第10話 元冒険者が過去と向かい合う話


 


 この世界に来た頃の俺は無敵だった。

 後生大事に抱えていた段ビラはともかく、触れただけで相手の命を奪うとんでもない能力。

 この力の前にゃあ、ゴブリンどころかドラゴンだって一撃だ。

 稀に触れるのが難儀する怪物もいたが、冒険者稼業の怪物退治でこれほど重宝するものはないだろう。


 メッツァーとは駆けだしの頃からつるんでいるが、この力を打ち明けても俺を怖がらなかった。

 むしろ分不相応な依頼を引き受けてくるのには閉口したが、決して俺の力だけを利用しようって打算のあるやつじゃあない。

 いざとなればてめえの身体も命も張る。いわゆる仁義を弁えた、頼りになるやつだ。


 この異世界に飛ばされて早々にこいつと知り合えたのは、俺にとって最大の幸運だったのかも知れないな。絶対に面向かって言ってやりはしないけどよ。


 そんなこんなで方々で好き勝手に暴れまわった。

 大金やお宝を得て、美味いものを食って、女を抱く。

 大抵のことが俺らの思い通りに回って、おまけに名誉までついてきたのはこたえられねえ。


 まさに我が世の春を謳歌して、俺らの冒険者としての名前もそこそこ売れてきた頃にメッツァーの引き受けてきた依頼。

 とある人間を大聖皇国の首都まで護衛して貰いたいとのこと。

 中央の暑い夏を嫌がった俺たちは、北方の辺境の街にしばらく滞在していた。

 そろそろ首都圏に戻るべ、と考えていた俺たちにとって、ついでといっちゃあ語弊があるが、渡りに舟って感じで気楽に依頼を引き受けるに至る。


 そして出発当日に引き合わせられたのが、やせぎすな小娘だった。

 なんでも皇族の血も色濃い子孫だと。

 確かに平民よりはマシな服は着ていたが、肌の色艶も悪かった。ただ、金色の大きな瞳が妙に印象に残ったのを覚えている。


「…ていのいい口減らしじゃねえのか?」


「だが、しっかりと金は前払いで貰っているぞ」


「ふうん…」


 自称皇国建王の子孫が皇国首都を目指すってのは良く耳にする話だ。

 なんでも皇王の血を引く証拠に、何かしらの異能の才を発揮するとか。

 …異能って意味では俺も貴顕の子かも知れないんだが、そんなことはあり得ない。

 んなこたぁ俺が一番よく知っているよ。


「なあ、嬢ちゃん。あんたはどんな力があるんだ?」


 金色の瞳を覗き込む。全力で逸らされた。


「なんでぇ、可愛くねえガキだな」


 苦笑した俺だが、別に気を悪くしたつもりはない。

 仕事として引き受けた以上、きっちりと果たす覚悟だ。


 世の中にゃあ、護衛対象を道中でぶち殺して金品を奪う冒険者もいる。

 冒険者って稼業がアウトローと同義に見做されているのは、決して少なくない数の蛮行が知れ渡っているからだ。

 

 だからこそ俺は一度交わした契約は裏切らないことを自分に課していた。

 主義主張もあるが、何事にも筋を通すってのが、俺の最大にして最低限の生き方だからな。




 とまあ、そんなこんなで猛る男二人と、貧相な体つきの小娘の道中が始まったわけだ。

 ここでロクでもない冒険者なら娘を手籠めにしたり売り飛ばしたりするところだろうが、あいにく俺たちはそんな外道じゃねえ。

 娘っ子の歩調に合わせた、ゆっくりとした旅だったと思うぜ?

