第9話 元冒険者が皇女殿下と密かに合う話



 現場に到着すると、まずは軍隊のお偉いさんに面通しだ。


「後方部隊とこちらの駐屯地を統括するバルガスであります」


 そう名乗った男は、如何にも叩き上げという感じのする朴訥な巨漢である。

 一介の娼館の親仁に慇懃な態度を取ってくれるが、これは皇女殿下サマのサイン入りの命令書がものを言っているわけじゃないようだ。

 言動の節々が丁寧で柔らかい。だからといって変に遜っているわけでもなく、元からの性格が温厚と見た。

 皇国も、なかなか良い人材の登用をしているようだ。


 バルガスの案内で、俺らは周囲を見て回る。

 しっかし駐屯地と呼称しているが、こりゃ立派な街だぜ。

 聞けば、元は廃村だったそうだが、いまやそこの周辺に倉庫や兵舎が建てられている。

 要は廃村を中心街として、俺たちはそこで娘たちを働かせることになるわけか。


「ふむ…」


 俺は、廃村の幾つかの建物を見て回る。

 建築物自体は傷んでいるものが大半だが、補修すればどうにかなりそうだ。


「おい、コーレルさんよ」


「はいはい、いかがいたしました?」


 揉み手をしながら現れたのは、遥か皇国から隊列の最後尾をついてきたランブル商会の若番頭。


「まずはベッドと替えのシーツを大量に。あればあるだけ有難い。

 それから内装や調度品の手配を頼む。出来れば、建物ごとに統一感を出したい」


「承りました。二、三日中に都合をつけましょう」


 打てば響く返答だ。

 なんでも道々で商会の人間を近隣の町へと置いてきているらしい。

 その中間地点にも商会の人間を置いて、これを伝達役とする。

 そうすることによって、迅速に方々の町や村から物資を搔き集めてくるって寸法だ。

 当座は大森林を抜けた先の町や村から都合するが、数日あればスニーエの港からも運び込めるだろう。


「頼む」


 商人の分野は商人に任せ、俺は別の仕事の片づけに入る。


「取り合えず、それぞれの店の前にマグダリアの鉢植えでも置くか」


 例の性病探知のための花である。この花弁を浸した水に手を入れて色が変わったやつは、問答無用で利用不可であることを徹底させなければならない。

 続いては外装もなんとかしなけりゃなあ。

 美人な娘どもが出迎える店が、おんぼろのなりのままじゃあ客も萎えるってもんだろ?


