第8話「試し」

 唐突にぶつけられた言葉。

 それは暗に、ミックスダブルスで花咲さんと組めと俺に言ってきていた。


 だけど、俺は前みたいに即座に拒絶する気にはなれず、少しだけ考えてみる。

 花咲さんのプレースタイルは、よくも悪くも昔の俺にソックリだ。

 唯一違うのは、花咲さんのサーブがカットサーブだという事だろう。

 カットサーブはアンダーサーブなため、低身長というハンデを気にする必要はなく、ボールに特殊な回転を掛けるため技術がものをいうサーブだ。


 低身長だけど技術は長けている花咲さんにもってこいのサーブだろう。

 俺も一時期カットサーブにしようか悩んだが、後衛になってしまったため結局上からサーブを打っている。

 前衛が前に付いている以上、普通に上からサーブを打つほうが有利に試合を展開しやすいからだ。


 自分と同じスタイルの前衛。

 そう考えると、どういった試合展開が前衛として動きやすいか頭に思い浮かべる事が出来た。

 要は、自分が前衛としてやりやすい展開をそのまま花咲さんに当てはめればいいだけの話だからだ。


 だから浅倉さんも、俺なら花咲さんを活かせるんじゃないかと言っているんだろう。

 それともう一つ――俺は足と体力には自信があるため、ある程度なら花咲さんの弱点も補ってあげられる。

 その点だけは、花咲さんが言っていた事が正しいようだ。


 しかし、当然問題もある。

 俺の後衛としての実力は中学の県大会でも中堅レベルだ。

 どれだけ自分のストロークが通じるのか……正直、あまり自信はなかった。


 でも、ストローク力という弱点は逆に花咲さんが補ってくれるかもしれない。

 俺には点をとれるほどの決定力はないが、ラリーさえ続けていれば花咲さんがボレーを決めてくれると思う。

 彼女のボレー技術が全国トップレベルなのは間違いないからな。

 花咲さんはあの技術を身に付けるために、相当な努力をしたはずだ。

 同じ前衛だったからこそ、よくわかる。


 ――ふと、花咲さんがテニスコートから出ていく姿が視界に入った。


「その答えは少し待って下さい」


 俺は浅倉さんにそれだけ言うと、花咲さんが向かった方向に足を向ける。

 浅倉さんには止められるかと思ったが、どうやら俺の好きにさせてくれるようで何も言われなかった。


「――ひっく……ぐすっ……」


 花咲さんが向かったのは女子トイレだったようで、外で待っていると中からすすり泣きが聞こえてくる。

 多分彼女が泣いているのは、責められて傷ついたからではなく、悔しいんだと思う。

 この人がどれだけ努力しているかはもうわかっている。

 そしてその努力が実らない事がどれだけ辛くて――悔しい事か、過去に経験しているからこそ俺にはわかった。


「――何泣いているんですか」


 自分の中で答えが出た俺は、女子トイレの入り口に立ち中へと声を掛ける。


「えっ!? あ、浅霧君!? え、なんでここに……!?」


 俺の声が届くと、花咲さんが慌ててこっちを見てきた。

 だけど自分が泣いていた事を思い出したようで、バッと俺から顔を背ける。

 俺はそんな花咲さんを見て溜め息を付きながら口を開いた。


「なんでってあなたが自分のプレーを見てほしいって言ったんじゃないですか」

「あっ、そうだったね……。でも、ここ、女子トイレ……」

「だから中には入らず、入り口から声を掛けているでしょ。それよりも、さっきも聞きましたが何を泣いているんですか」


 指摘をされ、バツが悪そうに口を閉ざす花咲さん。

 泣いているところを見られたくないのは男子だけじゃなく女子でも同じだろう。

 本人が望んでいない事を理解していて俺は今声を掛けている。


「あなたは自分の身長で前衛をすればこんな事になるのはわかっていたはずです。それなのに何を今更悔しがって泣いているんですか」

「――っ!」


 俺の辛辣な言葉に花咲さんは悲痛そうな顔で俺の事を見つめてくる。

 その視線に一瞬言葉を詰まらせそうになってしまうが、それをグッと我慢して俺は続けて口を開く。


「そうやって泣くのは今日が初めてじゃないんでしょ? 毎日毎日あんな試合をするたびに泣いているんですか? そんな暇があるんだったらプレーに対して考える時間に回そうとは思わないんですか?」


