3話 キマリテ ウワテナゲ
肩車にして、二十人でも届かぬ高さを持った城壁。
それほど高い城壁のてっぺんから、堀を飛び越え謎の物体が落下してきた。
「やつら、岩落としてきましたぜ!」
「違うな」
落ちた時の土煙と振動から物体を岩だと思い込んだ獣人を、ボルグが否定する。
もわもわと上がる土煙の中から出てきたのは、髷を結ったマワシ一丁のライデンであった。あの高さから落ちてもまったく揺らぐこと無く、ソンキョの姿勢を取っている。
「プッ……」
誰の声だったのかはわからない。
ただ、この声が、きっかけになったのは事実であった。
「ブハハハハハ!」
「な、なんだよアイツ! 変な格好しやがって!」
「おいおいおい、こっちは戦争やってんだぞ!」
ゲラゲラと笑い出す獣人たち。彼らの大半は、奇妙な髪型と衣装の大男が誰だかよくわかっていなかった。数年の月日と、ライデンの格好が彼らの目を曇らせた。
だが、彼らの長の目は確かであった。確かな目が、怒りで血走っている。
「ライーーーー!」
ボルグの絶叫が、獣人たちの笑いを吹き飛ばす。全身の血管が破裂しそうなほどに沸騰し、筋肉も肥大化している。彼は、ブチ切れていた。
「俺様は、お前に負けてから、ずっとお前をぶっ殺す日を夢見てきた! あの日以上に、強く、あの日以上に残虐に、あの日以上に……何度も勝ちを重ね、お前と戦場で出会う日を待っていた。それなのに、その情けなく折れた角はなんだ! その愉快な格好はなんだ! ふざけてんじゃねえぞ!?」
ボルグの怒号に構わず、ライデンは高く差し上げた片足を、思いっきり地面に打ち付けた。シコである。
先程、ライデンが落下した以上の振動が、地面と街を揺らす。堀にも大きな波が発生し、ライデンの降ろした足の周辺には大きなクレーターができていた。
「うわぁ!」
「ひぃぃぃぃ!?」
地震の如き振動に突如当てられた獣人たちの威勢や笑いは吹き飛び、ただ戸惑う。
「テメエ……」
驚きはあっても、取り乱すことはなかったボルグがライデンを睨みつける。
ライデンは、不敵に笑った。
「勝ち続けてきた……か。だから、お前には進歩がないんだ」
「なんだと?」
「俺は、負けたぞ。もののみごとに。非力なはずのヒューマンに、無様に転がされたんだよ!」
敗北を口にすることは、普通なら屈辱である。
だが、敗北を語るライデンに陰りはなく、むしろその様子は誇らしげであった。
ライデンは足で直接、自身の周りに大きな円を描く。
それは、自身のサイズに合わせて作った、大人用のドヒョウだ。
「俺はもうライの名は捨てた。今の名前は、ライデンだ。そして、今の俺は、リキシだ。スモウを取る、リキシだ。リキシは倒れてはならない、リキシはドヒョウの外に出てはならない。この城が欲しいのなら、俺にクロボシをつけてみろ」
ドヒョウの後ろにあるのは、石壁の要所である正門に繋がる橋であった。
ライデンはただ一人、ドヒョウの上に立つ門番となっていた。
彼は、軍隊とスモウを取る気なのだ。
ブチリと、ボルグのこめかみの血管がついにキレた。
「あの情けない野郎を、今すぐ殺せぇぇぇぇぇ!」
ボルグの命令と共に、獣人たちが一挙にライデンめがけ殺到する。
「ハッキヨイ……」
謎の呪文を口にしつつドヒョウに立つライデンに、獣人の群れが襲いかかる。
ライデンはニヤリと笑うと、脇を締め大きく力を込めた。
「フンフンフンフンフン!」
ライデンのツッパリが、襲いくる獣人を次々と叩きのめす。
恐ろしい速度で突き出される腕が、ライデンの前方向すべてをカバーしている。
達人が繰り出す槍の速度と正確さ、そして攻城兵器の破壊力。
ライデンのツッパリは、これらを両立していた。
「ぐわ!?」
「ガハッ!」
「ギャー!」
そんなツッパリという渦に飛び込めば、タダではすまない。飛びかかった獣人たちは、体格や武器の大小に構わず後続ごと弾き飛ばされていく。
