第10話
「見事じゃ」
二姫はぱちんと扇を鳴らした。
「そのほうら、まだ何かいうことはあるかえ? 」
西の小路派の者たちはうつむいて一言もない。
「では、この件はこれにて落着とする。おのおの、遺恨に思うではないぞ」
釘をさしても、人間というものはおろかだからやはり埋み火のように今日のことを残すのであろう。二姫はそう思ったがほうっておくことにした。
「ところで、約定の更新はいかがいたしましょうや」
「その件じゃが、姉上、一つ骨を折ってはくれぬかえ? チェスマ殿に、龍の試しか、龍の血かを選んでもらうのじゃ」
「わらわに嫁げと?」
闇の中から冷ややかに返す言葉があった。これも若い声であったが、二姫のように幼くはない。大人の声であった。
「それは姉上のご随意に。だが、まだ龍の血を選ぶとは限らぬぞえ」
「まさか、試しは危険すぎる」
「わからんぞえ」
二姫は楽しそうにくすくす笑った。
「では、姉上、後は万事おまかせする」
嫌な子、と一姫がつぶやいた。
西の小路家のタケマロは今度は美麗な甲冑姿で馬上にあった。
ぴかぴかの甲冑姿の二百の兵が美々しく槍の穂をきらめかせ、鮮やかなのぼりをかかげて付き従っている。
見上げるは龍の臥所から西の小路領を睥睨する砦の城門。二十数名の臥所のもののふがへこんだりくすんだりした甲冑姿でンガダス家の旗をかかげて城門を閉ざしている。
「あれを今あけてくれれば後はなんとでもなるものを」
あと二日たてば砦の兵はンガダスの旗を降ろし、城門を開け放つはずだった。その時にチェスマとンガダス勢が反対の砦の外で足踏みしていれば臥所はいただきだ。
今あけてくれれば、そのくらいの日数ならいくらでもごまかせる。
チェスマの成功を信じてはいないが、タケマロは不安だった。
「いっそ力任せに……」
そう耳打ちする士官もいる。だが、タケマロはそうするわけにはいかないことをよく知っていた。
ンガダスの旗を掲げているところを武力で攻略すればそれは正面きって戦争をしかけたことになる。そうなれば王家が仲裁に乗り出してくるだろう。西の小路家の敵はンガダス家だけではない。はなはだおもしろくない展開になるのは目に見えていた。
それにタケマロにはわかっていた。うちの兵はぴかぴかの兜をかぶっているが、それはつまり実戦経験にかけているということだ。あの砦のへこんだ兜の二十名はみなあまたの戦闘をくぐってきた古参兵だろう。兵力でははるかに勝っているし、かくしてはいるが、攻城用の道具は用意してある。負けることはない。だが、二十人を制圧するのに、常識以上の被害を受けるかも知れない。半分以上使い物にならない被害なんぞこうむったら、たとえ臥所を制圧してもいい笑いものになり、そして臥所の者たちも従わないだろう。
何より、臥所の龍家の姫との約束を違えることになる。それは不名誉の最たることだ。
威容を見せ付けているのは、砦の兵が同情的になって一日早くあけてくれたりはしないか、そんな希望があるだけだ。それに、臥所の者に印象づけておくのも決して悪くはない。
無様なところさえ見せなければそれは効果を発揮するだろう。
そういうわけで、タケマロは辛抱強く颯爽たる武者ぶりを見せ付けていた。
ただぼうっと待ってるのも、というわけで時々武芸大会とか乗馬大会などを開いて兵たちの退屈をまぎらわし、士気を維持している。
本日は分列行進の練習兼デモンストレーションだ。練習量も相当になり、兵たちは一糸乱れず行進する。
「若! 」
子供のころから彼の御守をしていたじいやが鋭く彼を呼んだ。
「どうした、じい」
「あれを」
じいやは砦を指差している。
城壁に立つ兵の数が、のぼりが、随分ふえていた。三、四十人はいるか? のぼりはすべてンガダス家の幟だった。砦の城門が開き、七、八名の騎馬が休戦旗を手に駆け出してくる。
「まさか…」
事情を察した士官たちが行軍中止の号令。
静まり返った中に駆け寄ってくる蹄の音が高く響く。
タケマロはじいやを従えて前に進み出て休戦旗の武者たちを出迎えた。
戦闘の騎馬は白髪の老武者だった。油断なく非礼なく見事な馬上礼をやってのける。
「西の小路家のタケマロぎみとお見受けする。やつがれはンガダス家の一隊をあずかる者でござる」
名乗った名前に聞き覚えがあった。
「これは驚き。鉄亀隊長の御高名、この若造も聞き及んでおります」
「おそれいりましてございます。さて、この老骨、タケマロぎみの御前を汚しまするは主になりかわりお伝えすることがござるからでございます」
「あいわかった。みなまでもうすまでもない。鉄亀殿、チェスマ殿におめでとうとお伝えくださりあれ」
「かしこまりてござります。されば、これにて失礼いたしまする」
鉄亀隊長は再度馬上礼を行うと、見事な手綱さばきで馬首をめぐらし、砦に戻っていった。
「若……」
じいやの声も聞こえぬげにタケマロはしばらく砦を睨んでいたが、やがて鼻で一つ笑って馬首を返した。
「みなのもの、引き上げだ」
兵たちの間に安堵が流れる。砦に増えた兵の数といかにもつわものな雰囲気、それに防御戦では聞こえた鉄亀隊長が指揮と聞いてみな気後れしていたのだ。
「あのぼんくらの力量ではあるまい」
とぼとぼと引き上げる途上、彼はつぶやいた。
「やはりチュはあなどれぬ」
あれさえいなければ、と彼は思った。だからといって除いたら除いたで面倒が起こる。救いはチュがたいがい高齢であることだ。待てばチュは消える。そうなればンガダスの繁栄もおしまいだ。
館に戻った彼を一通の手紙が待っていた。
「龍家の姫君の詫び状だ」
彼は苦々しく笑って読み終えた手紙を暖炉になげた。
しばし、飲んだくれるとしよう。
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