第3話「諦めの悪い小さな先輩」
――俺は、花咲さんを甘く見過ぎていたのかもしれない。
というのも……話し掛けられたあの日以来、毎日のように花咲さんが俺の教室を訪れるようになったのだ。
そして、ソフトテニス部に入るよう促してくる。
ミックスダブルスに出たいのなら他の男子に声を掛ければいいのに、どうして俺に付きまとってくるんだ。
おかげでクラスメイトたちには好奇の目で見られるのだからいい迷惑でしかない。
「あっさぎり、くーん!」
ここ最近の事を思い出して頭を抱えていると、教室のドア側から元気よく俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
声がしたほうを見なくてもわかる。
噂をすればなんとやら――俺の悩みの種である、花咲さんが来たのだ。
「ねぇねぇ浅霧君。私とペア組んでくれる事、考えてくれた?」
花咲さんの呼び声を無視していると、いつの間にか俺の机の前まで来ていた。
彼女は腰を屈めて机の下から俺の顔を上目遣いに見つめている。
さすがにちょっとずるくないか、花咲さん。
低身長で童顔、しかも女子の中でもかなりかわいい分類に入る花咲さんが上目遣いで見つめてきている。
普通の男ならこの時点で恋に落ちてもおかしくないだろう。
まぁ俺は恋愛的な意味で見つめられているわけじゃないと理解しているから、そんな勘違いをする事もないのだが。
「嫌ですよ、絶対に嫌です」
「どうして……?」
「俺はもうテニスはしないって決めたんです。男と組みたいんでしたら、別の奴に当たってください」
「むぅ……」
完全に拒絶の姿勢を見せると、花咲さんは子供っぽく頬を膨らませて拗ねてしまった。
見た目通り幼い態度なのだが、この人一応俺の先輩だよな……?
小学生が紛れ込んでいると言われても信じてしまいそうだ。
「花咲さん、もうすぐ授業が始まるので自分の教室に戻ってください」
「……わかった、また来るね」
「いえ、もうこないで頂ければと……」
「じゃあ、またね~」
俺がもう来るなと言っているにもかかわらず、再び来る姿勢を見せて花咲さんは教室から出て行ってしまった。
あの人は見た目の割に随分と図太い神経をしているようだ。
俺は自分よりも更に小さい背中を眺めながら、諦めに近い感情を抱くのだった。
――それからも、花咲さんの勧誘はとどまるところを知らなかった。
酷い時なんて休み時間の度に来る始末。
おかげでクラスメイトたちからは見世物を見るような目で見られるようになってしまった。
「……あの、いい加減にしてくれませんかね?」
数日後、とうとう我慢の限界が来た俺は昼休みに校舎裏へと花咲さんを連れ出し、威圧するような声を出した。
しかし花咲さんは怯えるどころか、真剣な表情で俺の目を見つめ返してくる。
「我が儘を言ってるのはわかってるよ。でもね、私は本当にペアを組んでほしいの」
花咲さんは自分の胸へと右手を当て、上目遣いに見つめてきた。
胸がまな板みたいだったとか、そんな失礼な事を俺は思い浮かべたりはしない。
「なんでそこまで俺に拘るんですか?」
俺は少しだけ別のところに気を取られはしたものの、何もなかったかのようにシレッと花咲さんの目を見つめた。
「……今、私の胸を見てたよね……?」
しかし、女子は男子の視線に敏感という言葉があるように、胸を見ていた事を花咲さんに気付かれてしまった。
ジーっと責めるような白い目で俺の顔を見つめてきており、特殊性癖を持つ人間が喜びそうな感じだ。
だけど生憎俺にはそのような性癖はなく、はたまたこの程度で慌てるような小心者でもない。
「なんですか、自意識過剰ですか? 俺は先輩の顔を見ていただけなのに、顔と胸の距離が近いから勘違いしたんじゃないですか?」
俺は捲くし立てるように早口で正論らしきものを述べた。
