は静かである。
明日にもどうなるかわからない状況で、飲める胆力のある人間はそうそういない。 酒に逃げるのも、余裕がいるのだ。
女将に話しかけられた客は、くすんだ金属製の義手で、木製のジョッキ入りのぶどう酒を一気に煽る。こぼれたぶどう酒が、豊かな胸の谷間に吸い込まれた。
客は、女性であった。
名はヴィルマ。戦場、冒険、狩猟、血と肉の匂いがするところには必ずあらわれる美貌のダークエルフとして名を馳せたこともある。
しかし、そのキャリアは、左腕を失ったことで終わった。
日頃から着ていた鎧は普段着に代わり、左腕は昔手に入れたアイテムを無理やり改造した義手に代わった。魔力により日常生活に支障がないくらいには動くが、剣を振るい、弓を引くのは難しい。
力を頼みにしてきた者が、力を失う。それは悲劇ではなく、悲惨だった。
こうなると、ダークエルフとしてのムダに長い寿命が恨めしい。
これから死ぬまで、ずっと呑んだくれるのか。
ヴィルマは空のジョッキを女将に返しつつ、逆に女将に質問する。
「女将こそ、店を閉めて逃げないの?」
「逃げる先が思い浮かばないからね。それに、この街はぐるりと石の城壁で覆われているし、下手に逃げない方がいい気がしてね」
「うん。それは正しいよ」
おそらく今、城の周りには逃亡者目当ての野党や、獣人部隊の先発隊がうろうろしている。逃げ腰の獲物を捕まえることにかけて、野党は二流、獣人部隊は超一流だ。
だが王都にこもりきったとしても、城壁程度ではボルグたちを防ぎ切るのが難しいのが事実である。
百で万が籠もる城を落とす。
ヴィルマは戦場で、彼らの突破力を直に目撃している。
あの策も防備もぶっ壊す暴力はまさに暴風だ。
よって今の状況では、安全に助かる手段などなかった。
「わたしは、どうでもいいし」
カウンターに突っ伏し、自らの思いを吐露するヴィルマ。
怪我で左腕を失ったあの日から、自分が生きる屍であることは自覚していた。
もはや自身で道を切り開けない以上、状況に身を任せるのが道理だ。
ボルグたちに殺される。おそらくひどい死に様になるだろうが、それも悪くない。
女将はため息をついてから口を開く。
「なんとかならないのかねえ……。アンタ、昔傭兵もやってたんだろ? そのボルグに勝つ手ってのはないのかね?」
「勝つ手どころか、こっちは左腕も無いんだけど」
「いやアンタにやれって言ってるんじゃなくてさ、たとえば、ボルグよりも強い奴はいないのかね? その人に頼めば、どうにかなるんじゃないかい?」
女将の言葉を聞き、ヴィルマの目に戦場で見た光景が蘇る。
かつてヴィルマは一人の兵士として、戦場でボルグを見たことがある。
別に金に困っていたわけではない。長い人生の余暇として、たまには人同士の争いに身を投じるのも良いと思っただけだ。
あの時、数百の獣人を率いる獣の暴力に立ち向かったのは、たった一人の男であった。今でも目をつぶれば、あの時の光景が思い出せる。
だがアレは、地獄そのものだった。
◇
すべてが赤に染まっていた。
敵も味方も関係ない。
ボルグともう一人の男。
いや、一匹の鬼にとって、他人は武勇の添え物に過ぎなかった。
彼らが動くたびに、近くの兵士がちぎれ飛び、砕け散る。
もはや、竜巻。殺意ある災害が、集団をいいように飲み込んでいく。
数時間後、敗者が倒れ、勝者が吠える。辺りは血と肉と臓物の海であった。
やったな! と、勝者を讃えようとした指揮官が、いち早く駆け寄っていく。
猛りが収まらぬ勝者は、ごくごく自然に指揮官の頭を握りつぶした。
◇
ヴィルマは、怖気を振り払うため唇を噛みしめる。
ボルグを倒し、獣人部隊を撤退に追い込んだのは、鬼と呼ぶべき男であった。
彼は暴風をも超える暴力をもって、味方ごとボルグを吹き飛ばした。
その強さも、ボルグ以上だろう。凶悪な魔物とて、アレには追いつかない。
確かにあの男を呼ぶことができれば、ボルグを退けることはできる。
だが、最悪を倒すため、さらなる最悪を呼んでどうするのか。
だいいち居場所がわからない。
かつてはいいように悪名を振る舞っていた男であったが、この数年、噂はとんと聞かない。暴れ狂ったまま、死んだのかもしれない。
突っ伏したままのヴィルマの近くに、湯気の立ったスープが置かれた。
「頼んでないけど」
顔を上げたヴィルマは、スープを持ってきた女将に言う。
「あんた、顔色悪いよ? ちっとは栄養つけな」
