娼館オズマ

鳥なんこつ

第1話 初心な冒険者の話

 あれほど強かった日差しが弱まり、夕方にもなるとめっきりと涼しくなった。

 この時期になると市場に入ってくる作物の量も増え、値段もぐっと安くなる。いわゆる収穫の秋というやつだな。


 こちらの世界にも四季があることは素直に嬉しい。

 アプレットと呼ばれるリンゴにも似た赤い果実を手に取る。齧ると、しゃくっとした歯触りと甘い果汁が口いっぱいに広がる。

 まだ品種改良とかいう技術はないのに原産でこの美味さ。

 ファンタジー恐るべしだ。


「どうですか、今日採れたての入荷したてですよ」


 八百屋の親父が揉み手をしながら現れた。


「ああ、美味ぇな。ごっそさん」


 小銅貨一枚を放ると、親父は顔色を変えて手を振ってくる。


「いえいえいえ! 旦那からお代なんていただけません!」


「いいからしっかり取っておきな。立派な商品には適正な代金ってぇのが商道徳ってやつだぜ?」


「ごもっともです。ですが、お願いですからもう一個くらいオマケさせてくださいな」


「いや、だからな」


「せめてもの気持ちですよ」


 すったもんだの挙句、結局俺は左手に子供の頭くらいあるアプレットをもう一個抱えて市場を後にした。


 門前の噴水広場にくると、今日もなかなかの人混みである。

 商人、工人、衛士、旅人、傭兵、そして冒険者たち。


 見るとでもなしに視線を巡らしているうちに、ふと気になるやつを見つけた。


 なかなかに年季の入った鎧に使い込まれた武具など、冒険者には珍しくも何ともない。

 俺が気になったのは、それを着ているやつの顔だ。


 まだ若い。かといって冒険者になり立ての野暮ったさもない。

 それなりに戦いの経験を積んできたであろう顔が、なんとも言えない戸惑いと躊躇いの色で染まっている。

 しかも一人でここらをウロウロしているとなると……。


「そこの冒険者さん。待ち合わせかなにかで?」


 気さくに声をかけると、若い冒険者はびくっと肩を揺らす。


「い、いや、そういうわけではないんだけれど」


「それはごめんなすって。先ほどから落ち着かれない様子だったんで、ちょいと声をかけさせていただきやした」


 頭を下げて、すかさず自己紹介。


「あっしは尾妻連太郎おづまれんたろうともうしやす。この街じゃあ、ちょっとした顔役でして」


 顔を上げると、案の定、若い冒険者は困惑するような顔つきになっている。


「なに、別に取って食おうってわけじゃないんで安心してくだせえ。

 あ、アプレット、食べます?」


 赤い実を差し出すと、若い冒険者はおずおずと受け取り、それから一口齧りついた。


「あ、美味しい……」


「でしょ? ここにゃあ新鮮な食材が入ってくるのが自慢でしてね」


 俺が破顔すると、若い冒険者もつられて笑う。

 が、すぐに夢から覚めたような顔つきになって、


「あ、僕の名前はアレスと言います。アプレット、ごちそう様です」


 ぺこりと頭を下げてくる。


「アレスさんですか。いい名ですねえ」


「オズマレンタローさんって不思議な名前ですね。もしかして東方系の方ですか?」


「まあ、そんなとこでしょうかねえ」


 俺は苦笑一つで応じ、すかさず切り返す。


「それより、さきほどから何を逡巡されてたんで?」


「そ、それは……」


 その反応にティンと来る。ふむ、まず間違いないだろう。


「ひょっとして、遊興にかかわる件ですかい?」


「……!!」


 アレスの顔は一瞬で真っ赤になった。

 くくっ、うぶだねえ。


「驚くこたァありゃしやせんぜ。なんせここ『ヒエロ』はこの国で一番の遊興街ですから」


 その街の入口でグダグダしているのは、十中八九、初めての女遊びの経験を前に尻込みしている連中だ。俺の眼についたアレスも、きっとその例に漏れない。 

 いっそ開き直って腹をくくったほうがどうとでもなるし楽しめるのだが、踏ん切りのつかない初心な輩が必ずいる。

 そいつらを適当に見初め、この街のイロハを手引きするのは、ボランティアといやあ聞こえはいいが、まあ半分以上俺の趣味みたいなもんだ。


