第13話 娼館の親仁が処刑に至るまでの話

 結局俺は、牢へと逆戻りとなった。

 しかも、首枷に腕枷を鎖で繋がれて、待遇は悪化している。

 圧し折られた手首はぞんざいに添え木で固定されているだけで、回復魔法や治療なんざしてもらえるわけもなく。


「…ヒュドラの毒ってマジかよ」


 手首の激痛に顔をしかめながら、俺はコーウェンの野郎の台詞を吟味する。

 ヒュドラって怪物は多頭の蛇で、一つ潰してもたちまち回復するという生命力を持つ。

 ぶち殺すには一気に全ての頭を叩き潰すしかないって厄介なやつなのだが、転じてヒュドラ自体が毒を持っているわけじゃない。


 かつて、もっと魔法が全盛だった古代。それこそ、肉片の一つから人間を再生できたとかって伝説は、はっきりいって眉唾だ。

 それでも、回復魔法を使う凄腕の魔術師たちが闊歩した時代において、そんな連中を殺すために暗殺教団が作り出した猛毒。別名『魔術師殺し』。

 触れただけで冒される毒は四肢を落とすしか助かる術はない。全身に回ったが最後、回復魔法や治療が追っつかず、それでいて対象をじわじわと死に至らしめる。それくらい厄介だとの意味を込めて、【ヒュドラ】という冠詞が付けられてると聞いたことがあった。


「そいつを俺に飲ませるたあ…」


 コーウェンとは初対面だ。そんな恨みを買った理由は―――あるか。

 あの野郎の言を信じるなら、蝗害はあいつの仕業ってこった。

 どんな手管であんな化け物どもを生み出したのかは知らねえが、目的はなんだ?

 それと、落人の話も気にかかる。

 この世界へと落ちてきた人間は、一つの何かを失い一つの力を得る。

 本当かどうか話半分にしても、俺の持つ力を鑑みれば、あながち嘘とは思えない。


 つまるところ、おそらくコーウェンに手駒に、俺みたいな転移者がいるんじゃないか?

 そいつから落人の件を聞いたのか、それともコーウェンが推察したのかは分からない。

 だが、少なくとも、あっちの落人も、俺みたいな力を持っているはずだ。

 蝗みたいな化け物を操る能力ってことなんだろうか…。


 考えることはいくらでもある。

 だが、その実、俺に出来ることは何もない。

 込み上げてくるのは不安だけ。それを痛みと思考で散らし、呻くことしか出来ない。 


 がちゃ、と音がして、牢の隙間から木の器が差し入れられた。

 何やら薄い汁の中に、カチカチの黒パンが入っている。


 どうやら俺を飢え死にさせるつもりはないようだ。

 っても、この格好じゃ自力で喰うのは難しいんだが。手首も痛いし。

 結局、湿った石の床に膝をつき、俺は犬のように食事を貪る。




 ―――三日くらい過ぎたろうか。

 手首の痛みはだいぶマシになっていたが、手枷鎖付きじゃあロクに身繕いも出来やしない。髭もだいぶ伸びていて、身体のあちこちが痒い。便所もほとんど垂れ流しで、元から臭い牢の中にいるが、俺も相当の悪臭を放っているところだろう。

 つい一週間前あたりまで入っていた風呂が無性に恋しくて仕方ない。


「気分はどうだね?」


「これはこれは伯爵閣下サマ。こんな汚い場所へ何の御用で?」


 松明を翳してコーウェンがやってきた。

 ほぼ毎日、やつが来れない時は代理なのかあの騎士アシュレイといったか? が俺の牢を見に来ている。


「まだ憎まれ口を叩く余裕があるとは…」


 苦笑と呼ぶには、コーウェンの浮かべた笑みは邪悪にすぎる。

 もっとも、こっちはこっちで睨み返す程度の余裕が出て来ていた。

 どうにか手が動かせそうってのが俺の希望の一つ。もちろん自分の能力で全てが片付くなんて思ってはいない。

 そしてもう一つの希望は―――。


「ひょっとして君は、ヒュドラの毒を本当は飲まされていないと思っているのではないか?」


「………」


 俺は冷笑で答える。

 コーウェンの野郎が俺の内心を読み取ったのは不快だったが、言っていることはまさにその通りってやつだ。

 飲まされたのは三日も前だぜ? 遅効性にしてもほどがあるだろう?

