第8話
その夜、チェスマは訪問を受けた。
村で医者をやっているというその老人の顔を見たとたん、チェスマは驚いた。
「これは驚いた。赤蔓先生ではありませんか」
めがねの老人は名前を呼ばれて負けず驚き、非礼も忘れてしばし彼の顔を眺めた。
「これはおどろいた。助手のチェスマ・スター君じゃないか。ンガダス家の新しい当主とは君…いやあなただったのか」
「おひさしぶりです。先生のお宅がこの村だとはついぞ知りませんでした。ご挨拶もなかった非礼をお許しください」
チェスマは老人の節くれだった手をとって中に招き入れた。老人の後から年のころなら十二か三の野良着姿の少女がついてきた。少女は物怖じする様子もない。チェスマを興味しんしんの目で見ている。
「このひとは?」
「名は竜胆という。峠のむこうの村の娘じゃ」
少女はちょこんとかわいらしく会釈した。
「龍の臥所庄の? 」
「さよう」
「なぜここに? 」
「それはこの娘が自分の口で言うてくれましょう」
医師は後ろに下がり、少女の背中をそっと押した。
少女はついっと前に出ると深々とお辞儀する。
「話して」
うながされて少女は口を開いた。
「お殿様にお目にかかれまして、光栄にございます」
まったく物怖じしていない、チュの眼光が鋭い。この田舎娘はなぜか貴人の前での作法を心得ている。
「僕にどんな御用ですか? 」
「村から伝言をあずかってまいりました」
チェスマとチュは顔を見合わせた。
「聞かせて」
「西の小路家の兵は約二百。臥所庄の反対の峠を下ったところに布陣しています。村の自警団が峠の砦の門を閉ざして入ることは拒んでいますが、これより五日の後までにこちらの峠が開かれなければ、門を開けて彼らの救援を受けます」
「ならん」
チュが思わず言った。
「それだけはならんぞ」
「では、どうかそれまでに臥所までお越し願いますよう」
「そんな猿芝居につきあういわれはないわい。殿、だまされてはなりませんぞ」
「どういうことだい? 」
「峠の山賊ども、あれは臥所の者ですぞ」
「なぜわかったの? 」
チェスマの問いはあまりに能天気な様子だった。
「殿……自警団の古参兵どもに砦の隊長を見せたでございましょ? 望遠鏡で」
「うん」
「そろって見覚えがあるのに、くわしいことを口にしないところで察することができませなんだか?」
ああ、とチェスマは手をうった。
「それでなんだかもやもやしてたものが晴れたよ。チュは賢いな」
「はあ、おそれいります」
毒気を抜かれた態でチュはため息をついた。
「伝言の確認だけど」
チェスマは少女に尋ねた。
「期日までに僕が臥所につけばいいんだね? 」
「あい、みんなしてお待ちしております」
少女は即答した。
「ふうん」
チェスマは面白そうに微笑んだ。そして今度は老医師に尋ねる。
「この娘は峠封鎖の前から? 」
「いや、山腹の踏み分け道を抜けてきた」
「なるほどなるほど」
チェスマは心底楽しそうだ。
「殿、またよからぬことを…」
「チュ、君を出し抜く気はない」
「さようでございますか」
不信の響き。
「少しだけ、考えをまとめる時間を。危険は冒さなければいけないだろうけど、たぶんうまくいく」
少女のことも、チュのことも、老医師のことも忘れてチェスマは思考に没頭し始めた。
老医師とチュは彼のそんなところを知っているから顔を見合わせて相身互いの苦笑を交わした。
少女一人、興味しんしんにその横顔を眺めていた。
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