 アレスは目を閉じて深呼吸し顔の血の気を下げると、俺に向かっていった。


「……恥ずかしながら、初めて遊びに行こうと思ったんですがどうしていいか分からないし、何か色々と踏ん切りがつかなくて……」


「別段、恥ずかしがることはありやせん。誰にだって初めてがありやさァ」


 鎧の肩をガシガシと叩き、アレスにそっと耳打ちする。


「ところで、ご予算はいかほどで?」


「とりあえずこれで……」


 アレスの指には金貨が三枚。

 ひゅう、と俺は口笛を鳴らす。


「十分すぎますぜ」


「そ、そうなの?」


 戸惑う様子に苦笑するしかない。

 相場を知らない初客なんて、普通に考えて絶好のカモだ。

 まあ、この街でカモるような度胸のある客引きはおいそれとはいないが、凄腕のヤツも何人か知っている。

 さてはて、このアレスさんは、俺に見込まれたのは吉と出るか凶と出るか。


「どうでしょう、アレスさん? ここはひとつ、あっしに任せてくれませんかね?」


「……わかりました。お願いできますか?」


 即決するアレスに、少しばかり彼を見直す。

 人の見る目云々を評するつもりはないが、とっぽいなりして度量はなかなか大したもんじゃねえか。


「大船に乗ったつもりでお任せくだせえ。きっと満足のいく初遊興をご提供しやすよ!」


 そうと決まれば話は早い。

 時刻は夕暮れ前。書き入れどきにはギリギリ間に合う。

 アレスの背中を押すように、俺は街の中心に急ぐ。

 まだ混み始めてない大通りを抜けると、一際大きく立派な建物が見えてくる。


「あの、どっちに入れば?」


 見たこともない巨大な建築物に入口が二つもあるからだろう。戸惑うアレスの背中を右に押す。


「男はこっちでして」


 暖簾をくぐると、暖かな湯の香りが顔を撫でる。

 目を白黒させて驚くアレスを横に、俺は声を張り上げた。


「一名様、ご案内~」


「はーい!!」


 元気のよい返事に続き、次々と丁稚の小僧たちが飛び出してくる。

 アレスに群がると、たちまち鎧や装備一式を剥ぎ取って回収。


「あ、あの、それは!!」


「大丈夫、責任を持ってきちんと手入れさせておきますんで」


「で、でも」


「後は任せて入った入った!」


 簡素な上下の衣服ばかりになったアレスの背を押し脱衣所へ。


「まずは湯浴みして垢を落として下さいな。女を抱く前に身綺麗にするのは作法ってもんですぜ」


「う、うん」


 周囲には既に他の半裸の客もいるせいか、アレスは思い切りが良い。

 すっぱり下着まで脱ぎ捨ててくれたので俺はタオルを渡し(おやおやなかなか立派なモノをお持ちで)、入れ替わりに衣類を引き取りにきた小僧に、そっと新品の肌着を買ってくるよう言いつける。

 なに、これくらいアフターサービスってもんだ。


「ささ、どうぞこちらへ」


 浴室の引き戸を開ければ盛大な湯気が全身に吹き付ける。

 一時の靄が晴れると、室内の光景にアレスは感嘆の声を上げた。


「うわあ……!!」


 俺はにやにやしながらその光景を見守る。毎度毎度、こんな感嘆を聞くのが楽しみでしようがない。

 まあ実際のところ、大貴族や王族相手でも感嘆を上げさせる自信がある。こんな贅を尽くした巨大浴場など、おそらく大陸全土でここにしか存在しまい。


「レ、レンタローさん……」


一転、青ざめた顔でアレスは俺を見た。


「こんな贅沢なところ、あのお金じゃ全然足りないんじゃ……」


「いえいえ、そんなこたぁありやせんぜ」


 パタパタと俺は手を振って、


「ここだけの話、この風呂場は街のもんでも格安で利用できますんで」


 嘘ではない。この街の住民であれば家族全員そろっても銅貨一枚が入浴料だ。

 他にも年に一、二回ほどだが、近所の子供たちを無料招待なんてイベントも行っている。

 普通に考えて大きな浴槽にお湯を張っての入浴なんぞ、王侯貴族や大商人にのみ許された贅沢だ。庶民は夏は川で水浴びや行水、冬場はお湯で絞った布で清拭だけってのが一般的。