 ってことは、このクソ伯爵サマは、俺が毒を飲まされたという嘘を信じこんで煩悶する様子を眺めて楽しむつもりだったってことだ。

 ならば、毎日臭い牢へ様子を見にくる説明にもなる。っていうか、拷問よりもっと悪趣味ってやつだぜ、これは。


「はははははッ」


 悪臭の漂う牢の前でコーウェンは笑う。

 気の触れたような態度に、背後に控える石頭も引いているのが分かる。


「なるほどなるほど。ならば、よっくと自分の手足を見てみたまえ」


「あん?」


 首を捻る俺に、差配された石頭が、松明の光を掲げてくる。

 手も足も、汚れで真っ黒だ。こんなの、今更眺めるだけ、てめえでてめえの汚さに呆れるだけ…!?


「黒い蔦が絡みつくような紋様が、うっすらと浮かんでいるだろう?」


 コーウェンの指摘通り、俺の両手足には見たこともない紋様が浮かんでいた。

 なんか刺青みたいだな。

 そんな風に思う俺に、コーウェンの嬉しそうな声が突き刺さる。


「それがヒュドラの毒が回っている証だよ」


「てめえ、何を―――」


 ―――ハッタリをかましやがって! と怒鳴り返そうとしたが、こみ上げてくる何かが俺の台詞を中断させる。


 …なんだ? この牢へ入ってから吐くほどのものは食っちゃいねえぞ?


 疑問はそのままに、俺の口から溢れてくるものを止められない。

 すぐ隣の石畳の上に塊を吐き出す。

 松明の炎に照らされた赤黒い塊は―――血だ。


「飲ませる量の調整には気をつかったよ。すぐに死なせてしまっては詰まらんからな」


 悪魔のような声を振り仰いだ俺は、つくづく無防備な顔をしてしまったと思う。


「そうだ。その顔が見たかったのだ」


 コーウェンの哄笑。

 後を引く笑い声に、松明を持った石頭が続いた。


 牢へ至る厚い扉が閉ざされ、一瞬視界が真っ黒に染まる。

 明り取りの窓から辛うじて入ってきた月の光に、薄ぼんやりと牢内の輪郭が浮かび上がる。

 俺はまた軽く咳込んだ。

 飛び散った飛沫は、その薄闇の中でも更に黒かった。





 ―――本音を言えば、期待していた。

 もしかしたら誰かが助けに来てくれるかも知れないことを。

 てめえの力でどうにか窮地を脱することが出来るかも知れないこと。


 実際に、今まではどうにかそうなっていた。

 今回もそうなるんだと、最後の最後まで希望はきっと捨てきれない。


 だが、俺の飲んだ毒は、いかなる魔法も治療も受け付けないとされるヒュドラの毒。

 仮に助け出されたとしても俺が助かることはないのだろう。


 だから年貢の納め時。

 つまりは、ってやつだ。





 相変わらずコーウェンの野郎は毎日来た。

 やつが来れない時は、例の騎士が俺の様子を見て冷笑を浮かべては帰っていく。


「今日も元気かね?」


 趣味の悪い軽口に、俺は湿った石壁に背中を預けてそっぽを向いたまま。


「んん? 食事も摂っていないそうだが。具合が悪いのかね?」


 ニヤニヤした顔を横目で眺め、片頬だけで笑って見せる。

 やつの足元には、手付かずの食事が入った木の器。


 …別に、軽口を叩けないほど弱っているわけじゃあない。

 だが、確実に俺の命の砂が流れ落ちていく感覚がある。

 こんなサディスト伯爵の相手をして、余計なエネルギーを消費したくないのが本音だ。


「…ふん。つまらん。が、その強がりもいつまで持つものかな?」


 言いおいて、伯爵は去る。お付きの松明持ちも一緒にいなくなれば、あとに残るのは暗闇だけ。

 最初はこんな暗闇の中で気が狂うかと思ったが、人間ってのは案外頑丈なもんだ。

 相変わらず手首はジクジク痛む。

 無理やり寝付いても、毒のせいか、手足に針を刺すような痛みを感じて飛び起きたり、内臓がひっくり返りそうな気持ち悪さに嘔吐を繰り返して跳ね起きている。


 そんな痛みと詰みな状態の中で、俺の頭の中を巡るのは過去の記憶。

 断っておくが、走馬灯ってわけじゃないぜ?


