第13話

「このチュめも同道いたします」

 それがチュの条件だった。

「それが確かに安全であるなら、この老いぼれがまいってもよろしうございましょう? 」

「わかった、好きにしてくれ。でも暗い地下へ降りていくわけだから足元まで責任はもてないよ」

「足腰は殿より自信がございます」

 それは事実だった。チェスマはううんとうなってチュの主張を受け入れた。

「どうぞこちらへ」

 寒さをふせぐため、フードつきマントをはおった執事がかび臭い空気の流れ出す鉄の扉を開ける。手にしたカンテラに浮かび上がるその姿は痩身長躯とあいまって気味が悪い。

「途中まではわたくしが案内いたします」

「ありがと」

 不気味な雰囲気をまるで気にしないチェスマの鈍さがチュは少しうらやましかった。

 扉の向こうは人の手になる洞窟。アーチ状に掘られた岩肌がカンテラに照らされて浮かび上がり後ろの闇に消えていく。足音は遠くまでよく響き、先がかなりの深さであることをうかがわせる。どういう仕掛けか、下から風が吹き上げてくるため、息がつまる心配はなさそうだ。

 もう海の底あたりまでおりたのじゃないかと思うくらい深くまで下ったところで、ようやく平坦な開けた場所に出た。

 幸いなことにそこには別な光源があった。大きな燭台をすえた石のテーブル。そしてフード姿が大人サイズ二つに、少女サイズ一つ。

「よくぞまいられました」

 フード姿が一斉に立ち上がり、深々とお辞儀する。

「割符はたったいま置いてまいりました。これ、こちらの片割れでございます」

 丁重に燭台の光に陶板をわったものがかざされた。龍をあらわす古代文字が一文字記されているようだ。割れ目がぴったりあって、文字が完成すればよいというわけだ。

「どういけば、いいのかな? 」

「こちらへ」

 小さなフード姿がカンテラを手に闇に閉ざされた一隅に導く。人の手でうがったとは思えない断面の坑道が再び下っている。

「まっすぐ下りて行けばつきます。五分も歩きませんから。それと、龍は見えますがあまり長く見つめないよう」

 カンテラを渡される。

「ありがとう」

「殿、やはりおやめになりませんか? どうもこの先に恐ろしいものがあるようで」

「そりゃあ、伝説の龍がいるんだ。今の人間なんか、蚤ほどにしか見えないようなのがね」

 ここにとどまるか? と問うと忠実な老僕は唇をきっと結んで首を振った。

「ではいこう」

 実を言えばチェスマも何か強い気配が前方から伝わってくるのは感じていた。元素学は得意ではなかったが、きっとこれが電素とか火素といったものの生の気配なんだろうなと適当に解釈している。

 ぬめっと生物的な岩肌の坑道をゆるやかに降りること確かに五分。坑道はどうやら行き止まりになったらしい。ただし、壁に閉ざされているのではなく、闇に閉ざされた空間に囲まれている。大きな空洞に突き出した狭い張り出し。そこで終わっているようだ。

 そこにやはり石のテーブルがおいてある。近づくと、埃をはらった後に割符がおかれていた。

「ここで明かりを持っててくれる? 」

 張り出しの手前でチュにカンテラを預けてチェスマは張り出しに半身を出した。

 頭がくらっときた。強い気配が右から来る。

 闇の中に、真っ白な羽毛につつまれた蛇がとぐろを巻いている。その羽毛がほのかにかがやいてその姿を見せているのだ。のばしてみれば体長は二十メートルくらいになるのだろうか。大きいが、伝説にうたわれる生き物にしては小さい気もした。

 その周辺に動く小さな姿がある。鶏だ。二、三羽いる。真っ暗闇の中、行き場もなく光源である龍によっているのだ。これは龍へのささげものの残りらしい。今回はあまるほどたくさん持ち込んだのだろう。万一がないように。

 龍の目は固く閉じられて開かない。その心は既に死んでいるのだと伝えられているが、はたしてそうなのか。

「いや、まて」

 何か違う。彼は目をこらして違和感の正体に気づいた。

 薄目があいている。

 はじめからあいていたのではない。

 あいたのだ。

 龍は彼を見ていた。

 チェスマは目をそらすことができなかった。

 そのとき、彼は乱暴に腕をつかまれ、引き戻された。

「殿!」

 チュの声は半ば悲鳴だった。

「身を投げるおつもりですか」

 危うく転落しそうであったらしい。

 チェスマはカンテラに照らされたチュの顔が青いらしいと気づいた。

「気分が悪いのか? 」

「空気が悪いのでしょう。割符を拾ってすみやかに戻りましょう」

「そうしよう」

 龍が目をあけていることを、彼は言うことはしなかった。

「昔、奥津城の天井を踏み抜いたことがあったね」

 かわりに道々昔話をする。

「ございますな。あれは魔族の鎮まるところでまたおもむきがちがいましたが」

「あのときを思い出すよ、あれも地下深く、魔物が月の影響から逃れているところだった」

「魔族が目をさまさず、そっと修繕できてようございましたな」

「う、うん」

 彼は言葉の接ぎ穂をうしなった。実のところその時、魔族は目をさまして面倒なことになったのだが、それはまた別の話。

 広間までもどって割符を見せると、フード姿三人は割れ目をあわせてうんとうなずいた。

「お見事でございます。殿が龍心を備えていることを確かめ、約定がここに交わされたことを確認いたしました。これ以降、チェスマさまおよびそのご子孫の代まで龍の民はンガダス家に従いましょう」

 年配の者が代表してそういう。二姫がいう台詞ではないかと思ったが、男の気の進まないひびきを感じ取ったチュが感心している様子。そういうことか、と彼は少女とは思えぬその政治手腕をうらやましく思った。

「ありがとう。納得できる形でおさめることができて、僕もうれしい」

 彼の言葉に、フードの三人は深々とお辞儀をした。

「チェスマ殿」

 二姫が当主の声で呼びかけた。

「ちょっと、目を見せてたも」

 返事をまたず小さな手が彼のフードをのける。

「ふうん」

 彼女は面白そうな顔をした。

「どうされた」

 無礼は許さんぞという響きでチュが問う。

「お二人とも、龍気のさわりを受けておられます」

 二姫はチュがぎょっとする言葉で応じた。

「薬湯を用意させますゆえ、一晩ゆるりとされてから寒気など治まったのを確かめて御出立なされますよう。すぐであれば後を引くこともありませんが、無理をなさると長びきますゆえ」

「あいわかった」

 老練の軍人でもあり、忠誠心、意志ともに申し分ない老僕が飲まれた態であった。

「いやまったく、毎度これでは身がもちませんぞ」

 地上に戻る道、チュが妙に饒舌になったのは龍の圧迫感がとけたせいだろうか。それとも小娘に気後れした不明を恥じてであろうか。

 いつもの説教というより、慣れ親しんだ世界に戻る安堵がとりとめのないことをしゃべらせたように見える。チェスマはあえて語るにまかせた。

「しかし殿」

 地上の温かみが戻ってくるにつれ、チュの言葉は解き放たれた安堵からいつもの説教口調に戻っていった。

「これはまだ始まりにすぎませんぞ。これほどの目にあわぬまでも、もっと根が深く、からまってほどくにほどけぬ因縁もございますでな」

「そんな面倒くさいのがあるのかい?」

「お館に戻ったら、じっくり説明してさしあげましょう。当主として知っておくべきことでもございますでな」

「ううん、面倒そうだな」

「殿!」

 ここでようやくいつもの説教が始まった。

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