「それでバルガス隊長どの」


「はッ。なんでありますか?」


「兵隊の中から、普請の達者な連中がいたら、何人か駆り出させて頂きたいんですがね?」


 軍へと志願して兵士となるわけだが、元をただせばそいつらも市井の人間だ。兵士になった理由は色々あるだろうが、大工や職人の倅も多く、たいていは工兵へと回されるはず。

 おそらく、村の周囲の兵舎や倉庫も、工兵となった連中が建てたものだろう。


「了解しました。さっそく通達を出して従事させましょう」


「お願いいたしやす」


 街中の井戸の数は問題ない。娼婦たちが行水するくらいはどうとでもなるか。

 だが、相手をする兵隊たちもとなると、いささか心元ない。


「時に、兵士の皆さんは、どうやって身繕いをしてらっしゃるんで?」


「ああ、それでしたら」


 バルガスを先頭に中心街予定地の村を出る。周辺の兵舎も抜けて歩くと、緩やかな勾配が。

 そこから見下ろせば、そこそこ大きな川が流れている。

 きっと廃村になる前は、おかみ衆がここまで洗濯や作物を洗いに来ていたに違いない。

 今は、川べりに数人の兵士がいて、それぞれが着ている服を洗ったり水を浴びたりしていた。


「あの川の下流の方に絞って、身体や武具の汚れを落とすことを許可しています」


 つまり、上流は飲料水や炊事に使っているってことか。

 感心する俺の横で、バルガスは日焼けした顔を顰める。


「ですが、さすが北方ということで、朝晩はかなり気温が下がります。

 日中だからこそ水浴も出来ていますが、この先のことを考えると…」


 最もな心配だった。

 北は雪の足も速い。雪が降るほど寒い中で、凍るような水で身体を洗う野郎なんてよっぽどの酔狂だ。

 なので俺は提案する。


「だったらいっそ、風呂でも作ってみようじゃないですか」






 川から支流を引くように、もう一本の流れを作る。

 その内側に沿って、大きく地面を抉って、底に板を敷き詰めりゃ、即席の浴槽になるって寸法だ。

 支流から注ぎ口と排出口をつけると、ちょうど田んぼみたいな感じになる。


「…ですが、これを満たすほどのお湯をどうやって沸かすというのですか?」


 仮にこんな広い浴槽を満たす湯を準備するとすれば、いったい幾つもの鍋が必要になるか。

 もしくは水風呂に火炎の魔法をぶち込むって方法もあるにはあったが、よもや風呂のためにそんな貴重な魔法をぶっ放す許可なんぞも下りるわけがない。


「そいつもちゃーんと考えてありますよ」


 俺は、支流と本流の中間地点となった、ちょうど中洲のようなエリアで盛大に火を焚かせている。そこには風呂を掘っている最中に出てきたデカい石を選りすぐって、念入りに炙っていた。