 こっちの世界へ来てからの冒険者稼業。

 相手どった怪物たちと、命からがら踏破したダンジョン。

 幾人もの出会いと別れ。喧嘩別れどころか、半ば殺し合いの痛み分けみたいな恰好になったこともある。


 俺を殺そうとした野郎。俺を気に入ったと取り入ろうとした野郎。

 俺に優しかった女。俺に抱かれたがった女。


 死んだ男。死んだ女。死んだ娘。


 そうだ、娼館の連中は元気かな。

 ちくしょう、水揚げ前のあいつは、まだロクにパンも食べられないままで…。


 ぼんやりとした思考がとめどなく浮かんでは流れていく。

 目前の大きな川に、幾つもの思い出が小舟にのって流れていく。

 


 ああ、やっぱりこれは走馬灯ってやつか?

 そのまま、俺もどこかへ流されていくのか。


 不意に空気が動き、頭の中のぼんやりとしたものが形になる。

 松明らしき炎の燃える音。その揺らめきが近づいてくる気配に、俺のとろけそうになっていた思考が輪郭を取り戻す。


 …コーウェンの野郎、戻ってきやがったのか…?


 炎の光に目を細める俺。

 牢の前に立っていたのは、初日に俺を尋問した、例の石頭だった。


「…こっちへ来い」


 石頭が言う。

 っていわれても、素直に従うほと俺もバカじゃない。

 コーウェンが、どこかでこちらの様子を伺っている可能性があるからだ。


「閣下なら、いない。いるのはおれだけだ」


「………」


 それでも俺が警戒していると、石頭は牢の前にどっかと腰を下ろす。

 松明を鉄格子に立てかけるようにして、替わりに持ったのは手付かずの飯の入った器だ。


「こい。食わせてやろう」


 …俺の人を見る目は、こんたびめでたく節穴と証明されたわけだが、目前の石頭の顔つきを見て、もう一度信じてみるかと考える。

 こっちを見てくる落ち窪んだ瞳は、悲し気で、明らかな憐憫の色が浮かんでいた。

 これが演技ってんなら、俺は目を抉って捨てても構わない。

 ずりずりと湿った石床のうえをいざって、格子の前に近づく。


「ほら」


 差し出されたスプーン。

 薄い汁で、硬いパンは十分にふやけていて柔らかい。

 味ははっきりいって不味いが、俺は目前の見るからに謹厳実直そうな男の誠実さを飲み込んでいる。


「…すいやせんねえ。旦那の手を煩わせて」


 自分でも驚くほどカサカサの声が出た。まあ、しばらく誰とも口をきいてなかったからな。当たり前か。

 石頭は無言でもう一匙を差し出してくる。

 それを口に含めば、今の俺の腹にはもう入らない。

 ゆっくりと首を左右に振って見せると、石頭は器を置いて溜息をつく。


「…このたびの閣下の貴様に対するなさりよう。おれはあまり気分が良いものではない」


 まあ、傍目にも悪趣味かつ私怨たっぷりって感じだからな。事情を知らない下っ端役人にとっちゃあ気味が悪く見えるのは当然か。


「あの方は、怜悧な方だ。公正で有能だ。だが、先代の領主様に比べると、どうにも腹の底が見えない。情深そうで、その実は誰も信用なさっていないというか…」


 俺が興味深げな表情をしていたからかも知れない。ゴホンと、石頭は咳払いを一つ。


「今のは単なる独り言だからな」


「わかりやした。あっしは何も聞いていません」


 俺は笑う。

 久々の会話に、胸のモヤモヤしたものが急速に晴れていくのを感じる。


「ですが、さきほど飯を食わせて頂いた恩とお情け、俺は生涯忘れやせんぜ」


 紛れもない本音なのだが、自虐が過ぎると内心では苦笑している。

 しかし、目前の石頭は笑ってくれた。俺の命は風前の灯なのはコーウェンの野郎との会話を聞いて知っているはずなのに。

 この気遣いからして、実直で有情な御仁に違いない。


「嘘じゃありやせんぜ。証拠といっちゃあなんですが、旦那、ヒエロの街へ行ったことはありやすか?」


