閑話 ある娼婦見習いの話 4


 わたしが〝しょうかん〟に来て、半年ほど経ちました。


 今日も夜明けと共に起き出して、マグダリアの花をむしって、お風呂掃除もして。

 いつもと同じ作業なのに、マリィとメリィは朝から気もそぞろです。

 もちろん、わたしもラナも。


「うん。みんな揃っているわね。帽子は被った? じゃあ、行きましょう」


 お昼過ぎ。

 サヤさんに連れられてわたしたちは街へと向かいます。

 今日はお使いの日なのです。


 こんな風にお使いで街へ出るのは、月に一回だけ。

 そしてこの街――ヒエロというそうです――は、初めてわたしが来た時も感じた通り、大変な賑わいです。

 大通りを歩くだけで数えきれないくらいたくさんのお店が並んでいて、本当にもうお祭りにきたみたいでワクワクします。


「はぐれちゃ駄目だよ? 迷子になったら支配人さんに怒られるからね?」


 行き交う人もたくさんいて、サヤさんはそういいますけれど、マリィもメリィも何かを見つけるたびに足を止めるので、後ろから背中を押すわたしも大変なのです。

 黙ってわたしのあとをついてくるラナは本当にとても可愛いです。


 サヤさんに連れられていくお使い先は、いつもだいたい決まっていて、近くのほかの〝しょうかん〟です。そこでサヤさんは、オズマさんからの言伝ことづてをするんですって。

 また少し歩いてアルペン橋の近くの薬屋さんによったあと、アルメニア教会でお祈りをします。

 それから門の前の噴水広場を通って大通りへと戻る、わたしたちのお店への帰り道。


「ふう。それじゃ少し休憩して行きましょうか」


 そう言ってサヤさんが立ちよるお店も決まっていました。


「ああ、今日も来てくれたのか!」


 わたしたちを席に案内してくれるお兄さん。テラス席なのですが、机が二つしかないので、一つはマリィとメリィで、もう一つはサヤさんにわたしとラナでいっぱいです。


「それじゃあ、いつものお願いします」


「もちろんだとも」


 サヤさんが注文すると、お兄さんは大喜びでうなずいてます。

 間もなくコップが五つ運ばれてきました。わたしたちはミルクで、サヤさんだけが何だか良い匂いのするお茶です。

 続いて運ばれてきたお皿の上には、焼き立ての薄いパンケーキの上にたっぷりと白いクリームがかけられたもの。

 ここは、初めてこの街に来たとき、最後にお父さんに連れられて食事したお店なのでした。

 

 サヤさんと初めてのお使いで一緒に来たときには、なんだか悲しくなってあまり食べられなかったわたしですが、今は普通に食べられるようになりました。

 もちろんお父さんたちのことを思い出さないわけではないんですけれど、何だか前より胸の痛みも小さくなっている気がするのです。

 

 ……ひょっとして、わたしっておかしいのかな? 

 

 ペリンダさんに相談したら、「それが普通よ」と笑っていわれました。

 「人は忘れることによって生きていける」「昔のことを引きずっても、何も良いことはないわ」とも。

 

 今のわたしに、ペリンダさんの言っていたことは難しくて良くわかりません。

 でも、出された食事を食べないのはもったいない。これだけは分かります。

 ゲンシュリオンさんが作った料理で、苦いお野菜が入っているのをマリィとメリィはよく残そうとして叱られていますけれど、とんでもないことです。

 食べるものがなくて、お腹が空いてひもじい思いをすることほどつらいことはないのですから。


 ……そういえば、オズマさんのお店に来てからひもじい思いをしたことはありません。

 わたしは売られたはずなのに、不思議なことですよね、これって。


 色々なことを考えていると、いつの間にか食べ終えていました。

 ゆっくりとサヤさんはまだ自分のパンケーキを食べています。その仕草はとてもきれいでわたしもああなりたいと思うくらいです。

 横を見ると、ほとんど手づかみで食べているラナ。これだけは何度注意しても直りません。

 汚れた手を拭ってあげて、口元も拭いて上げていると、サヤさんが立ち上がります。


「ご馳走さまでした。それじゃ、行きましょうか」


 お兄さんがわたしたちを見送りに来てくれました。


「これ、御釣り。また来てくださいね」 

 

