第7話 居残り冒険者の話

「…おう、もういいぜ。ありがとさんよ」


 俺は寝台から身体を起こす。

 腰のあたりまではだけていた上着を羽織りなおすと、すぐ隣で実に色っぽい溜息が聞こえた。


「ん…、もういっちゃうの?」


「こう見えても忙しい身でな」


 苦笑する俺の目前で、蝋燭の小さな灯りの中に女の顔が浮かび上がる。

 ぽてっとした唇に泣き黒子ぼくろも艶っぽい、すこぶるつきの美女だ。


「今日も助かったぜ。おめえのマッサージは本当に天下一品だよ」


「うふふ、ありがと」


 魅力的に笑う彼女の名前はフィルメニという。

 俺がこの街に店を構えてからの付き合いも、そろそろ長かった。


「どれ。じゃあまたな」


 立ち上がろうとした俺だが、ぐいと肩を押さえられる。

 ついでにいつの間にか両足まで戒められていた。


「ねえ。もう少しだけ一緒にいない…?」


 甘い吐息が頬をくすぐる。

 続いて俺の背中や手足を一斉にくすぐったのは、何本もの細い触手。

 そのたびに、背筋がゾクゾクするような快感が走る。

 

 それもそのはず、フィルメニは多足海妖族スキュラと呼ばれる種族だ。

 本来、海辺に生息し、その端麗な容姿で男性を誘惑、精力を頂くという怪物紛いの生態なのだが、それは昔の話。

 彼女らの先祖が冒険者を差し向けられて退治されちゃたまらんと、公の種族として申請し、認められてから幾年月。

 種族としての絶対個数は少ないものの、スキュラたちは今や合法的・・・な仕事で精力を採取し、市井に溶け込んでいるとのこと。

 もっとも希少な種族であることは変わりなく、フェルメニがスキュラであることを知っている人間は、この街でもそうそういないだろう。


「ありがてえ申し出だが、また今度頼む」


 魅力的な触手の誘惑を振り切って、俺はしっかりと立ち上がった。


「もう。旦那ったらいけずね…」


 切なそうな甘い声を出すフェルメニ。

 部屋を出ていこうとする寸前、もう一度声をかけられた。


「あ、旦那! ちょっと良くない卦が出ているわ。しばらく身近な変化に気を付けて」


「どうした、占い師みたいなこといいやがって?」


「私の本業は占い師よ?」


 薄闇の中でも、フェルメニが不本意な顔をするのがわかった。

 この部屋の灯りが乏しいのは、職業柄の神秘的な雰囲気を演出するとともに、彼女の下半身全般を見えづらくするためでもあるのだ。


 まあ、一般人には、美女の下半身から何本もの触手が生えている光景はショッキングだろう。俺だって、こっちの世界に慣れてない頃は目を見張ったもんだぜ。

 それが今となっては、個人的なマッサージをお願いするべく、定期的に彼女のもとを訪れている。

 スキュラの触手はその表面から精力を抜くってことで、溜まった疲労や悪い精を抜いてもらうのが堪らなく気持ちいいんだ、これが。

 自前の温泉もあったが、フィルメニのマッサージもなくちゃ俺の身体は完調しない。

 我ながら難儀な身体だ…ってもう歳かねえ?


「忠告ありがとよ。おまえも偶にはウチの店の風呂にでも入りにきてくれや」


「あいにくと、こんななりじゃ旦那の店へと行けないよ。他の客に迷惑かけちゃう」


「店の主は俺だぜ? お前が来てくれるなら、ほかの客に四の五の言わせやしねえよ」


 フィルメニには世話になっている。彼女の身なりや種族としての在り方に、俺もわだかまりはない。

 だいたいどんな相手だって、話が出来て互いに仁義を弁えてりゃそれで充分だろ?

