第3話

 そして西の小路家である。

 西の小路家は王都の西の小路とよばれる大通りに面して屋敷を構える古い有力な貴族の家である。王国がまだ三つ、四つに分かれて争っていた時代の小さい王国の王家の末裔であり、プライドの高い武断の家系である。ンガダス家が勢力をのばしてきた時には何度か死闘を繰り返し、都度敗れて独立王国時代の勢力の半分近くを失っていた。だが、これまでは力の差がありすぎて累代の当主はただただため息をつくか、そのことを気にしないにしてきたのである。

(そしてチャンスがやってきた)

 その西の小路家の次期当主であるタケマロはンガダス館で主を待っていた。

 ンガダス本館は跡目争いの内乱の炎こそ受けてはいなかったが、往時を思えばあまりにも活気がない。使用人がずいぶんと減っているせいだ。

 これなら、いけそうだ。ましてやあちらはにわか貴族、のんでかかるくらいでちょうどいい。

「こんにちわ。おまたせしちゃいましたね」

 気軽な、というか能天気な声にふいに背後から呼びかけられてタケマロはびっくりした。

 てっきり正面の重々しい扉を両手であけて精一杯使用人を並べて身の丈にあわない威厳を一生懸命まとった成り上がりがどこかおどおどと、それでも虚勢をはって重々しく入ってくると思っていた。亡くなった先代は確かにそうしたし、虚勢でもなんでもなく生まれつきの威厳がそれを満たしていた。だが、当代にはそれがない。自ら格負けし、萎縮した相手との交渉はまず思惑通りに運べるというのが彼の計算だ。そうしたくなくとも、ンガダス家の執事の老チュがならいを変えさせることは絶対にないはずだった。

 そのチュが視界の隅で絶句している。威厳において貴族以上といわれるチュであるが、この当代の庶民的非常識さは相当手をやいているようだ。

 タケマロはいらいらした。生粋の貴族である彼には耐え難いところがあった。

「始めまして。ンガダス家の当主、チェスマです」

 飾り気こそ抑えているが生地、仕立て、意匠ともにすぐれた衣装と中身の落差に傷つきながら、それでも彼は驚くべき抑制を示した。この抑制と、実利優先のしたたかさこそが貴族の貴族たるゆえんなのだ。

「ご拝謁光栄にて。西の小路家が主クロベニが息子、タケマロにございます」

 こっけいな格好をさせられた猿のようにちょこちょことンガダス家主の席に運ぶ姿をなんとか追いながら彼は優雅な礼を披露した。

「ようこそ、お父上には一度お会いしましたが、少し胆嚢の具合が悪いようでした。ご回復されましたか? 」

 タケマロの顔色がさっとかわった。確かに父親は少し体調がすぐれない。医者の見立てなんぞ覚えてはいないが胆嚢とかなんとかとは言っていたような気がする。

(情報網はきっちりはってるぞ、といっているのか? )

 完全に他意はない。チェスマは王宮で一度挨拶だけした西の小路家当主の皮膚の色から具合の悪そうなところを読み取っていただけだった。

 しかも、本気で心配していた。その時は忙しいやらへまをやったら遠慮なく足をふんづけるようになったチュが怖いやらで余計な一言がいえないままになったが、それで病状に気づかず悪化してやしないかと心配になったのだ。

 しかしなんでもない一言にも駆け引きが含まれていることに慣れた若い貴族は素直にそう取れるわけがない。

 タケマロはぎょっとした。

 疑心暗鬼にチェスマのとぼけた顔を見ればそれさえも世間をあざむく偽装に見えてくる。

 なにしろ、これでも傍系とはいえあのンガダス家の血を引いているのだ。学院で研究助手としてエンドウマメを育てて眺めていたからといって油断はできない。

 だからといってここで引き返すこともできない。

 タケマロは心細さを覚えながら、しかしそんなことはおくびにださない貴族らしい勇敢さをもって心の中で一歩前へと踏み出した。

「おかげさまをもちまして最近は具合がよいようです」

「それをきいて安心しました。僕はくわしくはないのですが、似たような症状で非常にたちのよくない病気もあると学院の医学の教授に聞いたことがあります。心配しておりました」

 他意はないのである。

 タケマロは頭がぐらぐらしていた。父は余命いくばくもないのだろうか? こいつはそれをつかんでいて、父なきあとのことをまず考えたらどうかとなぞをかけているのだろうか。

