かくして道は開かれる~異世界本場所生誕秘話~

藤井 三打

序 鳴り響くのは打ち寄せ太鼓

 それは、去勢と呼ばれる行為だった。

 この場にいる誰もが、煙に包まれている。ただ、わけがわからない。なぜ、彼ほどの男が、そんなことをしてしまうのか。

 言い出した当人に冷静になる時間を与えるために、わざわざこのような“儀式”を用意した村の長老も同様である。

 長老は今日に至るまで、こうなってしまった理由を幾度も考えてみたが、結局答えはわからなかった。この肌と脳に刻まれた深いシワのなんと情けないことか。

 結局、理由を知るのは、当人だけなのだろう。急ごしらえの祭祀場の中央に立つ彼だけが、この空間における唯一の明朗であった。

 長老は、最後の確認を当事者に問いかける。


「本当にいいのか……?」


 問いかけられた男は、無言で頷く。完全に覚悟を決めている相手にこんな確認をするだなんて、まるで彼氏に捨てられまいとすがりつく小娘のようだ。

 だが、数十年前、一族の勇者とまで呼ばれていた長老は、この情けなさを受け入れ、さらに問いかける。


「お前ほどの勇者が、なにゆえに?」


 なにせ、今、自分自身の魂同然のモノを折ろうとしている男は、全盛期の長老とてかなわぬ、歴代最強の猛者なのだ。

 猛者たる男は、じっと目をつむり多少考え込んだ後に、ゆっくりと口を開いた。


「これから歩もうとしている道において、障害となってしまった。それだけです」


 ざわつく群衆。

 たしかに、いくら魂たるモノと言っても、生きる上で邪魔に思ったこともある。

 障害となったこともある。

 だが、こうも簡単に、断つことを口にし、なおかつ実行できるとは。

 これが最強の男が、自らの価値を去勢する瞬間なのか。

 強者ぞろいの群衆が感じたのは、男への畏怖であった。


「お前の選ぼうとしている道も知っている。だが、その道において、邪魔となるものなのか? むしろ……いや、もう何も言うまい」


 せめて男の選んだ道に後悔がないよう祈りつつ、長老はさまざまな刃物や鈍器を目の前に並べていく。


「いえ。それはいりません」


 男は、長老の準備を静止する。


「長い間、一緒だった相棒です。最後は、自分の手で送ってやりますよ」


 言うやいなや、男は己の象徴を、自らの豪腕で握りしめる。

 メキメキと即座に聞こえてくる音。

 迷いなき彼に、躊躇と手加減は一切合切なかった。

 ボキリ! と、破砕の証が祭祀場を震わす。

 一族の男たる象徴は、容易く折れた。

 この会場の中で唯一目を見開いていたのは、自らの手で儀式を成し遂げた男のみだった。


「これでいい、これで……!」


 自分は失ったのではない、これでやっと、始められるのだ。

 男はとめどなく流れる血にかわまず深く腰を沈めると、自らの足で大地を激しく穿つ。振動が、祭祀場を襲った。


        ◇


 人里離れた辺境の集落でおこなわれた、一つの儀式。

 そして、謎の地震による祭祀場の崩壊。

 この出来事は、ある部族の新たな伝説として語り継がれることになる。

 ここは、ドーゼン大陸。剣と魔法が力を持ち、一攫千金を狙う冒険者が跋扈し、四百年前勇者に敗れた魔王が極北にて眠り続ける世界であった。

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