「いや。生憎と国元から出たことはない」


「そいつは残念ってやつです。一度、ちょいと足を延ばしておくんなさい。そんで、その街で俺の名前を出せば、この世ならぬ歓待を受けることを約束しますよ」


 ふと、俺が牢屋でおッ死んだあと、この石頭がマリエに俺の最後を伝えてくれる光景が脳裏に浮かぶ。


「む…」


 すると、石頭は一瞬言い淀んで、


「…恥ずかしながら、おれは色街に行ったことすらないのだ」


 遠慮なく俺は目を丸くする。


「そいつァ色街童貞ってやつですね。ようござんす。その時は、この俺、オズマレンタローが、ぞんぶんにご案内しますよ」


 大きな苦笑を浮かべながら石頭は立ち上がっていた。

 色街童貞の真偽はともかく、俺を慰めてくれたらしい言動が何より身に染みる。

 俺に枷がついていなきゃ、しっかりと握手を交わしたい男だ。


「ああ。その時はよろしく頼むぞ」


 言いおいて、松明を持った石頭は去る。

 戻ってきた闇の中で、そういえば名前を聞いていなかったことを思い出す。


 …いや、詮索するだけ野暮っていうよりは、俺は知らない方がいいか。むしろ、さっきの会話も何もなかったもんだと思おう。


 そんでも、あの男の会話は、弱り切っていた俺の心に少しだけ活力をくれたらしい。

 おかげで、とんでもないことを忘れていたことを思い出す。

 っても、このままじゃあ手が使えねえし、どうしたもんか。


 薄闇の中で思案することしばし、俺は石壁に額を打ち付けた。

 ガン、ガン、という音を繰り返していると、音に湿り気が混じり始める。

 この頃になると、なんの音だ? と牢番が入ってきた。もちろん石頭とは違う牢番は、壁に割れた額をじっとこすり付ける俺を見て、結局何も言わずに戻っていた。

 きっと気が触れたのだと思ったのだろう。

 俺は俺で、だいぶ長いあいだ額を壁に押し付けたままだ。

 傍目には、おかしくなったとしか思えない格好だわな。


「そろそろか…」


 呟いて、勢いよく額を剥がす。

 びりっ! という音とともに、乾いた血と一緒に前髪の何本かが抜けている。

 おーおー、俺の髪もだいぶ薄く細くなったもんだ。白髪も結構増えている。

 しかし、目当てのやつが見つからない。同じことを何回も繰り返すのは流石に骨だぜ―――と思っていたら、見つけた。


 差し込んでくる僅かな光の中でも、はっきりと緑色に輝く一本の髪。

 これは俺の自毛ではない。とあるやつから埋め込んでもらった、いわば魔法の髪の毛だ。

 それ自体にあらかじめ魔法が込められておいて、キーワードとなる呪文を唱えれば、素養のない俺でも一応の行使は出来る。

 薄暗い中で、蛍のように儚い光を放つそれを前に、必死で記憶をたどる俺。


「確か…レセ・ウーヴ・ハルレセシオン・セグ…いや、レグ?」


 するとどうだ。緑色の髪の毛は、たちまち一羽の小さな小鳥へと転じた。

 そのまま手の中で囲っちまいたい欲求を飲み込み、俺はそっと促す。


「行け」


 その言葉の意味が伝わったかは分からない。それでも羽ばたいた鳥は、明り取りの窓の細い格子の隙間を魔法のようにすり抜けて、飛び去って行く。

 って、魔法だったな、コイツは。


 俺の一応の女房との約束だ。

 妖精エルフ族と違って只人である俺は、当然寿命が違う。

 離れて暮らしていることもあるが、いつ何時、こっちが死ぬか分からない。

 そこで、俺が死を悟った時、最後の力を振り絞って伝えるために、彼女が俺に施した魔法。

 まあ、当然だよな。エルフってのは本来めちゃくちゃ執念深い種族だ。

 俺がひっそりと音信不通の行方不明にでもなったら、それこそ大陸中をひっくり返す勢いで探しまくるだろう。

 多少自惚れていいのなら、俺はあいつにそんな真似はさせたくなかった。こんな宿六にそこまで執着して、寿命がいくら長いたって、無駄にすることもねえだろう?