ヴィルマは手頃な木の椀に入ったスープを直にすする。
野菜に魚に肉、適当に余り物をぶち込んだようなスープの見栄えはあまり良くなかった。一応礼儀として、汁だけすすっておこう。
ヴィルマが考えを改めたのは、直後のことだった。
「美味しい……」
思わず素直な感想が出てしまうくらいに、スープは美味であった。
ヴィルマは木のスプーンを手にすると、今度は具と一緒にスープを口にする。
トロトロに溶けた葉っぱと柔らかい鶏肉が、噛みしめる度に口中に旨味を撒き散らす。魚も乱雑に切っているように見せかけて、きちんと骨が抜いてある。何より、プリプリで美味い。
具材の旨味を引き立てているのは塩だ。絶妙な塩加減が、食材を中和しているのだ
豪快に見えて、繊細かつ画期的。それが、このスープの真髄だった。
「どうだい? 美味いだろ」
ニコニコとしている女将に、ヴィルマは無言で空の椀を見せつける。
こうもむさぼってしまっては、何を言っても野暮だった。
「こんな美味しいスープがあるだなんて、知らなかった……ズルい」
「ズルいも何も、アンタ、毎回酒しか頼まないじゃないか」
呆れたように女将が言う。
そんな女将の呆れ顔を、ヴィルマは見なかったことにした。
女将はスープについて、更に説明する。
「そのスープは、最近雇った流れの料理人が作ったもんさ。名前はなんてったかね。チャー……チャン……チー……とにかく、珍しい料理だろ?」
「わたしたちはともかく、こんなスープを作れる料理人には生き残って欲しいね」
「勝手に私も死んでいい人間に加えるんじゃないよ。でも、こんな状況だし、アイツにも一度身の振り方を考えてもらった方がいいね。ちょっとこっちこれるかい!?」
女将が厨房に向かって怒鳴ると、厨房の奥から重々しい足音が聞こえてきた。
「女将さん、何用ですか?」
穏やかながらも、重厚な声。
厨房から出てきた料理人を見て、ヴィルマはただ絶句した。
◇
ガツガツと。そんな言い方が相応しい食べっぷりである。
夕暮れの焼けた村の跡地。丸焼けの牛をボルグは数分で完食した。
牛の獣人が、牛を食べる。
同族への仲間意識も、論理感というブレーキも、ボルグには存在しない。
彼の目は、偶然入手した入国名簿に釘付けであった。
「まさか、テメエがこのつまんねえ国にいたとはな……!」
彼が睨みつけるのは、名簿に太い字で書かれた“ライ”という名前だ。
種族がオーガである以上、間違いはあるまい。
同族が勇者たる彼の名を騙れば、それは一族追放レベルの重罪だ。
極北に住む角ある種族オーガ。厳しい環境で鍛えられた筋骨隆々の肉体は、力だけで生き、暴力を誇りとすることを許している。強者の名は、部族において唯一だ。
そんなオーガの中でも、かの男こそ、悪鬼と呼ぶに相応しい男。
その存在自体が災いと呼べる存在。
猛りだけで人を殺し、一度動けば万物を潰す。
かつて、ボルグが真正面から挑み負けた、唯一の男だ。
ボルグは頭の左右についた両角を撫でる。
数年前、ライに曲げられた角は、へし曲がったまま伸び、更に太くなった。
真っ直ぐではない異形の角。
まるで今の自分自身を象徴しているようで気に入っている。
「野郎ども! 腹満たしたら、夜通し駆けて王都にぶっこむぞ!」
ボルグの叫び声に、部下の獣人たちは咆哮で答える。
名簿が確かならば、ライは王都にいる。
ボルグが自らの獣性をぶつけるに相応しい、怪物がいるのだ。
ボルグは身を爆ぜさせかねないほどの殺意を、王都にいる宿敵にぶつけた。
◇
ヴィルマは、開いた口が塞がらなかった。
さきほど飲んだスープが戻ってきそうなぐらいに、ポカンと開いたままだ。
「てなわけなんだけど、どうだい?」
「なるほど。戦争ですか……昔はともかく、今はどうにも関わりたくないんですよ」
女将によるざっとした説明を聞いた雇われの料理人は、気乗りしない素振りを見せた。ざっとしすぎて、悪い連中がこっちに来ているぐらいの話でしかなかったが。なにせ、ボルグの名すら出ていない。
「なんだい、なんだい。男なら、俺がぶっ潰してやる! ぐらいのことを言いなよ。その立派な身体が泣くよ!」
女将はドン! と料理人の背を叩く。
叩かれた料理人は、心地よさそうに苦笑した。
女将の言うとおり、裏から出てきた料理人は、まるで固い石のレンガを積み上げたかのような分厚く巨大な肉体を持っていた。肌も、使い込まれたレンガのような赤褐色である。