「はい。次もよろしくお願いします」


 お金を受け取るとき、ちょっとだけお兄さんとサヤさんの手が触れました。

 二人とも少し顔が赤くなっている気がします。


 みんなでお店を出たあと。


「さっきのお兄さん、サヤさんにほれてるー!」

「ほれてるー!」


 マリィとメリィに囃し立てられ、「な…ッ」と驚いた顔をしたサヤさんですが、ニッコリと笑ってこう言いました。


「そう? じゃあ二人とも、この後の買い物はなしね」


「ええ~!!」


 悲鳴を上げるマリィとメリィ。

 このあと小間物屋さんによって、リボンや髪留めを買ってもらったり、ちょっとした干し菓子を買ってもらうんですけど、サヤさんがお財布を持っているのでダメと言われたら何も買えないんですよね。 


 ごめんなさいごめんなさいとペコペコしている二人に呆れていると、ラナの姿が見えません。

 いえ、いました。なんか勝手に通りの反対の細い路地に入って行こうとしているじゃありませんか!


「あ、ラナ、待って…!」

 

 思わず走って追いかけると、どん、と急に背中を押されました。

 通りがかりの冒険者さんの集団に弾き飛ばされたようです。

 地面に膝をついたまま振り返れば、ゾロゾロ歩く冒険者さんたちに遮られてサヤさんたちの姿が見えません。

 前を向くと、ラナの尻尾が曲がり角に消えていくのが見えます。

 

 迷っている暇はありませんでした。わたしはラナを追いかけます。

 後で思い返せば、ここで彼女を見失ったらもう二度と会えなくなるような、そんな予感があったのかも知れません。

 

 尻尾を目印に、走って追いかけます。

 十字路を二つ曲がったところで見失ってしまったのでが、


「キシャアッ!」


 これは間違いありません。ラナの声です。


「ラナ……!」


 声のした方に路地を曲がろうとして、わたしは足を止めました。

 そこは薄暗い広場で、ガラの悪そうな男の人が三人。

 皮鎧や剣を持っていて、冒険者さんのようには見えるのですが。

 お使いに出るたびに、サヤさんから絶対に近づいちゃダメ。目を合わせるのもダメ、と注意されているような、そんな人たちです。

 そして三人の前で、ふううッ! とピンと尻尾と毛を逆立てているラナの姿が。


「なんだ、このガキは?」


 こっそりと壁の後ろからのぞいていると、男の人がおっかない声を出してラナを見ています。


「ふしゃあッ!」


 一気にラナが男の人に飛びかかったのに、わたしは目を見張ります。

 キラリと光ったのはラナが伸ばした爪。

 ガキン、と男の人が剣を抜いて受け止めていました。


「獣人族のガキか、こいつは!?」


 別の男の人が叫びますが、ラナは真っすぐ目の前の男の人に向かって行きました。

 ラナは凄い身のこなしでした。地面を這うように走って、飛び上がって、クルクルと回って。

 男の人はタジタジとなり、彼女の爪を剣でふせぐので精いっぱいです。

 とてもわたしと同じ年齢とは思えない強さを見せるラナでしたが、いつの間にか別の男の人たちが二人、後ろへと回っています。


「ギャッ!?」


 危ない! とわたしが声を出す間もありません。後ろから剣の鞘のようなもので殴られ、ラナはその場へと倒れ込みます。そこに剣で防いでいた男の人も加わって、三人でラナを蹴飛ばしまくっています。


 どうしよう。どうしよう。

 サヤさんからは何かあれば悲鳴をあげなさい、と言われてましたけれど、ここからは大通りまでだいぶ距離があります。

 だからといってわたしが助けに入っても、きっといっしょに蹴飛ばされるだけで…!!