 直接助けを求めるのも考えなくもなかったが、さすがにあんな毒を盛られちまった以上、西の大国に喧嘩を売らせるような真似をさせるのは全く俺の本意じゃない。


「そういや、あいつに教えてもらった初めての妖精語だったよな…」


 記憶を辿り、自然と髭塗れの頬が綻ぶのを感じる。


「確か、翼となって風の元へ帰るレセ・ウーヴ・ハルレセシオン・レグだったかな?」


 一見物静かに見えて、偉く詩的で情熱的だったエルフの娘。もっとも、アイツは変わり種だったかも知れないけどよ。

 ともあれ、これで義理と約束は果たした。憂いはない。


 この世界で得たものが次々と頭に浮かんでくる。

 苦労もしたけど、ずいぶん楽しませてもらった。

 たくさんのものを失ったけどよ、それ以上のものも残せたと思う。

 気がかりの娼館だってきっと娘が上手く差配してくれるだろう。


 ―――なんだよ、俺が死んでも、残った連中のことは何も心配することねえじゃねえか。

 となれば、俺の人生も悪くないってもんじゃないか?


 はっきりいって死は怖い。

 けれど、死んだら元の世界へと戻れるかも知れない。

 もしくは、別の世界で目を覚ますことになるかもな。


 黒く静かな絶望が迫りくる中で、胸に灯した暖かな想い。

 抱えながら、俺は満足した風に目を閉じる。

 それから、誰ともなしに呟いてみた。


「けっ。ざまあ見やがれ」








 人の気配を感じて顔を上げると、鉄格子越しにアシュレイとかいう騎士がこちらを覗き込んでいる。


「ふん。まだくたばっていなかったか」


 冗談っぽい口調のくせに、表情は仏頂面のままだ。

 返答代わりに、俺はゴホッとしわぶく。

 真っ黒な服に、更に黒く濡れた粒が飛び散っている。

 もう見慣れた光景だ。

 そして、ここしばらくはじっとしているだけでも、腹の奥がキリキリと痛む。

 そんな俺を見て、アシュレイは冷笑する。


「良い知らせだ。貴様の処刑が決まった。慈悲深い閣下に感謝するんだな」


「へッ…」


 毒で苦しむなら、いっそひと思いにってか? 毒を盛った当人が良く言えたもんだぜ。

 しかし、なんでそんな方針転換なんぞを?


