第6話 初めての冒険者の話



 夜半過ぎ。

 食堂を通りかかると、人気のないそこへ珍しいやつがいるのを見つけた。

 そしてソイツも、目ざとく俺を見つけて濁声ダミゴエを上げる。


「おう、旦那!」


 テーブルまで近づいて、俺はマジマジとその短躯を見つめた。


「アンタがここで飲んでいるのは珍しいな、ボグボロ」


 赤ら顔に鋼線のような髭を湛えた彼はドワーフ族である。

 この店の温泉設備の管理をしてくれているが基本的に裏方で、客の少ない深夜に湯に浸かりに出てくるのがせいぜいだ。

 仕事をしてないときは、設備のある地下の私室で飲んだくれているのが常なのだが。


「旦那も一杯付き合わんか?」


 酒臭い息を吐き、酒瓶を向けてくるテーブルの上にはこれ見よがしに手紙の束。

 「ふむ」と少し考え込んで、俺はボグボロの対面へと腰を下ろす。

 杯に注がれた酒を口に含めば強烈な酒精が喉を焼く。相変わらず火酒ばっかり飲んでやがるな。


 とにかくドワーフは酒に強い。

 低い背丈に手足は短いが、その全身は岩のような筋肉に覆われていて、俺的には絶対にステゴロはしたくない種族ナンバー1だ。

 以前、酔っぱらってウチのコック長の六腕巨人族ヘカトンケイルと喧嘩したとき、冗談抜きで食堂が半壊したからな。


 まあ、基本的には酒さえ飲んでいればご機嫌な種族である。

 見かけに反し手先が器用なことでも有名で、細工や鍛冶などを生業にすることが多い。

 地下に住居を作る種族なので、ウチの温泉管理にはまっことふさわしい人材と言えるだろう。

 俺としても、ドワーフの一本独鈷な職人気質のところが気に入っていた。


「……ワシの弟の末息子の話なんじゃがな」


 これまた珍しくボグボロが自分のことを語りだす。


「弟の反対を押し切って、冒険者になると息巻いているそうな」


「へえ……」


 ドワーフも冒険者になることは珍しくない。むしろ妖精族エルフより冒険者としては多く見かける。

 先述した通りの筋骨隆々の体躯はタフだし、地下で暮らす彼らの目は闇を見通す。

 地下迷宮などに挑む際に、これほど頼りになる仲間はいないだろう。


「まあ、若いうちは何事も経験ってもんじゃないか?」


 俺としては、別に無責任なことを口にしたわけじゃなかった。

 ドワーフ族の寿命は、エルフ族には劣るが相当に長い。

 もっとも見た目としてはたいてい若いうちから髭が生えてきて、いま俺の目の前にいるボグボロのような容姿で固定されることがほとんどだ。

 エルフよろしく、見た目から年齢を推測するのは難しい種族でもある。


「けど、ギルギレの野郎ときたら、これがナヨナヨとした穴倉茸アナグラダケみたいなヤツでよ……」


 どうやらギルギレってのは甥っ子の名前らしいな。

 それもともかく、俺はその物言いに苦笑するしかない。


 筋骨逞しい身体は、ドワーフにとってのステータスでありアイデンティティだ。だから連中は若輩者を腐すときは、たいていナヨナヨしているとか軟弱とか痩せているとか評する。

 満月に程遠い細い月や、ボロボロの枯れ木に例えることもしばしばだ。

 