「そいじゃ、頼みますよ」


 俺の指示で、分厚い火トカゲの皮で作った手袋を着けた兵士の皆さんが、それぞれに焼けた石を浴槽へとぶち込んでいく。


「…おおッ!?」


 じゅーっと水が泡立ったと思ったら、まもなくグラグラと湯気が立ち昇る。

 手を突っ込んでみれば、


「うん、いい塩梅だ」


「素晴らしい!!」


 驚きつつも絶賛してくるバルガス。

 石は回収して再利用できるし、どうせ篝火は獣よけに四六時絶やしちゃまずいのだから正に一石二鳥ってやつだろう。


「こんな方法を、いったいどこで…?」


「遠い異国に、こうやって湯を沸かすところがあるって聞いたことがありましてね…」


 俺は苦笑して応じる。

 元の世界の知識では、確かプータンって国ではこんなふうに湯を沸かして風呂に入っているとかって聞いたことがあった。

 日本でも、わっぱ煮とかわっぱ汁ってことで、竹の器に焼き石をぶちこんで煮立てる料理がある。


「ともあれ、兵士の皆さんも、せいぜい身綺麗になさって下さいな」


 この陣が長引くようだったら、そのうち雪よけの屋根を載せてもいい。

 そもそも湯につかるだけで疲れの回復度合いはだいぶ違うし、清潔配慮は健康への第一歩だ。

 娼婦だって垢塗れの男に抱かれるのは嫌だろうし、特に温泉を設えているうちの店の娘たちは尚更だろう。

 しかし考えてみりゃ、温泉が使い放題の俺の店ってかなり贅沢な部類だよな。









 人が動けば商人が必要になる。

 そして商人は商人を呼ぶ。

 ってな感じで、無骨一辺だった駐屯地は、たちまち賑やかな街へと作り変えられていく。

 商人たちの取りまとめはランブル商会に任せはしたが、この陣地で商いをしたいという地元の連中も寛容に受け入れていた。


「ですが、旦那。こんなに盛大に受け入れちゃ…」


 サイベージが言葉少なに言ってくる。


「構わねえよ。せいぜい派手な構えにして、グルレルフにも伝われば万々歳さ」


 噂話でもなんでも、こっちが長丁場に備えて快適な街を作っていると聞こえてくれば、グルレルフの連中も穏やかではいられまい。元の世界における小田原北条攻めと同じだな。

 そんな俺の思惑も、おそらく今回の駐屯地を差配したクラーラ嬢ちゃんは織り込み済みなはずだ。おっといけねえ、クラウディア殿下だったか。


 一方で、サイベージの懸念も分からなくもない。

 人の出入りが増えりゃ、色々と穏やかでない人間も混じってくることだろう。


「そこいらへんは、まあ、兵隊さんと、おまえの鼻に期待するさ」


 ポンポンとサイベージの肩を叩き、俺は娘たちの出迎えに足を運ぶ。

 なんでも初めての船旅で具合を悪くする嬢たちが続出し、大事を取って到着先のメルニの港で二泊。

 都合、三日遅れで到着した馬車の群れから降り立つなり、クエスティンを始めとした多くの娼婦たちが大きく目を見開いている。


「すごい立派なお店…っ!!」


「そうだろそうだろ」


 てめえの手柄でもないくせに、自画自賛したくなるくらいの見事な出来栄えだった。

 この瀟洒な店構えが数日前まではボロボロの家屋だったとは、お釈迦様でも気づくめえよ。

 もともと弱っていた土台や床は、普請に達者な兵士たちが多数動員されて、あっという間に取り換えられた。

 そこにランブル商会を先頭に、近隣の商人たちもこぞって物資を搬入してくる。

 商人たちの引き連れてきた丁稚たちは村の中の道路を綺麗に掃き清め、兵士の中の園芸達者なやつが、そのままでは寂しかろうと観賞用の木や植物を植える。

 残った空き家と掘っ立て小屋に、これもやってきた商人たちが収まって店を構えりゃ、これは文句のつけようもない立派な街の出来上がりだ。


「さあさ、みんなして飯を食ったら身体を洗って、旅の垢と疲れを落としなせい!」


 一応、それぞれの店にも炊事場も作ってあるが、街に幾つか出来た屋台や食堂で出す飯も美味い。ついでに酒まで美味い。

 方々に散っていく娘たちを眺め、俺はまずは一つ肩の荷が降りたことを確信する。

 伸びをして周囲を見回せば、たまさか娘たちを見かけたらしい兵士たちが、揃って目を剥いていた。

 自慢じゃねえが、うちの娘を始め皆綺麗どころばかり。それが、数日前まで廃村だった場所に現れたもんだから、色々と感情を持て余しているのだろう。

 そんな連中に俺は穏やかに笑いかける。


「すいやせんが、開店は明日からになりやす。みなさんもせいぜい身綺麗になさってくださいよ!」










 ―――雲が紫に染まっている。

 確か、ああいうのを東雲っていうんだったかな。


 夜が明ける直前の光景に目を細め、俺は街の中心をぶらぶらと歩く。

 寝静まった娼館の周囲で、そろそろと炊事の火が灯る。気の早い商店とかが朝飯の支度を始めているのだろう。


 この駐屯地に来て一か月も過ぎたのだから、俺の足を向ける先も勝手知ったるというやつだ。

 見回りと称して夜明けの一回りを済ませ、娼館関係者に宛がわれた宿舎へと戻る。

 そこで昼間に動く連中へと色々と申し送って、一風呂浴びてようやく眠りにつく。

 ぶっちゃければ、ヒエロの街で暮らしていた時と大差のない生活サイクルと言えるかも知れん。

 