「なんなんだよ、こりゃ?」


 ようやく動かなくなったラナを見下ろし、剣を抜いたまま男の人が呟きました。


「どうする? トドメでも刺しとくか?」


 これは後ろからラナを殴った男の人。


「いや。ガキとはいえ獣人族だろ? 好事家に高く売れるかもしれん」


 最後の男の人は、大きな麻袋を取り出しながら言います。


「ちげえねえ」


 三人は笑いながらぐったりとしたラナを袋に詰め込みました。

 そうやって肩に担がれたとたんに暴れ出したラナでしたが、「うるせえ! 寝てろ!」と袋の上から殴られて、またぐったりと動かなくなっています。


 ……これって、人さらいなの?

 心臓がバクバク言っています。

 喉がカラカラになって、それでも悲鳴を上げてしまいたいのを必死でこらえていると――。


「!?」


 トントンと肩を叩かれて、心臓が止まるかと思いました。


「……ロサ、どうしたの?」


 振り返るとマリィが立っていました。

 不思議そうな顔をするマリィの唇の前にしーっと指を立てて、わたしは息を殺して薄暗い広場の方を見ます。

 三人は向う側の路地から出ていこうとするところで、どうやらマリィの声には気づかれなかったようです。

 わたしは大きく息を吐き、深呼吸をして――。


「ね、ね。ラナはどこいったの?」


 訊ねてくるマリィに、


「ラナがさらわれちゃったの! だからマリィは、はやくサヤさんと店長さんにこのことを知らせて! お願い!」


 それだけ早く口で告げて、わたしは走り出しました。

 ラナを助けなきゃ。

 そのことで頭がいっぱいです。

 

 向う側の路地へ抜けると、そこは裏通りにつながっていました。

 大通りほど人はいなくて、ガラの悪そうな人ばかり見かけるけど、大きな袋を背負った三人組の姿はまだそれほど遠くありません。

 

 見失わないように追いかけると、さらに人通りは少なくなっていきます。

 回りの建物もどんどんボロボロになっていって、まだ夕暮れでもないのにあたりが薄暗く感じられました。

 

 三人組の男たちは、ひどく見すぼらしい建物の一つに入って行きます。

 わたしも後を追って、ボロボロの建物の前へ。

 ドアはありましたけれど、その横の足元に壊れて開いたような小さな穴があります。どうにかわたしがくぐり抜けられるくらいだったので、建物の中に入ったことは気づかれなかったと思います。


