2話 これぞ男のドリョウイリ
翌日早朝、早起きしたヴィルマは、まだ開いてない酒場の裏庭にいた。
左腕を失ってから朝に寝て昼に起きる生活になっていたヴィルマにとって、久々の早起きである。当たり前だが、眠い。
そんなヴィルマが早起きする理由となった男、ライ改めライデンは何をしていたかと言うと、朝っぱらからスモウにかまけていた。
自分がやっているのではない。
逃げ遅れた、もしくは最初から逃げる気がない家庭の子供を集めて、スモウを教えているのだ。
「とりゃー」
「ロンくんの勝ちだ!」
「いや待った、今、ロンの足がドヒョウの外から出ていたから、ミミーの勝ちだ!」
「ちぇっ。勝ったと思ったのに……」
「最後押す時、足が前に出すぎちゃってたな。でも、惜しかったぞ」
ロンの頭をなで、慰めているライデン。
アレが本当に子供など邪魔者と言い切っていた、鬼のライなのか。
今でも正直、ヴィルマは疑っている。
それはそれとして、スモウと言うのは面白い格闘技だとヴィルマは感心していた。
スモウの試合は、トリクミというらしい。トリクミの審判をギョウジと呼ぶ。
ギョウジ役のライデンが見守る中、二人の子どもがせめぎ合っている。
まずスモウは、一対一、並の体格なら十人ちょっとは入れそうな大きさの土俵の中でおこなわれる。このドヒョウの中で力比べをおこない、ドヒョウの外に相手を先に押し出せば勝ち。もしくは、相手の足の裏以外を地面につけさせたら負け。
非常にシンプルなルールだ。
勝敗も簡潔で、膠着状態にも陥りにくい。子供同士の戦いでも、迫力がある。
つまり、見ていて飽きない。これは面白い格闘技だ。
「えい!」
「痛!」
「こら、殴るな! 叩くのは、平手だけだ! ハリテだけだ! 突き出すのもナシだ! ツッパリはまだお前らには早い!」
殴り合いを始めた二人の子どもを、ライデンが間に入って止めている。
拳を握って殴るのは禁止。手での打撃は、手のひらを使っての殴打、スモウで言うならハリテのみだ。ぺちぺちと子供が叩きあう姿は、どうにも微笑ましい。
でもだいたいのトリクミは、ハリテではなく押し合いで決まっている。
ライデンは、子どもたちに相手の腰、あるならベルトを掴んで押し合うよう指導している。相手を押す目的ならば、腰を狙うのは正しい。
「やー!」
そして、その体勢からは、投げも狙える。
一人の子が、相手の脇に腕を差し込み、そのまま転げ倒した。
「おおっ! ウワテナゲか! 上手い!」
転がった子どもを助け起こしながら、ライデンは投げた子どもを褒め称えている。
押し合い圧し合い、ハリテのような打撃やウワテナゲのような投げを織り交ぜ、勝利を収める。スモウとは、そんな格闘技だった。
時間になったのか、最後に皆で変わった準備体操をしている子どもたち。
腰を沈め、股を大きく広げると、そのまま片足を上げ、地面に勢い良く落とす。
ぺたんぺたんと、やわらかな音が幾つも重なっている。
「うんうん、そうやってシコを踏むと強くなれるぞ! ただ、家の中ではやるなよ! お母さんに怒られるからな! じゃあ、解散!」
ライデンの合図とともに、三々五々に散らばっていく子どもたち。
子どもたちが帰ったところで、ライデンは見学していたヴィルマの隣に腰掛けた。
「ふ~、疲れた! 子どもたちを見るのは、自分でやるより気を使う!」
「最近、ずっとああしてるの?」
「おう。チャンコ職人として稼ぎつつ、ヒマを見てはああやってスモウ教室を開いてるんだ。角を折ってからは、ずっとそんな感じで各地を巡ってたんだよ。まずは子どもたちから教えることで、スモウの布教を進めていこうかと思ってな!」
「随分とスモウに惚れ込んでるんだね。でも、スモウなんて……聞いたことないんだけど」
それなりに長く生き、様々な国を回ってきたヴィルマであったが、そんな彼女でもスモウとはまったく聞いたことのない格闘技である。ブドウも同様だ。
ヴィルマに聞かれ、ライデンは自身とスモウの出会いを語り始めた。
「俺がスモウと出会ったのは、数年前。オーガ族の村に里帰りしていた時だった。村にふらりと、今の俺と同じ格好をしたヒューマンがあらわれてな」