 なので彼女がいつ店に来ても、ぞんぶんに歓待して礼を尽くすつもりだ。


「でも…」


「おめえが気になるなら、いっちょ女風呂を貸し切りにすんのも吝かじゃねえ。そんな騒ぎもごめん被るってんなら…そうだな、今年の蒼月祭の晩なんかどうだ? その日なら店も休みだしよ」


フィルメニは軽く目を見張るとそっと溜息。


「…旦那って、つくづくたらしよねえ」


「世辞はよせよ。俺がおめえをたぶらかしてどうするってんだ?」


「それこそ私の台詞じゃないの…?」


 互いに苦笑を交わし合い、俺はフェルメニの店を出る。

 ウェッピン川沿いの瀟洒な館が彼女の住まいだ。


 川沿いの道を歩き、ふと幻翠苑に足を運ぼうかと思ったが、フィルメニの忠告を思い出し自重。

 普段らしからぬ振る舞いは厳に戒めるべき、ってやつだな。


 中心街に差し掛かったのは時刻はちょうど昼下がりといったあたりで、裏路地にも人影はない。

 先年と打って変わった東方の大豊作の余波は十分にここまで及び、景気も良くなっている。

 地域の村々も収穫に忙しく、口減らしの子供も出る暇もないので、こうやって街に浮浪児の類も溢れてこない。

 なんせ冒険者ギルドも、農家の収穫の依頼を斡旋した方が儲かるってボヤくくらいだからな。


 まあ、これが本来的には健全ってことで良いことだ。

 そんな風に口笛の一つも吹きながら歩いていると、粗末な格好で石壁の前で蹲っている娘を発見。


「ありゃ」


 その娘には見覚えがあった。先日見かけて、どこにも行く当てがないというから近所の孤児院を紹介した。

 この景気もあって、孤児院も余裕があるはずなのだが…?