 薄暗い建物の中はホコリっぽくて、すぐ手足は真っ黒になりました。髪の毛にもついてしまうようで、なんかモヤモヤします。いつも掃除の行き届いているお店とは大違いです。 

 ふと、ホコリまみれの空気が動くのを感じました。

 人の気配をたよりにおそるおそる廊下を進むと、奥の方に灯りがついたのが見えます。

 ゆっくりと静かに息をしながら灯りの方を覗き込めば、そこはちょっとした広間のようでした。

 真ん中に太い柱が一本あって、それを背にするように座ったラナが縛り付けられています。

 ラナは顔を上げて自分を取り囲む三人をにらんでいます。グルグルと怒ったときに鳴らす喉の音がここまで聞こえてきました。


「ったく、活きの良いガキだぜ。もう息を吹き返しやがった」


 そういって、男の人がラナのお腹あたりを蹴飛ばします。

 思わず悲鳴を上げそうになって口を押えていると、別の男の人が言いました。


「おい、あんまり傷つけるなよ。売りもんにならなくなるぜ?」


「なんだおまえ、知らないのか? 獣人族ってのはやたら身体が頑丈な種族でな。これくらいじゃすぐに回復するって……よッ!」


 またラナのお腹が蹴飛ばされました。

 ラナが血を吐きます。それでも顔を上げ牙を剥き、喉を鳴らすのをやめません。

 すると、それを見ていたもう一人の男の人が、面白そうな声を上げました。


「おい。ひょっとしてそのガキ、まだ乳歯ってことか?」


「ああ? ……確かに見た目からして全然子供のなりをしちゃいるが」


 それがどうした? という風に聞いてくる蹴飛ばした男の人に、もう一人はニヤリと笑います。


「なら良かった。獣人どもの牙は高く売れるんだよ」


「するってぇと……」


「そうさ。ガキの自分に自然に抜けるらしいが、だったらそいつをいま頂いても、何も問題ねえってこった」


「新しく生えてくるなら、身柄を売り払っても一粒で二度美味しいってか!」


 ガハハと笑い合う男の人たちに、わたしは嫌な予感がして仕方ありません。


「しかし、そうは言うがどうやって引っこ抜く? 迂闊に手を出せば食いちぎられるぞ、こりゃ」


 たずねる男の人に、もう一人の方が床に転がっていたボロボロの木の棒を拾い上げます。


「こいつを噛ませて牙を喰い込ませ、一気に引っこ抜いちまうってのは?」


「いや、そいつは下手をすると途中でぽっきり行っちまう。だから……こうだな」 

 

 男の人は、まっすぐ棒をもつと、ラナの顔の前に持ってきて言いました。


「こいつをえづくほど喉の奥まで突っ込んで舌ごと固定してやるのさ。その間に牙を抜く。

 なあに、多少喉が破れるかも知れんが、獣人族だ。死にはせんだろ」


 グルグル言っていたラナの喉がピタリと止まりました。

 男の人が二人、ニヤニヤ笑いながらラナの顔を両側から押さえようとします。

 首を左右に振ったりして抵抗するラナでしたが、左右から顔をガツガツと殴られます。

 

「おら、口を開けろ!」


 ラナも観念したように、大きく口を開いたその時――。


「や、やめてください!」


 気づいたら、わたしは廊下の角から飛び出していました。 


「……なんだぁ、こっちのガキは?」


 ジロリとこちらを見てくる男の人に、膝が震えます。目に涙がにじんで、おしっこだってもれそうです。

 でも、わたしは精一杯声を張り上げるしかありません。


「それ以上、わたしの友達に乱暴しないで……!!」


 男の人は怪訝そうな顔でわたしを見ました。

 かつかつと大股でわたしに近づいてくると、


「あうッ!」


 髪の毛を乱暴につかみ上げられます。

 爪先で立たなきゃいけないくらいに引っ張らり上げられて、痛くて痛くて涙があふれました。

 そんなわたしとラナを男の人は見比べて、


「揃いの服を着ているな。おまえら、どっかの店にでも勤めているのか?」


「……」


「おい、答えろ!!」


「いたッ!……しょ、しょうかんです……」


 わたしが答えると、一瞬男の人たちは呆気に取られたような顔をしましたが、いっせいにゲラゲラと笑い出しました。


「ああ、なるほど娼館か! こんなガキの時分から、男を咥え込もうと後を付けてきたってことかよ、おい!」


「いずれは毒婦の娼婦の卵ってか。

 おう、おまえ、どこまで仕込まれているんだ? ここで精一杯奉仕するってんなら、見逃してやらねえこともねえぞ?」


「本気で相手させるつもりか? 悪趣味なヤツだな。まあ、止めはしねえけどよ」  


 はっきりいって、男の人たち何を話してるかわかりません。それでも、オズマさんのお店をバカにされたことは分かります。

 けれど、髪を引っ張られて振り回されるわたしには、どうしようもありませんでした。


 ああ、きっとこのままわたしもラナと一緒に売られてしまうんだ。

 そんな風に思い、ますますあふれてくる涙を止められないでいると――。






「――そこの二人はうちの下働きでさぁ。閨のことは何も仕込んでないんで、勘弁してやってもらえやせんか?」





 店長さん!