 それでも夜眠るときはしっかりと懐に守り刀を抱いて寝る嬢ちゃんの相好が崩れたのは、三日後くらいか。

 俺の自慢にゃならねえが、メッツァーの料理の腕は中々だ。

 食材は、俺が川から攫ってきた魚に、メッツァーの仕留めた大猪。

 新鮮な獲物で作った串焼きとスープに、無愛想な娘の顔はとうとう綻んだ。


「…美味しい」


「そうだろそうだろ。ほら、こっちの肉も焼けたぜ。これも喰え」


 ガツガツとガキらしい食べっぷりを発揮する娘っ子の顔を眺めて、俺はメッツァーと酒を酌み交わす。

 あらかた食べ終えて、腹もくちくなっているだろう娘に語り掛ける。


「なあ、おめえの名前はなんていうんだ?」


 返事はない。心なしかふっくらと丸みを帯び始めた頬に、金色の瞳がじっとこちらを伺っている。


「おっと、俺の名前はレン・オズマってんだ。そんでこっちはメッツァーな」


「…知っている」


「なら話が早いや。こっちは名乗っているんだ。おめえさんも名乗らねえのは筋が通らないだろう?」


「……」


「それに、いい加減、俺も嬢ちゃんと呼ぶのは飽きたぜ」


「…クラーラ」


「そうかい、クラーラちゃんかい。歳は?」


「14」


「…ッ」


 嘘だろッ!? って言葉を辛うじて飲み込む。

 小さなナリからして、せいぜい10かそこらかと思ったぜ。

 まあ、やせぎすな身体から見るに、あからさまな栄養失調だな。

 元の世界と違って、この世界は力のないやつはとことん飯にはありつけない弱肉強食だ。


「な、なあ、もうちっと肉でも食うか?」


「…いい」


 プイとそっぽを向いてこちらに背を向けるクラーラ嬢ちゃん。

 そのまま寝入ってしまったらしいちんまい背中を眺めていると、背後から「くく」と笑い声。


「…なに笑ってやがるメッツァー」


「いや、なに。泣く子も黙るレン・オズマが、そんなガキに気を使っているのが可笑しくてな」


「………」


 別に気を使ってるわけじゃねえ! などと反論しても、酔っ払いの肴になるだけだ。

 黙々と後片付けを済ませ、俺も毛布を引っ被る。


「先発の見張りは任せたぜ」


「あいよ」








 クラーラの嬢ちゃんとわずかなりとも打ち解けたとして、そうそう道中が華やいだりはしないもんだ。

 基本的に黙々と街道を歩く。天気が良ければちょっとした寄り道をして昼寝をしたりとのんびり進む。


「本格的な冬が来る前に送り届ければいいって依頼だからな」


 メッツァーが未練げに革袋を逆さに振りながらいう。

 ここまでくれば、街道をゆっくり行ったとて皇国まで一月もかからないだろう。

 俺たちも特に急ぎの予定はあるわけでもなく、街道を逸れて近場の街へと足を向けたのはメッツァーの希望だ。

 一刻も早く酒の補充がしたいんだとよ。金はともかく酒がないと動かないからな、コイツは。

 そのせいで何度か痛い目に合っているはずなんだが、とことん懲りない野郎だ。


「構わねえか、嬢ちゃん?」


 俺が水を向けるも、クラーラはうんともすんとも言わねえ。

 なんとなく夢見がちな足取りでひょこひょこと俺らのあとをついてくる。

 街へ着いたらまずは投宿。

 さすがに部屋は三つとって、俺とメッツァーの間の部屋を嬢ちゃんへと割り当てる。

 久しぶりのベッドも魅力的だったが、まずは飯だ。

 ってなわけで、支度をほどくのもそこそこに、さっそく下の酒場で料理を注文。


「うめえなあ!」


 ビール片手に上機嫌のメッツァー。さすがに発泡酒の類は革袋に入れて持ち歩けないので、俺も飲むのは久しぶりだ。

 手の込んだ料理も久しぶりなので、酒と合わせて舌鼓を打つ。


「…どうした、食べねえのか、嬢ちゃん?」


 俺が訊ねると、クラーラはスッと席を立つ。

 殆ど料理に手を付けず、あとは二階の自分の部屋へと上がって行っちまった。


「どうしたんだってんだ、いったい」


「ほっとけほっとけ。年ごろの娘は色々あるもんさ」


 娘を持ったこともねえくせに、偉そうにメッツァーがのたもう。

 更にガバガバと酒を呑んでから、女を抱きに行くという相棒を置いて、俺は自室へと戻ることにする。

 いい感じで酔っ払って清潔なベッドの上へとゴロンと横になれば、まったく気持ちがいいもんだ。

 どれ眠るべえと瞼を閉じた俺だったが、安い普請の壁越しに聞こえてくる泣き声。

 こりゃ隣の部屋のクラーラが泣いている気配だ。

 

 別にそれが悲しんでいる声だったら、俺は放っておいたさ。

 どういう生い立ちかは知らねえが、野郎二人を介添えにたった一人で皇国まで行かにゃあならなねえんだ。色々と不安があるってもんだろう。

 だが、聞こえてくるグスグスという声。こいつは…。


 頭をバリバリと掻く。ベッドから未練たらしく身体を起こし、俺は隣の部屋のドアを叩いた。

 お節介とは思うが、放っておくわけにも行かねえだろ?


