最終話「魅力的な笑顔」

 このゲームは相手がサーブだが、ゲームカウント『1‐2』で俺たちがリードしている事に変わりない。

 ファイブゲームマッチなため、このゲームを取れば勝ちだ。

 レシーブに構える俺はいっそう集中する。

 この一本、打って出るために。


「はぁ――!」


 相手後衛のサーブが、センターラインギリギリへと入る。

 俺はそのボールを――相手前衛目掛けて打ち返した。


「――っ!」


 今まで一球も俺がパッシングをしていなかったため、まさか自分のほうに飛んでくるとは思っていなかったのだろう。

 ロブが上がってくると思ってスマッシュ体勢に入っていた相手前衛は、慌てて自分に対して飛んできたボールに反応する。

 俺の打球が遅いため触られてしまったが、ようよう返したボールは遅いチャンスボールとして俺たちのコートへと返ってきた。


 それを花咲さんがハイボレーで相手コートにボールを叩きつける。


「浅霧君、ナイスレシーブ!」

「花咲さんこそ、ナイスボールです」


 思惑通り決まった俺たちは・・・・笑顔で・・・ハイタッチを交わす。


 ……楽しい。

 いつぶりだろう、試合を楽しいと感じたのは。


 一切気を抜けない接戦という状況がもたらす緊張感。

 自分が思った通りのプレーが決まる高揚感。

 今まで苦しかっただけで、こんな気持ちを味わうのは久しぶりだった。


 俺がソフトテニスの楽しさを思い出している中、試合も当然のように進んでいく。

 俺たちが有利に試合を展開出来ているように見えても相手はインターハイ経験者。

 当然簡単に勝たせてくれるような事もなく、途中ポイントを連取されてしまい再び取って取られてのシーソーゲームへと突入していた。


 そして――いよいよ、俺たちはマッチポイントを握った。


 決めるなら、ここしかない……!