 こんな大浴場を前にアレスが尻込みするのは当然の反応と言える。


「ささ、天然温泉のかけ流しですよ。どうぞどうぞ」


 まずは洗い場へと案内する。

 まだ茫然としているアレスの頭からお湯をかける。とにかくお湯をかけて表面的な汚れを流してから、いよいよ本番だ。


 とかく冒険者ってのは身綺麗にする習慣がない。そんな人間の堆積した垢や汚れは推して知るべし。


「では、僭越ながら身体を洗わせていただきやす」


 固形石鹸に、とある果物を乾燥させたスポンジタオルを持つ。

 まあ、初見の人はスポンジどころか石鹸の使い方すら分からないのだから当然のサービスだ。

 たっぷりと石鹸を擦り付けたスポンジで全身を擦るが、まったく泡立つ気配はなし。

 手ごわいと見た俺は、近くの大きな壺に誘う。

 すっぽりと人が一人しゃがみ込める程度の大きさのそれは、大浴槽に入る前の第一段階だ。

 アレスを中に据え、俺が顎をしゃくると、湯気の中で忙しげに立ち働いていた小僧たちが、よってたかって手桶で中に湯を汲みいれる。

 大壺がアレスの肩くらいまで湯で満たされた。


「ああ……」


 アレスがなんとも言えない気持ちのよさそうな声を上げて、


「すごいですね、浴場というものは……」


「いえいえ、まだまだこれからが本番ですぜ?」


 小僧の持っていた盆から冷たい果実飲料の入った素焼きのジョッキを一つもらいアレスへと手渡す。


「こんなに至れり尽くせりなのに……?」


 不思議そうな顔つきになるアレスをじっくりとふやかし、再度洗い場へ。


「さあ、いよいよ背中を流させていただきやすよ!」


 今度は石鹸を少なめにして、一気にスポンジタオルで背中を擦る。

 すると、まるで雪崩のように垢が剥がれ落ちた。

 磨きたてた背中を見て、今度は俺が「むむ」と感嘆の声を上げる番だった。

 この仕事を長く続けていると、幾つもの裸の背中に相対することがある。

 そんな俺から見ても、何とも凄みのある背中だ。

 何かしらの重責を背負ったもの特有のオーラがある。

 鍛え上げられた筋肉に、得体の知れない傷痕の数々も、得も言われぬ迫力を醸し出していた。

 まだ若いにも関わらず、いったいどんな人生を歩んできたものか。

 そんな想いを馳せたのも誓って一瞬のことだ。


「……レンタローさんの言葉には不思議な訛りがあるね」


 うっとりとした表情を浮かべてアレスが尋ねてきた。


「おっと、これは江戸弁っていうんでさあ。気に障ったら堪忍してくださいよ」


「エドベン? 聞いたことのない言葉だけど」


「いえね、ここだけの話、あっしは実はこの世界の出身じゃないんで」


「……?」


「前いた世界で死んだかと思ったら、気づいたらこっちの世界にいやした。

 生まれ変わりかどうかなんて細けえことはわかりやせん。

 まったく神さまか魔王さまか知りませんが、変なことをして下さるもんで」


「……魔王」


アレスの背中が強張ったと思ったら、


「レンタローさん。もし神さまか魔王に出会えたら、元の世界に帰りたいとお願いしますか?」


 ぽつりとそんなことを言う。

 