 ちなみに今言っていた穴倉茸は連中にとって馴染みの地下に生えるキノコで、ちょうどエノキダケみたいな見た目をしている。


「でも、アンタにとっちゃ可愛い甥っ子なんだろ?」


「……まあ、そうじゃな」


 ボグボロの顔が赤いのは酒のせいか区別がつかない。

 長い寿命もあるせいか、彼はまだ結婚したことがないと聞く。


「そんでよ、支配人。ちょいとワシの相談に乗ってくれんか……?」


「うん? アンタから相談とは、これまた珍しいな」


「ギルギレのやつもな、もう成人の儀式も終えたから一人前に扱ってやらにゃあならん。

 支配人が言った通り、冒険者になるのも止められんわ。

 そこで、ワシから祝いの意味も込めて―――」


「込めて?」


 俺の空いた杯に酒を注ぎながら、ボグボロが少し言いづらそうに続けた。


「―――いっちょ、この店であいつを男にしてくれんかのう?」


 火酒を舐めながら、俺はボグボロがここに出張ってきていることに得心が行く。

 テーブルの手紙も、その甥っ子とのやりとりをしたという証明であり小道具ってわけか。


 俺は、タン! と軽快に杯をテーブルへと叩きつけて答える。


「そりゃあもちろん。というか、こちとらそれが商売だぜ? むしろご利用ありがとさんってもんだ」


 甥っ子の筆おろしを差配する家族や親族なんぞ、この世界では珍しくもない。

 実際に娼館を利用するドワーフ族も結構いて、酒臭い土臭いと敬遠する娘もいる一方で、いわゆる筋肉フェチの嬢には堪らないらしいし。


 ウチの店にも、そんな嗜好の娘がいたっけかな……?

 そんな風に考えを巡らす俺の目前で、ボグボロはうつむいている。


「……どうした? なんかまだ言いたいことでもあるのかい?」


 俺がそう水を向けると、いきなりボグボロはテーブルを割る勢いで頭を下げてきた。


「頼む、支配人! うちの甥っ子に、水揚げ前の娘を相手させてやっとくれ!」









 中々に身なりの良い娘を手に入れたぞ。よし、さっそく次の日から娼婦として働いてもらおうか―――なんて成り行きは、絶対といっていいほど存在しない。


 とにかく身綺麗にさせて、まずは靴の上げ下げから作法をみっちりと仕込む。

 しっかりと下働きを経験させつつ、見込みがありそうだとなれば、そこでようやく娼婦としての仕込みが始まる。

 

 娼婦の仕込みって言っても、その全てが閨の作法や手練手管ってわけじゃあない。

 まずは髪や身体の手入れはもちろんだが、肉付きを良くするためにしっかりと栄養のあるものを摂らせる。

 

 その上で、炊事、洗濯、掃除、繕いものもを習わせるのは、花嫁修業と揶揄されるがあながち間違いではない。実際に、一般市民にすぐに嫁げるくらいには仕上げる。

 

 そこからテーブルマナーや言葉遣いや言い回しといった教養の部類だ。文字を読めるようにするのはもちろん、詩人を雇って詩を習わせたり、歌や踊りを習わせる娼館もある。


 つまりは、粗野な冒険者が娼館にきて、これまた粗野な娼婦に適当に持て成されたらどう思うかって話だ。 

 当たり前のサービスでは当たり前の料金しか取れない。

 それら付加価値を娼婦に躾けることにより、より質の高いサービスを提供し、気持ちよく大金を支払ってもらおうって寸法だ。


 っと、前口上が長くなったが、『水揚げ』とは即ちこれら手塩をかけて仕込んだ娘たちを、娼婦として初めて店に出すことを言う。


「ちょいとそいつは無理な相談ってやつだぜ」


 渋面を作りながら俺はそう答えるしかない。


「そこをなんとか! ワシの顔を立てると思って……!」


 どっこい食い下がってくるボグボロ。


「むむむ……」

 

 唸る。

 水揚げの時点で、嬢は生娘だ。

 昔から処女を好む金持ちのヒヒ爺ィってのはいるもんだが、こっちの世界もその例に漏れない。

 実際に数年前、どこぞの娼館の鳴り物入りの水揚げに、金貨1000枚もの値が付いたことがあったとか。


 そりゃあご祝儀をうんと弾んで貰わにゃ、こっちも商売だし割りに合わない。

 それでなくとも水揚げ代の幾何いくばくかは、身体をひさいで生きていく娼婦たちにとっての、この先の服や化粧代の必要経費であり、ちょっとした小遣いとなる。

 俺としてもなるべく高く買い上げてもらいたいと思う反面、覚悟して迎えた初夜の晩で、エロ爺ィから弄繰り回されてトラウマを負ってしまう例も決して少なくない。

 それを避けるためにも、弁えたお大尽にお願いしたいところだが、探すとなれば難儀なもんだ。


 一方で、筆おろしに娼館にやってくる連中はむしろ多いくらいで、連中の相手をするのは、少し歳の行ったこなれた娼婦の特権となる。

 何事も最初は印象に残るもんだから、その時の情のかけ具合で童貞から一気に太客に化けさせることも出来る。それでなくとも娼婦の方でも初物が好きって輩もいるしな。

 