「どいてろぉ! 俺が行く!」
二頭の馬で動かす馬車に乗った狼の獣人が、仲間を弾き飛ばし、馬車ごとライデンに突っ込んでいく。輸送用の馬車に重い荷物を乗せ、長い丸太をくくりつけることで、馬車は簡易的な戦車となっていた。
戦車は真正面からライデンにぶち当たる。激しい音と振動が火花を散らした。
「しっかしなあ、獣人に使われる動物って、どんな気分なんだろうな?」
だが、ライデンはあっさりと馬車を身体で受け止めていた。腰を据え、二頭の馬をしっかり押さえつけている。丸太は、ライデンが胸で受け止めた時点で砕けていた。
「信じられねえ……コレ、城門ぶち破るのに使おうと思ってたんだぞ」
呆然と呟く狼の獣人。
ライデンは馬車をそのまま横に投げ飛ばす。
馬車は馬と荷物と騎手、すべてセットで水堀に落ちてしまった。
「リキシは城門より硬いのさ」
ライデンは誇らしげに宣言する。多数の獣人の攻撃と、馬車の突撃。
これだけしてもまだ、ドヒョウの真ん中に立つライデンは、最初立っていた位置からまったく動いていなかった。
◇
呆れるしか無い。城壁の上から眼下を望むヴィルマにとって、ライデンの暴れっぷりは、こう評するしかなかった。
獰猛な獣人部隊が、紙切れどころかホコリのように舞い散っている。
ハッキリ言って、今こもっているこの城よりも、ライデンを落とす方が難しい。
アレはもはや、人の形をした要塞だ。
そして何より、ヴィルマが驚いているのは、
「いいぞ! デカいの!」
「今のうちに、石持って来い! 熱湯も沸かせ!」
「この街に、一歩も踏み込ませるかよ!」
ライデンの活躍を見ている守備兵が、活力を取り戻したことだ。
反転のきっかけは、ライデンのシコだ。
シコの地響きに当てられた敵兵は怯えていたが、こちらの兵士は逆に勇気づけられていた。あの揺れにより、心の中に渦巻いていた弱気が祓われたような。そんな感覚がある。
ヴィルマも同じだ。腕を失ってからずっと萎えていた心が、久方ぶりに震えている
いったいスモウとは、なんなのか? アレ程の完成された猛将を変えてしまうものなのか? ライに勝ち、彼の生きる道すら変えてしまったオヤカタとは何者なのか?
ヴィルマの頬を伝う涙。左腕を失ったあの日、ヴィルマは名誉とこれまでを失い、それからずっと淀んでいた。だがライデンは、スモウに惚れ、自らすべてを捨てた結果、神々しいまでの存在に生まれ変わった。
失っても、人はあのようになれるのだ。
知りたい――
城壁からのめりだすように、ライデンのトリクミを見守るヴィルマ。
ちょうどその時、トリクミは新たな局面に到達しようとしていた。
◇
辺りに撒き散らされた、死屍累々の獣人たち。
堀に転落したものもいれば、ツッパリで動けなくなったものもいる。獣人部隊の精鋭は、一人のリキシの前に為す術もなかった。もはや残った獣人は、背後から槍を突き立てられても動くまい。ライデンには敵わないと、本能で知ってしまっている。
「最後はお前か?」
ライデンと部下の戦いを見守っていたボルグは、無言のまま首にぶら下げていた人間の死体を捨てると、愛用の長柄の斧を手にした。
ボルグが片手で振り回す、愛用の斧。この斧は長さも相当だが、まず恐ろしいのは刃の大きさだ。数多の血で汚された刃は、巨人族が使用する大型の武器からそのままもぎ取ったものだ。この斧であれば、城壁すらそのまま叩き斬れるかもしれない。
そして、このサイズの斧をボルグが振り回せば、ライデンが一歩も出ないと公言したドヒョウなど、簡単に埋まってしまう。
ボルグは斧を手に、ついにライデンが作ったドヒョウの中に足を踏み入れた。
そのまま、低い声で問いかける。
「俺は斧を持ってきたぞ。お前も、あの金棒を持ってこい」
猛将ライがかつて振り回していた金棒。
ボルグの持つ斧よりも長く太い金棒は、数多の兵士を物理的に叩き潰してきた。
ボルグの質問に、ライデンはあっさり答える。
