第6話「重なる姿」

 花咲さんはボレーのステップに入ると同時にゆったりとラケットを持ち上げていき、ラケットがボールに当たる少し前に手首を引いてからボレーをした。

 他の人たちが肘を使ってボレーをしていた事に対し、花咲さんは手首を使ってボレーをしているのだ。

 だからこそ、あれほどの快音で威力があるボレーを放つ事が出来ている。

 だけど、おそらく花咲さんのボレーは指導者によっては咎められるものだ。


 その理由は二つある。


 まず一つ目は、先程述べた通りボレーの構えだ。

 やる気云々の前に、きっと『それではミスをしやすくなる。飛んできた球に対して動作が遅れる』など注意を受けるだろう。


 そして二つ目は、『ラケットを振るな』と言われるのではないだろうか。

 花咲さんはボレーをする直前に手首を引いてからボレーに移っている。

 その動作が、指導者からすれば振っているように見えてしまうという事だ。


 しかし――それらは誤りだ。


 これはあくまで俺の実体験を元にした考えなのだが、構えもボレーの動作も花咲さんがしている事が正しい。

 まず試合中のボレーとは、基本的にランニングボレーという飛んでくるボールに対して自分から走ってボレーに行くものが主になる。

 自分から行動に移すという事は、準備をする余裕があるという事だ。

 つまりタイミングさえわかっていれば、花咲さんがしているようにボレーのステップに入ると同時にラケットを持ち上げる事が出来る。


 ここで初めて、花咲さんがしていた自然体の構えが生きてくる。


 初めからラケットをネットより高く構えてしまうと、どうしても肩に力が入ってしまう。

 力が入ってしまうと、臨機応変に腕を動かすのが難しくなる事が多い。

 逆に花咲さんのようにステップと同時にゆったりラケットを持ち上げると、腕から無駄な力が抜けていて、臨機応変に打球に対応出来るのだ。


 正直、初めからラケットを高く構えるよりもミスが少ないと俺は思っている。

 実際、男子の全国トップクラスの前衛がしている構えは花咲さんがしているものがほとんどだ。


 とはいえ、ラケットを高く構える必要がないかといえば、そうでもない。

 ディフェンスボレーなど、相手との距離が近くて守りに入らなければならない時は動作に入る余裕がないため、俺たちも初めからラケットを高く構える。


 要はどちらが場面に適しているかという話だ。

 その使い分けが出来る分、花咲さんのレベルの高さが窺えると俺は思った。


 二つ目の、手首を使ってボレーをしているというものについてもそうだ。

 よくジュニアや初心者が指導者から『ラケットを振るな』と注意されるのだが、あれは肘を使ってラケットを振りおろしているものを言っていると俺は思う。

 肘を使ってしまうとどうしても動作が大きくなってしまうし、速い球を正確に捉える事が出来ないからだ。


 しかし、手首を使うボレーは違う。


 ……いや、正確には、手首を引いて押し出すようにするボレーは違うという言い方が正しいか。

 手首を使ったとしても、上から下に振り下ろすようにしてしまえば振っているのと変わらないからな。

 だが、手首を引いて押し出すようにすれば、肘よりも予備動作は小さいし、肘を押し出すだけよりもボールに威力を乗せる事が出来る。


 何より、手首を引いた分可動域が出来、構え同様応用が利くのだ。

 もちろん手首を引いた時に無駄な力が入っていない事が絶対条件だが、ゆったりとした動作でボレーに入っている花咲さんには当然のように出来ているだろう。

 上半身はゆったり、しかしボールに追いつかないといけないため足は速く動かす必要がある。

 きっと身に付けるために沢山努力をしたはずだ。


「あの人のボレーは見ていてミスる気がしません。無駄な力が入っていませんし、完璧にボールをラケットで捕らえる事が出来ていますからね」

「他の子たちと違ってボレーの動作にも余裕を感じられるもんね。あれなら不意なところにボールが来ても反応して捕らえる事が出来る。ボレーに対する絶対的な自信が窺えるでしょ?」

「そうですね」


 レベルが高いこのチームでも、ボールに対して目一杯肘を伸ばしてボレーをしている人たちがいる。

 その姿は一生懸命に見えるが、動きが固いし余裕がなさそうに見えてしまう。

 それが自信と関係あるのかと言われるとそうではないのだが、花咲さんのように余裕があるボレーをする人間はボレーに自信があるから慌ててないんだな、というふうに見えるという話だ。


 実際、次にディフェンスボレーの練習が始まったのだが、守りのボレーなのにもかかわらず花咲さんのボレーは余裕があって安定している。


 花咲さんは至近距離から打たれるボールを、ディフェンスボレーで綺麗にネット前へと落としていた。

 距離的に言えば大体七メートルくらいだろうか。

 あれほど近い距離から打たれるボールは捕る事さえ難しいのに、完璧にネット前へと落とせているのは花咲さんの技術があってこそだ。


「ディフェンスボレーをあんな綺麗にネット前に落とせる前衛は初めて見たかもしれませんね」

「まぁ中学生には早々いないレベルだよね。ボレー技術だと、多分君にも引けをとらないよ」


 わざわざ俺を引き合いに出して花咲さんを褒める浅倉さん。

 遠回しに嫌味を言われているような気がした。


「でも、思ってるのはそれだけじゃないでしょう?」


 俺が答える前に、なぜか怪しげな笑みを浮かべて浅倉さんは続けて聞いてきた。

 表情などには出していないはずだが、まるで俺の心が見透かされているように思えてしまう。

 多分誤魔化しても無駄だと思い、俺は素直に思っている事を口にする事にした。


「……どれだけボレーが上手くても、あの身長じゃあ宝の持ち腐れです。正直、やるだけ無駄だと思いますね」

「それは、君がそうだったから?」

「――っ!」


 浅倉さんの言葉に俺は息を呑む。


「十年に一人の天才と言われた君が、どれだけ努力をしても全国大会では通用しなかった。だから美鈴のやってる事は無駄でしかない。そう思っているんでしょ?」

「…………」


 否定する事が出来ずに、俺は黙って浅倉さんの目を見つめる。

 すると浅倉さんは優しい笑みを浮かべて口を開いた。


「別に君の事を責めたいわけじゃないし、君がどうしようと君の人生なんだから私には関係ない。だけど、あの子はまだ努力をしている。身長が低いという自分の運命に抗おうとしているんだよ。そんな子の邪魔をしてほしくはないの」


 いったいどう思われていたのか、浅倉さんの笑顔は優しさと共に悲しさを含んでいるようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る