「どうして今さら俺を処刑しようってんだ…」


 喋るだけで呼吸が乱れる。喉の奥がチリチリといがらっぽくて仕方ない。

 だいぶ毒が回っている俺は、半死半生の体たらくだ。

 それを楽にしてやろうってのが慈悲ってんなら、端から毒なんぞ盛るんじゃねえよ。

 俺は精一杯睨みつけるも、アシュレイの氷のような表情は動かない。


「冥土の土産に教えてくれてもいいじゃねえか…」


 そう言い返すと、やつは訝し気に眉根を寄せる。


「…先ほども言っただろう。閣下の格別の慈悲だと」


 言いおいて、マントを翻して行ってしまう。


「だからよ、慈悲があるってんならあとになって処刑するなって。いまここでバッサリやってくれ…」


 ぼそぼそと、俺は独り言のように呟いたわけだが、きっとヤツには聞こえてはいなかっただろう。



 薄い粥のような眠りを貪り、全身を苛む痛みに目を覚ます。

 暗く汚い部屋で、嗅覚なんぞとっくに麻痺している。

 全身を覆うのは垢か血糊か区別がつかないが、もう不潔だ痒いだなんだと気にすらならない。いや、そんな当たり前のことを感じる余裕すらないといった方が正解か。


「…出ろ」


 例の石頭が牢の鍵を開ける。

 そのまま立ち上がろうとして、足に力が入らない。

 両手の枷はそのままなので危うく転倒しかけたところえお、石頭がすかさず支えてくれた。

 こっちの薄汚い臭え格好にも関わらず、気の毒だと思う。

 石頭に加え、もう一人の牢屋番らしい兵士と一緒に左右から支えられて歩かされる。

 もっとも、もう一人の方は露骨に嫌そうな顔をしていたけどな。


「被るんだ」


 そう言って、石頭が布袋を俺の頭にかぶせてくる。

 どうにか息は出来るが、何も見えない。


 そのまま支えられて、だいぶ歩かせられた。

 手足に触れる風が、久しぶりに外に出たことを教えてくれた。

 同時に、ざわざわと多くの人が動く気配を感じた。

 今の俺にとっては、どちらも胸が焦がれるほど懐かしい。

 ようやく社会というものに戻ってこられたような気がする。


 支えられて、今度はやや急な階段を上らせられた。

「取れ」との声は、もはや聞き馴染んだコーウェンの野郎の命令だ。


 布袋を取られる。

 まず視界は真っ白に漂白された。

 続いて、吹き抜ける柔らかな風を顔全体に感じる。

 ゆっくり目を閉じたり開いたりしていると、徐々に視界が輪郭を取り戻す。

 それとほぼ同時に、耳がキーンとなるほどの人の騒めきに面食らった。


「…ここは」


 ひび割れた声を出し周囲を見回せば、小さな舞台みたいな設えの上に俺はいた。

 舞台は、槍を構えた兵士たちに囲まれている。

 その穂先の向こうに、舞台を遠巻きにする人々の群れが見える。


 人々は、それぞれが俺の方へ向けて声を張り上げている。

 「殺せっ!」「早く殺せーッ!」との罵声に、俺はようやく処刑台の前に引っ張り出されたことを知った。


 背後から、頭から全身にかけてすっぽりと黒い服を着た男が二人出てくる。

 そいつらは、それぞれが俺の肩を掴むと、その場に跪かせた。

 俺は罪人で、後ろの二人は処刑人ってことか。


 結構な高さの処刑台から、こちらに向けて拳を振り上げる男たち。

 汚いものを見るような目で眺めている女衆。

 興味津々の瞳を輝かせ、しかし母親らしき女性から見ないように顔を反らされる子供たち。

 処刑台なんかそっちののけで酒を呷り、串焼きなんぞを頬張る連中もいて、屋台がいくつも出ている様子は、まるで祭りだ。


 元の世界でも、娯楽の少ない中世時代、公開処刑ってのは最高のエンターティメントだったとか聞いたことがある。

 文化レベルが同じくらいの、こっちの世界もきっとそうなのだろう。


 そこで、初めて俺はカナルタインという街を見たような気がする。

 巨大な城壁に囲まれた、辺境最大の都市。

 その中心の広場は、何千もの露店がひしめき合って大層な賑わいだとか。

 今は処刑台が設置されているせいか、露店の替わりに群衆が詰めかけていた。

 カナルタイン広場の名物と言われている【四つ子の大噴水】の中にまで入り込み、濡れるのも構わず見物に励んでいる。


「この光景が俺のこの世の見納めかよ…」


 ふっと口元が緩む。

 地下で誰にも看取られることなく野垂れ死にするよりは、幾らかマシかも知れないな。


 そのまま人の目に晒されることしばし。

 ふと気配を感じて顔を上げれば、えらく着飾ったコーウェン伯爵サマが立っていた。

 冷笑を浮かべて見下ろしてくる様を、日の光に目を細めながら眺める俺。


「…なあ。俺は何をアンタにここまで恨まれる真似をしたんだ?」


「私に危害を及ぼそうとした刺客としての罪状だ」


 傍から見りゃあそうだろうよ。俺もいきなり襲い掛かるなんて、我ながら短絡的なことをしたと思わなくもない。

 けれど、処刑するなら端からなんで毒を盛る? 即死系ではなく遅効性。しかも解毒の方法はなく、助かる望みもない猛毒だ。


「建前はそうだろうけどよ、俺をさんざか苦しめている理由にはならねえだろうよ」


「………」


「冥土の土産に教えてくれてもいいじゃねえか…」


 そういうと、コーウェンはこけた頬に笑みを浮かべた。


「そこまで哀願されては、な」


 朗らかと思える口調に反し、底冷えするような口調でコーウェンは語る。


「…一度目は手痛い教訓と妥協できた。

 だが二度目となるとさすがに私が費やした手妻と時間を看過できん。

 君とて、手塩にかけた娼婦を店に並べるまえに台無しにされたらどう思うね?」


 そりゃ、相手をぶっ殺すわな。

 心の中で呟き、俺はコーウェンの説明を吟味する。


 するってえと、あの蝗の化け物みたいなのをこしらえるのに、20年かかったってことか? どんだけの労力を払ったかは知らねえが、ご破算相成りましてご苦労さん、ざまあみろってんだ。


「なるほどな。だったら、次も20年後か? それまでてめえがくたばっていることをお祈りしているよ…」


 俺の精一杯の毒舌に、コーウェンが僅かながら鼻白んだ気配。

 年齢は、俺より10以上は喰っているだろ? いくら回復魔法があったって、病気まで治せるわけじゃない。医療技術の発達していないこの世界で、俺の台詞はどうやら一矢報えたようだ。