ヒューマンとは、肌色で中肉中背、数の多さと苦手分野の無さから大陸にてもっとも広い勢力圏を持つ種族だ。
「ヒューマンが極北のオーガ族の村にふらりと? そのユカタの格好で?」
思わずライを問いただすヴィルマ。
ヒューマンの肉体とユカタで、オーガ族が住む極北の寒さに耐えられるとはとうてい思えなかった。
「でも、実際あらわれた以上、しょうがねえだろ。その人は、一夜の宿と情報を欲しがったんだが、ウチの村には掟がある。オーガ族を納得させるだけの力を示せ。力無きものには、施しをする価値も無い。そういう村だからな、ウチは」
オーガ族の脳筋主義は、もはや伝統であり法だった。
ライデンは説明を続ける。
「するとその人は、自分はスモウを取るリキシなんだと名乗った。スモウとは、力比べの一種だと。ヒューマンにしちゃあデカかったが、俺よりも一回り以上小さい人間が、力比べが仕事だと吹く。なら試してやろうじゃねえかと、俺はドヒョウに乗ってやったわけよ。そうして掴みかかったら……負けたんだよ、俺。もう思いっきり転がった」
「それはまた……」
信じられないと、目を見開くヴィルマ。
変則的とはいえ、オーガ族に、しかもライに力比べで勝つヒューマンがいるとは。
「周りも驚いたが、何より俺が驚いた。気づけば、俺はオヤカタに弟子入りしてたよ。この男は凄い、そしてスモウも凄いと。俺はきっと惚れたんだろうな。オーガの敗者は勝者に惚れるもんだ。オヤカタに負けるまで、俺はそれを知らなかった」
「オヤカタ? それがそのヒューマンの名前?」
「違う違う。オヤカタってのは、スモウにおける師匠のことらしい。数年がかりで俺にリキシのイロハやチャンコの作り方を教えてくれたオヤカタが言ったんだ、お前は今日からライデンを名乗れ。外の世界でスモウを広げつつ、強くなれって。そうすれば、お前はリキシの最高位ヨコヅナになれるって言ってくれたんだ。オヤカタは、村に残って、俺以外のスモウに興味を持ったオーガを弟子にしてるよ。俺が帰る頃には、きっとアイツら強くなってるぞ!」
「ヨコヅナ……スモウの階級のこと? 他にもあるの?」
「上から強い順にヨコヅナ、オオゼキ、セキワケ……一人前の証として、ジュウリョウイリってのもあって、俺はひとまずソコらしい。まあとにかく、これが俺とスモウの出会いだ」
ひとまず語り終えたライデンは、ふぃ~と息をつく。
敗北という屈辱すら思い出として語るライデンの顔は、終始穏やかだった。
ヴィルマはその思い出話の中心にいる人物のことを、ライデンにたずねる。
「しかし、そのオヤカタはどこから来たのかな。秘境のオーガの村にたどり着く人間ってだけで、とんでもないのに」
これほどの鬼に角を折らせた人間。ヴィルマが興味をもつのは当然だった。
「そういえば、オヤカタの生まれの話はしたことなかったな。いや聞くべき最初の頃にはしたような気がするが、どうにも話がすれ違って、そのままどうでもよくなっちまったんだ。ひょっとしたら、オヤカタはスモウが流行っている別の世界か、もしくは気が遠くなるぐらいの過去から来たのかもしれないな」
ハハハと笑う、ライデン。スモウを極めようとするライデンにとって、オヤカタの出自などどうでもよかったのだろう。肝心なのは、スモウを知っているということと、教わりたいと思えるだけの人格資質を持つ師匠であることだ。
楽しそうなライデンを見て、ヴィルマは悩む。
ボルグが来ていると、教えていいのかと。
ライデンはともかく、ボルグは昔のままだろう。
このままでは、二人の衝突は避けられまい。
一度、ライの頃にボルグを倒しているものの、それは同程度以上の暴威をぶつけた結果、つまりは同じ獣同士の比べ合いの結果だ。
だが、今のライデンに、暴威は感じ取れなかった。町の酒場であくせくと働き、空き時間には子供と戯れる。これは、ライのする行動ではない。とびきりの、悪鬼がする行動ではない。
ライデンはスモウという格闘技に角も凶暴も名前も奪われ、ボルグと張り合えない男になってしまったのでは。左腕と一緒に戦う気も失った自分と同じなのでは。そんなことをヴィルマは内心思っていた。