「大丈夫か、嬢ちゃん?」


 ドアはの鍵は開いていた。

 物騒だなと思ったが、そっと開ける。

 薄暗がりの中で、ベッドの上で毛布が丸くなっていた。

 ぐすぐすという声は止まらない。

 俺はどっかとベッドの脇へと腰を下ろす。それからポンポンと毛布を叩いて言った。


「どうした? 怖い夢でも見たか?」


 ごそりと音がして、毛布から顔が出てくる。

 おそるおそる俺を見てくる金色の瞳は涙で滲んでいた。


「……なんで分かるの?」


 小さな唇がそう動く。


「なんでって、おめえ。悲しくて泣いているのと、おっかなくて泣いているのは、全然違うだろうよ」


 俺は苦笑する。

 クラーラは上体を起こして不思議そうに俺を眺めてきた。

 真っすぐな眼差しに、なぜか胸の奥がくすぐったくなってきて困る。


「ま、まあ、こちとら伊達に嬢ちゃんより長く生きちゃいないってことさ」


「…レン・オズマ」


「おう?」


「あなたは、幾つ? 何歳なの?」


「多分、二十歳を幾つも過ぎているとは思うんだがなあ」


 クラーラが目を細めている。


「おっと、そんなツラすんなよ。別に適当に誤魔化してるわけじゃねえ」


「…もしかして、親に捨てられたの?」


 この世界、何らかの事故や事件に巻き込まれ、物心つかないガキのうちに親とはぐれる者も多い。

 戦乱や飢饉といった遠因で、クラーラの言う通り親に捨てられる子供も良くある話だ。


「生憎と、親はいたはずさ。俺の住んでいた国は平和だったからな」


「じゃあ、なんで…」


「俺ァ、こっちに来る前の記憶がないんだよ」


 元の世界の知識もある。だが、自分が何者かって部分だけが記憶からすっぽり抜け落ちていた。

 『尾妻連太郎』って名前だって、気づいたとき後生大事に胸に抱いていた白鞘に書いてあっただけで、本当は俺の名前じゃないのかもな。


 っと、少しばかり口が滑り過ぎた。

 まあ、肝腎の異世界から来たってことまで出してないから、ギリギリセーフってやつか。

 にしても、なんでこんなことまでこの嬢ちゃんに話してしまったもんか。

 酒のせいにしても、俺はそこまで情のある性質タチじゃねえと思っているんだが。


 そのせいか、クラーラが神妙な顔つきになったのには噴き出してしまう。


「…可哀そう」


「はあッ?」


 自慢するわけじゃねえが、俺ほど好き放題しているヤツはいないぜ?

 そりゃあ元いた世界に比べればこっちの世界は不便な部分が多い。

 そのかわりに魔法なんて便利なもんもあるし、俺の力を使えばどんな相手もイチコロだ。

 ぶっちゃけ気に食わないヤツも一瞬でぶっ殺せるわけで、法律やらなにやらが緩いこの世界ではまさにやりたい放題だ。

 こんな破天荒な生き方をしているのは、俺自身の記憶がないってところが影響しているのは間違いないだろう。元の世界と比較して、どこかこの世界の現実感が薄い自分がいる。

 例えるならずーっと夢を見ている感じに近いかも知れん。

 もっとも夢と違って腹は減るし、酒は飲みたくなるし、普通に女にムラムラするしな。


 だからって、目にうっすらと涙を溜めてこっちを見てくる小娘に、ムラムラくるほど俺も鬼畜じゃねえよ。


「ま、俺が可哀そうかどうとかは俺が決めるとして、だ。クラーラよ。おまえはどんな怖い夢を見たんだ?」


 問い掛けると、クラーラは目を伏せてしまう。

 

