閑話 ある娼婦見習いの話 3
このお店にきて、ちょうど三ヵ月も経ったころのことです。
「今日からコイツもうちで働かせることになった」
オズマさんがそう言って、わたしたちの部屋に一人の女の子を連れてきました。
年齢はきっとわたしと同じくらいで、ボサボサの長い髪に、汚れて擦り切れた服から見える手足もほっそりとしています。
そして、マリィとメリィは二人揃って大きく目を開いていました。
わたしだって驚いて目を丸くしています。
なぜなら、その女の子のお尻から、長い尻尾が生えていたのですから。
彼女は、わたしも初めて見る獣人族の子でした。
「あなた、名前はなんていうのー?」
「なんていうのー?」
マリィとメリィがたずねても、女の子はうつむいたまま答えてくれません。
「ああ、こいつの名はラナっていうんだ」
かわりにオズマさんが教えてくれます。
「見ての通り、ちょいとおまえらと毛並みは違うかも知れないが、一緒に面倒を見てやってくれや」
そう言い残すと、どこか慌てたような感じで部屋を出ていってしまいます。
扉が閉まる寸前、険しい表情を浮かべたサイベージさんも見えたような気がしましたけれど、わたしが心配しても仕方ありませんよね。
「…えーと、ラナちゃん? それともラナって呼んでもいいかな?」
わたしも声をかけてみましたが、ラナは答えてくれませんでした。
けれど、ボサボサの髪の隙間からこちらを見ている目は青くて、どこかちょっぴり寂しそう。
なんだか、初めてこのお店に来たときのわたしみたいだな、なんて思いました。
だったら、あの時のわたしはまず何をしてもらったでしょうか。
わたしはそっとラナに向かって手を伸ばします。
勇気を出して掴んだ手はひんやりと冷たく、ラナは握り返してはくれません。
それでも彼女の手を引いて、わたしは部屋を出ます。
「らなーらなー、あそぼ―」
「あそぼー」
ラナの周りをクルクル回るマリィとメリィを連れて向かったのはお風呂場です。
ちょうど誰も使ってないようなので、わたしから服を脱ぎました。
「ほら、ラナも」
そういってラナの服へ手を伸ばしても、彼女がされるがままです。
ほとんどボロキレみたいになった服を脱がせれば、たくさんの汚れや虫の死骸みたいなものまで落ちてきました。
とりあえず後で片付けようとゴミ箱に服ごと丸めて入れて、裸になったラナの背中を押して浴室へ。
引き戸を開けるとぶわっと顔に湯気が吹き付けて来るのは、いつもびっくりします。
毎日お風呂掃除をしているのに不思議ですよね。
お風呂に入る前には、すみずみまで身体を洗うのがマナーです。
そしてラナはとても汚れていたので、椅子に座ってもらって、わたしが身体を洗ってあげることにしました。
全身にたっぷりとせっけんをを泡立てて、一生懸命にこすります。
髪の毛の汚れもひどくて、マリィとメリィに何回もお湯を運んでもらってザブザブとかけてもらいました。
そうすると、べったりしていた髪の毛もツンツンと立ってきて、ようやくラナの顔が見えます。
青い瞳は更に大きく見えて、ツンと鼻が上を向いています。
むすっと口を結んでいて、あまり機嫌は良くなさそう。
わたしは、とても注意して彼女の背中からお尻、そして尻尾が生えている部分も見ました。
わあ、本当に生えているんだ。こうなっているんだ…。
おそるおそる尻尾に触れます。
せっけんをつけて洗っても、ラナは嫌がってない感じでした。
尻尾の感触は村の広場にいた野良猫と同じで、洗うたびに少しだけびくびくと震えます。
やっとお風呂の中に入れるくらいにきれいなりました。
温かいお湯の中に肩まで浸かれば、さすがにラナの青い目もトロンとしてきたみたいです。
まだ何もしゃべってくれないけれど、お湯の中から半分くらい尻尾が出てきて、右に左にぴょこぴょこと揺れています。それを見てマリィとメリィも大はしゃぎです。
それも面白かったけれど、じーっとラナの顔を見ていたわたしは、もっと別のことに驚いていました。
なぜなら、急にラナの髪の中から、ぽてっと猫みたいな耳が飛び出してきたからです!
……へ~、獣人族ってこんな風になっているんだ。
そんな風にみとれていると、ラナはのっそりとお風呂から出ます。
四つん這いで洗い場までいくと、全身をブルブルふるわせてお湯を払いました。本当に猫とそっくりの仕草です。
四つん這いのまま脱衣所に行ってしまったので、わたしも慌ててお風呂から上がって追いかけます。
タオルでラナの身体を拭ってあげていると、
「あたしもー」
「あたしたちもー」
とタオルを持ってマリィもメリィも近づいてきたのですが、
「ふしゅるるるるッ!」
急にラナが牙をむくように毛を逆立てます。
マリィとメリィはびっくりしたように後ずさりしました。
けれど、わたしがまた身体を拭き始めると、ラナは大人しくされるがままです。
コロコロコロ……という音が聞こえるのは、猫みたい喉が鳴っているのかなあ?