「金棒? ああ、昔使ってたヤツか。アレなら、実家においてきたぜ。いや待て、実家の表札を立てる柱に使っちまったんだ。太さと重さが、目印にぴったりでな」
「つまり、お前は角も捨て、金棒も捨て、武器まで捨てたのか」
「そうだ。あんなモノは全部、いらなくなったんだよ。今の俺には、スモウがある」
パン! と腹を叩くライデン。
小気味良い音は、彼の憂いの無さを自然と感じさせた。
「お前も、スモウをやってみないか? なにせ、ケイコの相手にことかいててな。お前なら、いいリキシになるぜ」
上機嫌に語るライデンとは対象的に、ボルグは震えていた。
宿敵が、こんな得体の知れぬ者になってしまった。
それは落胆であり、驚きであり、何よりも激怒であった。
「ゴラァァァァァァッ!」
もはや言葉にもならぬ、怒りの咆哮である。
激昂したボルグは斧を横に振るう。斧はたやすくドヒョウすべてを横切ったが、ライデンは身を沈めることであっさり躱した。
続けざまの縦の一撃、刃を返しての下からの一撃。縦横無尽に振るわれる斧を、ライデンは皮一枚で避ける。巨漢二人が入ってしまえば狭すぎるドヒョウ。だが、ライデンの動きには一切の堅苦しさが無く、土俵の外に脚が出ることも無かった。
「せめて殴り合え! 打ち合え!」
当たらぬ苛立ちを、率直に叫ぶボルグ。
あの時より肉がついているのに、ライデンの機動力は跳ね上がっていた。
ボルグは一度刃を引くと、ライデンの膝を横薙ぎで狙う。
最も避けにくい、下半身への一撃。
斧のリーチからして、横に逃げる、後ろに退く、どちらにしろ、ドヒョウの外に出てしまう。とにかくライデンを土俵の外に出してみせる。ボルグの目的も、徐々にスモウに染まっていた。
横薙ぎの一撃が、まずライデンの左足を捉えようとした瞬間、ボルグの手の中にある斧の柄が若魚のように跳ねた。その結果、ボルグの手から斧が滑り落ちてしまう。
刃の腹をライデンの左足が踏みつけていた。
足を狙って襲いくる刃の動きを見極め、踏みつける。言えば簡単なことだが、実行するには、瞬時の判断力と足の動き、刃を捉えるだけの目の良さが必要となってくる。
「テメエ!」
「ドスコイ!」
斧を落としたボルグは、素手でライデンに殴り掛かろうとするものの、それより先にライデンのツッパリがボルグの顎に炸裂した。ボルグの下顎が砕け、牙が勢い良く宙に舞う。
それでもまだ、ボルグは意識を保っていた。口から湧き出る血を必死で飲み込み、牛の獣人のアイデンティティである二本の角。鋭い角を突き出し、ライデンを貫こうとする。狙いは、既に角無きライデンの頭である。
だが、ボルグの角は弾かれた。ボルグは何度も頭を振るうが、ライデンは平然としている。鋭い角先で切るのも突くのも通用しない。
最後の一撃とばかりに、頭を引いて大ぶりで突き出す角。角は狙い通り額に突き刺さったものの、ライデンの額からは血の一滴も漏れていなかった。
「悪いな。ここはもう、剣も槍も通らないんだ」
詫びるライデン。ライデンはボルグの角による攻撃のすべてを、額で受け止めていた。現に今もボルグの角が額に突き刺さっているが、まったく意に介していない。
角を折った痕が今でも残っているライデンの額は、スライムの柔軟性とゴーレムの硬さを持つ異様な部位へと変貌していた。
リキシにとって必要なもの、それは額からぶつかるタチアイの強さだ。大木が倒れるまで、岩が壊れるまで、散々に鍛えたライデンの額は、もはや角を超えた不壊の存在と化している。
「…………」
唖然としたボルグの口がだらりと開き、血がだくだくと流れ出ている。
自分が負けた相手は、得体のしれぬ者になっていた。
いや、違う。自分の負けた相手は、全貌がつかめないくらいの次元に到達していたのだ。暴虐さを磨き上げ、これで次は勝てると思っていたボルグが、馬鹿らしく思える域に。
スモウとは何なのか? ここまで恐ろしいものなのか?