「いやなら、別に無理に言わなくても…」


 構わねえぜ、と俺が言い切る前に、クラーラは口を開いていた。


「…空を覆いつくす破滅。人の手に余る数えきれない災厄の群れ―――」


「なんだそりゃァ? 呪文か何かか?」


「ううん、あたしにはそう視えたのッ!」


 強い剣幕で吐き捨てるようにいったクラーラは、更に剣呑な言葉を続ける。


「これがあたしの力。血に宿る予言の力なの…」


 伝説の建国の王の血は、周辺諸国に遍く散った。

 その血を受け継ぎし子孫は、先祖返りするようにかつての英雄の力を宿すという。

 当の王の直系が首都に座し、諸国に通達を出してまで散逸した血を集めようとしているのは有名な話で、そもそものクラーラの今回の道行きはそれに応じたもの。

 だからって…。


本当マブなのか…?」


 嬢ちゃんが本当に英雄の子孫なのか。

 そしてその予言の力とやらは本物なのか。


「…人がたくさん死ぬの。小さな女の子も、家も畑も焼けて…」


 ガクガクと華奢な肩を震わせ、顔を青ざめさせるクラーラ。

 力や予言の真偽はともかく、おそらく彼女の中では、凄惨な光景が展開されているのだろう。

 こんな時、どうすりゃいいのか。

 放っておいて部屋へ戻って寝ちまうのもアリだが、そん時の俺は自分でも珍しいくらい自然に嬢ちゃんの頭に手を載せていた。


「分かった分かった。その件については夜が明けてからじっくりと聞いてやるから」


「でも…!」


「夜中に考えても気が滅入るだけだ。こういう時は、お日様の光をいっぱいに浴びてからの方がいいんだよ」


「…眠ると、また夢に見るわ」


「それも分かった! 俺が一晩中嬢ちゃんの隣にいてやるからよ、安心して眠りな。そんでうなされたら起こしてやるさ」


「…本当に?」


「本当さ」


「本当の本当に?」


「くどいな、男に二言はねえよ」


 強い口調で言うと、おそるおそるの風に嬢ちゃんはベッドへと横になる。


「よーし良い子だ」


 そう言ってやると、毛布の下からそろそろと手が伸びてきた。


「…手を握ってもらっていい?」


 これが熟れた年ごろの娘だったら、ベッドから引きずり出して素っ裸にひん剥いてやるところだったが、そん時の俺は小さい手に優しく自分の手を重ねている。


「これでいいか」


「…ありがとう」


 か細い声でそう言って、あとはクラーラは静かになる。

 間もなく寝息が聞こえてきたところから、久方ぶりのベッドってことで嬢ちゃんも疲れていたんだろうな。

 さあて、そろそろ俺も部屋へ戻るとするか。

 男に二言はないと言いつつ、こんなところをメッツァーにでも見つかってみろ。なんて揶揄からかわれるか分かったもんじゃねえ。


 そこで床から腰を上げようとしたところまでは覚えている。

 結果として、俺も久しぶりに酒を過ごした上に、やはり疲れていたらしい。

 目を覚ましたのは嬢ちゃんの眠るベッドの横で、何やら鳥が鳴き始める早朝だ。

 幸いにもクラーラはまだ寝入ったままだったので、つなぎっぱなしの手をそっと離す。

 せっかく宿をとったってぇのに、床に座ったまま寝ちまったてめえの間抜けさを呪う。

 そのまま立ち上がれば、腰あたりがミリミリと嫌な音を立てやがる。

 こりゃ、せめて出発の時間まで部屋に戻ってベッドを堪能せんと。


 嬢ちゃんを起こさないようそろそろとドアを開けた先。

 なんと、朝帰りのメッツァーとドンピシャだ。

 痛む腰を摩りながら茫然とする俺に、たっぷりと女の匂いをまとわりつけたままメッツァーは実に面白そうに言う。


「レンタロー、おまえ、やはりそういう趣味だったのか?」








 