 俺は自分の事を棚に上げているとわかっていながら厳しい言葉を花咲さんにぶつける。

 花咲さんからすればポッと出の奴が何を偉そうに言ってきているんだ、としか思わないだろう。


 だけど俺はそれでも、彼女がこれに対してどう答えるのかが知りたかった。


「私だって泣きたくて泣いてるんじゃないもん! でも悔しくて――そう思ったら勝手に涙が出てきちゃうんだよ!」


 花咲さんは少し感情的になりながら自身の胸の内を明かすように大きな声で答える。

 その言葉を聞いて、俺は笑みを浮かべた。


 ――よかった。

 優しそうな見た目からいい子ちゃんでいようとする人じゃないかと懸念したが、ちゃんと自分の感情を表に出せるようだ。

 スポーツ選手において感情を表に出さない事は大事だが、試合じゃないところでまで悔しいという思いを抑え続ける必要はない。

 悔しさがバネになって伸びる――という言葉があるように、悔しさは成長に必要なものだ。

 そして悔しさは抑えるんじゃなく、飼いならせるようにならなくてはならない。


 ――まぁこれはある人からの受け売りなのだが、俺は大切な事だと思っている。

 だけどこんな事までは花咲さんに言ったりはしない。

 俺がただ勝手に確かめたかっただけだし、ソフトテニスを辞めた俺が言っても説得力なんてないからな。


 ……まぁ後は、これならば少なくとも俺がしようとしている事に対して頭ごなしに止める事はないだろう。


「何を笑ってるの……?」


 俺が笑みを浮かべていると、花咲さんが怪訝そうにこちらを見つめてきた。

 そりゃああんな辛辣な言葉を言ってきたにもかかわらず、言った本人は笑みを浮かべているんだったら納得いかないよな。


「いえ、なんでもないです。それよりも、一つだけ聞かせてもらってもいいですか?」

「えっと……何かな……?」

「そんな怯えた目をしなくても変な質問はしませんよ。ただ、どうして前衛に拘るのかを聞きたかったんです」


 普通の人間なら身長のせいであんな惨めな思いをするならとっくに辞めている。

 ソフトテニスは辞めなくても、後衛に転向するだろう。

 だけど花咲さんは悔し泣きをしながらも前衛に拘っている。

 その理由が少し気になった。


「どうしてって……前衛が好きだから、だよ? ……変、かな?」


 意地になっているのかと思ったが、こういうところは見た目通りまっすぐな人のようだ。

 ないというか……好感が持てる人だと素直に思った。


 小首を傾げながら戸惑ったように俺の顔を見つめる花咲さんに対して、俺は首を横に振って口を開く。


「いえ、全然変じゃないです。むしろ――いや、なんでもないです」


『むしろ素敵な理由だと思います』と言いかけて、俺はすぐに口を閉ざした。


 今やジュニア時代からやっているから続けてる、とか、他にやる部活もないから続けてる、結果が出るから続けてるという人たちが多い中、純粋に好きだから続けているというのは素敵だと思ったのだが、そんな事を口走るのは恥ずかしいから言うのをやめたのだ。


 しかし――

「えっ、なんでそこで言うのをやめるの!? むしろ何!?」

 ――言われた側である花咲さんは話を切られたせいで気になっているようで、グイッと距離を詰めてきた。


 もう先程までの暗い感情はなくなっているようなのでいいのだが、こう、女の子の顔が至近距離に来るのは照れ臭い。


「あっ! 目を逸らした! 何か酷い事を考えてたんだ!」


 恥ずかしくて花咲さんから目を逸らすと、何か勘違いされてしまったようで花咲さんが頬を膨らませてポカポカと俺の胸を叩いてきた。

 弱い力で叩かれているため痛くはないのだが、なんだか余計に気恥ずかしくなってきた気がする。


 ――って、こんな事をしにわざわざ声を掛けに来たんじゃなかった。


「花咲さん、ペアを組むかどうかって話ですが、一回だけ一緒に組んでみませんか?」

「えっ、いいの!?」


 ポカポカと叩いてくる手を止めて提案してみると、花咲さんは満面の笑みを浮かべて聞き返してきた。

 その姿がまるで、餌を前にお預けを喰らう仔犬が尻尾をブンブンと振っているように見えてしまったというのは、ここだけの話。


「……あまり期待しないでくださいね」


 凄く目を輝かせながら見られてしまい、俺は思わず一歩引いてしまった。

 だけどすぐに気持ちを切り替えてもう一度口を開く。


「折角頑張ってるんだから、ちゃんと他の人にもわかってもらいましょう」


 俺はそれだけ言うと、気恥ずかしくなってしまいその場を後にした。


 ――俺が花咲さんとペアを組もうと思った理由。

 それは、花咲さんの努力を女子部員に知ってほしいと思ったからなのか、それとも――花咲さんが、自分に重なって見えたからなのかはわからない。


 それに頼られているからといって期待に応えられる保証は何処にもないし、恥をかくだけかもしれない。

 もっと言えば惨めな思いをする事になるかもしれない。


 でも――それでも、あの場で黙って見ているだけよりはいいと思った。

 だから俺はもう一度ソフトテニスをする事にしたのだ。

 これで少しでも花咲さんの努力が報われたらいい――そんな事を考えながら。


 ――家に帰った俺は、昔親が撮ってくれた自分が前衛をしていた頃の試合動画を引っ張り出し、イメージを整えるのだった。

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