 俺は笑って、


「生憎とこっちの生活が気に入ってますんで。

 他にも色々としがらみもありますしね。もし戻して下さるっていわれても、お断りさせていただきやすよ」


 軽い口調で紛れもない本心を口にする。


「そう、ですか」


 同時にアレスの背中の緊張も解けた。


「……ところで、今の話は本当なんですか?」


「さあてねえ。湯に入る前の身体をほぐす与太話かも知れませんが、ま、そこはご想像にお任せしますってことで」


 そう答えると、驚くほど茶目っ気のある表情でアレスは笑った。

 微笑み返し、綺麗さっぱりアレスの身体を磨き上げた俺は、今度こそ彼を大浴槽へ。


「さあ、のぼせない程度に堪能して下さいよ!」






 結果として、アレスは軽くのぼせた。

 普段から風呂なんぞ入らない人間は、気持ち良いが先に立ってなかなか浴槽から上がってこない。

 おまけに柱や天井には精緻な彫刻が施してある。それをつぶさに眺めたりすれば、湯あたりするなという方が難しい。

 濡れタオルを首にあて、丸テーブルに突っ伏すアレスがいる。

 買ってきた新品の肌着に着替え、実にこざっぱりとした恰好になっているがその顔は赤い。


「まあ、これでも飲みなせえ」


 俺はジョッキを奨める。

 言われるままにジョッキを飲み干し、アレスは驚愕の声を上げた。


「こ、これはいったい………。!?」


 ジョッキの中身は氷水だ。

 この世界では氷は冬に自然に生成されるものであって、飲み物に入れて飲むという習慣がない。

 その既成概念を崩した俺は、街にある個人経営の魔法道場の幾つかと提携し、魔法で作られた氷の安定供給に成功している。

 湯上りの氷水は好評だし、ある種の原酒も氷を浮かべることで格段に飲みやすくなる。

 間接的に氷を使ってキンキンに冷やしたビールは大好評で店の名物だ。


「氷ですよ。そのまま額に当てて熱を冷ましてもいい」


「これが氷……」


 半ば茫然としてアレスはジョッキの中の氷を齧っている。

 そのうちかき氷なんぞも作ってみたいが、氷を細かくする作業に甘ったるいシロップを作るとなると、どうしてもコスト的に割高になるので躊躇しているところだ。


「ところでレンタローさん、ここは一体……?」


 ようやくアレスは自分のいる場所へ気づいたようだ。


「実はここはもう娼館の中でして」


 そう答えると、アレスの身体が揺れガタッと椅子が鳴る。

 言われて驚くなというのも無理な相談だ。なんせ大広間の中心にオープンキッチンがあるここは、どう見ても食堂。


「風呂に入りてぇってやつは、湯殿から上がればそのままもと来た入口から帰ってもらう。

 娼館に用がある方は、湯殿を出て横の通路から奥へいくと―――」


 この大食堂へ辿りつくという寸法だ。


「身体を綺麗にして、腹ごしらえをして、いざ戦ってことですよ」


「はあ……」


「さあ、何を食べやす? 特に注文がなけりゃ、あっしが適当に見立てやすが」


「……お願いします」


 もはや感嘆を通り越したらしく、一種の虚脱状態になるアレス。

 そんな彼を横目で眺めニヤリとする。

 この程度で驚いちゃあダメですよ。これからが桃源郷の本番ですぜ?