 たとえそうだとしても、すべきことはしなければならない。でなければ次期当主の座さえあやうい。

「お心遣いまことにかたじけなく。しかし今はすべき話をいたしましょう」

 かつて何度も戦いの場の地図が広げられた大テーブルに地図が手回しよく広げられている。

「先日、龍の臥所庄の名主数名が当家の石の貴族庄に助けを求めにまいりました」

 指差すのは盆地から峠を越えてすぐの西の小路家もよりの駐屯地。

「いわく、この龍の尾峠の廃砦に最近山賊どもが住み着き数をまし、しばしば被害がおよんでおるとのこと」

 指さすのはンガダス家本領に通じる峠。

「かように御家に救いをもとめようにも峠が封鎖されているため、わらにもすがる思いで当家に保護を求めにまいったようで」

 ちらっとチェスマの顔をみやれば実に怪訝な顔をしている。

「ここに山賊が? 」

 地図の上の小さな砦の絵を指差してたずねる。場所は間違っていない。タケマロはうなずいた。

「ご存知なかったので? 」

「妙だなぁ」

 指がくるくると砦を中心として臥所と反対側の村の上で円をえがく。

「こんな逃げ場のないところに山賊? 」

 質問はチュに向けられた。

「あまり聞かない話でございますな」

「妙な話だねー」

 繰り返して言うが、この若者には駆け引きとか他意とかまったくないのである。

「とにかく、今は問題がおきておるのです」

 そろそろ少しいらだちながらタケマロがさえぎった。

「助けてやりたくとも、龍の臥所は貴家の所領。されどことは火急を要します。数日中に軍を発し、山賊どもを打ち破って交通を回復せねば龍の臥所は悲惨なことになるでしょう」

 チェスマはあれ、という顔をした。

「なぜです? 」

「山賊どもが焼き討ちをするということですよ。家が一、二件くらいのはもう起こっています」

「なんでそんなに自暴自棄なんだろう」

 チェスマは首をかしげた。

「賢い山賊なら荒っぽくとも領主のようにふるまうものと聞いてますが」

「そのような書物から得た頭でっかちな知識はお忘れになりますよう」

 この意見にはチュが思わず無言で同意した。

「現実は呵責ないのです」

 チェスマの表情が翳った。何を思ったかはもう結構長く付き合っているような気のするチュにもわからない。ただ、彼が学院に入る前は遊郭育ちだったことはタケマロも知っていることだった。遊女のくらしがどうかなど、若い貴族にはわからない。

「そこでお許しをいただきたいのですが」

 さあ、いよいよ本題だ。タケマロは気をひきしめた。

「彼らが焼き討ちを始めたとき、あるいはいよいよ始めると思われる半月後までに貴家の軍が到着していなかったら、民を助けるためにわが西の小路家の軍が出ることをお許し願いたい」

 歴代ンガダス家の当主ならこの瞬間に鼻をならしてタケマロをつまみ出していただろう。あわれな山賊は数日しないうちに全員路傍にはりつけになっているだろう。

 そうはいかない足元を見ての交渉だった。受け入れればしめたもの、拒否したらしたでどういうかは決まっている。民を見捨てるンガダス家に領主の資格なし、独断で軍を出すが、それを宣戦というならその前に戦争する軍で龍の臥所を救ってほしい。

 もちろん足元を透かし見ている。逼迫財政、そして内戦による兵力の消耗。ただ、ほんとうにンガダス家が弱りきっているのかどうかはタケマロにもこの企てを行ったその父にも、そして首尾次第で自分たちも続こうとしているほかのハゲタカ貴族たちにもよくわかっていない。これは賭けであった。

「へえ!」

 気前のいい話だね、とでもいいそうな口調が返事だった。

「おたくの兵を貸してくださる? それはありがたい話です」

 チュがこめかみを押さえた。

「ご存知の通り先年の跡目争いで荒れたままの畑や水路などがあちこち残っていて人手が足りなくてしかたないんです。龍の臥所といわず、本館までできるだけたくさんよこしてくださると本当たすかります」

 もちろん「いくらでもかかって来い。全部捕虜にしてこきつかってやる」と聞こえたのは仕方のないことだった。

 これはつまり拒否だな、と彼は判断した。

「お心延え、あいわかりました。さすがともうせましょう」

 理解できていないのはチェスマだけであった。目をぱちくりさせているが、タケマロはもう彼に振り回されるつもりはなかった。

「なれど、実際に龍の臥所の民を救えるかどうかは別。チェスマ殿が力不足の時は、当家は救いを求める手を振り払うことなどできませぬので」

 一礼、辞去の言葉、そしてさっていく高い足音。

「ねえ」

 チェスマはおそるおそるチュにたずねた。

「なにか怒らせるようなことをいったかな? 」

「そうですな」

 深いため息を禁じえず、チュは主の顔を見た。

「ンガダス家の当主としては満点でしたが、どこが満点だったかあなたはご存じないでしょう? 」

「うん、教えてほしい」

 チュは旅の占い師の使うカードの愚者を描いたものを思い出していた。天をあおぎ、がけっぷちを楽しげに歩く愚者。

 チュは大きく息を吸い込んだ。

「よろしいですかな、殿。そもそもンガダス家の当主たるもの・・・」

「え、そこで説教? 」

「まさに」

 お説教は小一時間続いた。

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