「…この程度で、私の気がすんだと思われても困るな」


 コーウェンが言う。


「そこで提案だ。これから君の罪状を読み上げるわけだが、全てを素直に認めたまえ。そうすれば、命だけは助けてやるぞ?」


 目配せされた先。

 舞台の下は空洞になっているらしく、周囲の観客にとっては死角。そのスペースに俺と同様に薄汚れた格好の男がさるぐつわをされて転がされていた。

 なるほど。首を落とすなりする際に、布袋を被せて入れ替えてからの身代わりか。


「へッ。いまさらこの死にぞこないの死期を延ばしてどうするってんだ…」


 笑ってせき込む。血飛沫が飛ぶ。

 それをかわすように身を引き、コーウェンは意味深な笑みを投げかけてくる。


「どちらがより苦しむことになるのか、良く考えるがいい」


「………」


 わっと観客の盛り上がる声。

 いよいよ処刑が始まるのか。

 そう思って身構える俺だったが、何やら空気が違う。

 民衆の騒めく視線が舞台に集まっている。

 かといって、その視線の先に俺はいない。

 だからといってこの街の領主であるコーウェンでもない。

 熱狂的な視線を引きつれて、処刑の舞台上へ姿を現した人物とは―――。


「こ、これはこれは、殿下。このような場に御成りされますとは」


 …殿下だぁ?


 コーウェンに相対する男は、コーウェンよりもっと派手で華美な格好をしていた。

 かといって機能性を欠いた服装でもない。実際に腰には剣を佩いている。

 まだ若い。しかし人品骨格卑しからずというやつで、白皙の顔は貴顕の気品がある。


「何、面白い催しがあると小耳に挟んだものでな」


「このような場所に、わざわざ御身を運ばれませんでも…」


 やや狼狽しているらしいコーウェンを、若い男はジロリと見る。


「自国の領内を行き来するに、余が何を憚る必要がある?」


「は、ははッ」


 頭を下げるコーウェン越しに、男を眺めた。

 ぼんやりとした頭で俺はようやくこの男の正体に思い当たる。


 殿下という呼称に、群衆の歓声。伯爵が平身低頭している尊大な態度。

 そんなのドライゼンの次期国王も名高い、アルディーン王子に決まっているじゃねえか。

 第三王子の出生のくせに、さきの二王子を廃嫡してのけた政治的な能力はともかく、気さくに国内を行き来する放蕩な伊達男の人気は、ドライゼンでは相当なものだと聞く。

 その才気ゆえか、現国王と不仲とされる麒麟児の噂は、遠くヒエロの街の俺だって耳にしているくらいだ。

 もちろん実物を見るのだって初めてだったが、王子の突然の来訪は、どうやらコーウェンにとっても想定外だったよう。


 そのアルディーン王子が俺を見る。

 俺は直接目線は合わせず、彼の背後に立つ人物を見ていた。

 軽装の格好の騎士が二人。

 これだけの御供を連れて歩き回るってんなら、フットワークが軽いってレベルじゃねえだろうよ。


「…病んでいるな」


 王子の呟きに、俺は顔を伏せる。


「そこな貧相な男が、これほど派手な舞台を整えるほどの大罪人か?」


「…それは、間もなく証明されましょう」


 コーウェンの恭しい返事に、王子は「ふん」と軽く鼻を鳴らす。

 踵を返し向かったのは、舞台袖に急遽設えられた貴賓のための椅子だ。


 その姿を視界の端に留め、俺は静かに項垂れる。

 王子が来賓したところで、俺にとっちゃあ何のプラスにもならない。

 もう気分的にもまな板の鯉も同然だ。

 今さらジタバタする気はねえが、やるならちゃっちゃとやってくれ。

 いい加減、考え事をするのも疲れたぜ…。


 上がる歓声。

 空気が熱気を帯びる。

 その中心に俺がいるのだろうが、どうも現実感が薄い。

 まるで他人事のように構えていると、何やら羊皮紙を持った男が近くに立つ。

 コーウェンが片手を上げると、喧噪は少しづつ収まっていく。

 それを見届けて男は声を張り上げる。


「―――こちらの男には、恐れ多くもコーウェン伯爵閣下を弑逆しようとした罪状が科せられておりますッ!」


 俺はやや茫然とした格好でこの声を聴いた。

 内心はともかく、行動自体は抗弁するつもりはない。それがこの国に法に抵触するってんなら仕方ねえ。


「同時に、罪状により―――」


 …おい、待てよ。

 マイウッド伯爵を殺したってのはどういうこった?

