第4話

「すぐ集められる者は百ちょっと」

 チュは×印だらけの名簿の上に老眼鏡をおいた。

「半月いただければ千と少し。死んだものも多うございますが、所在不明になったものが多すぎますな」

 ンガダス家の歴史とともにあった作戦会議室の大テーブルの上には砦の絵図面が広げられている。龍の尾峠の砦のものだ。現状をまめに反映していたらしく何度も赤をいれた跡がある。これが限度を越えれば描きなおしというところだろう。

 その絵図面を覗き込んでいるのは白髪頭ながらがっちりした骨格の老軍人。これはンガダス家の歩兵隊長の一人だった男で通り名を鉄亀という。率いる部隊が鉄の亀のようにのろのろとしていてもしぶといところからそう呼ばれていた。今では隠居であり、先の跡目あらそいには参加していない。

「百人でなんとかなる? なるべく怪我人がでないように」

「心配なさるなら、死人の数になさいませ」

 鉄亀は現役時代のタフな戦いぶりと裏腹に温厚な老人だった。とても過酷な訓練を兵に課して一糸乱れぬ精鋭に鍛え上げる鬼隊長には見えない。

「この砦、放棄されておりますが状態はそう悪くはない」

 鉄亀は絵図面の何箇所かを指さした。

「城壁が破損しておるのはこことこことここですが、資材さえあれば数日でふさぐことができます。相手にそれなりの人数と心得があれば不用意にかかれば何人死なせてもなかなか落とせますまい」

「もし、ほんの何人かでねぐらにしているだけなら?」

「それなら問題になりませんが、こたびそれはありますまい」

「なぜ? 」

 鉄亀は古い戦友でもあるチュの顔をみやった。チュの心が手をあわせている。どうか見捨てないでくれ、と。

「この事件、西の小路家が龍の臥所をンガダスからうばわんがためのものとご存知ないのか? 」

 老いたりといえ歴戦の軍人には迫力がある。なで肩の当主は思わず目をきょろきょろ逃がそうとした。

「……チュから、それは聞いてる」

「ならば、自明でしょう? 」

「そうかなあ? 」

 おどおどしているくせにいやにきっぱり否定する。老軍人はぎろっと若き当主を睨んだ。

「お考えを、うかがいましょう」

 下手な説明をしたらただではすまされぬ雰囲気。チュははらはらしていたが、肝心の当主は自分の思考にどこを吹く風の様子。

「まず、西の小路家の真意が龍の臥所を得ることにあるなら・・・」

 なで肩の若者はまったく強そうに見えない腕組み姿で宙を睨んでぽつぽつ言葉を落とす。

「砦にはうちがすぐに動員できる兵隊を一回くらい食い止められるだけ置きたいだろう。

 でも、この山賊騒ぎが自作自演であることを知られたくはないだろうし、王家の干渉を考えたら絶対に西の小路家の手先と知れる連中は使えない。

 山賊はあんな逃げ場のないところにはこもらない。つかまっても秘密をしゃべらないような口の堅い人間か、どう考えても危ないのにだまされて乗ってくる人間か……

 そんな都合のいい連中を実際には何人集めることができたんだろう?

 うちの動員数をどれくらいと見たんだろう?

 見切り発車と希望的観測の甘さが彼らにないといいきれるのかな?」

「わかりませんな、そのへんは」

 一喝を覚悟していた耳に温厚な老人の声が届いた。

「だから、まずやれることをやりましょう。隊長は兵隊を集めて連れてきてください。僕は先に現地に行く」

 若き当主はチュの顔を見た。

「かまわないね? 」

「先に行かれて何をなさるおつもりか、それ次第でございますが」

 チェスマは峠をはさんで本館側にある辻町を指さした。

「まず、ここで事情を聞く。その上で現地を検分し、見通しを立てる。それと、今回の件、西の小路家だけでできるわけではないから臥所の住民がなぜ協力しているかを知りたい」

「殿は、臥所の者が謀反しておるとお考えですか? 」

 チェスマは首を振った。

「これは直感だけど」

 彼は悲しそうに老僕の目を見た。

「僕を値踏みをしたいんだと思う」

「仮にもンガダス当主を試すとはけしからん話でございます」

 言葉と裏腹にチュは彼らの気持ちが痛いほどわかった。下手をすれば生き死にに関わる。

「チュ、いろいろ聞きたいことがある。同道してくれる? 」

「もちろんでございます。殿をお一人にすると何をなさるか心配で気が狂いそうになりまするでな」

 チュはチェスマににっこり会釈すると伝統と格式あるンガダス家の使用人頭らしく優雅なしぐさで退出した。若き当主の救いを求める目にはまったく気づかないふりである。

 実際、彼は口笛を吹きたい気分だった。

 戦火で鍛えられたリアリストの鉄亀。この老軍人がチェスマを見放さないことを彼は切に願っていた。その鉄亀が条件つきであろうがチェスマに一目おいたのである。

 頼りない若造だが、代々くせのある実力者揃いであったンガダス家の血は健在なのかも知れない。チュは祈る気持ちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る