 中心のオーブンキッチンへと足を向ける。

 六本の腕で器用に調理器具を操るヘカトンケイルのコック長は心得たもんで、俺がキッチンテーブルにつく頃には出来たての料理が並べられていた。


「さ、温かいうちにどうぞ!」


 アレスのテーブルに運んだのは野菜のスープに魚のオイル漬け。今朝焼いたパンを軽くあぶり直し、メインとなるのは鳥の半身焼きだ。

 俺と一緒に運んできたハーフリングの給仕娘にも驚いていたアレスだったが、テーブルの料理にも目を剥く。


「レ、レンタローさん、こんなご馳走……」


「これも料金に含まれてやす。あ、飲み物はビールで?」


「………」


 完全に言葉を失うアレス。

 しかし、腹は口ほどに物を言い。

 ぐるると鳴る腹に、俺が再度促すと、アレスは猛然と食事にとりかかった。

 その光景は見ているこっちが嬉しくなるような健啖ぶり。

 加えて、料理を口にするたび色々驚いてくれるものだから、眺める方も飽きることがない。


「パ、パンがこんなに柔らかい……!?」

「魚が美味い。美味すぎる!」

「こんな味付けの鶏肉、食べたことがない!」


 自慢じゃないがこの食堂の料理も大陸一を自負している。

 加えて―――。


 食堂のあちこちから歓声が上がる。

 食べ終えて陶酔としていたアレスもその声に顔を上げた。

 皆が視線を向ける先にあるものを見出し、アレスはぽかーんと口を開けてくれた。

 食堂の一面に設置されているのはステージ。

 その上に、一人の少女がしゃなりしゃなりと歩み出てくる。

 ベルファスト大陸でも珍しい青い髪。そして金色の瞳。

 均整のとれたスラリとした身体には薄絹を引っかけただけで、他に身に着けている装飾具は腕輪とネックレスだけ。両肩は元より両足も太ももから剥き出しだ。

 そんな彼女はその場でゆるやかに踊り始める。

 とてつもなく扇情的な恰好なのに決して下品に見えないのは、ひとえに彼女の立ち振る舞い故だろう。

 微笑を浮かべているが、媚びるでもなく超然としている。

 ただ踊ることを楽しむ少女がステージを舞う。


「どうです? なかなかの見物でしょう?」


 俺が手ずからプロデュースしたカリナは一番人気の踊り子だ。

 食事をしながら彼女を眺め、あとは満足して帰ってしまう客が出るようになったのは誤算だったが。


「レンタローさん」


 アレスが口を開いたのは、カリナのステージが終わったあとだった。

 視線を無人のステージに彷徨わせたまま、アレスの声には興奮が滲んでいる。


「あの子に、その、お相手をしてもらうことは出来ますか?」


「カリナにですか? うーん」


「カリナという名前なのですか、彼女は!」


 ここは娼館である。

 働いている下働きや料理人を除き、女は全て娼婦だと言って良い。

 もちろんカリナにも娼婦としての教育や作法はみっちりと教え込んでいるし、とうに水揚げも済んでいる。

 だが、彼女は舞台に上がるにあたって一つの条件を出してきていた。

 気に入った相手としか寝ない。

 つまり、娼婦であるにも関わらず、客の選択権を自分の手にしたのだ。

 結果として正解だったかも知れない。なにせ彼女がステージに立ち始めてからこのかた、毎晩のように指名が入っている。

 その後、彼女が誰に望んで抱かれたのか、実は俺も詳細は知らない。

 余計なトラブルを避けるために、基本的に同衾した客は非公開。客自身も口外しないのが最低条件としている。

 俺が掻い摘んでそう説明するとアレスは項垂れた。

 幾らなんでも初めて来た娼館で、そんな条件付きの人気嬢を指名するのは無謀と思ったのだろう。


「アレスさんには、ちょっと年上のこなれたひとをって考えていやしたんですがね」


「……え? ああ、はい。それじゃあお任せします……」


 そうは言うものの、どうやら未練たっぷりの様子。

 若さゆえの無謀。若いがゆえに高嶺の花に焦がれる。

 俺自身、はるか昔に味わった感情が蘇る。

 そのせいと言うわけでもないが、どうにかしてやりたいと思う。

 浴室で流した背中を思い浮かべ呟く。

 試してみるか。


「わかりました。とりあえず訊いてみましょう」


「ほ、本当ですか!?」


 アレスの顔が興奮で紅潮する。つくづく若さってのはいいもんだ。

 軽い羨望を感じながらも、一応釘をさすのは忘れない。


「ですが、無理でも恨まないでくださいよ?」






 通した待機室の隣に、こっそりと覗ける隠し小部屋がある。

 そこでカリナは指名してくれた客を品定めするわけだが、アレスを見た彼女は即座にこう言った。


「いい方ですね」


元々の性格からか、口調は柔らかく擦れた言葉は使わない。物腰もおっとりとしている。

 雇い主に条件を突きつけてそれを通すあたり、芯はしたたかなのかも知れないが、俺は久しぶりにカリナの年相応の顔を見た気がした。


「おまえが初見でそういうたあ、珍しいじゃねえか」


 答えつつ、俺はみごとアレスの望みに応えられたことも確信している。


「とても強くて、それでいて不安そうな瞳をしている…」

 