「おいおい、どうしたい?」


「あ、おじさん…」


 垢だらけの顔を上げて娘は俺を見た。


「俺の紹介だってことをちゃんと言ったろ? それでもおっぽり出されたんかい?」


 娘は悲しそうに首を振ると、


「ごはんは一回食べさせてもらったけれど…。15歳以上は入れるわけにはいかないって」


 あちゃあ、と俺は天を仰ぐ。

 基本的にこの世界は15歳で成人だ。孤児院も、あくまで子供の面倒を見るのが建前だから、15歳になれば問答無用で放り出されてしまう。

 そんでも多少年齢を偽れば、せめて2~3日くらいは居座れただろうに。

 そこんとこを言い含めておかなかった俺のミスかも知れない。


「って、おまえ幾つなんだ?」


「17」


「ふうむ」


 背は低く、ぼさぼさの髪に肉付きもあまりよくない。

 俺が15歳以下のガキと見誤ってしまったのは不覚だが、このまま見過ごすもの後味が悪い話だ。


「おまえ、名前は?」


「…ケイラ」


「ケイラか。よし、とりあえず風呂へ入りに行くぞ」


「…え?」


「まずは身綺麗にして、それから働き口を紹介してやらあ。なに、この景気だ。その日の飯を食う程度なら、どこでだって稼げるだろうよ―――」










◆◆◆◆


 サラサラの毛先に頬を擽られて目が覚めました。

 隣を見れば、レネットさんの白い肩が眩しいです。

 そっとベッドから這い出ると、「う~ん」と唸りながらレネットさんは寝返り。

 その拍子に毛布が落ちて、おわん型の乳房がペロッと丸出しに。

 いやあ、朝っぱらから眼福眼福。

 思わず拝んでいると、


「…あれ? 先生、もう起きたの?」


「先生はやめてくださいってば」


 眠そうに眼をこするレネットさんに向けて苦笑い。


「あたしはただのケチな冒険者崩れですよ」


「でも、ネイブもサマンサも、みーんなそう呼んでいるしぃ…」


 語尾がむにゃむにゃとなって、レネットさんは再び布団へぱったりと。

 あたしはその上半身に毛布を掛けて差し上げましょう。

 カーテンの隙間から差し込む光に照らされる彼女の寝顔は本当に綺麗で、しばし見惚れてしまいました。


 おっと、こうしちゃいられない。

 そっと部屋を出て、寝静まった娼館を抜き足差し足。

 外に出れば、早朝の空気も清々しく。

 清々しい気分のまま、店先を綺麗に掃き清めてまいりましょう。

 看板はお店の顔ですからね、と念入りに拭いていれば、ぼちぼち増えてくる人通り。


「あら、サイベージさん、おはようさん」


「はいはい、おはようございます」


 籠いっぱいの野菜を背負ったおばあちゃんと朝の挨拶。


 おっと申し遅れましたが、あたしの名前はサイベージ。

 この娼館でお世話になっている、なんともケチな野郎でございます。






 あらかた掃除を終えて煙管で一服していると、にわかに娼館の中が騒がしくなってきました。

 ぞろぞろと暖簾を上げて出てくるのは、装備で固めた昨晩泊りのお客さん方。

 一番最後に出てきたのは旦那で、店の前までくると全員に如才なく頭を下げてのご挨拶。


「―――またのご利用をお待ちしておりやす」


 その隣で一緒に「またのご利用を」と頭を下げてから、あたしは旦那へと挨拶。


「旦那、おはようございます」


 じろりとキツイ目つきで睨まれてしまい、思わず首をすくめるあたし。


「…おめえ、いつからうちの従業員になったんだ?」


「いや、まあ、そこは成り行きとでもいいましょうか」


「成り行きもヘチマもあるか。俺と並んで見送る側じゃなくて、見送られる方だろうが、てめえは」


「ギルドの依頼を受けようにも、あいにくと鎧も武具も売り払ってしまいましてね…」


それでも旦那の店の支払いには到底足りず、こうやってグズグズしている次第でして。


「ふん…」


 面白くなさそうに鼻を鳴らし、旦那は店の中へ。