当然言っている事は適当にでっち上げただけだが、花咲さんは身長が低いため顔と胸の距離が普通の人に比べて近いのも事実。
これは反論のしようがないはずだ。
「……ねぇ浅霧君。そういう事は、真っ赤になってる顔をどうにかしてから言おうね? 明らかに照れて焦ってる事が丸わかりだよ」
俺の顔を見上げていた花咲さんが、呆れが混じった声で苦笑いをしながら言ってきた。
なんて事だ。
完璧だと思っていたのに、まさか顔色でバレてしまうとは。
「浅霧君が私の胸をいやらしいで目で見つめてたって言えば……」
「待ってください! それはさすがに卑怯です!」
顔に似合わず腹黒い事を口走る花咲さんを俺は慌てて止める。
この人遠回しに俺の事を脅してきたのだ。
言い触らされなくなければ、ソフトテニス部に入れとな。
しかし一つ言わせてもらおう。
間違っても、いやらしい目では胸を見つめていない。
それだけは断言出来た。
「あはは、冗談だよ。嫌々ペアを組んでもらっても仕方ないからね。浅霧君の気が変わるように、私はアタックし続けるだけだよ」
俺があたふたしていると、花咲さんは人懐っこい笑みを浮かべて冗談めかしてきた。
なんというか、やりづらい人だ。
これほど邪険に扱っているにもかかわらず、屈託のない笑顔で俺の顔を見つめる花咲さんの事を俺は自 分の中で消化出来なくなり始めていた。
「話は戻るんだけど、私が浅霧君に拘っている理由――それは、浅霧君とペアを組みたいからだよ」
それは理由になっているのか?
花咲さんの言葉を聞いてまず思ったのは、そんな言葉だった。
これは勘だが、この人は俗にいう感覚派の気がする。
「つまり、先輩は俺の事が好きだと?」
「違うけど!? なんでそうなるの!?」
「だって俺とペアを組みたいって事は、俺と一緒にテニスがしたいって事ですよね? つまり、俺の事が好きなんですよね?」
「あれかな? 君はナルシ君なのかな?」
頭がおかしいと思うほど無茶苦茶な理屈に、花咲さんが首を傾げて困った表情を浮かべる。
俺としても自分で言っていてドン引きなのだが、これで花咲さんが引いてくれればいい。
そう思ったのだが――
「私は、どうしてもミックスダブルスの試合に出る必要があるの。そしてそれには、君の力が必要なんだよ」
――花咲さんは全く曇りのない瞳で、恥ずかしげもなく俺の事を求めてきた。
しかし、その言葉は俺にとって最悪なものだ。
「あんたが言っている俺の力とは、前衛としての力でしょ? 悪いですけど、あんたが思い描いているほどの実力は俺にはないですよ」
あまりにもしつこいからか――それとも、ここまでして俺の事を求めてくれている女の子の期待に応える事が出来ない苛立ちからか、俺は少しだけ語気を強くしてしまった。
「うぅん、違うよ」
だけど、そんな俺に対して花咲さんは優しい笑みを浮かべ、ゆっくりと首を横に振って俺の言葉を否定する。
今まで年下のように見えていたのに、その笑顔は一瞬だけ大人っぽく見えてしまった。
「何が違うんですか?」
「私が求めてるのは、君の足の速さと体力だよ。私は――前衛なの」
耳を疑うような言葉。
それほど彼女が言った言葉は俺にとって意外なものだった。
おそらく身長140cm前後。
151cmしかない俺よりも更に小さい女の子が、俺の諦めた前衛だと言ったのだ。
これを驚かずにいられるわけがなかった。
そんな小さな前衛、相手からすれば格好の餌食だ。
「一度、私のプレーを見てほしい。それから、もう一度この話を考えてくれないかな?」
「……わかりました」
優しく――だけど力強い声でお願いをしてきた花咲さんに折れ、俺は彼女のプレーを見に行く事にするのだった。
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