 とまあ、話をまとめりゃ処女の相手はお大尽、童貞の相手は年増娼婦って昔から相場は決まっていた。


「水揚げ代やご祝儀やらは置いておくにしても、お互い初めて同士なんて下手すりゃ事故が起きるぜ?」


「あの野郎が、どうしても相手も初めてが良いって聞いてくれなくてよ」


「そんで、アンタは承諾しちまったわけか」


「………面目ねえ」


 俺の棘を含んだ声に、ボグボロは項垂れた。

 ギルギレとかいう甥っ子の気持ちは、まあ分からなくもない。

 自分にとって初めての女にしたい。相手にとっても初めての男でありたい。

 潔癖とかとは違う、純な気持ちってやつだろう。

 そしてボグボロも、何だかんだいってその甥っ子が可愛くて仕方ないと見た。

 頼られるのが嬉しくて見栄を張って、てめえの領分を超えた約束をしちまうってのも良くある話で、こっちの気持ちもよっくと分かる。


「う~ん」


 両腕を組んで中空を見上げる。

 俺の脳裏には三人の娘の姿が浮かぶ。

 マニ。ルー。そしてセルフィ。

 間もなく揃って15歳を迎えるから、そろそろ水揚げの相手でも―――って考えていた連中だ。


 この時点でボグボロの頼みを叶えるべく思考を巡らしている自分に、少し憮然としてしまう。

 それでいて、いやいや、ボグボロはウチの店の替えの聞かない職人だからと、てめえでてめえに反論しているんだから世話がねえ。


 ったく、俺も大概甘いぜ、と思わなくもなかったが、そんな態度を素直に見せちゃあ沽券にかかわる。

 雇い主として、せいぜい威厳を示さねばなるまいよ。


「……時に、金はあるのか?」


「こいつを」


 ボグボロは懐から取り出した袋の中身をテーブルの上に広げる。

 金貨は13枚の、銀貨はひのふの……っと、だいたい合わせて全部で金貨15枚分ってところか。


「どうか頼む! 足りなかったら、ワシの給料を前借りさせてくれっ!」


 ほとんど顔面をテーブルにめり込ませるように頭を下げてくるボグボロ。


「わかった。ちいとばっか物足りねえが、アンタがそこまで頭を下げてくるとあっちゃ無碍には出来ねえ」


 俺は精一杯重々しく言った。


「……そうかっ! ありがとよ、ありがとよ…っ!」


 いかつい顔に涙を浮かべるドワーフに笑顔で応じつつ、俺の頭の中では忙しく算盤が弾かれていた。


 まあ、あの三人は揃って垢ぬけた器量よしってわけじゃねえから、多少色をつけりゃあ嫌とは言わねえだろう。

 金貨15枚にしたって、店の取り分と7、3で分けたとして、金貨5枚ってところで了見してもらうか。


 しかし間もなく俺は、それが取らぬ狸の皮算用だってことを思い知らされることになる。











「嫌!」


 それがマニの第一声だった。

 小柄な背丈にやたら癖っ毛の強い娘で、同じくらい気も強い。

 一応の礼儀作法を仕込んじゃいるが、閨で本当マブでお客に噛みつきゃしないかと今から冷や冷やしている。


「あたしの初めてのお相手は、かっこいい青年剣士と決めているの! それ以外はお断り!」


 両手を組み合わせて斜め上を見上げる仕草はやけに芝居がかっていやがる。

 ウチで働く身でなんて言い草だ舐めやがって、とは思ったが、今回無茶を振っているのはこっちだ。


「わかったわかった。そこいらは希望に添えるよう探してみるからよ」


 そう答えはしたものの、青年剣士って括りもピンキリだ。おそらくマニの言うところの美形の剣士ってのが娼館にくることなんて―――いや、やめておこう。何も無理に夢を壊す必要もない。