 俺はレシーブに構えている花咲さんを横目で見ながら、一回だけしか使えない切り札をここで切る事にした。

 相手後衛が打ったサーブはセンターラインギリギリ、花咲さんのフォアへと入る。

 万が一にでも、外から前衛が抜かれるリスクを避けたのだろう。


 花咲さんは相手後衛のバックハンドへとレシーブすると、そのまま前に付いた。

 ここからは俺と相手後衛の勝負だ。


 まず相手は、花咲さんに絶対に捕まらないよう中ロブで頭を越して攻めてくる。

 このポイントに至るまでの間、花咲さんがスマッシュを追うそぶりを見せなかったため、それが安全だと理解したのだろう。

 ここまでの展開では明らかに中ロブが増えていたしな。


 俺はすぐにボールの落下点へと走り込み、一瞬だけドッシリとストロークのフォームを構える。

 すると相手前衛は強打が来ると思ったようで、前傾姿勢になった。

 だけど俺は打ち込むつもりはなく、上の警戒を解いた相手前衛の頭を相手と同じように中ロブで越す。


 相手後衛は中ロブのみ、俺は中ロブを織り交ぜながら打ち込むという形でラリーが続き始めた。

 お互いの前衛はただヒッソリと決めるチャンスを待つのみ。


 そして――局面は動く。


 ラリーが続く中、相手後衛がしびれを切らし強打をしてきたのだ。

 それも、この試合中一番強い球を。

 ミスというハイリスクを背負った上での選択。

 自分のストローク力に自信があるからのプレイだろう。


「――あっ!」


 俺は左サイドギリギリに刺さる鋭いボールをなんとか拾ったが、短く山なりのボールが相手後衛の前へと落ちた。

 チャンスボールが相手後衛の前に落ち、コートの端に俺が追いやられる事によってセンターががら空きになってしまっている。


 これは、あの・・と同じ状況だ。


 そう――花咲さんが、驚異的なディフェンスボレーを決めた状況と同じなのだ。

 コンマ数秒の間で、花咲さんと相手後衛との駆け引きが始まる。

 確率的に見ればセンターかストレートのため、二分の一。

 俺がいる逆クロスという選択肢もあるにはあるが、これほどの絶好球をみすみす相手後衛の前に返すような選手は、インターハイなどに出られるはずがない。

 つまり、センターかストレートしかないのだ。


 そして相手後衛が選択するのは――

「おりゃぁ!」

 ――ストレートしかない。


「えいっ!」


 花咲さんのかわいらしい声と、ガットにボールが弾かれる快音が鳴り響いた直後、相手コートへとボールが落ちるのだった。



          ◆



「やったぁ! 浅霧君、勝っ――」

「――美鈴、キャプテンたちに勝つなんて凄いよ!」

「よくあのトップ打ち止めたね!」

「一試合でどんだけボレー決めてるの!? 凄すぎだよ!」

「わっ、わわわっ! みんなどうしたの!?」


 俺に駆け寄ってこようとした花咲さんは、先程の試合を観て興奮した部員たちに囲まれてしまった。

 突然の事に花咲さんがテンパってしまっている。


 ゲーム終了の挨拶はまだなんだが……まぁ公式戦じゃないしいいか。

 それよりも――なんとか、目的は達成出来たみたいだな……。


 部員たちに囲まれて困りながらも、みんなに認められて嬉しそうな笑みを浮かべる花咲さんを見て俺はホッと安堵した。


 もうこれなら大丈夫だろう。

 後は、邪魔にならないようさっさと消えるか。


「――やる事だけはやって、陰の立役者は黙って消える。君って結構かっこつけるタイプなんだね」


 黙ってコートを去ろうとしていると、浅倉さんに声を掛けられてしまった。


「別に、陰の立役者ってほどの仕事はしてませんけどね。花咲さんのおかげで――」

「最後のチャンスボール、わざと上げたよね?」

「…………」


 俺は言い掛けた言葉を飲み込み、浅倉さんを見つめる。

 浅倉さんは俺が黙ったからか言葉を続けた。


「確かにキャプテンの打球は鋭かったけど、君はちゃんと打球に追い付いていた。後半になって打球の速さになれて上手く凌いでいた君が、打球に対して遅れてもいないのにチャンスボールを返すとは思えないんだよね。それに声まで出して演技をしてたけど、チャンスボールを上げた事による動揺が普通よりも小さかったし、即座に構えて次の打球に備えていた。対応の早さを見て、あぁ想定していたボールなんだなってわかったよ」


 丁寧に自分の考えを教えてくれる浅倉さん。

 さすが若いのに強豪校の監督を務めるだけはある。

 俺のは彼女に見抜かれていたようだ。


「そうですね、マッチポイントで確実に点を取るために俺はあれをやりしました」


 あの状況でチャンスボールを上げれば、相手後衛が絶対にストレートに打つ事を俺は読んでいた。

 普通あの状況では、わざわざ前衛が待ち構えているストレートよりも、がら空きとなるセンターを狙うのがセオリーだ。

 それなのにどうして相手後衛はストレートを狙ったか――簡単な話だ。


 少し前のポイントで相手後衛の渾身の一撃ともいえる打球を、完全に花咲さんが止めていたのが理由になる。

 その記憶がまだ新しいのに、相手マッチポイントという大切な場面で同じコースを選択出来るだろうか?

 ――絶対にないと言える。


 なんせ苦しい状況で咄嗟に沸いたチャンスとなれば、本能が顔を出すからだ。

 本能的に行動してしまえば、完璧に止められたセンターは無意識に避ける。

 ましてや相手は後輩で皆から邪険に扱われる存在。

 部のキャプテンで一番手の自分は、絶対に負けるわけにはいかない。

 そういう心理が彼女を弱気にさせた。


 そこまで読んで、俺はチャンスボールを演出してみせた。

 まぁこれらは全て、花咲さんの絶対的なディフンスがあるからこそ出来た駆け引きだ。

 この試合、まず間違いなくMVPは花咲さんだろう。


「でも、サーブを除けばその一本くらいですよ、まともに俺が出来た事は。後は全て、花咲さんの頑張りのおかげです」

「うぅん、それはないよ。後半、美鈴があれだけランニングボレーをしていて、ロブを追う動きを見せていなかったのに、キャプテンは全て中ロブで打つという選択を選ぶ事が出来なかった。それはなんでかな?」


「俺が中ロブを狙っていたからですか?」

「惜しいね。正解は、君相手に中ロブだけでは点が取れないからだよ。中ロブを打っても足が速くて普通のロブと変わらないタイミングで打点に入れる君に、中ロブだけで点を取るのは難しい。だから、普通のストロークも混ぜる必要があった。後半美鈴がランニングボレーをたくさん決められたのも、そのおかげだよ。中ロブは君が全て拾ってくれて、しびれを切らした相手が普通のストロークを打ってくると美鈴は信じて待っていたからね」


 花咲さんが俺を信じて待ってくれていた事は俺も気付いていた。

 後ろを一切振り向かず、相手にだけ集中してくれていたからだ。

 前衛が後ろを振り向かないのは後衛が絶対に返すと信じている証だと思っていい。

 そうでなければ、どうしても後ろが気になって振り向いてしまうからだ。


「それに、序盤は苦戦していたキャプテンの打球にも君は後半対応してみせた。おそらく一人練習では戻らなかった勘が、試合中に戻ってきたんだろうね。君が副キャプテンに捕まらないよう気を付けながらキャプテンの打球を返していたおかげで、美鈴が動けるチャンスが出来た。ラリーが続かないと前衛は何も出来ないからね」