 そういうカリナの金色の瞳も潤むように輝いていて、おやおやと俺は内心で驚く。

 本人は気づいていないだろうが、その声も表情もまさに乙女だ。


 小部屋に一人残された俺は、待機室の様子を見守る。

 落ち着かず椅子の上でまんじりとしなかったアレスは、カリナが入ってきた途端、発条バネ仕掛けの人形のように立ち上がった。

 そのまま棒立ちで言葉もなく硬直する姿は、まるで彫像だ。

 そんな滑稽とも思える様子に笑うでもなく、カリナはアレスに近づくと軽く膝を折り頭を下げる。


「初めまして旦那さま。カリナと申します。今宵は、ぜひわたくしにお情けを」


「こ、こちらこそ! 僕はアレスと言います。よろしくお願いしますっ!」


 アレスの声が裏返る。

 今度こそカリナは少女のように笑う。

 コロコロと笑いながらアレスの腕を取ると、自室へと向かうべく奥の通路へ誘う。

 見送った俺には、不思議なことにその後ろ姿はまるで初々しい恋人同士に見えた。


 ……女は男に磨かれてより美しくなる。

 男は女に磨かれてより強く逞しくなる。


 俺の持論だ。

 そんな風に男と女を引き合わせることが出来たなら冥利に尽きる。

 こんな商売でも何か良いことが生まれなきゃ、世の中少しばかり寂しすぎるぜ。

 

 若い二人を見届け食堂へ戻ると、そっと黒い服の人物が寄り添ってきた。


「どうしたサイベー?」


 まったく気配を感じさせず娼館の中を闊歩するこの野郎は、借金のカタにタダ働きさせている冒険者崩れだ。


「あたしの名前はサイベージですよ、省かないでくださいな」


 痩身のくせに図太そうな顔つきが歪む。


「文句があるならさっさと借金を返して出ていっちまえ」


「そんなこと無理だから旦那にお仕えしてるんでしょ、まったく」


「いいからとっとと用件を言え」


「……実は、さっきの新顔のお客なんですが」


やおらサイベージは声を潜めて、


「さきほど鎧や得物を整備させて頂いたんですが、ちょいとトンでもないことになるやもですよ」


「そんなのは知らねえし関係もねえ話よ」


 俺は一言で切って捨てる。


「いや、ですがね」


「くどい!!」


 俺の大音声にサイベージは言葉を失う。


「いいか、ここに来られた方はお客だ。それ以上でもそれ以下でもねえ!

 よしんば貴族さまや王さまがこられたって、俺ァ平等に扱う。

 お客さんにはな、たった一晩でも浮世のしがらみを全て忘れて極楽を味わってもらうんだ。

 当世の事情や揉め事は一切無用! それを当の俺らが詮索して持ち込むなんて言語道断!

