第5話

 さて、場は少し変わってここは龍の尾峠の山腹。

 白髪まじりの麦藁帽、農夫そのままの格好の老人がかろうじて一筋の踏み分け道から数歩踏み込んだところでごそごそ地面を引っかいていた。岩場と斜面だらけで森ではあるが、空が見えて明るい。木々はたいていその根っこでがっちり岩を捕まえている。

 老人は起き上がってうれしそうに感嘆の声をあげた。

 今ほりだした太い根っこをうれしげに眺める。インテリなのかめがねをかけている。

「こりゃあ、いい人参じゃ」

 売れば高値がつくだろうが、本人そのつもりはない。

 滋養の必要な患者がくればさも当たり前の薬のように処方して渡すだろう。

 あるいはここでは入手できない貴重な薬と交換するため、時折訪れては書き溜めた論文を納めに行く「学院」に持っていくか。

 彼は医者である。もうずいぶんながくふもとの村の人々の治療を行い、この峠の山肌を歩いて薬草を採取してきた。おかげで地元の人間も知らない間にたくさんの踏み分け道もこさえている。

 人参を大事に包んでしまいこみ、さてもう少し続けたものかどうかと思っていると、薬草つみ仲間の峠むこうの村の少女が茂みのかげから姿をあらわした。

「これはこれはごきげんよう」

 老医師は優雅におおげさに挨拶をする。そのしぐさだけで、その出自は決して卑しいものではないと知れる端正さだ。

「こんにちわ。たくさん取れてる? 」

 野良着の少女はにっこり微笑んだ。

「おかげさまで、大漁だよ」

 丁寧に処置した薬草で半分ほど埋まった背負子を見せると少女は残念そうな顔をした。

「あら、じゃあもう帰るのかな? お話、聞けないのかな? 」

 賢い子だ、と医者はうれしくなる。二人は山で偶然であい、少女は医者の山野に関する知識の良き聞き手となった。理解できる聞き手ほど得がたいものはない。少女は黙って聞いているばかりではなく、疑問に思ったことを鋭く反問してくることもある。実に楽しい話し相手である。彼の与えた知識を生かして薬種採りで生活していくにしろ、あるいは女医師となって男ではなかなかできない女たち特有の病を手当てしていくにしろ、医師はかまわない。

「大丈夫だよ、もう少しだけ集めようかと思っていたところだから」

 そこで医師ははて、と首をかしげる。

「峠に変な連中がいたはずだが、よくこれたね」

「うん、ちょっと目を盗んでね」

 少女はちろっと舌を出した。

「危ないことはしないでおくれ」

「はあい、ごめんなさぁい」

 などとやりとりしているが、医師自身あぶないことをやっている。砦の胸壁から矢が届かない場所でもないのだ。

「さて、来れたからには帰れるとは思うが、心配だ。送るしかないのう」

 少女は困惑したような笑みを浮かべる。

「えっとね、どういえばいいのかな」

「なんだい? 」

「先生はわたしがいつもの薬草つみにきたと思うのかな? 峠があんななのに」

「君ならそういう気になったらそうするじゃろ? 」

「あは、確かに」

 照れ笑い。それを真顔に戻して少女は切り出した。

「あのね、うちの村のお使いとしてきたのよ」

「おや……」

「だから戻らないんだけど、ちょっとお願いがあるの」

「言ってごらん」

「わたしがいることは他の人には教えないでほしいの。でね、そのときがきたら言うから、お殿様のところに連れて行ってほしいの」

「ふむ」

 医師はあごをなでながら考え込んだ。

「まあ、よかろう。そのかわりいろいろお手伝いしてもらうよ」

「よろこんで」

「あと、話せるときがきたら事情を打ち明けてほしい」

「あい、必ず」

 少女は深々とお辞儀した。

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