「……そこまでおだてるのは、俺と花咲さんを今後も組ませようって狙いですか?」


 あまりにも俺の事を褒めてくる浅倉さんに俺は訝しげな目を向ける。

 さすがにここまで褒められると気持ちが悪かった。


「君は私の事を疑いすぎじゃないかな? いいプレーはきちんと褒める。指導者にとっては必要な事だよ。それに――君のプレーが素晴らしかったと思っているのは私だけじゃないよ、ね?」

「――はい!」


 浅倉さんが俺から視線を外し、俺の後ろに対して声を掛けると、元気のいい返事が聞こえてきた。

 後ろを振り向けば満面の笑みを浮かべている花咲さんが立っていた。

 その瞳は何か期待をしているかのように俺の顔を見つめている。


 いつの間にこの人は俺の後ろに来ていたのだろうか?

 足音、しなかった気がするんだけど……。


「浅霧君ありがとう! おかげでキャプテンたちに勝つ事が出来たよ!」


 俺が戸惑っていると、花咲さんが人懐っこい笑顔でお礼を言ってきた。

 黙っていなくなろうとしていた俺はばつが悪くなり、手で頭を掻きながら口を開く。


「勝ったのは俺じゃなく、花咲さんのおかげですよ。点を取ってくれたのはあなただ」

「でも、浅霧君がいっぱい繋いでくれて、私を活かそうと試合展開を考えてくれたおかげだよ! 私、浅霧君と試合出来て凄く楽しかった! ……ねぇ浅霧君、結果でペアを組むかどうかを考えてくれるって言ったよね? 私と、これからもペアを組んでくれる……?」


 純粋無垢な瞳で俺の顔を見上げていた花咲さんは、今度は顔色を窺うようにして聞いてきた。

 見れば、先程まではしゃいでいたのが嘘だったかのように不安そうな表情を浮かべている。


 俺に断られる事が頭を過っているのだろう。

 今まで散々断っていたし、試合に勝ってもペアを組むとは言ってなかったため、花咲さんが不安に駆られるのも無理はない。


 でも何も俺だって、意地悪で彼女を不安がらせているわけではないのだ。

 ここで容易に引き受ければ、彼女が思っていたのと違った場合、今後俺とペアを解消したくなっても彼女は言い出せないだろう。

 その気持ちを俺が察する事が出来れば俺からペア解消を言い出すが、彼女の気持ちを察せられる自信はない。


 何を考えているのかなんて、結局は本人にしかわからないからだ。

 だから、彼女が後悔しないようにしたい。


「俺は全国で通じるような後衛ではないです。本当に勝ちたいなら、別の人と組むほうがいいです」

「私は、浅霧君がいい」


「男子なら、俺よりも足も打球も速い人がいると思います」

「浅霧君がいい」


「俺よりも――」

「浅霧君じゃないとだめ」


「…………」


 一貫として、俺以外をペアとして考えていない意思を見せる花咲さんに俺は言葉を失ってしまった。

 まるで子供が意地になって駄々をこねているだけのように見えるかもしれないが、花咲さんの瞳は曇りけが一切ない澄んだものだ。

 意地になっているんじゃなく、ちゃんと考えた上で心から俺と組みたいと思ってくれているのが伝わってくる。


「どうして、そこまで俺に拘るんですか?」

「今日浅霧君と組んで、凄く楽しかったから。やっぱり試合をするなら組んでいて楽しい人としたいもん。それに、浅霧君となら私は誰にも負けない気がする!」


 ダブルスはペアの相性も勝敗に直結するが、花咲さんが言っているのはただの感情論だ。

 ましてや俺となら誰にも負けないなんて、言いすぎにもほどがある。


 だけど――

「……はぁ……後悔しても知りませんよ? これからよろしくお願い致します、花咲さん」

 ――俺は、彼女の言葉を受け入れた。


 彼女と組んで試合をして俺も楽しいと思ってしまった。

 何より、彼女のプレーをもっと見たいと思う自分がいる。

 それは、ただ単に彼女のプレーに魅了されたのか、それとも俺が諦めた道を信じて進む彼女が何処まで行けるのかを知りたいだけなのかはまだわからない。


 一つわかるのは――

『ここまで信頼を寄せてくれるのなら、その力になりたい』

 ――俺がそう望んでいる事だ。


「あっ――うん! よろしく、浅霧君!」


 俺の言葉を聞くと、花咲さんは目を輝かせてとても嬉しそうに頷いた。

 俺はその笑顔をとても魅力的に感じてしまい、高鳴る自分の胸をギュッと押さえるのだった。


 ――のちに全国で名を轟かせる事になる俺たちのミックスダブルは、ここからスタートしたのだった。

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