「おやすみなさいまし」


 宵っ張りで営業する娼館は、いよいよこれから本格的にお休みの時間。

 旦那もようやくがっつりと眠るんだろうけど、見送ったあたしにはやることは山ほどあるわけでして。


 まずは旦那のおやすみと入れ替わりで出勤してきた小僧さんと脱衣所の掃除。

 床を綺麗に掃き清めてゴミを片付け、それからいよいよ風呂場の掃除です。

 一旦温泉を止めたのち、タイルや浴槽をこれまた隅々まで磨き上げ、排水溝のゴミ掃除も忘れずに。


 男風呂をやっつけてから女風呂も掃除し、終わったのはきっかり四時間後。

 それから一時間かけてお湯を満たして一番風呂を頂くのは、旦那直々にお許しを頂いた掃除番の特権です。

 おっと、ちょいと小僧さん、あっちへお行き。女風呂はあたしの貸し切りだよ。

 まあまあ、膨れない膨れない。あんたはもうちょっと大きくなってからね。


 ってなわけで、のびのびと朝湯を堪能し、風呂上りにまったりとしていると大食堂からいい匂い。

 ヘカトンケイルのゲンさんが六本の腕を振りながら食事の支度をし、近所の店からお使いの小僧さんがパンを買ってきたのは世間で言うところのお昼過ぎ。

 ようやく目覚めた娼婦の皆さんも食堂へと集まってきました。

 旦那がやってきて、両手を合わせて「いただきます」。それから一斉に朝食となるのだけれど、よくわからない風習ですね。

 一度旦那に尋ねてみたけれど「そんなの当たり前だろ!?」と一喝されておしまい。


 ああ、労働のあとのご飯は美味しい。

 たっぷり頂き腹もくちくなったあたしは、旦那の白い目にもめげず、空いている部屋でひと眠り。

 たいてい掃除に来た下働きの子たちに追い出されるんだけれど、今日も早々に放りだされてしまいました。

 まだ寝たりないなあ、とふらふら向かったのは中庭で、その井戸の近くで見つけたのは新しい顔。


「あ、そこにいるのはケイラさんですか?」


 びくっと華奢な後姿が震えて、振り向いてくる姿はやはり間違いない、最近旦那が拾ってきたケイラという名の娘さん。


「あ、あの、お客さん…?」


「いえいえ、あたしは客であって客でないというか」


 驚いているケイラさんの右手をとって、その甲に軽く口づけ。


「この館で世話になっているサイベージという者です。以後お見知りおきを」


「は、はあ…」


 茫然としたのも一瞬のことで、ケイラさんは気味悪そうな表情で走っていってしまいました。

 まあ、あたしのこんな黒づくめの風体を見たら仕方ないかも知れませんがね。


 それにしても旦那の酔狂にも困ったもんですなあ。

 路頭に迷っている子は、ホイホイと自分の店に連れてきちゃう。

 不用心だか器が広いんだか分かりませんよ。

 であるからこそ、あたしも居心地よくお仕えさせてもらっているんですけどね、ははは。






「あ、先生! この間の続き、お願いします!」


 娼館の廊下を歩いていると、そう呼び止められてしまいました。

 二年前のレミリィちゃんの結婚式でうっかり歌を披露してしまったのが原因でして、少しばかり後悔している今日この頃。


「その先生ってのはやめてもらえませんかね?」


「でも、歌は凄く上手ですよね? だったら先生って呼ぶしかないです」


 そういってあたしを見上げてくるのはスージーちゃん。彼女を先頭に、背後には他にも娼婦さんが数人。

 見習いの子まで並んでいて、見上げてくるキラキラとした瞳が、日陰者のあたしにはひたすら眩しい。


「わ、わかりました。わかりましたからね。きちんと並んで並んで…」


 手慰みで覚えた歌がここまで必要とされるとは思ってもみませんでした。

 いやはや、人生ってのは本当に何が起こるか分からないものです。


 旦那の景気の良い声が気の早い来客を告げたので、今日の歌の授業はおしまい。

 皆して不満げな顔つきになってますけれど、あなたたちの本業はそっちですよ?