 ここに来て下さるお客、いやさここで働いている皆の仁義に反するってもんだぜ!!」


 食堂のあちこちから拍手が上がった。

 なお俺が睨みつけていると、サイベージは膝を揃えてその場に座り床に額をこすりつけた。


「すみません! あたしが不調法でした!」


「わかりゃあいいンだよ」


 思わぬ啖呵を切ってしまって今更ながら気恥ずかしくなった。

 俺はサイベージの肩を持って立ち上がらせると耳打ち。


「それよか一杯付き合えや」


「それはもちろん」


 さきほどのしおらしい態度もどこへやら、揉み手をせんばかりのサイベージ。

 この調子の良さが、不機嫌な客を宥めたり待合の間を持たせたりするときに重宝がられているのは否めない。


「にしても旦那、機嫌がよさそうですね」


「なあに」


 ハーフリング娘からジョッキを受け取りつつ、俺はニヤリと笑う。


「この仕事に対する誇りが一つ積み重なったのさ」








「……ほう」


 翌朝。

 身支度を整えたアレスを見た俺は感嘆を漏らさずにはいられない。

 先日の脆弱さは一掃され、静かな自信に満ち溢れている。

 正直見違えた。

 文字通り男になったか。


「レンタローさん。心より感謝します。あなたに紹介してもらったおかげで無事……」


「いえ、こちらこそご利用ありがとうございます」


「これでもう思い残すことは……いや」


 深刻そうに眉根を寄せた顔を一瞬で晴れやかな表情に切り替え、アレスは首を巡らせた。


「……出来れば、もう一度カリナさんの姿を見たいのですが」


「真昼間の嬢の見送りはご法度ですんで。勘弁して下さい」


「そうですか。

 昨夜の彼女は本当に、本当に美しかった。この陽の光の中で見ればなおのこと……。いえ、詮無きことですね、すみません」


 俺は慇懃に頭を下げ、硬貨の入った皮袋を差し出す。

 アレスは訝しげな顔になる。


「……これはひょっとして御釣りということですか? でも、昨晩あれだけの歓待を受けて…」


「明朗会計が当店のモットーでして」


 アレスは笑った。もはや少年さの欠片もない男の顔で言う。


「ならば預かってもらっておいていいですか? 僕はこれから旅に出ます。いつ戻れる旅かも知れませんが、いずれ戻ってきますので、その時にはまた」


「わかりました。そういうことでしたら、確かにお預かりいたしやす」


「それでは」


 アレスは踵を返す。

 俺が頭を下げる先で、二、三歩進んでから振り返るとアレスは叫ぶように言った。


「いえ、必ず戻ってきます。必ず戻ってくると約束します!!」


 俺はさらに深々と頭を下げた。


「へい。またのご利用を心よりお待ちしておりやす」











 半年ほど後の話になる。


「旦那、旦那ったら、これを見て下さいな!」


 サイベージが血相を変えて走ってきた。

 手には瓦版と新聞の中間のような情報誌が握られていた。

 この世界の印刷技術は今まさに過渡期にある。


「なんだ、騒がしいな」


「いいからこれを読んで下さい!」


「えーと、なになに? ……勇者に魔王が討たれたァ!?」


 俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。

 三か月ほど前に最果ての大地に突如出現した魔王。

 北国のリングリアも侵攻を受け絶大な被害を受けたという。

 

 遥か北の地の出来事ということで内陸の方はいまだ実感は乏しい。

 だがいずれ流通や経済に深刻な影響が出るだろうと、俺は一人頭を抱えていた。

 侵攻が続くようであれば、国を挙げて迎撃しなければならなくなる。

 長期戦になれば娼婦の従軍も要請されるかも知れない。

 国の要請を厭うわけではないが、彼女らを無駄な危険に晒すのだけは絶対に避けたかった。

 

 そんなことを考えていた矢先、これは確かに朗報だと言える。


「良かったなあ、おい。まさに勇者さまさまだぜ」


「違います違います! 勇者の名前、名前!」


「勇者の名前ェ?」


 俺はじっくりと誌面へ顔を落とす。

 こちらの文字にも慣れたつもりだが、気合を入れないと読み取れない単語も多い。


「えーと、勇者……アレス!?」


 っていうと、あの街の入口で臆病風に吹かれていたあの少年が勇者だった…!?


「間違いないですよ。預かった鎧も剣も、古代魔法の刻印やら加護やらてんこ盛りでしたからね」


「おい、なんでそのことを報告しなかったんだ!?」


「旦那が耳を貸さなかったんでしょ?」


 そう返されてしまえばぐうの音も出ない。


「それよか、この記事のことはカリナには知らせるなよ」


「ああ、それなら無駄ですよ、きっと」


「……なんでだ?」


「だってこの情報誌、カリナちゃんからもらったんですもの」


「ってことは……」



 あの晩、一夜を共にしたとき、アレスとカリナはそれぞれの身の上を語り合ったのだろうか。

 それともそれとなく看取したのか?