 一月も経ったってことは、兵隊さんがたにも給料が出たってこと。

 馴染みの娘や目当ての娘のいるところに、旦那衆がちょっとした飾りや花を持参するのはどんな娼館でも良く見られる光景だ。

 そんでもって、そんな小間物を売りつけるための商店もますます増えたもんだから、その賑わいたるや半端ない。

 とてもしばらく先で軍隊同士がにらみ合っているとは思えない長閑な光景がここにはある。

 娼婦たちも、ついにはどの店のどの嬢の売り上げが一番かと競争を始める始末だ。


 俺としても苦笑をしつつ―――ここは仮初の街だってことを、重々肝に銘じなければならない。

 いくら住みやすいように見えても、ちょっといった先は軍隊が槍を構える戦場だ。それに、いずれはヒエロの街へと戻るんだからな。

 あまり細かいことは言いたくないが、いずれ機会を見て、うちの娘たちにはしっかりと話をしておかないと。


「―――とまあ、夕べの注意事項はこんなもんですかね」


「承りました。お疲れ様でした」


 まだ早朝の時分にも関わらず、きっちりと身支度を整えているマイネールは流石なもんだ。

 物腰も丁寧で、年長者である俺を立てるのも忘れない。おまけにすこぶる有能ときているので、俺としては枕を高くして朝寝が出来る。


 さて、河原に作った大浴場へでも行って一汗流すか。

 宛がわれた自室から、着替えを抱えて俺は中心街を後にする。

 さすがに兵舎の方は夜明け前でもたくさんの人間が行き来していた。

 その間を「ごめんなさいよ」と手刀を切りながら行った先の露天の浴場には人影はない。

 それもそのはずで、早朝から昼過ぎまでは、娼婦とその関係者しか利用できないように区分けしているからだ。

 まだ娼婦たちも起き出さないこの時分となれば、ほとんど俺の貸し切りである。


「すいませんねえ」


 中洲の兵士たちに俺は声をかける。彼らは魔獣よけに薪をくべて火を絶やさない番だ。同時に、浴槽の中へと焼石を放り込む係も兼任している。

 でっかい焼石を二、三個ぶち込んでもらえば、温めになった湯もちょうどよい案配だ。

 山の稜線から太陽が顔を出す様子を眺めつつ朝風呂を済ませた俺は、ゆるゆると勾配を上がる。

 もう朝飯を済ませたのだろう。さっそく装備を固めて走っている調練の兵士たちに軽く会釈をしながら街へと戻れば、漂ってくるパンの焼ける匂いにぐうと腹が鳴る。

 ついでに何やら肉の焼ける香ばしい匂いまで漂ってきたもんだから、一気に口の中に涎が溢れた。

 風呂上りの喉の渇きも併せて、冷えたビールはさぞ美味いだろう。

 けれど、朝っぱらから酒をかっ食らっても誰も咎めやしないだろうが、いささか行儀が悪いか…?


 そんな逡巡をしていると、突然肩を叩かれる。


「!?」


 咄嗟に飛びずさって振り返れば、そこに立っているのは思いもよらない人物だった。

 軽装の板金鎧に、真紅のガーヴは王宮騎士の証。


「…メッツァー!? なんでおまえがここにッ!?」


「だいぶ腕が落ちたな、レンタロー」


大袈裟に嘆くメッツァーに、俺も言い分がある。


「ったりめえだ。俺が切った張ったをやめて何年経つと思っていやがる?