「さあさ、皆さん、お風呂とお化粧の時間が無くなりますから」


「は~い」


 散っていくみんなを見送って、あたしはちょいと小休憩。


「あ、また勝手にビール飲んでる~」


 給仕長のメンメさんに叱られてしまったけれど、あたしはさっきまで歌の稽古をつけて喉がカラカラなんですよ。どうか見逃して下さいな。

 すると、目の前にはぶっとい腕が。


「ほれ。試作品だが食ってみろ」


 ゲンさんの六本あるうちの一つの手には、小さく見える皿。その上に茹で立てのソーセージ。


「もうゲンさんったら最高ですよ!」


 さっそく齧りつけば熱々の肉汁と香草の香りが溢れ出します。それを冷えたビールで流し込めば堪らない。しみじみとため息が漏れてしまいました。


「ああ、あたしが女だったら、ゲンさんに抱かれてもいいところですよ」


「やめろ気色悪い」


 素っ気なくいって調理を再開するゲンさん。

 改めて礼を言って、あたしは娼館の中をそぞろ歩きます。

 綺麗どころが闊歩して活気溢れるこの感じ。

 いやあもう、毎日毎日ワクワクが止まりませんぞ。


 まあ、これだけ人が集まれば熱気も上がり、ついでに血の気も上がるのは道理ってやつでして。


「おい! いつになったら俺の指名した娘が来るんだっ!?」


 ジョッキ片手に叫ぶ赤ら顔の冒険者さん。

 丸々一晩買い上げられる嬢がいる一方で、時間ごとに、一晩に何人も相手をする人気の嬢もいるわけでして。

 こちらのお客さんは、どうもその待ち時間をこらえられない性分らしく、さっきから10分に一回の割合で怒鳴り声。


「まあまあ、そんな声を荒げたところで、時間が早く過ぎるわけじゃあございませんよ」


 あたしの声に、酔いにどろったした瞳が剣呑にゆがむ。


「なんだ、おまえは!?」


「当館に住み着いた、気まぐれな道化ってところですかねえ。いっちょお客様の無聊を慰めて差し上げようかと罷り越しました」


「道化…? ふん、いいだろう。だが、つまらん芸を見せたら張り倒すぞ!」


「それは怖い。では、気張らせていただきましょうか」


 言いざまに、あたしはその場でとんぼを切ります。

 続いて取り出したるはナカングの実。

 鶏の卵くらいのそれを懐から次々と取り出して次々と宙へ飛ばしてお手玉。

 周囲の喝采を受けて調子にのってどんどん数を増やしていく。

 あたし自らもくるくると回転しながらお手玉を続け、落ちてくる片端から袖の中へと受け止める。

 最後の一個をわざと顔面で受けたのはご愛敬、と。

 それから拍手をしてくれたみなさんに深々と一礼。


「いかがでしたか?」


「…ま、まあ、けっこう見れたもんじゃねえか」


「そいつはようござんした。あ、ちょうど嬢の準備も出来たみたいですよ」


 階段を下りてきたペリンダさんに酔っ払い客をお引き渡し。

 ああ、今日は殴られも蹴飛ばされもしませんでした、良かった良かった。


 さあ、これで静かになったと思ったら、今度はテーブルに突っ伏してわめく泣き上戸。


「あああ、俺はダメだあ。ダメ人間なんだああ…」


「これはこれはどうしました?」


「しょせん冒険者なんて銅貨一枚の値打ちもないんだああ…。俺は最低だあ…」


 酔っぱらって本音が出るのはともかく、その台詞はこの場にいる他の同業者の皆さんには聞き捨てなりませんよ?


「いやいや冒険者も立派なお仕事ですよ。腕一本で迷宮に挑み、宝を見つけてうだつを上げる。まっことロマン溢れるってもんです」


「…本当にそう思っているのかあ? あんたに何が分かるってんだああ…」


「もちろんわかりますとも。こう見えても、あたしも冒険者の端くれですから」


「あんたも冒険者なのか…?」


「ちょいと悪い酒が入ってしまったみたいですね。空き部屋を貸しますから、少し横になられては?」


 ぐでぐでになった男を食堂のとなりの部屋の粗末なベッドへ寝かせて、パンパンと手を払ってと。


 さてさて、当座は落ち着いたようですね。

 事が済んだお客さまは、お帰りはあちらから。

 お泊りのお客さんは、お部屋でどうぞごゆっくり。


 そろそろあたしもベッドにしけこもうかと思い始めた夜半過ぎ。

 勝手に戸締りの確認と見回っていたら、ふらふらと歩く人影を発見。


「あ、お客さん、トイレだったらこっちですよ、こっち」


「…む、そうか」


 危うい足で去っていくのは、きっとお泊りのお客人。

 酔っぱらって元来た部屋を忘れてしまうってのが結構多いんですよね、これが。

 まあ、あとは相方の嬢にお任せしましょう。

 さて、今夜のあたしのお相手は…と。


 コンコンと扉を叩けば、ひょっこり顔を出すのはニースさん。


「あら? 先生、どうしたの?」


「いえね、今晩泊めて頂けないかな、と」


 ニースさんは軽く目を見張り、それからにっこり。


「嬉しい。喜んで」


 ありがとうございます、と礼を言う前に、首っ玉に抱きつかれてしまいました。

 ああ、わかりましたわかりました。廊下でこれ以上は拙いです。せめて中へ入って扉を閉めてから。ね?






 翌朝も早くから起き出して掃除も済ませ、昼ご飯も頂いて一服していたら、旦那からのお呼び出し。

 渡されたのは革袋で、中には銅貨が十枚ほど。


「これは…?」


「今日、ケイラのやつに休みをくれてやったんだけどよ」


 この間拾ってきた新顔のあの娘さん、この娼館で働かせて一か月になるんですって。


「けれど、手持ちも何もやってねえんだ。そんなんで街中歩いても暇を持て余すだけだからよ。いっちょ探してコイツを渡してやってくんねえか?」


 拾ってきた子の面倒を見ているだけでも大概なのに、下働き見習いに小遣いほどでも給金を支払うなんて、旦那は人が良いにもほどがありますよ?


 そうは思いましたけど口には出しませんよ、もちろん。

 ですが、どうやら態度には出てしまったようで。


「四の五の言ってねえで、とっとと行ってきやがれ」


 ぶっきらぼうな口調で叱られてしまいました。


「はいはい、旦那の仰せなら喜んで」


 と、そろそろ日も暮れようかという街へと繰り出してみたわけですが、何も宛てなんぞありません。

 こりゃあ、ケイラさんが戻ってくるまで娼館で待っていればよかったかな?