だが、どうせしばらくすれば来る以上、話すだけ話しておくべきだ。
ヴィルマが決意したその時、遠くから津波の如き唸り声が聞こえてきた。
「まさか!?」
アレは獣の咆哮と人の怒りが混ざった、獣人の唸り声である。
ボルグはすでに、この王都に来ている。いくらなんでも、早すぎる。
「ボルグのヤツ、もう来たのか。相変わらずだな」
ライデンは、笑っていた。彼はボルグが来ることを、既に知っていたのだ。
きょとんとした顔をしているヴィルマに、ライデンが話す。
「あの後、女将さんに詳しい話を聞いたんだよ。もしアンタが本当に強いのなら、助けてくれってな。誰だって、死にたかあないもんな」
どうやら女将は、ライデンを見たヴィルマのただならぬ様子から何か察していたらしい。あれだけおののけば当然か。
ライデンは、大きく息を吐きつつ天を仰いだ後、その場に腰を下ろし執拗かつおおらかな柔軟体操を始める。大股をひらくライデンは、見た目より遥かに柔軟だった。
これは、今は遠き地に住むオヤカタから習った、マタワリと呼ばれる体操。これすなわち、リキシの準備運動である。
「俺はもう、傭兵じゃなくてリキシだ。だが、リキシにはリキシなりの立ち向かい方がある。ボルグのデンシャミチは、俺が止めてみせる」
ライデンの顔には殺意も暴力もない。
あるのは、見ていて頼もしく思える力強さであった。
◇
幸い、リッチモ王国の首都たるこの街は、街と城ごと高い石壁で囲まれていた。
周りも川を利用した深い堀で囲まれており、唯一の通行路となる橋を守りきればいいと、その防備は固い。
「あ……ああ……」
そんな頼もしい石壁の上で、守備兵長は我を見失っていた。
他の守備兵たちも同様だ。
彼らはただ、怯えていた。
城壁の下ではボルグ率いる獣人の軍勢が、正門前に横一列で並んでいる。
先頭に立つのはボルグだ。
ボルグは荒縄のネックレスを首に巻いていた。
太い荒縄のネックレス、その先にまるで宝石のごとくぶら下がるのは、人の頭であった。ボルグは自らの太い首を支えに、絞首刑を執行していた。罪人は彼らの移動経路にあった村や街の責任者、そして王都からいち早く逃げた貴族である。
「さあ、この特等席に誰が来る!」
空いた輪を指差し、ボルグが吠えている。大柄の獣人は叫び、小柄な獣人も武器を鳴らして威嚇している。並外れた暴力で、まず相手の心を折る。これが彼らの常道であった。
そんな時、ひょいっと気軽に、守備兵長が立ち上がった。
「お前が長だろ? だったら、しっかり立ってないとな!」
守備兵長を立ち上がらせたのは、ライデンの豪腕だった。
後ろにはヴィルマが従っている。
立ち上がった守備兵長の背を、バシッっと叩くライデン。この一撃で気合が入ったのか、守備兵長はライデンが手を放しても、自分の足でちゃんと立っていた。
ただまあ、彼が着る鉄製の鎧の背に、ライデンの手形がくっきりと残っていたが。
「リキシは、自分だけでなく他人にも力を授けることができる。オヤカタの教えさ」
ライデンは、軽く羽織っていたユカタという名のローブを、雄々しく脱ぐ。
ユカタの下にあったのは、山の如き隆々とした筋肉に包まれた肉体と、変わったパンツだった。
「その下に履いてるモノは……?」
「ああ、これはマワシだ。スモウの正式なコスチュームで、リキシの魂よ!」
ライデンの下半身を隠すのは、黒く幅広い布を腰と股に幾重にも巻きつけたマワシであった。ベルトと下履きがいったい化したマワシ、先程、ライデンが子どもたちに教えていたスモウのコツ、腰を掴むことを考えれば、マワシはスモウに適したコスチュームなのだろう。
「ヴィルマ。昔の俺を知っているお前に、頼みがある」
脱いだユカタを投げ捨てるライデン。
ヴィルマは自然と、そのユカタを両腕で受け取る。
「今の俺が、昔に比べてどれだけ変わったのかを見てほしい。負けを知った、この俺がな!」
そう言い放ったライデンは、巨体に見合わぬ身軽さで、城壁から飛び降りた。
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