 てめえとは稼業が違うんだよ」


「それであの鴉を雇っているのか?」


 メッツァーが親指で背後を指さす。

 慌てて建物の影に隠れた痩身は、きっとサイベージの野郎だろう。


「そんなことより、堅気の人間の背後からいきなり声かけて驚かすのは、行儀が悪いってもんだぜ、騎士サマよ」


「おまえが堅気ねえ…」


 ニヤニヤ笑いを浮かべながら、メッツァーのやつは似合わねえヒゲなんぞをしごいてやがる。


「つーか、そもそも何でおまえがここにいる?」


 仮にも宮廷騎士サマだ。よっぽどのことがなきゃ、国元を離れる理由はない。

 俺が睨みつけても、メッツァーはニヤニヤ笑いを崩さず、


「そりゃあ視察ってやつさ」


「視察だァ? わざわざランドフル卿ともあろう方がこちらまで足を運んで下すったってことで?」


「ついてこい」


 嫌味ったらしく言う俺に外套を翻し、メッツァーは兵舎の方へと向かう。結果として俺は元来た道を戻ることに。

 多くの兵士たちとすれ違い、向かったのは一番奥まった場所、中心から最も外れたところに建てられた兵舎の一つだ。

 隣には何やら仕立ての良い馬車が停められ、なぜか建物の前にはバルカスが突っ立っている。


「―――ご苦労」


「はッ」


 メッツァーがポンと肩を叩いて労うも、バルカスはなぜか真っ青な顔のまま。

 そのままそそくさと立ち去ろうとする姿に挨拶をすれば、


「私は、何も見ていません」


 青い顔のままでチラリと俺に目線をくれると、あとは振り向かず行ってしまう。


「レンタロー、入ってくれ」


 メッツァーに促され、建物の中へと足を踏み入れる。

 はっきり言えば、予感はあった。それが実際に当たっているかどうかはもちろん別だ。

 そしてそんな予感が的中したところで、やはり俺は驚くしかない。


「…久しぶりだな」


 思わずそう言ってしまう俺の肩を、メッツァーが掴んで引き倒す。


「控えよ。クラウディア皇女殿下の御前なるぞ」


「…皇女殿下、ご機嫌麗しゅう」


 メッツァーに倣って片膝をつき、頭を下げる。

 目前の薄いヴェール越しの麗人は微かに笑う。それから片手を上げて人払いの風に手を振ると、背後に控えていた女性の一人が気色ばむ。


「殿下…ッ」


「良い」


 一言。

 渋々と、それでも粛々と出ていった女性たちは、お付きの侍女軍団だろう。

 さして広くもない兵舎の中で、俺とメッツァーと殿下サマの三人きり。


「………」


 沈黙が流れる。

 ふと空気の動きを感じて顔を上げれば、ヴェールが微かに揺れていた。


「―――久しぶりね、レン」


 懐かしい名で呼ばれた。

 ヴェールをたくし上げ、日に焼けてない白い顔を見せる皇女殿下に、俺はなんと言っていいのか戸惑う。

 そんな俺の様子を見て、彼女は笑った。


「さっきの調子で構わないわよ?」


 鈴の転がるような無邪気な声音に、控えていたはずのメッツァーもいつの間にか立ち上がっている。

 居合わせる全員の顔に浮かぶ懐かし気な笑みもそのままに、俺は時が巻き戻るのを感じた。


 ―――あの頃は、何も怖いものはなかった。

 何でも出来て、未来という言葉は無限と同義だった。

 未だ俺たちが何者でもなかった20年以上前。 


 つと、ひんやりとした感触が俺の頬を覆う。


「変わってないわね、あなたは」


 気づけば、すぐ目前に俺の頬に手を当てる皇女殿下―――いや、クラーラの顔が。


「気安うございますぞ、殿下」


 そう口にはしているが、メッツァーの顔に浮かんでいるのは例によってのニヤニヤ笑い。


「それも止めて頂戴。命令よ、メッツァー」


「ご随意に」


 芝居がかった仕草で優雅に一礼するメッツァーだったが、たちま相好を崩したというか、馬脚を現す。

 ウキウキと衣装箱のようなものを漁り、取り出したのは酒瓶と三つのグラス。


「あなた、何を勝手に…」


 さすがに呆れ声を上げるクラーラに、 


「良い酒は飲まれてこそ、ですぞ」


 口調は宮仕えのものだったが、満面の笑みを浮かべるメッツァー。昔からの酒に対する意地汚さに、俺の既視感も大概だ。

 それから酒を満たしたグラスを渡されちゃ、本当に20年前に戻ったみたいだぜ。


「それじゃあ乾杯と行くか」


「何にだよ」


 メッツァーを軽く睨む。考えてみりゃ、まだ早朝の時分だぜ?