ボルグの身体を震わせているのは、怒りではなく未知への恐怖だった。
「そう気にするな。俺も同じだった」
ライデンは未知に出会った先達として、ボルグを優しくなだめる。
スモウという未知に気圧されたのは、ライデンも同じだ。
そしてライデンは未知に身を捧げることに決めた。
ライデンは一瞬でボルグの懐に潜り込む。ボルグはライデンの肩を掴み必死に引き剥がそうとするものの、ボルグのベルトを掴み、腰をがっちりと抑えているライデンを離すことは、物理的に不可能だった。
ライデンの右手が、ボルグの脇に差し込まれる。
左腕では腰を引き、右腕では相手の脇ごと上半身を浮かせ、自身の足による跳ね上げの力と、腰の力で相手をひねり倒す。
ボルグの身体がふわりと浮き、頭から地面に突き刺さった。
斜めに、一直線に。
これはもはや、投げではない。
人を地面という凶器で殺しにかかる、新種の殺人技だ。
これが、リキシたるライデンの繰り出すウワテナゲだった。
ライデンは地面に突き刺さったボルグを、片腕で引っこ抜く。ボルグの顔面は、土と血でぐちゃぐちゃであり、自慢の角も一本へし折れている。
ライデンにぶちのめされ、回復もしくは堀から這い上がってきた獣人たちも、群れの長のこの惨状を目にすることで、もはや動けなかった。
「これにて、ムスビノイチバンよ!」
ドヒョウから一歩も出ることなく戦争に勝ってみせたライデンのシコが、再び大地を雄大に揺らした。
◇
隊長たるボルグが敗れ、獣人部隊は瓦解した。彼らは半死半生なボルグを連れて、何処かへと逃げてしまった。ボルグにリッチモ王国を襲うように依頼した国もバレ、平和ボケしたリッチモ王国も戦争の準備を始めている。
そんな中、ボルグを倒した英雄たるリキシは、既に王都を離れていた。
◇
ライデンはリッチモ王国から他国へと伸びていく街道を、一人歩いていた。
「いい手応えだったんだったんだけどなあ」
街道を歩くたびに、街の子どもたちの顔や、世話になった酒場の女将の顔が思い浮かぶ。この街で、じっくりとスモウを広めたかった。それが、今のライデンの願いだった。
だが、あのまま王都にいたら、戦争に巻き込まれてしまう。護ることに依存はないが、かといって再び本格的に戦場に立つのは本意ではない。長々と戦争に付き合えるほど、ヒマでもない。
街道を一人歩く、ライデン。さて、次は何処に向かうかと悩む。
そんな時、ふっと気配を感じ後ろを振り向くライデン。
飛んできた金貨入りの袋を、片手でキャッチする。
「報酬、貰ってきたから。リキシに転職したとしても、貰うものは貰わないとね」
袋を投げたのはヴィルマであった。
酒場で呑んだくれていた時に比べ、彼女の表情は明るく、スッキリとしている。
そんなヴィルマを見て、ライデンは目を見張った。
「お、お前……?」
驚くライデンを見て、不敵に笑うヴィルマ。
「マワシと髪型は間に合わなかったけど、ユカタはどうにかなったよ」
ヴィルマの格好は、ライデンと同じユカタの着流しであった。似たようなローブを無理やり仕立て、ベルトを無理やり帯にしているような急ごしらえだが、とにかくユカタではあった。
「……着るなら、せめてもう少し着こなしを覚えてからにしろよ」
頭を抱えるライデン。服はどうにかなっても、着こなしだけはどうにもならない。
乱雑にユカタを着た結果、豊かで柔らかそうな胸に肌艶の良い太ももと、ヴィルマの美点があちこちから零れ落ちている。率直に言って、色気がイサミアシだ。
「大丈夫だよ。下に鎧を着てるから」
ヴィルマはそんなライデンの忠告をあっさり流す。確かにヴィルマは、鎧を着ていた。現役当時着用し、ここしばらくホコリを被っていた赤いビキニアーマーである。
酒場で会った時より随分と活力があるヴィルマにライデンが聞く。
「いったい、どういうつもりだ?」
「わたしも、リキシになろうと思って」
ヴィルマの回答は簡潔だった。彼女はそのまま、真意を述べる。
「わたしは片腕を失って絶望した。かたやそっちは、自分から角を折って強くなった。その強さを学びたいと思ったんだよ。どうせ、ヒマだったしね」
失って我を見失った女が、失うことで強くなった男とスモウに憧れる。
言ってみれば、簡単な話であった。
ライデンは少し悩んだ素振りを見せた後、無言のまま向き直り、前に歩き出す。
ついていくヴィルマ。ライデンが、脇に並ぶ彼女を咎めることはなかった。
「しかし、お前は細いな。無理矢理にでもメシを詰め込まんと、どうしょもならん」
「あんたの作るチャンコは美味しいから、それは望むところかな」
「おうおう、嬉しいこと言ってくれるねえ。そういや、ニョニンキンセイ?」
「なにそれ。呪文?」
「オヤカタに、なんか女に関わるそんな話を聞いたような……まあ思い出せないし、大したことでもないだろう」
街道を歩くライデンとヴィルマ。大股で歩く男と、ついていく女。
ひとまず、道の先にあるのは開けた青空であった。
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