 俺は、そんなやつ、見たこともあったこともねえぞ?


 聞き捨てならない声に顔を上げ、コーウェンを見た。

 ひっそりとほくそ笑むコーウェンに、色々と察するところがある。


 アイツは、俺に全ての罪を認めろといった。

 認めれば命を助けてやる、と。

 つまりは取引だ。

 俺は罪業を一つ多く抱えれば、当座の命を拾える。

 じゃあ、コーウェンの野郎の得るものはなんだ…?


「汝、全ての罪を認めるか?」


 羊皮紙を賞状みたいに両手に持ったまま、男が訊ねてくる。

 その紙に、俺の身に覚えのねえ罪状も書かれているってわけか。


「もう一度、訊ねる。汝、全ての罪を認めるか?」


 俺は―――。


「俺ァ、断じて前の領主様なんざ殺しちゃいねえ…ッ!!」


 静まり返った広場の中心で、俺はガサガサの声を張り上げる。


「認めぬというのか?」


 羊皮紙を手に、男が訊ねてくる。


「確かに、そこのコーウェンってクソ伯爵をぶっ殺してやろうとは思ったさ。出来なかったけどな」


 ひび割れた唇から血が滴る。それを吐き捨てて俺は叫ぶ。


「けどよ、そこにやってもいねえ罪をおっかぶされるのだけは、絶対に了見できねえ!」


 間もなく、毒のせいで俺は死ぬだろう。

 そう覚悟を決めても、ギリギリまで生きたい欲求はねじ伏せられない。

 だが、生きるために身に覚えのない罪まで重ねられるのだけは勘弁ならなかった。

 少なくとも俺の生き方としての筋が通らない。

 嘘の罪状を認めて命を繋いで中毒死に至るまでのわずかな時間が延びたとしても、俺は確実に後悔するに決まっている。


 ここに至り、別に開きなおったわけじゃねえ。

 けれど煮え立った怒りのおかげで目に力が入った。コーウェンを睨みつける。


「―――機会はくれてやったのだがな」


 ボソッとした呟きを、俺ははっきりと聞き取ることが出来た。


「茶番も大概にしろ! むしろ、前の領主こそてめえが…ッ!」


「黙らせろ」


 俺の背後にいた処刑人が、俺の頭を舞台の上に押し付ける。もう一人が、口に布切れを巻いてさるぐつわだ。


「その男は何か言いかけたようだが…?」


「なに、殿下。座興のようなものですよ」


 アルディーン王子の問いかけに如才なく応じるコーウェン。

 もう睨みつけるしか出来ない俺に向かい、やつは抜け抜けと言い放つ。


「これより、この大罪人の処刑を執り行う」


 沸き立つ民衆。

 処刑人に引っ立てられ、俺の首が据えられたのは木製の断頭台だ。

 もちろんギロチンなんてもんはない。

 黒づくめの処刑人の一人が刃渡りの長い剣を担いでくる。

 これで俺の首を斬り落とすつもりか。


「ちくしょう…」


 さるぐつわのせいで呻くことしか出来なかった。

 こんなことなら、破れかぶれでコーウェンの野郎へ飛びかかったほうがマシな結末だったかも知れない。

 「殺せ! 殺せ!」というシュプレヒコールも聞こえなくなる。

 かわりにキーンといった耳鳴りとともに視界も遠ざかりつつあった。


 …ああ、これが死ぬ間際の光景ってうやつなのかも知れないな。

 不本意極まりないが、俺も年貢の納め時か。


 そう腹を括った俺だったが、突如視界が晴れ渡る。

 馬のいななきに、シュプレヒコールをこじ開けるような驚きとどよめき。

 その音が耳鳴りを上書きし、群衆の間をかき分けて疾走してくる馬の姿に、俺は土壇場にいることを一瞬忘れた。

 むしろ、自分は白昼夢でも見ているんじゃないかと本気で疑う。


「その執行に異議ありッ!」


 群衆の輪から飛び出し、颯爽と馬から降り立ってキッと舞台を向いて声を張り上げるその男の名は―――。



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