「あなたと再会できたことに」


 チン、と俺の持っているグラスが鳴る。

 打ち当てた自分のグラスを口に含むクラーラの所作は、えらく艶っぽく俺の目に映る。


「…ふう。レンは、本当に変わってないわね」


「どこがだ。すっかりもういい歳だぜ」


「それを言ったら私なんか大年増よ。皇都雀の悪口は聞いているでしょ? 行かずの皇女って」


「そんなの単なるやっかみだろ。今のおまえさんは、まさに女盛りってやつだぜ?」


 酒の席では無礼講。

 俺とメッツァーの不文律だったが、どうやら皇女殿下も毒されているよう。

 まあ、それもいいさ。

 なんせ20年前は一緒に旅をした仲だ。

 正確に言えば、俺とメッツァーの請け負った仕事が、クラーラ嬢ちゃんの道中の護衛だったんだがな。


「…相変わらず口が上手いわね。それとも、さすが商売柄というべきかしら?」


 上目遣いで睨んでくるところなんざ、あの頃のほんの小娘だったクラーラ嬢ちゃんのまんまだぜ。

 懐かしさに笑いがこみ上げてきたところだが、俺は世辞ではなく本心を言う。


「いやいや、佳い女ってのは、年輪を重ねるみたいに、ますます綺麗に美しくなるって話さ」


「私が、佳い女?」


「この場に他に誰がいるってんだ? つーか、だからこそ妬まれて陰口叩かれるんだろ?」


 酒杯片手に見返すと、クラーラのやつ、せっかく上げたヴェールをまた戻してやがる。


「…相変わらず誑しだな、おまえは」


「おめえこそわけ分からねえこと言ってんじゃねえよ、悪たれメッツァーさんよ」


 そうやって睨みあっていると、なんとも懐かしくて仕方ねえ。

 昔と同じやりとりを交せば、本当に身も心も20年まえに飛ぶ―――なんてのはやっぱり幻想だ。


「―――レン・オズマ」


 クラーラ嬢ちゃんの凛とした声。


「おいおい、その呼び名はよしてくれ。こっぱずかしい」


 冒険者稼業をしていたころに名乗っていた名だ。そこそこ通ってはいたと思うが、思い返せばカッコつけすぎて恥ずかしい。


「ならば、尾妻連太郎」


 嬢ちゃん? と言いかけて、俺は口をつぐむ。

 見れば、隣にいたはずのメッツァーはまたぞろ膝を追って平伏していた。

 ヴェール越しの透徹した眼差しを受けて、俺も慌てて居住まいをただす。

 急に皇女殿下へと立ち返った彼女。

 その声音は、人の背筋を伸ばし、恭しく従わせる質と重さをもっていた。文字通りの鶴声というものだろう。


「此度の私めの要請に従いし仕儀、見事である」


「…はッ」


「その功に対し爵位を贈り、エルトランド領へと封じることとする」


「…へッ!?」


 エルトランドとは、ヒエロを含めたあの地域一帯のこと。

 爵位と領地ってのは、褒美の常套だ。

 だが、いきなりそれを俺に―――ってのは茶番が過ぎる。


 見れば、伏せられたメッツァーの頭が小刻みに震えている。

 対面の皇女殿下まで一緒に肩を震わせているじゃねえか。


「おいおい、てめえら。お巫山戯も大概にしろよ!?」


 思わず声を荒げる俺に、顔を上げたメッツァーの目は笑っていない。


「確かに酒の席での酔狂も過ぎたかも知れん。だが、茶番になるとは限らんぞ?」


 その物言いに、俺は皇女殿下の表情もうかがう。


「私個人としては、レンに爵位を授けたいと思っているのよ?」


 けッ、と俺は吐き捨てる。

 お貴族様だかの暮らしなんざ、逆立ちしたって俺の性には合わねえ。

 そんなこと、昔馴染みの二人なら知らないはずがないんだ。

 それを承知でこんな突拍子もない話題を振ってくるってことは―――。


「―――ヒエロを国の管理下に置こうって話は、本当マブなのか?」


 色街を国が管理したがるってのは、古今東西良くある話。

 表向きは、悪徳な業者や不明瞭な金銭のやり取りを健全化するってのが決まり文句となる。

 裏の方では、様々な利権をまとめて甘い汁を吸おうって魂胆が見え見えだ。

 そのたびに色街が廃れて、もしくは解体。で、結局新規の街が興るってのが繰り返されてきているわけだが、大聖なんて大儀そうな冠を国にかぶせている皇国としては、健全化の建前を押し通そうって腹か。