 食堂に降りて朝飯を喰う。


「おまえの趣味にケチをつけるつもりはないが、依頼された品に手を付けるのはどうかと思うぞ」


 ニヤニヤしながらメッツァー。朝っぱらから酒をかっ食らってやがるのは今さらだ。

 言い訳なんぞ幾つでも沸いて出てきたが、言ったところでこの馬鹿タレを喜ばせるだけ。

 不機嫌に飯をかっ込みつつ、俺はクラーラの嬢ちゃんへも水を向ける。


「なあ? 嬢ちゃんからも説明してやってくれよ。なんらやましい真似はしてねえって」


「やましい真似?」


 黙々と朝食を口に運んでいたクラーラが眉を上げる。


「あたしはずっと眠っていたから、レンから何かされたかどうかなんてわからない」


「おいおい、なに言ってんだ嬢ちゃん?」


「嬢ちゃんはやめて!」


 がちゃん! と食器が音を立てる。


「あたしは14だし? お嫁にいってもおかしくない歳だし?」


 この世界じゃあ13やそこらで嫁に行くのも珍しくねえ。

 なので嬢ちゃんの言い分は良く分かるのだが、その実、なにを言っているのかさっぱり分からん。


「分かった。分かったから、落ち着けよ、嬢ちゃん」


「……ッ!」


 空の食器が飛んでくる。どうにか受け止める俺。


「…なんなんでぇ、一体…」


 茫然としていると、メッツァーが笑い声をあげていた。

 それから憐れむような眼で見てくるのがむかつく。


「おまえは本当に女の扱いが下手だなあ」


「女ァ? あんな娘っ子に俺が女を感じているとでも?」


「いや、だからそっちの意味ではなくてな…」


 ますます憐れむような顔になるメッツァーから視線を切り、クラ―ラの背中を追う。

 ちっこい背丈は憤然やるせなし、って感じで借りた部屋のある二階の階段を上がって行き―――突然その場に蹲る。


「ど、どうした!?」


 急いで駆け付ければ、盛大にその場に嘔吐してやがる。その顔は真っ青だ。


「…まさか、悪阻か?」


 隣にきたメッツァーをぶん殴っておいて、俺はクラーラを抱え上げる。

 予想以上の軽さにおののきながら、何事かと駆けつけてきた給仕娘に後始末を頼んだ。

 駄賃はそこで鼻血を垂らしている馬鹿野郎からもらってくれ、と言いおいて、俺はクラーラを抱えて部屋へと駆け上がる。

 ドアを蹴り開けて、ベッドに横たえようとして―――俺にすがりついたままクラーラは震えていた。


「…どうした、なにがあった!?」


「み、視えたの…ッ!」


 唇を震わせて、クラーラは益々俺にすがりついてくる。


「災いが、来る! 西から、もうそこまで…ッッッ!!」


「…どういうことだ? 何がどうなっている?」


 クラーラを抱いたまま振り返れば、戸口にメッツァーが立っている。

 ここで誤魔化したり隠したりしても意味はない。余計に面倒になるだけだ。

 なので嬢ちゃんの力のことを、かくかくしかじかと説明してやったが、やはりメッツァーも半信半疑の様子。

 かくいう俺だってクラーラの言っていることを全て真に受けたわけじゃない。

 だが、この尋常じゃない怯えようを放っておくわけにもいかないだろ?