「んじゃ、ルー。おめえはどうだ?」


「私は……ドワーフの人が初めてというのはちょっと……」


 マニの数段奥ゆかしい物言いをするルーは、清楚な成りで押しに弱い。

 こいつも水揚げしたら、客との駆け引きってやつを仕込んでやらにゃ心配だ。


 それはともかく、ルーの言い分もさもありなん。

 妖精族エルフ、ドワーフ族ってのは一番目にする機会が多いが、他には小足族ハーフフット草原族ハーフリングも割かし見かける。

 だからといって相手をしたいかってなると、やっぱり初めての生娘にゃあちと酷な相談か。


「んじゃセルフィ―――」


「冗談じゃないわ! わたしの初めてが金貨15枚ぽっちなんて!」


「……だろうな」


 6歳の時に一家離散した商家の娘であるセルフィは、とにかく金に五月蠅い。

 こうやって娼婦まで身を落としたとしても、幼少期から躾けられた商魂は逞しく、いかに自分の価値を高めるかに余念がなかった。


「時に、おまえは自分に幾らくらいの値札をつけてるんだ?」


「そうね、最低で金貨50枚かな?」


 咄嗟に噴き出しそうになったのをこらえた俺を誰か褒めて欲しい。


 そんなの、どこぞの高級娼館の秘蔵っ子ってレベルじゃねえか!


 それに一口で金貨50枚とはいうが、それが揚げ代としても、諸々のご祝儀や届け物を含めりゃ倍の100枚は見込まれる。

 ウチの場合、おまえらに付けられる値は、諸々込みで金貨20枚がいいとこだぜ?

 そういう意味の値段では、ボグボロの申し出は決して悪くない額にも思えるんだが。


 改めてそういってみたが、三人娘はどうにも頷く気配もなく、俺は困り果てた。

 ウチで水揚げ前の適齢の子は、この三人しかいない。

 見習い的に仕込んでいる娘たちもいたが、こちらはまだ13歳かそこらだ。


 この国での娼婦への就業年齢は15歳以上と決まっているから、それを破ってバレた時には営業停止。下手を打てば業界ぐるみで界隈から追放され、二度と同じ商いはできなくなる。


 いくらボグボロの頼みでも俺だってそんな危ない橋を渡るつもりはない。

 じゃあ他の娼館の水揚げ前の娘を―――ってのも趣旨が違うだろう。だいたい金貨15枚ぽっちでそれなりの娘の初めてを提供する酔狂な店はないだろうしな。


「むむむ…」


 唸ってみたものの、この件ばかりにかかずりあってもいられない。

 支配人なりに俺も忙しく日々を過ごし、気づいたときにはニタニタと笑ったボグボロが話かけてきた夜半過ぎ。

 嬉しそうに「明日あたりに訪ねてくるとよ」と告げてくるボグボロに、俺は天を仰ぐ。


 こいつはいっちょ、誰か弁えた娼婦に頼みこんで生娘を演じてもらうしかねえか?

 クエスティンはさすがに無理だし、そうだな、サヤならまだ初々しさも残っているからイケるか?