背も高いが、何より太い。足も、胴も、腕も、首も。
歩くだけで重々しさが伝わってくる、太い人物だ。
この太い男に、ヴィルマは見覚えがあった。
多少横幅が広くなっていて、奇抜な格好をしているが、間違いなく彼だ。
戦場にて、ボルグを倒した男だ。
ヴィルマの開きっぱなしの口から、男の名が漏れる。
「ライ……?」
額の太い一本角と巨体を持つオーガ族の勇者ライ。
おそらくドーゼン大陸において、最強と呼ばれた存在の一人である。
その性根は、傍若無人にして悪逆無道。
彼の目に、敵味方を選り分けるような器用さは無い。
ただ目の前に出てきた相手を、敵味方構わず叩き潰す。
気に食わなければすり潰す。
なんとなくで、押し潰す。
戦闘員や非戦闘員という身分、老若男女という立場。すべてはライにとって平等であり、ある意味彼は真の、そして忌まわしき平等主義者だ。
そんな男の名を、ヴィルマは目の前の温厚そうな料理人に呼びかけた。
「ん? アンタ、どこかで俺に会ったことあるのか?」
料理人は、自らがライであるとあっさり認めた。
だからこそ、ヴィルマは戸惑う。
ヴィルマが知るライとは、馴れ馴れしく肩を叩いてきた同僚の首をねじり、呼び方が気に食わないという理由で子どもたちを踏み潰そうとした男だ。
だからいま名前を呼ぶ時も、死を覚悟して恐る恐る呼んだ。
そんなヴィルマの警戒心などつゆ知らず、ライは改めて今の自分の名を名乗った。
「でも、今の俺の名前は、ライじゃなくて、ライデンって言うんだ。“オヤカタ”から付けられた“シコナ”ってヤツだ」
「シコナ……?」
ヴィルマにとって、未知の単語だ。
専門用語らしき言葉に、風変わりな装いに、性格の変化。
「何か、宗教にでも目覚めたの?」
思わずそうたずねてしまうヴィルマ。
長髪を頭頂部で結わえている妙な髪型。
寝間着よりは丈夫そうで、ガウンよりは薄そうな、着流しの衣装。
この突飛な格好と、シコナによる改名。穏やかすぎる人格への変貌。
きっとライ改めライデンは、オヤカタを教主とする宗教に入ったのだ。
「宗教……? ああ、そうか! そりゃあそう聞こえるよな!」
ガハハと豪快に笑う、ライデン。彼はひとしきり笑ってから、言葉を続ける。
「俺は“リキシ”になったんだよ。遠い所から来た格闘技……ブドウって言うんだったかな? とにかく今の俺は“スモウ”の選手だ。この服は、“ユカタ”って言ってな、リキシの服だ。ああそれと、今は“チャンコ”を作る料理人でもあるな」
ああそうだった、あのスープの名前はチャンコだったと、女将が手を叩く。
ライデンが己を捧げたのは、神にではなく、謎の格闘技に対してだった。
格闘技。
人が己を鍛え、技術を磨き上げ、さらなる強さと高みを目指すために学ぶものだ。
格闘技を武器とする冒険者や、格闘技を武器としてコロシアムで戦う闘士は、ひとまとめに格闘家と呼ばれている。
だが、無手や節制のような不合理を好む格闘家の数は減少傾向にあり、もはや絶滅危惧種である。人間、当たり前だが武器を持ったほうが強い。
コロシアムですら、武器を持って戦うのが主流である。
ライもまた、格闘技を浪漫かぶれの自己満足と平気で罵る強者であった。
そんな彼の態度に怒り、勝負を挑んだ格闘家が再起不能の怪我を負ったという話もある。ライの格闘技嫌いの逸話は有名である。そんな彼が、自らの主義と名前まで改めるほどの格闘技が、まさか世の中にあったとは。
そして……
「その角の痕は、スモウで……?」
オーガ族の男にとって、男根とも言える男の証。
猛将の証でもあり、何人もの身体を貫いてきた頭の角。
彼をかつてライたらしてめいたライデンの頭の一本角は、根本から折れていた。
肉で盛り上がりわかりにくいものの、角を折った痕は額にしっかりと残っている。
「ああ、コレか。コレは、自分で折ったんだよ。スモウに、邪魔だったからな」
こともなげに答えるライデン。
おそらく、トレーニングや試合の結果、角が折れたと聞けば、その過酷さに感心するだけで終わっただろう。
だが、自らのアイデンティティだったはずのものを、邪魔だと言って放棄させてしまう。これほどまでに、人を変えてしまうスモウとはなんなのか。
ヴィルマが感じたのは、得も知れない格闘技スモウへの畏怖であった。
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