9. 終幕 - 思い出語り

「あとはもう、さほど語る事もない。神と龍の戦いは下からでは何も見えず、わかるのはただ天舌てんぜつが海へ追いやられ、一晩の後に消えたと言うことだけだ」


 私はペンを置いて、ほう、とひとつため息をついた。


「大変に興味深いお話でした。ありがとうございました」


 風の音はいつの間にか止み、蝋燭の火はすでに燃え尽きていた。

 ユエよ。

 我がまな弟子よ。

 私が甦るまでの間に、ずいぶんと立派になったのだな。私の贈った名を、なくさずにいてくれたのだな。

 闇の中で私は落涙し、老人は冷めた茶を啜った。


「儂も祭司さじになるにあたっていろいろ学んだのだが、龍というのはお互いの縄張りには近寄らんらしいな」


「ええ。河の龍にしろ、火山の龍にしろ、龍の最大の脅威は龍ですからね。みさんご様に髭があると伺って考えたのですが、天舌てんぜつは、みさんご様を龍と思って近寄らなかったのでしょう」


「祭もようできとるもんだな。なあ学者先生、いくつか儂にはわからん事があるのだが、娘が話していた羽音のような音、あれは何なのか知っとるかね?」


 ユエめ、友だちというなら教えてやってもよかったろうに。

 今度は私から老人へ、いくつか語ろうと思う。


「その音は、彼女の右目が立てた音でしょう。王族猫というモノの怪の目が、彼女の右目にして相棒でした。彼女は右目の振動を相棒の声として聞いていたようですよ」


「はーああ、ありゃ娘の目ではなかったわけか。どうりで色合いが違うわけだわ。あとはあれだな。腹の厄介な居候とは?」


「そちらは、魔女という非常に長命なヒト型の怪で、その魂が彼女の子宮に宿っていました。彼女がモノの怪を喰らうのは、魔女を養うためであったようです」


「つまり、あの細っこい体に三つもモノが同居しとったわけか。なんと難儀な」


「ええ。本当に大変な思いをしたようです。おお祭司さじ様が長生きされておられるのも、彼女が魔女を宿していたからかもしれません。実際、記録をたどると彼女が生まれたのは二百年ほど前です」


「はっ。さすがに見た目通りなわけはないか。十五かそこらに見えたぞ」

「そうでしょうね。彼女が魔女を宿したのが、十五のころのようです」

「なるほど? つまり、もともと人だったという訳かね?」

 私は頷き、老人は遠い目で呟く。

「儂も人間にしては長く生きて良縁にも恵まれたが、子にも孫にも先立たれてしまった。あの娘も辛かったろうに……。しかし、さすがは学者先生だな。儂は猫神様を祀りながら、さっぱりあの娘の事は知らんかった」


「いえいえ、私なんぞは。あちこちでおお祭司さじ様のような方々から話を聞いて回っただけですから」


 半分は嘘だ。

 本当の名前をなくしたあの子を拾い、まじないを教えたのは私だ。

 過去の報いで様々なものをなくし続ける彼女に、再び満ちよと名を贈ったのも私だ。

 彼女から魔女を吸い出そうとして返り討ちにあった、情けない半端者の吸血鬼ヴァンピルが私だ。

 まるで瞬きをするような、ほんの数年であったけれど。



「それで平笠の化け猫は神様になって、そのあとどうなりましたか?」

 私は問うた。

「忘れ物を取りにウチにきよったよ」

 おもわず吹き出してしまった。

天舌てんぜつの舌だと思うが、手にとした物をぶら下げてな。家に置きっぱなしだったたびこうを取って、島の神様になったくせに、平笠を投げて笠の神様に行く先を聞いておったわ」


 なんとも、彼女らしい。闇の中で私は笑う。


「猫はいつの間にかいなくなりますからね」

「そしてどこにでも現れる。八十年ぐらい前にな、夏至祭の準備に来とったようだよ。顔ぐらい出せば良いものを」

 なんと!

「祭に使う装束を直しとった者ん所に見知らぬ娘がやってきて、口を挟んだらしい。猫神ねこがみの頭ん毛のひと房は、白ではなく金色なんだとな。儂もとんと思い出せん。どうだったかね?」

「どうでしたかね。本人がそういうなら、そうなんでしょう」


 もう雨もない。夜のうちに発とうかと思ったが、学術調査のふりをして思い出話をするのもいいだろう。


 なにせ、時間はたっぷりあるのだ。




<化け猫まつり 完>

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化け猫まつり 帆多 丁 @T_Jota

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