 でも、そうなると相手を騙すみたいでちょいと気分が悪い。

 だからといって他に手もねえし、どだい金貨15枚ぽっちで水揚げしようって話が無体ってもんだ。

 いやいや、だが他ならぬボグボロの頼みでもあるしなあ。


 ……もっかいあの三人に声をかけてみっか。ひょっとしたら気が変わるかもしんねえし。

 それが無理なら、やっぱりサヤに頼んで、口裏を合わせるしか……。


 まとまらない頭を振りつつ、完全に寝不足で迎えた翌日。

 日が暮れようとする街並みを突っ切って、そいつは俺の店の前へとやってきた。

 重厚な鎧を着こんで横伸びしたシルエット。背丈は俺と並んで出迎えたボグボロとほぼ一緒だ。


「おお、良く来たなギルギレ!」


 手放しで出迎えるボグボロ。俺も慇懃に頭を下げる。


「本日はようこそいらっしゃいやした」


「あ、はい! よろしくお願いしますっ!」


 若者らしい初々しい声が緊張と興奮に弾んでいる。

 まあ、これから生まれて初めて女を抱くのだから仕方ないことだ。


「それじゃあ、まずはお召し物を脱いでいただいて、ひとッ風呂と洒落こんでくだせえ」


 暖簾をかき分け、脱衣所の方へ誘う。

 黒光りする鎧を脱ぐのを手ずから手伝おうとして―――なんだ、このクソ重い鎧は!?

 咄嗟に後ろでボグボロが支えてくれなかったら、間違いなく腰をいわせていたぜ。


「一族に伝わる鋼鉄製の鎧での。厚みは3寸はあるぞ?」


 ……そんなもの、人間が着て動ける装備なのか? いや、ドワーフだって生半のもんじゃないだろう。

 果たして、そんなとんでもないものを着込んできた野郎の中身は?

 まるで大きな壺のような兜を脱いだ顔を見て、俺はあんぐりと口を開けてしまう。


「どうだ? ワシが言った通り、穴倉茸みたいにナヨナヨしているじゃろ?」


 苦笑するボグボロに、俺はドワーフと人間の美的感覚の違いを思い知っていた。

 確かに、ドワーフ特有の獅子鼻ではなくすっきりと通った鼻梁。そこには当然のように髭もなく、勇壮さを欠いている。

 口も小さく、そのくせして目だけはキラキラと大きい。

 体形もいかり肩ではなく撫で肩で、過剰な筋肉のない手足はむしろほっそりとすら見えた。

 本人もドワーフとかけ離れた容姿である自覚もあるのか、ボグボロに「相変わらず細いの~」と肩をバンバンと叩かれて、恥ずかし気にうつむいてしまっている。


 だが、俺にいわせりゃこの見た目、いたって普通の美形の人間だ。

 いや、人間でもこんな美少年風には、そうそうお目にかかれねえぞ?


「……どうした、支配人?」

 

 訝し気な視線を向けてくるボグボロに「なんでもねえ」と答えておいて、俺はギルギレを湯殿へと誘う。

 豪壮な引き戸を開けて、中の贅を尽くした浴室にギルギレは感嘆の声を上げた。

 俺も嬉しくてニヤニヤするのが常なのだが、今日ばっかりはそうもいかねえ。

 

 はっきりいって俺は動揺していた。

 素っ裸になったギルギレの全身は引き締まった筋肉で覆われており、それも大したものだったが、彼が股間にぶら下げているものを見て俺は茫然としていた。

 いやさ、浴室ですれ違った男衆全員が、両目をかっぴらいてギルギレのモノに驚愕してやがる。

 俺もこの商売を始めて長いが、これほど立派な代物は見たことがねえ。


「……あの、どうすればいいんでしょうね?」


 目を丸くする俺に向かって、ギルギレがモジモジとしている。


「あ、こいつは失礼しやした。どうぞこっちへ」


 洗い場の椅子に据えて、背中を流す。

 それから自慢の湯に浸かってもらって、上がってからは上下の肌着を着てもらう。

 その恰好で食堂へ行けば、周囲から「なんだこのうらなり野郎は?」という視線が集中。風呂の様子を知らなきゃ、どこぞの坊ちゃんが間違って紛れこんできたと思われても仕方ねえか。