 

 そう叫びたかったのですが、声がのどの奥に引っかかって泣き声にしかなりません。



 暗がりから出てきたズマさんは肩で息をしています。

 そんな急に現れたオズマさんに驚いたのか、わたしの髪を引っ張っていた人が手を離しまた。

 

 床に倒れ込むわたしに駆け寄って「大丈夫か?」と軽く肩を叩くオズマさん。

 わたしが頷くと、それから真っすぐ向かったのはラナの前です。

 ポケットから取り出したナイフでラナを縛っていたロープを切ったオズマさんは、こちらも驚いている風のラナの頭にゴツンと拳骨を落としました。


「出歩いても勝手なことをするなって言いつけておいただろうが!」


 それからラナを立たせて、手足を撫でてます。たぶん骨が折れてないか確認しているのでしょう。


「うん、大丈夫だ。立てるな?」


 ラナがコクリとうなずくと、


「よし、帰るぞ」


 そういってラナの背中を押し、オズマさんはわたしの方へやってこようとしたのですが、途中で男の人に胸元をつかみ上げられてしまいます。


「おい、おっさん! 何を勝手に帰ろうとしているんだ?」


 男の人はオズマさんのお腹を殴ります。


「ぐッ。……いやいや、うちの娘たちがちょいと不調法をしたかもしれやせんが、そんな目くじらを立てなくても……」


 笑顔を浮かべて言い返すオズマさんでしたが、


「ふざけるな! この獣族のガキは、いきなり俺に襲い掛かってきやがったんだぜ!?」


「そうはおっしゃいますけれど、ボロボロになっているのはうちの娘の方だと思いやすが」


「こっちとしては躾けのなってないガキを躾け直してやっただけだが?」


 別の男の人もニヤニヤと笑いながら言ってきます。


「なら、いっそ喧嘩両成敗ってことでどうでしょうかね?」


 オズマさんは提案しますが、男の人たちはそろって笑い飛ばしました。

 それから、物凄い剣幕で、またオズマさんの胸元をつかみ上げるのです。

 

「ガキの躾けが悪いのは親の責任だろうがッ! この落とし前はどうつけてくれるんだ!?」


 わたしは震えあがってしまうような怒鳴り声なのですが、オズマさんは笑顔を浮かべたまま、


「なるほど。それもごもっとも。ならば、このたびの不調法のお詫びは、これでどうか一つ……」


 オズマさんの手に、じゃらりと小さな光が輝いて、わたしはハッと息を飲みます。

 金貨です。

 銀貨は見たことがありますが、金貨を実際にわたしも見るのはこれが初めてです。

 たしか、えーと、銀貨が10枚で金貨になって、銀貨は銅貨10枚分。

 さっきのお店でサヤさんが支払ったのは、みんなの分合わせて銅貨2枚だから……金貨一枚でパンケーキはいったいどれくらい食べられるのでしょう?

 とにかく高価なお金です。

 それをオズマさんは三枚も男の人に渡していました。

 

 受け取った男の人も、オズマさんの胸元から手を離し、じっと手の平の金貨に見入っています。

 仲間の人たちと、どうする? といった感じで顔を見合わせていましたけれど、


「……仕方ねえな。今日の所は勘弁してやるか」


「ありがとうございやす」


 オズマさんは頭を下げると、立ったまま悔しそうに口をぎゅっと結んでいるラナの背中を押しました。

 