 俺はクラーラを抱え直し、部屋を飛び出す。


「おい、レンタロー…!」


 追いかけてくるメッツァーを振り返らず、一目散に俺が目指したのは貸し馬屋だ。

 銀貨を放り、体格の良さげな栗毛の馬を借り受ける。


「ちょいと嬢ちゃんと一緒に遠乗りしてくらあッ」


「おい、だからってよ…」


 追いすがってくるメッツァーに、ガツンと顔を突き付けてやる。


「話半分にしても、嬢ちゃんの怯えようは本物だ。このまんまで旅を続けるわけにもいかねえだろうが」


「それはそうかも知れんが…」


「それにな、もし嬢ちゃんの予言が本当マブだったら、一大事だぜ?」


「…おまえは本当だと思っているのか?」


「そいつを今から確かめに行くのさ。おまえはせいぜい大人しく留守番でもしてやがれッ!」


 言いおいて、俺は手綱を降った。

 勢いよく馬は走り出し、たちまちメッツァーの姿は後ろに小さくなる。

 急いで飛び出して来ちまったから鞍は一人乗り用なので、嬢ちゃんは俺の胸に縋りつくように横すわり。


「どうしたァ?」


 顔を真っ赤にしてギュッとしがみついてくる嬢ちゃんは、キンキン声を張り上げた。


「あ、あたしはッ! こんな風に馬に乗るのは初めてで…ッ!」


「そうかい、馬は初めてかい。だったら振り下ろされないようにしっかり捕まってなよ!」


 すると、ますます顔を赤くしてしがみついてくる嬢ちゃんがいる。

 まったく、青くなったり赤くなったり忙しい娘っ子だな。


「おら、飛ばすぜッ!」


 苦笑しつつ、俺は更に手綱を握る力に手を込める。










 街道沿いに馬を二時間以上も走らせただろうか。

 三つ目の丘へ差し掛かった辺りで、炊煙が上がっているのが見えた。

 丘陵へ登れば、予想通り小さな村がある。

 荷物を運ぶ若者に、農具の手入れをする老人。そして村の広場で遊ぶ子供たち。


「…嬢ちゃん。ここに災厄とやらが来るってのか?」


 見た限り、平穏そのものといった様子だ。むしろ懐かしさを感じるほど牧歌的な光景がそこにある。


「…………」


 一緒に馬から降りたクラーラだったが、その顔は青ざめていた。

 震える手で俺の袖を引き、小さな声で耳打ちしてくる。


「あそこで遊んでいる女の子がいるよね?」


「ああ」


「…あの子が死んでいるのが視えた」


 そう言われても、現実感が薄い。

 視たのはあくまでクラーラであって俺じゃないからな。

 だからって偶然だろと笑い飛ばすのは筋違いだろうし、思い込みだと断言するには嬢ちゃんの表情は真剣に過ぎる。

 やっぱりその災厄とやらを具体的に目の当たりにしなければ、お互いに納得できねえってえ話だ。


「…分かった。とりあえず、もうちっと西へと足を延ばしてみるか?」


 馬はともかく俺たちはへとへとだ。

 井戸の近くに居た老人から水を分けてもらって小休止。

 ずいぶんと軽装な旅人じゃの、などと訝しく思われつつ、俺はまたぞろ嬢ちゃんを抱えて騎乗の人となった。


 村から更に西へ馬を走らせる。

 油断なく周囲に目を飛ばしたが、特に変わった風なところはない。

 そうして進んでいると、開けた平原までたどり着く。

 これからしばらく進むと、間もなくドライゼン王国領へ入ろうかという国境だ。

 

 予想に反し、平原に特に変化は見られない。

 ぼんやりと結構な景色を見回していると、まだ昼前だってのに日が翳ってきたような気がした。

 顔を空へ向ければ、前方に大きな黒い雲が広がりつつある。


「こりゃあひと雨くるかなあ…」


 額あたりに手をかざした時だった。

 何かが俺の頭を目掛けて飛んでくる。


「ッ!?」


 咄嗟に手を払った先に転がるもの。

 チキチキと羽を鳴らす真っ黒なそれは巨大な昆虫だ。


「なんだぁ? ずいぶんデカい飛蝗だな…」


 冗談抜きでデカい飛蝗バッタだった。元の世界でも、こんな巨大なものは見たことがない。


「…来るッ…!」


 クラーラが不意に大きな声を上げた。

 金色の目を見開き、わなわなと震えている。

 彼女の見つめる先には、いまなお広がりつつある黒雲しか見えないのだが…。


「…ん?」


 いや、小刻みにうねるような動きをしている黒い塊は、雲じゃない。

 キリキリと空気を震わせる音に、細かいものが斑模様に合わさっては離れていく。

 その細かいものこそ虫だ。黒雲に見えた塊は、その小さな虫たちの集合体なのだ。

 そしてその虫が飛蝗であるならば、答えは一つ。


「群生相…イナゴかッ!!」


 元の世界のテレビのニュースでみた映像が蘇る。

 凄まじい数の蝗が視界いっぱいを埋め尽くす光景。


 実際に相対するのは、もちろんこれが初めてだ。

 だが、目前に文字通り雲霞の如く押し寄せてくる群れは、かつてみた映像そっくりで―――いや、それ以上だ。


 飛んできた一匹を掴まえる。

 バタバタと動かす羽は力強く、やはり気味が悪いほどデカい。

 突然、チキチキと鳴らす口もとに触れた指先に鋭い痛みが走る。


「つッ」


 指先には、食いちぎられたような傷が出来ていた。

 すっと俺の血の気が下がっていく。

 ふざけんな! こっちの飛蝗は人も喰うってのかよ!?