 でも、そうなると旦那の言いつけを果たせなくなるわけだし…。


 ふらふらと歩いていれば、どうにも人気のない区画へ入り込んでしまったようです。

 そして、その先にケイラさんの姿を見つけることができたのは、きっとあたしの日頃の行いの賜物でしょう。


「ああ、ケイラさん」


 そう迂闊に声をかけるほど、あたしも間抜けじゃありません。


 どこにも行く宛てもなく旦那に拾われた娘が、どうしてこんな人気のない路地裏に?

 そっと壁の影から伺うと、入り組んだ路地裏にはちょっとした広場みたいな場所がありました。

 そこでは焚火が焚かれ、使い込まれた炊事道具も一緒に転がっています。


 その光景に、あたしは眉を顰めます。

 基本的に街中の野宿はご法度なこともありますが、そこでケイラさんを待ち構えている風に座り込んでいた冒険者たちには見覚えがありました。

 つい先日、食堂で泣きはらしていた客。ふらふらと真夜中の娼館を歩いていた客。

 はてさて、一体どういうことなんでしょうかね?


 ケイラさんが周囲を気にするように首を巡らしています。

 あたしはすかさず気配を消して、周囲の影に紛れました。あたしも伊達に黒い服を愛用しているわけじゃございませんので、隠形はお手の物です。


「―――首尾はどうだ?」


 男の一人がそうしゃべりました。声は聞こえなくても、唇の動きは読めますからね。


「大丈夫。問題ないわ」


 答えるケイラさんは、店での大人しそうな印象と違って蓮っ葉な感じです。


「なら、これを使え」


 もう一人の男が、小さな革袋をケイラさんに放りました。


「これは?」


「遅効性の痺れ薬さ。こいつを店の井戸に放り込んどけ。三日後には全員丸一日は動けなくなるはずだ」


 受け止めて、中をちらりと見て顔をしかめるケイラさん。


「いっそ、すぐ殺しちゃう毒にしたらどお?」


「そんで死体の山の娼館から、おまえの姿が消えているってか? そんなもん、誰かがやったか一発でわかるってもんだろう?」


「ああ、そりゃそうだね」


「だから、おまえも一緒にその薬の入った水を使うんだ。なあに、死にやしねえから安心しろ。それも嫌だってんなら、せいぜい衛兵が踏み込んできたときに、痺れたふりをする芝居を練習しとけよ」


 いやあ、傍から聞いていても、なんとも物騒な話ですねえ。

 だからといって、あたしのやっかいになっている店の話と決まったわけじゃ―――。


「にしても、あの娼館は本当に金があるんかね?」


 冒険者の命は銅貨一枚とか嘆いていた男が、ケイラさんに尋ねました。


「それは間違いなくあるね。なんせ朝飯に皆に白パンを振舞うくらいだよ?

 おまけにこんなあたしを手元で遊ばせてくれてるんだから、絶対に金を持て余したお人よしに違いないって」


「へ、懐に入れたのが毒蛇とも気づかねえとはなあ」


 爆笑したのは夜中にウロウロしていた男で、ふむ、あれは建物の構造を探っていたのですか。


 そういって笑いあう三人の顔を、焚火の炎が赤々と照らしてました。

 気づけばすっかり日も暮れて、とても良い頃合いですかね。


「悪巧みするときは、もうちょっと静かにするもんじゃないですかね?」


 あたしがそっと広場に姿をさらすと、三人組は揃って固まりました。


「…サイベージ、さん?」


「おや、あたしの名前を憶えていてくれましたか。嬉しいですねえ」


 にこやかに笑いながらケイラさんに近づいて、彼女の手から革袋を頂戴しました。

 替わりに、旦那から預かった銅貨入りの袋をどうぞ。


「…てめえ、聞いてやがったのか?」


 唖然とするケイラさんの横で男二人が腰を浮かします。


「はい。この耳ではっきりと」


「てめえ!!」


「おっと、お静まり、お静まり。

 別段、あなた方がどんな悪だくみをしようとも、あたしには関係ないことですよ。

 盗み押し入り詐欺騙し。

 こんな世知辛い世の中ですからね、生きるためには皆さん必死ってやつでしょ」


「だからって、無事に帰れると思うなよ、この野郎…!!」


 ギラリと剣が抜き放たれました。 


 やれやれ。やっぱりこうなります?