 もっとも食堂では既にボグボロが待ち構えており、酒と料理を載せたテーブルに陣取って甥っ子を手招きしている。

 ホッとした顔で席につくギルギレを眺めていると、くいくいと俺の服の袖が引かれた。


「ん? どうした、マニ?」


「いいから! 支配人さんちょっとこっちに来て、ちょーっとっ!」


 訳の分からぬままに袖を引かれ、階段を上って連れていかれたのは食堂を見下ろす吹抜けの二階の廊下だ。

 その手すりんとこにはルーとセルフィもいて、びっくりした顔で階下を覗き込んでいる。


「なんなんでぇ、いったい?」


 俺が訊ねると、


「支配人さん! あれ! あれ!」


 マニの指さす先にいるのはギルギレだ。


「ああ、あれがボグボロの甥っ子だとよ」


「……嘘でしょ!? ぜんぜんドワーフに見えないんですけど!?」


「ドワーフの中でも貧弱な変わり種って話みてえだぜ?」


「……私、あの人だったら構わないですよ」


 ボソッとルーが言う。


「駄目、そんなのずるい! あの子だったらあたしだって……!」


「マニは青年剣士じゃなきゃ嫌なんでしょ?」


「可愛いは何者にも優先するのよ!」


 珍しくぎゃいぎゃい言い合いするマニとルーの傍らで、こちらもボソッと言ったセルフィの呟きは無視できない。


「わたしは、お金を払ってもいいかも……」


「おいおい、こちとらの商売を否定するようなこと言うなっての」


 俺は渋面で諫めるが、セルフィは夢見る乙女の表情ってより、無防備な草食動物を見つけた獣みてえなツラをしてやがる。

 三人して瞳を潤ませ、ともあれば涎を零しそうな形相でじゃんけんを始めやがった。

 結果として、ルーの勝利。


「……ってことは、ルーが相手を務めてくれるってことかい?」


「はい。喜んで」


 満面の笑みを浮かべる娘に、俺もようやっとボグボロへの義理を果たせそうだと胸を撫でおろして―――いやいや待て待て。


「やっぱおまえらには無理だわ」


「なんで!?」


 一斉に噛みついてくる三人に、なんと言っていいか迷う。

 だが、結局真っすぐにぶっちゃけることにした。


「あの野郎はな、あんな虫も殺せそうもないツラして、股間のお宝はものすげえぞ」


 ゴクリと生唾を飲み込んだ音は、何も興奮してのものじゃああるまい。

 何人もの客を相手してこなれた身体をもつベテランならともかく、おまえら全員そろって今日が初めてだろう?

 なのに、あんな並外れたものを受け入れられるかって話だ。


「……う」


 躊躇するような声をあげるルーに、


「ね、ね? やっぱりあたしが替わろうか?」


 と、マニがしゃしゃり出れば、


「いえ、ここは商家の娘であるわたしが」


「そんなの関係ないでしょ!?」


 きっぱりと顔をあげるセルフィを、二人して怒鳴りつけている。

 ったくこの三人、仲が良いのか悪いのか。

 

 ガルルと唸り声をあげるみたいに睨み合っていた娘たちだが、不意にこくりと頷きあう。

 それから連中の起こした行動は、はっきりいって俺の想像の斜め上を行った。


 三人してスカートを摘まみ上げ、だだだっといきなり階段を走り下りたかと思えば、向かったのはボグボロたちのテーブルの前。

 肩で息する三人娘に、驚いた表情を浮かべているのはギルギレだけじゃねえ。

 周囲の客たちも何事かと目を見張る先で、三人はギルギレの腕を掴んで立たせている。

 訳の分からない展開に困惑しているギルギレに、花が零れるような笑顔でにっこりとした三人は、ほとんど彼を担ぐようにして二階への階段を駆け上がった。

 その速えこと速えこと。

 連中が二階の角を折れて姿が見えなくなって、ようやっと俺は我に返った。

 慌ててあとを追うも、突き当りの部屋の扉が閉ざされる。

 そこは確かマニに宛がう予定の部屋だったか。


「おい、こら!」


 ドアを叩くがしっかりと鍵はかけられたまま。

 どうにか開かねえかとしばらく待ってみたが、まったく開く気配がない。

 それどころか中からたちまち悲鳴やら嬌声やらが聞こえてきて、俺はその場を回れ右。

 