「レン、血が…ッ!」


 俺の指先を見て慌てるクラーラの頭を低く抱え込む。

 こんなものが何万、いや何百万、何億単位でやってくるってのか? 冗談じゃねえ。完全に洒落になってねえぞ。

 同時に、嬢ちゃんが『災厄』と形容していた真意を痛感する。

 そんな彼女の頭を抱え込んだまま、俺は鋭く耳打ち。


「いいか良く聞け! 嬢ちゃんは馬に乗って元来た道を全力で引き返せッ」


「え?」


「そして、村へ行ったら、なにがなんでも全員を避難させるんだ」


「あ、あなたは何をする気なのッ!?」


「出来るだけ足止めしてやるさ」


「無茶言わないで! あなた一人でどうにか出来るわけが…!」


 いきり立つクラーラ目掛けて飛んできた蝗を、数匹まとめて叩き落す。

 案の定そいつらは全部地面に落ちるまで絶命している。

 よし、やっぱり俺の力も通じるみてえだな。


「四の五言ってねえでとっとといけ!」


 鞍に跨らせ、馬の鼻づらをUターンさせたあと、思い切り尻を叩く。


「いいか、絶対手綱を離すんじゃねぇぞ!」


「レ、レン!!」


 遠くなっていくクラーラの悲鳴じみた声を耳に、俺は正面へと向き直る。


「…さあて、ここから先は通行止めってヤツだぜ」









 ―――この時の俺は調子に乗っていたことは否めない。


 この世界に来て、大抵のことは思い通りに回っていた。

 成功体験を重ね、万能感を抱えた俺は、俺自身の力に酔っている。

 だから、今回もなんとでもして見せると確信していた。根拠も何にもないくせにな。

 まるで神話の英雄みたいな、傍目には自殺ものの行動を選択したのも、その最たるものだろう。


 だから、折りに触れ、俺は自分へと問い掛ける。

 本当は、もっと他のやりようがあったんじゃないのか、と。


 だから、折りに触れ、俺を自分自身を罵倒する。

 てめえは英雄でもなんでもねえ。もっと身の程を弁えておけば、と。


 噛み締める後悔の味は、今もなお苦いままに―――。








 目前に迫りくる蝗の群れに対し、俺は震える。

 別におっかないわけじゃない。しょせん相手は飛蝗と侮っていたと思う。


 少なくとも、俺の『能力』は通じるし―――なにより、俺のこの力を存分に振るえる。

 はっきり言って、こんな触れただけでなんでも一瞬で絶命させる物騒なこの力、全力全開で使う機会なんてなかったからな。


 初めて本気を出して使えばどうなるか?

 そして、きっとこの蝗の群れだって仕留められる。


 根拠もなくそう思い込んでいる俺の全身を震わせるのは、武者震いってやつだ。


 蝗どもは、大地にとりつき植物も動物ものべつ幕なしに喰いまくっている。

 あぶれた蝗は空を飛び、手付かずの植物へと食らいつく。

 獲物を喰らいつくした蝗は、再び空へ舞い上がり、次の目標を物色する。


 そのサイクルが繰りかえされた後は文字通りの丸裸だ。

 何やら動物の骨の残骸まで転がっているところが、俺の世界の蝗害と違う。

 そんな物騒さも合わされば、こちらに向かってくる蝗の奔流は、まさに生物に死をもたらす災害。死の河だ。



 チキチキと羽音を立てて飛んできた黒い飛蝗を右手で払う。

 黒い塊は、飛んできた勢いそのままに地面に突っ込んで動かなくなる。

 俺の服へと齧りついてくる蝗は左手で払えばこちらも絶命している。

 足元へ落ちた虫どもを踏みつけながら、俺はしっかと前方を睨みつける。


 俺の両手は、有象無象の命を奪い死をもたらす手。理不尽で無慈悲な手だ。

 そして相手は問答無用で容赦のない死の河。

 上等じゃねえか。


 黒い奔流を迎え撃つため、俺はその流れへと右腕を突っ込む。

 手のひらに痛みが走ったのも一瞬で、俺は自分の力を全開にする。

 何百、何千、いやさ何万ともいえる命が一瞬で消失する感覚。

 こればっかりは、他人には決して分からないだろう。

 同時にそれは俺にとっての確かな手応えとして伝わってきて―――次の瞬間、こめかみあたりが火箸を突き込まれたように熱くなる。


「くッ!」


 返す左手でまたぞろ大量の蝗を屠れば、またもや差し込む強烈な痛みに視界が赤く染まった。


 武者震いもどこへやら、俺の背筋が凍りつく。


 初めて全開にする力。だが、相手は、俺自身の容量を超えた数なのか?

 分を超えた力を行使する代償がこの痛み。

 もしくはこれ以上はヤバイという警鐘。


 幾ら数が多くても、この力を使えば全滅させられる自信があった。

 だが、力が追っつかなかったら?


 自分が海のど真ん中に放り出されたような感覚

 薄板一枚の下は、正真正銘の地獄であることに気づく。

 そして、俺はそんな地獄に進んで身を投じたのだから色々と救われない。


 先ほどまでの意気込みも忘れ、沸きあがる後悔。

 自分に向ける罵声も、迫りくる死という恐怖に塗りつぶされていく。

 絶望という文字が頭の中で、一つの現実へと収斂されようとしていた。


 ―――俺は死ぬのか?


 それでも俺は無意識で腕を振るう。

 こちらも無意識で発動させていた能力が、何百匹もの虫の命と引き換えに、焼け付くような痛みをもたらす。


「…死にたくねえ」


 真っ赤に明滅する視界。

 口にしたのは、この世界に来て初めて呟いた言葉。


 異世界へ転移してきた自分は特別だと思っていた。

 無敵の能力もあるし、どんなやつを相手にしても死ぬことはないと高を括っていた。

 だが、全ては勝手な思い込みに過ぎなかった。張り子の虎だった。


 俺を押し包むようにしてくる蝗の群れ。

 全身に齧りつかれているのに、奇妙に痛みを感じない。


 ああ、俺は今日死ぬのか。

 こっちの世界で死ねば、どうなる?

 元居た世界へと戻れるのか?