 あたしはふーっと大きなため息。

 それから軽く息を吸い込んで―――。



「―――動くな。そして、口を閉じろ」



 はい、二人ともお利口さん。

 ピタッと仲良く止まって、まるで彫像みたいですね。


「なにしたの!?」


「おやおや、ケイラさん。そんなに怖がらなくていいですよ」


 微笑んで見せると、ケイラさんの腰の後ろに回されていた手が鋭く動きます。


「おっと、危ないですねえ」


 手首ごと受け止めたダガーにはべっとりと紫の液体が。臭いからして、何かしらの毒でしょうね、こりゃ。


「こんな物騒なものは捨ててしまいましょうね」


 手首のツボを軽くつくと、手を離れたダガーは地面に転がりました。

 痺れた手首を押さえて見上げてくるケイラさんの怯えた瞳。

 安心させるように、あたしはゆっくりと頷きます。


「そんな怖がらないで下さいな。

 さっきも言いましたけれど、あなたたちがどんな悪だくみをしようが、あたしの知ったこっちゃないんです」


 もしかして、見逃してくれるの?

 唇がそんな風に動いたのを見て、あたしもとびっきりの笑顔で応えます。


「いいえ」


「!? なんで…!!」


「あたしのことは本当、どうでもいいんです。殴られ、小突かれ、殺されかけても神に誓って文句はいいませんよ。

 でもね―――」













「―――あなたが、旦那の好意を裏切ったことだけは、どうしても許せないんですよ」












 軽く左手を一閃。

 見れば、小指の先がちょっとだけ赤く染まっていました。


「ありゃりゃ、鈍っちゃいましたか」


 ペロリと指を舐めてから、あたしは広場に彫像のように立った三人を眺めます。

 あれれ、みんなして脂汗なんか流しちゃってまあ。


「どうか三人とも動かずに。回復魔法の使える方でも通りかかれば、命は拾えるかも知れませんよ?」


 そのまま鼻歌交じりで路地を出れば、目前をひょこひょこ歩く禿頭はベルランド司祭様じゃあありませんか。


 なんとも、あいつら運が良いことで。

 それじゃあ、いっちょ。


「こんばんは、ベルランド司祭さま」


「おう? サイベージ殿か。相変わらず闇夜のような格好よの」


「これからどちらへ?」


「うむ、日課の散歩をしてから、教会で祈祷をな」


「ああっと、行先の順序を逆にしてしまいますが、ちょいと司祭さまにご相談というか、懺悔したいことが」


「ふむ? どういった内容かの?」


「アルペン橋の隣の花屋の未亡人のことはご存じでしょう? 実は彼女にお茶に誘われたのですが、それを聞きつけた雑貨屋の嫁ぎ遅れが首を突っ込んできましてね。よりにもよって二人でしっぽりとベッドに転がっていたところに、有無を言わせず踏み込んできたと思ったら、こいつまでいきなり服を捲り上げて―――」


「そ、そこまで!」


 司祭さまは周囲を見回し、ゴホンと咳払いを一つ。


「続きは、教会の懺悔室でゆっくりと伺わせて頂こう」


「はい、よろしくお願いしますよ」


 とても徳のある方と敬われる一方で、艶話には目がないベルランド司祭。

 実に人間臭くて、あたしはめっぽう好きですよ?