 どちらにしろカリナがアレスの素性や身の上を知ったことは間違いない。

 その上で彼の身を案じ続けていたのだ。

 アレスが旅立った朝に、こっそり物蔭からカリナが見送っていたことにようやく合点が行く。

 

 そこまで考えが至った時点で情報誌を放り投げて走り出す。

 行先はカリナの部屋。


 咲き誇る美しい花。

 それが一瞬で折れ朽ちることがあることを俺は知っている。

 まさかと思うが、しかし……。


「カリナ、大丈夫か!?」


「なんですか?」


 普段と変わらぬおっとりとした物腰が俺を出迎えた。


「ノックもせずに入ってくるのはいくら支配人でもちょっと……」


「あ、それはその、すまん」


 しどろもどろになる俺に、カリナは微笑む。


「今、お茶を淹れてますから……」


「アレスの件は、残念だった」


 ガチャン! と茶器が悲鳴を上げた。

 カリナの内心はおそらく俺の予想通りだろう。

 直截的すぎる俺の指摘の元は、さきほどの誌面の続きになる。



『魔王と相撃ちになった勇者の消息は知れず』



「……あの人は、この世の全てを背負うような覚悟を決めていたんですね」


「そうだったな」


 今なら心の底から同意が出来る。

 風呂場で見たあの背中。まだ少年とも呼べる年頃の彼は、文字通り世界を救うための使命を帯びていたのだ。


「でも、必ず帰ってくるって。もう一度、わたしを抱きたいって……」


 語尾に涙が混じっていく。

 

 全てを知って受け入れ、送り出したカリナ。

 全てを吐露し、その上で使命を全うするために発ったアレス。


 客観的に見れば、たった一夜の逢瀬。娼館では有り触れた出会いと別れ。

 しかし、刹那の夢物語が確かな絆に昇華することは皆無ではない。

 ひょっとしたら俺の配慮は世界を救うことに貢献したのかも知れない。

 

 同時に、若い二人に切ない別離をもたらしたと考えれば心が痛む。

 だが、決して後悔しようとは思わなかった。

 

 人にとって、誰かに信じられるということはとてつもない力の源になる。

 例え万人を敵に回したとしても、たった一人のために戦えることもあるのだ。

 

 だが、そのことをカリナに伝えるには、俺の言葉ではきっと足りない。

 それでも何か声をかけなければ―――。


「旦那! カリナちゃん!」


 その時、サイベージが駆け込んできた。


「なんだ、騒々しい」


 俺は露骨にヘソと口を曲げたが、サイベージは口角に泡を吹いて叫んでいる。


「いいから二人とも、外! 外!」


 弾かれたようにカリナは顔を上げた。そのままスカートの裾を持って走り出す。

 半瞬遅れて俺もそのあとを追う。

 走りにくい格好のはずなのに、カリナの後ろ姿に追いつけない。

 

 階段を駆け下り、食堂を走り抜け、湯屋の暖簾を跳ね上げた。

 そこにあったのは、俺が心から望んだ光景だった。


 ボロボロの鎧は用をなさず、もはや身体から滑り落ちそうだ。

 腰に差した剣は輝きを失っている。

 それでもなお、以前に見た少年の面影は断ちがたく、アレスがそこに立っていた。

 いや、そんな表現は適切ではないだろう。

 彼は勇者だ。

 紛れもない男の中の男、勇者アレスだ。


 頭の血まみれの包帯も痛々しいその顔が不意に歪んだのは、決して痛みのせいでないはずだ。

 なぜならその首っ玉にカリナががっちりと抱きつき、おいおいと泣き声を上げているのだから。

 そうすると、すっかり男になったと思った顔立ちが急に少年ぽく見えてきてた。

 

 既視感に俺は襲われる。

 街の入口で戸惑っていた少年の顔が瞼に浮かぶ。

 その幻視を破るように、渋い声音でアレスは俺に語りかけてきた。


「レンタローさん。約束を守りに来ましたよ」


 俺は答える。


「へい。あっし以下従業員一同、再びのご来店、心よりお待ち申し上げておりやした!」

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