「ほら、行くぞ。ロサも」


「は、はいッ!」


 わたしも立ち上がり、オズマさんたちの後を追おうとしたのですが。


「きゃッ!」


 急に髪をつかまれて、ガクンと首に痛みが走ります。


「ちょいと待てや」


 わたしの髪をつかんだのは、わたしに〝ほうしさせてやる〟とかいっていた、金貨を受け取ったのとは別の男の人。


「まだ何か?」


 穏やかに振り返るオズマさんに、


「なんか勘違いしてねえか? 金貨はあくまでそっちの獣族のガキの代金よ」


「なら、追加で金を払えと」


「いいや。金はいらねえ」


 男の人はわたしを見下ろしてニヤリと笑いました。なんだか知りませんが背筋がぞくぞくして鳥肌が立ちます。


「その替わり、ちょいとばっかりこの娘を好きにさせてもらうぜ。なあに、今日中には店まで返してやるから安心しろ」


 すると、オズマさんはにこやかにわたしたちの方へと歩きながら、


「なるほど。そういうご趣味でしたか。ならば、どうぞご随意に――」


 ――え? わたしの頭は一瞬、真っ白になったと思ったのですが。


「なんていうと思ったか? このゲス野郎がッ!」


 スパーン! と凄い音がして、男の人の身体が床に転がっていました。

 わたしの髪も解放されて、オズマさんが蹴飛ばしたんだってようやく理解します。


「てめえ、何しやがる!?」


 金貨をもらった男の人がオズマさんへ躍りかかります。

 危ない! とわたしは思わず目をつぶりました。

 こちらもビダン! と凄い音がして、もくもくとホコリが立ちます。

 おそるおそる目を開けると、男の人はオズマさんに組み伏せられていました。

 腕を逆さまにひねりあげてうつ伏せにさせ、オズマさんは男の人の顔を膝でグリグリと床に押し付けしながら言います。


「何しやがるはこっちの台詞だ。こちとら娘をボコられてはらわたが煮えてんのに、もう一人の娘も好き勝手させろなんて了見できるわけねえだろうが! 寝言は寝てからいいやがれッ!」


 そういってますます男の人の腕を曲げると、男の人は悲鳴を上げました。

 そしてそのとき、男の人の服の袖が落ちて、何やらキラキラとするブレスレットが見えました。

 それを見て、オズマさんの顔色が少し変わったように思えたのは気のせいでしょうか。


「……なるほど。てめえか。てめえらが……」


「ぐ、がッ! 離せ、離しやがれ、このッ!」


 男の人は叫びますが、オズマさんは放しません。むしろもっとギリギリと締めあげながら、チラリとラナの方を見てからこう尋ねました。


「時に、ここいらの街道の外れで獣人の姉妹が襲われたって事件が起きたはずなんですが、旦那は何かご存じじゃないんですかね?」


 むしろ優し気な声音になっているオズマさんが少し怖いです。


「そ、そんなの知るわけねえだろッ! あたたッ!?」


「そうですかい? よっくと思い出してくださいよ。無残にも姉は牙を抜かれた上に殺されて、道端に転がされていたって話なんですがね?」


「だから知らねえって言ってんだろうがっ! ぐくっ!?」 


「そいじゃあ聞き方をかえやしょう。

 ……おまえさん、腕のこいつをどこで手に入れやがった?」


「……し、知るかッ! おまえら! 俺の腕くらいどうなったって構わねえ! この男をやれ! やっちまえ!」


 組み伏せられた男の人がそう叫びました。

 仲間の二人が、それぞれ剣を鞘から抜いて構えます。

 さすがにオズマさんも素手のまま、剣を持った二人相手じゃあ……!