 初めての睦み合いを邪魔するほど俺も野暮じゃねえ。

 だが、三人まとめて一人に水揚げされちゃあ大赤字もいいところだ。

 くそったれとぼやきごと吐き捨てて、俺はようやっと追いついてきたボグボロに嫌味の一つも向けずにはいられない。


「御覧のとおりご要望に応えてやったぜ? もっともアンタの甥っ子は、完全に足腰も立たねえ骨抜きにされるかも知れねえけどよ」









 結果として、俺の予想はまた外れた。


 翌朝、一晩中閉ざされた部屋から例のオドオドした態度でギルギレが出てきた。

 風呂へ入るよう促してからそっと中を覗いた俺の目に映ったのは、一言でいえば死屍累々。

 乱れに乱れた寝具の合間に転がった三人の娘は、そろって白目を剥いてひっくり返ってやがる。

 ギルギレが店を発つころになってようやく目を覚ましたものの、腰が抜けて上手く動けない様子。

 それぞれがうっとりと蕩けた表情を浮かべているのはもちろんだが、マニなどはわざとらしくハンカチを食いしばりながら、二階の窓からギルギレの姿を見送っている。


「ありがとよ、支配人」


 そう礼をいってくるボグボロと並んでギルギレを見送った俺だったが、内心で舌を巻いていた。

 よもや初めての晩に、これまた初めての三人娘を全員極楽往生させるとは。

 稀にそういう天性の床上手というか性豪が存在することを知ってはいたが、それがあんな毒にも薬にもなりそうもないヤツがねえ……。


 もっとも、この俺の見立ても間違っていた。

 文字通りの男になって何やら自信をつけたギルギレは、たちまち冒険者として頭角を現す。

 その稼ぎでまたぞろウチの店を訪れて三人を指名してくれたのは有難い話だが、マニたちが揃って他の娼婦たちを牽制して彼を独占しやがるのには笑うしかなかった。

 まあ、このままウチの娘たちに熱を上げてもらって、誰か一人でも身請けしてくれりゃあ元は取れるか。


 そんな将来を見越す俺の目論見は、またしても皮算用に終わる。

 

 そこそこ名が通ってきたギルギレは、結構なベテランの徒党に誘われたようだ。

 徒党の受けた依頼で隣国まで出張った彼は、その国の娼館でも何やらやらかしたと風の噂で聞いた。

 挙句、徒党の女冒険者に囲われて結婚しちまったらしいという風聞も流れてきた。ボグボロ宛の手紙に肯定するような詳細が記されていたことから、ウチの娘たちは揃ってガックリと肩を落とすことになった。


 ……まあ、ちょっとでも美形の冒険者ってやつは、仲間内や同業者同志で固まっちまって娼館までほとんど来ないんだよな。

 ましてやあんな押しに弱そうなギルギレだから、肝の据わった歴戦の女冒険者にしてみればこれほど美味しい獲物もあるまいよ。

 やはり、女の敵は女ってとこかな?


 娘たちは落胆はしたものの、そのまま臥せって病になっちまうような柔に育てたつもりもない。

 逞しくも別の客を取り始めた三人だったが、評判は上々だ。

 基本的に三人ともあまり態度は変わらないのだが、諸々の所作に艶っぽさが滲み出ていてたまらないとの客の談。

 思わず唸る俺に、サイベージの野郎が言ってくる。


「旦那。もしかしてあのギルギレって子は、伝説のマジカルち……」


「与太を飛ばしてねえで玄関の掃除でもしてやがれ」


 叱りつけつつ、俺としても、あのちっともドワーフに見えなかった野郎が所謂いわゆる『上げチン』というやつだったことは否定しない。

 ウチの娘たちを色気付けてくれたことには素直に感謝しておこう。



 今日も今日とてマニは、美形の剣士様とやらの来店を夢見て仕事に精を出している。

 ギルギレのようなドワーフもOKよ? って色っぽい流し目で訴えられたが、あんな変わり種はそうそういるもんじゃねえっての。


 ルーは、彼との初めての夜を過ごしてから、いわゆる筋肉フェチになったらしい。区別なく筋肉に覆われた逞しい身体に興奮するとのことで、様々な種族の冒険者が彼女の上客に名を連ねている。


 最後にセルフィだが、ドワーフの冒険者に身請けして欲しいと公言して憚らなくなった。

 なんでも、ドワーフの旦那との間にギルギレみたいな子を儲けたいってことだが、少しばかり倒錯しすぎてねえか?


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