「レンタロー、おまえが爵位を得てヒエロの街一帯を治めれば、双方の顔が立つとは思えんか?」


 国は建前通りに事を進めて面子が立つ。

 仮に俺が領主になっても、特にヒエロに干渉しなけりゃ全ては元のまんま。

 かくしてお互いに損はなくめでたしめでたし。


「…だったら尚更解せねえな」


 俺は二人を改めて睨みつける。


「ああ、解せねえ。全く解せねえよ。話が二段、三段と飛ばしなのもともかく、わざわざこんな話をするために皇女サマがいらっしゃったのか?」

 

 自分の肝いりの補給陣地を視察したいって気持ちは分かる。だが、本来的に皇族の姫さんなんぞ、国の外へ出ることなんぞあり得ない。そもそも公的な訪問ってんなら、バルガスが青い顔をしていることに説明がつかないだろうよ。

 少数の供だけを連れて御忍びでやってきた挙句、話題がヒエロの国有化だってのも納得できるもんか。そんなの国元ですればいい話だからな。


「…てめえらの本当の目的はなんなんだ? なんの用事があって、わざわざここまで来やがった?」


「おい、いくら何でも言葉が過ぎるぞ」


 俺の言に気色ばむメッツァー。


「クラウディア殿下はな、殊の外この駐屯地のことを気にかけておられてな…」


「もういいの、メッツァー」


「しかし…っ」


「下がりなさい、ランドルフ卿」


「…はッ」


 メッツァーを下がらせておいて、クラーラ、いやクラウディアは俺の目をじっと見てくる。

 形の良い眉が泣き出しそうな感じで斜めに下がり、金色の瞳が潤んでいた。

 それは、人の上に立つ貴顕の態度ではない。裏町に打ち捨てられた幼子のよう。

 そう、まるで俺たちが初めてあったあの日と同じで―――。


「…まさかッ! 視えたのか…!?」


 驚愕の声を上げる俺に、クラウディアの細い顎がコクンと振れた。


 

 時に、偉大なる大聖皇国の創始者とその子孫には、常人ならざる力が宿るという。

 建国から百年以上の時を経て、その血統は遍く領土内へと散った。

 ゆえに、今となってもその力を発現する者があとを絶たない。

 その力が確かなものであれば皇族の末席に名を連ねられるとあって、皇都へ上る自称貴顕の人間もあとを絶たない。

 大半が山師か、一生に一度は都を見てみるべえというお上りさんだ。

 だから、俺もメッツァーも、道中を護衛する羽目になったクラーラ嬢ちゃんもその類だと思っていた。

 彼女の力を目の当たりにするまでは。




「視えたのは、空を覆いつくす破滅。人の手に余る数えきれない災厄の群れ―――」


 クラウディアが金色の目を伏せた。

 彼女は未来の光景を“視る”ことが出来る。

 それは実際に視えるというよりは、断片的かつ曖昧だという。

 だが、ほぼ外れることもないそれは予言に等しく、皇族の中でも彼女の能力は秘匿されているとか。


 俺が茫然としていたのは、久々にクラウディアの未来視を聞いたからじゃあない。

 それは―――。


「20年前と同じなのだ、レンタロー」


 メッツァーが俺の驚愕をズバリと口にする。

 そう、彼女の喋った予言は、20年以上前に聞いた内容と寸分違わないものだった。


「また―――また、あれが来るのか…」


 我知らず、俺の唇は震えていたと思う。



「…蝗害」






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