「……衛兵さん! こっちです! こっちで大変なことが起きてますよ!!」


 ガヤガヤと、急に建物の入口辺りが騒がしくなりました。

 剣を持ったままの二人はあからさまにオロオロしています。

 そしてオズマさんは、組み伏せていた男の人の上からゆっくりと身体を離してました。


「これ以上のいざこざは娘の教育に悪い。今日の所はこれで勘弁してやらあ」


 解放された男の人は腕を押さえたままオズマさんを睨みつけます。

 けれど、オズマさんが睨み返すと、三人してワタワタと裏口らしき方向へ走って逃げて行ってしまいました。

 そして、入口の方からパタパタと足音がしたと思ったら、入ってきたのはサイベージさん。


 サイベージさんはオズマさんを見ます。

 オズマさんが頷くと、サイベージさんも頷き返して、逃げた三人組のあとを追うようにして真っ黒な服装は見えなくなります。  


 ようやく膝の震えも治まって顔を上げるわたしを、オズマさんが見下ろしていました。


「大丈夫か? 怖い思いをさせたな」


 わたしの手をとって立たせてくれるのは、いつもの優しいオズマさんです。

 安心したわたしですが、


「よし帰るぞ……って、おいロサ!?」


 一緒に緊張の糸も切れてしまったのでしょうか。わたしは気を失ってしまったようです。






 気がついたら、お店の〝離れ〟の部屋のベッドに寝かせられていました。

 横を見ると、わたしにしがみつくようにラナも眠っています。

 殴られた顔のところどころが赤く腫れているけれど、そんなに痛々しい感じはしません。

 獣人族は回復力がすごいっていうのは本当なんだあ……。


 すっかり部屋は暗くなっていて、カーテンの隙間からは二つのお月さま。

 向かいに並んだベッドではマリィとメリィがぐっすり眠っていたので、とっくに夜になってしまったのでしょう。


 すると、ぐるるとお腹が鳴りました。

 夕飯を食べそこなってから仕方ないよね、と思っていたら、そーっとドアが開く音。

 見れば、開いたドアの隙間にオズマさんが立っています。


「お、目が覚めたか?」


「は、はい!」


「そいつぁ良かったぜ。ところで腹は減ってないか?」


 うなずくと、オズマさんが手招きします。

 わたしがベッドから降りると、ラナも目を覚ましたみたい。

 眠そうに目を擦るラナと手を繋いで、オズマさんが待つ廊下まで出ます。

 それから一緒に連れて行かれたのは中庭でした。

 夜ということで真っ暗かと思ったのですが、お月さまはキラキラしているし、お店の方からも灯りとざわざわと人の気配もするので、ぜんぜん寂しそうな感じではありません。

 

 三人で池の縁に腰を下ろすと、オズマさんは「マリィとメリィまで目を覚ますと厄介だからな」といつもの朝ご飯みたいに具だくさんのパンをくれました。

 嬉しくて、本当にお腹が空いていたので、夢中で齧りついたと思います。

 食べている間もずっとわたしたち二人の頭を撫でていたオズマさんなのですが、いつの間にか険しい顔つきになってわたしたちを見ていました。


「昼間はずいぶんと怖い思いをさせちまったな。けれど、いう事を聞かずに勝手に歩き回ったおめえらにも問題があるんだぞ?」


「……はい」


「……」


 わたしの隣で、ラナもしゅんとしているようです。

 

「わかりゃあいい」


 ふっとオズマさんは笑って、


「まあ、もう二度とあいつらと関り合って怖い思いをしねえようケジメはつけといたから、安心しな」


 それから、オズマさんは小さな革袋をラナへと見せました。袋の口を閉じるヒモがとても長いその革袋を見て、ラナは表情を輝かせています。

 ヒモをネックレスのようにラナの首に結び、胸元に革袋をぶら下げるようにすると、オズマさんは立ち上がりました。


「さ、明日からもしっかりと働いてもらうからな。夜更かしせず、あとはさっさと寝るんだぜ?」


 さっきまで眠っていたわたしですが、お腹がいっぱいになったせいでまた眠くなってきます。

 なのでわたしたちは、水を飲んで、トイレを済ませてから大人しくベッドへと戻りました。

 

 ベッドの中で、ラナがこっそりと革袋の中を見せてくれました。

 それは、小さな牙を繋げて作られたブレスレッドで、あの男の人が腕に付けていたものと似ていたように思うのです。



 

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