こんな風に、マリィとメリィが触ろうとするだけで怒り出すので、ラナはわたしが色々と教えてあげることになりました。
「へえ~。ラナのヤツ、おめえに懐いているんか」
いつものように朝ご飯を持ってきてくれたオズマさんがわたしに言います。
そしてラナは、わたしの隣に座って、モコモコとパンを齧っています。
「ラナは、いっつもロサと寝てるー!」
「寝てるー!」
マリィとメリィから言われてちょっと恥ずかしくなってしまいましたけれど、ラナが毎晩わたしのお布団の中に入ってくるのは本当です。
ベッドが狭くなるけれど、ラナの身体は温かいし、足に尻尾が触れるとフワフワして気持ち良いし、それほど嫌じゃありません。
ちょっとだけクラエス姉さんを思い出して悲しくなりました。でも、妹が出来るってこんな感じなのかも知れませんね。
さすがにわたしもラナみたいに姉さんの頬っぺたを舐めて起こしたりはしませんでしたけれど。
「まあ、マリィとメリィも仲良くしてやってくれよ?」
「マリィもメリィも仲良くしようとしてるんだけど、ラナが嫌がるー!」
「嫌がるー!」
二人とも、ラナの耳や尻尾をやたらと触りたがるから嫌がられてると思うんだけどなあ。
両腕をパタパタさせている二人の頭をぐるりと撫でて、オズマさんは笑いながら部屋を出て行きました。
食事を終えたら、さっそく朝の仕事を始めます。
マグダリアの花を摘んで。花びらをむしって。
けれど、ラナはこの作業は苦手みたいで、あんまり乱暴にむしるので花びらをすぐボロボロにしてしまいます。
替わりに、ラナはお風呂掃除が得意です。
特に、タイルの隙間や、管の継ぎ目といった細かいところの汚れが落ちないとき。
ラナが指先からニョキっとするどい爪を出すと、それで綺麗にこすり落としてしまうのです。
獣族のためか四つん這いで動くととてもすばっしっこくて、前に比べてお風呂掃除にかかる時間も短くなったような気がします。
これにはサイベージさんもニッコリで、ご褒美だといってナカングの実や小さな飴をくれました。
つんつんと私の肩を叩き、ラナが貰ったナカングの実を半分に割ったものを差し出してくれます。
「いいの?」
コクンと頷くラナは、しゃべったことがありません。まだ誰も彼女の声を聞いたことがないのです。
それでも、何となく言いたいことは分かるし、マリィもメリィも、お店のみんなも特に気にしていないようです。
一緒にナカングの実を食べて、お風呂に入って。
お昼ごはんを食べるときも、ラナの席はわたしの隣です。
午後からは、お店の片づけや掃除をします。
お店ではたくさんのシーツを使うそうで、洗濯するシーツは専門の業者さんが毎日回収に来ます。
汚れたシーツは大きな袋につめて、お店の裏口まで運ぶのですが、これがとても重くて大変な作業なのです。
しかし、ここでもラナは大活躍。
わたしたちが二人でどうにか持てるくらいの重さのシーツが入った袋を、一人で抱えて運んでいくのにはびっくりしました。
運びながら、ワンピースから出た尻尾が元気よく左右に揺れている姿は、お店のお姉さんたちにも「可愛い可愛い」と好評みたいです。
「へえ~。ラナちゃんっていうんだ?」
お風呂場で。
わたしが背中を洗い終えたペリンダさんが、振り返ってそう言います。
ふしゅーと言いながらラナはわたしの背中に隠れてしまいますが、ペリンダさんは特に気分を悪くした感じではありません。
むしろ、ますます面白そうに眼を細くしてこう言いました。
「獣人族の子たちって、成長するとそりゃあもう『ぼんきゅっぼん!』ってなるらしいよ?」
「?」
わたしが首を捻ると、
「あー、支配人さん語録だから、分からないかー」とペリンダさんは笑って、
「つまりは、ワタシみたいな身体付きになるってこと!」
目を見張ったわたしは、思わずラナを振り返って震えます。
お互いに裸なのですが、ラナの胸はわたしと同じくらいぺったんこです。
これが、ペリンダさんみたいに、アルテナ山脈みたいに盛り上がるということなのでしょうか。
「ロサも負けちゃいられないね」
そのまま浴槽の中に行ってしまうペリンダさんですが、わたしは負けないために何をどうすればいいのでしょう?
いえ。
そもそも負けるって、なに……?
夕食を終え、わたしたちは離れへと戻ります。
井戸で汲んでおいた水で歯磨きをして口をゆすいで。
部屋に戻り、仕事着であるワンピースを脱いで肌着姿になると、わたしは寝る前のお人形のお手入れを少しだけ。
マリィとメリィは一緒のベッドで飛び跳ねていたりしていましたけれど、たちまち眠ってしまうのですぐに静かになります。
そんな二人に毛布を掛けて振り向くと、窓際の机の上に、ちょこんと両手両足をそろえて座るラナの姿が。
カーテンに少しだけ隙間が開いていて、そこからは二つの月が覗いていました。
ゆっくりと尻尾を左右に揺らしながら夜空を眺めるラナの横顔は、なんとなく寂しそう。
わたしはそっとランプの灯を吹き消しました。
カーテンの隙間から差し込む月明りのおかげで、それほど部屋の中は暗くありません。
自分のベッドに歩いて行って横になってから、ポンポンと毛布を叩きます。
「ほら、ラナ。おいで?」
すると、こちらを振り向いたラナは、まるで足音を感じさせない身の軽さで、するっとわたしの横の毛布の中に潜り込んできました。
わたしの隣で丸くなるラナ。
長い尻尾が、わたしのふともも辺りに巻き付けてきました。
わたしも手探りでラナの頭に手を伸ばします。
ツンツンだった髪も、いつの間にか少ししっとりとして来たような感触です。
髪の毛の中の耳を探り当て、ゆっくりとくすぐるように撫でると、暗がりの中でもラナの表情が柔らかくなったのが分かりました。
コロコロコロ…と、ラナの喉が鳴る音を聞きながら眠りに落ちる寸前。
そういえば、このごろ、お人形は抱っこして寝てないなあ。
そんなことを思いました。
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