――――




 焚火の燃える路地裏の広場で、二人の男と少女は微動だにしなかった。

 燃える焚火の炎も、新たな薪を投じなければ燃え尽きる。

 日もとっぷりと暮れ、熾火だけが闇に仄かに光る中。

 どこからか、一匹の犬が路地裏へと迷い込んできた。

 その野良犬は、彫像のように立ったままの三人の足元を、興味深そうに歩き回る。

 ふんふんと幾度も鼻を鳴らし、それでも何も反応しないものだから、犬は一人の男の足へと噛みついた。

 その瞬間、男は悲鳴を上げるように顔を歪めて―――その顔のままゆっくりと男の首が傾き、肩の上から滑り落ちる。

 連鎖するように、もう一人の男の首と女の首も肩の上から転げ落ちた。

 声もなく三つの生首が地面に転がった半瞬遅れで、立ち尽くす首なしの胴体から間欠泉のような血が噴き出す。

 たちまち犬はきゃんきゃんと鳴きながら逃げ出し、広場は真っ赤な驟雨で染まった。


 翌朝になり、三つの死体は衛兵たちによって発見。

 惨状に首を傾げるも、それぞれの胴体が刃物を握っていたことにより、仲間割れか何かしらの刃傷沙汰として処理されることになる。





――――









 今日もきょうとて人肌で暖められたベッドで目を覚ます幸せ。


「…ん。先生、もう行っちゃうの?」


 ホッと息を吐き髪をかき上げるのは、昨晩の同衾相手のアリンさん。


「ええ。アリンさんはどうぞまだゆっくりと休んでいてくださいな」


 あたしは居候みたいな身ですからね。働かざるもの食うべからずってやつですよ。


「ねえ、先生」


「はい?」


「一緒にベッドに入るだけで、どうしていっつも抱いてくれないの?」


「…若い娘さんとは、肌を合わせて眠るだけで満足なんですよ」


 思わずポンとアリンさんの頭の上に手を載せてしまうあたし。

 するとアリンさんは唇を尖らせて、


「本当~? 実はすごい技を持っているって聞いたんですけど?」


「噂ですよ、噂」


「仲間内でね、誰が一番最初に本当に抱いてもらえるかって賭けているんだけどぉ…」


 一転、物凄く色っぽい流し目をしてくるアリンさん。

 逃げるように部屋を飛び出したあたしは、さっそく今朝も店の前の掃除から。


「おい、サイベー」


「はい、どうしました? って、旦那、あたしの名前はサイベージですって」


「ケイラのやつの姿が見えねえって話なんだが、おまえ何か知っているか?」


「あ! はいはい! 忙しくていい忘れてたんですがね、先日、お給料を持って行ったときに、なんでも近くの村から来た親戚とばったりあったとかで。そのまま一緒に村へ行くって言ってましたよ」


「挨拶もなしでか!?」


「拾ってきた子に、そこいらへんの礼儀を期待するのは無理な相談じゃないですかね?」


「…そうかもなあ」


 ガックリと天を仰ぐ旦那。

 それからあたしのことを睨んできます。


「ケイラの話、本当マブだろうな…?」


「ええ、本当も本当。神に誓って本当です」


「…けっ」


 寂しそうに吐き捨てて奥へ引っ込んでいく旦那。


 …本当は旦那も薄々気づいていたんでしょう? 

 ケイラさんの荒れた手にあった、人差し指と親指のタコの削りあと。

 あれは、いわゆる錠開けをしてきた手であって、堅気の手じゃないってことを。


 それでも信じたかっただろう旦那の胸中を思えば、あたしの心も曇ります。

 消沈した気持ちで店の中へ戻れば、なにやら奥が騒がしいですね。

 駆け付ければ、娼婦見習いのロサちゃんがおいよおいよと泣いているじゃないですか。

 なんでも、大事にしていた人形の足が折れちゃったとのこと。


「どれ、一つ見せてもらって構いませんかね?」


 しゃがみこんで受け取った人形を検分すること暫し。

 ん? 足が折れたっていうより、こりゃここの発条が外れただけみたい。

 ならばここをこうして、こう。


「はい、直りましたよ」


 返してあげると、太陽みたいに晴れ渡るロサちゃんの顔。


「ありがとう、先生!」


「いや、だからあたしは先生じゃなくて…」


 ぼりぼりと頭を掻いていると、ふああと欠伸をしながら訊いてくるクエスティンさん。


「本当、サイベージさんって、何者?」


「…何者とおっしゃられても。元はしがない冒険者ですけどね」





 ええ、ですから胸を張っていいましょう。


 あたしの名前はサイベージ。


 この娼館から離れられない、居残り冒険者のサイベージでございます。



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