 赤い視界も黒く染まる。


 死の河の中で、俺の手は俺自身へと向けられる。

 蝗なんぞに齧りつくされて死ぬなら、いっそひと思いに…。


 諦めろ。

 諦めるな。


 相反する意識の中で、河に呑まれた俺はもう呼吸すらままならない。

 口の中まで虫は飛び込んできているのを俺は黙って―――噛み潰す。

 何とも言えないえぐい苦みと臭み。

 なお暴れる蝗に口の中を切りながら、自分に向かってではなく前方に向けた手のひら。

 無茶な力の発動の代償に、脳みそに灼熱するような痛み。

 痛くて、苦しくて、逃れるために血反吐を吐く。

 狂ったように両手を動かして力を振るう俺は、傍目にもやっぱり狂っていたのだと思う。

 死にたくない、なんて考えはとっくに途切れている。

 俺を動かしていたのはきっと単なる生存本能。

 本能の命じるままに、死ぬような痛みと引き換えに、俺は死の河を泳ぐ。

 そして自分で思っているより俺の身体は頑丈だったらしい。


 気づいたときには、真っ赤から真っ黒になった世界が晴れ渡っていた。

 目前に、荒涼たる死に絶えた大地を見据え、いっそ頭は割れていないのが不思議なほどグギグギと痛む。

 痛みがあるってのは生きている証拠。

 なら、俺は生きている…?


 きっと全身は血まみれだったと思う。ボロボロのまま、ゆっくりと振り返った背後には、黒い塊の山が出来ていた。

 これは決して比喩表現ではない。

 うず高く積み重なっているのは、間違いなく蝗だ。

 これほどの量の数がいたのか。それを俺が殺したのか。


 何もかもが夢中でよく覚えていない。

 食いちぎられて真っ赤に染まった剥き出しの足を一歩踏み出せば、それだけでこめかみあたりに脈打つような痛み。血流もびんびんと耳に響く。

 無理やり足を動かしながら、俺は呟いた。


「戻らなきゃな…」


 蝗の死骸を踏みにじりながら、俺は足を進める。

 口の中に滲み出てくる血を吐きながら、迷うことはない。

 死骸の山は、街道沿いにずっと並んでいる。

 俺が撃ち漏らした連中の行先は、きっとあの村だろう。

 …そういや、嬢ちゃんは無事だろうか。


 傷ついた身体を引きずって歩く。

 村を遠目に見つけた頃には、日が傾こうとしていた。

 戻る道中の景色に、俺は今さらながら戦慄を禁じ得ない。

 植物も何もかも食い散らかされて剥き出しになった大地を落日の光が橙色に染め、吹き始めた夜の風に焦げ臭いが混じる。


 残った体力を振り絞り到着した村は、昼間の様相と一変していた。

 いくつもの建物が燃え落ちていた。

 悲鳴と怒号の行き交う、いまなお修羅場と思しき中、


「…レンッ!」


 泣きべそをかいたクラーラが、俺を見つけて駆け寄ってくる。

 俺の姿を目の当たりにし、ボロボロと涙をこぼして抱き着いてくるクラーラに、目線だけで何があったか促す。


「あなたの言われた通り、村の人たちに警告したの! けれど、誰も信じてくれなくて…!」


 そうこうしているうちに何やら黒い塊が押し寄せてきて、さすがに村人たちも目を見張る。

 そこで一目散に逃げればまだ救われたのだが、何人かの連中が迎え撃とうとしたらしい。

 火を使い、追い払おうとしたのか焼き払おうと考えたのか。


 害虫への対処としては、決して間違ってはないだろう。

 だが、唯一以上の誤算として、この蝗の生命力は異常だった。

 燃え盛りながらなお獲物を求めて飛び回った虫どもは、村の方々へと文字通り飛び火。

 結果、いくつかの建物は燃え落ち、逃げ遅れて喰われた者も含め、少なくない犠牲者が出たという。 


 クラーラに支えてもらいながら、広場まで歩く。

 そこには、落命したらしい村人たちが並べられていた。

 その中に、見知った顔を見つけた。

 例の広場で遊んでいた少女だった。

 火傷のない顔は、きっと煙に巻かれて死んだのだろう。


「…俺のせいだ」


 俺が殺しきれなかった蝗が村まで達し、結果として多くの村人の命を奪ったのだ。

 もしくは、一人で立ち向かわず、嬢ちゃんと一緒に戻って警告していれば…。


「そ、そんなことないよ! レンは悪くないッ…!」


 クラーラの声もどこか遠くへ聞こえる。

 全身を走る痛みすら他人ごとのように感じながら、俺の全てが薄れて沈んでいく。



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