閑話 ある娼婦見習いの話 6
冷たい雨がパラパラと降る中を、黒い服を着た人たちが教会の裏へと歩いて行きます。
そこはこの街で一番大きな墓地で、お祈りに来たのは赤瘡病で亡くなった人たちの家族でした。
皇都に住む王様からアルメニア教会を通じて、赤瘡病の収束が宣言された今日。
オズマさんと一緒に歩いて着いた先は、広い墓地の端っこの方でした。
そんな全然目立たない場所に小さな白いお墓があります。
そこにラナは眠っているのです。
「……大丈夫か?」
オズマさんは振り返って来るので、強く頷きます。
本当はまだ体力が戻ってなくて立つのも辛いわたしでしたが、弱音なんか吐きたくありません。
直接、ラナのお墓参りをしたい。
――今日は天気も悪いし、後日、みんなで行くからその時でいいじゃねえか。
オズマさんはそう言ってくれましたけれど、これだけはどうしても譲れませんでした。
抱えていたトレクサの花束をお墓に供えます。
それから両手を組み合わせ、強く強く祈りました。
ラナが天国でひもじい思いをしないように。
寂しい思いをしないように。
寒さに震えないように。
たくさん友達が出来ますように―――。
「きっと、ラナのやつがみんなの分の病気まで持っていってくれたんだな」
ポツリとオズマさんが呟きます。
結局、オズマさんのお店で命を落としたのはラナだけです。
これは後で聞いた話なんですが、この病気にかかると5人に4人は亡くなってしまうんだそうです。
それに、仮に助かっても、身体中に赤い斑点が残ってしまうこともあるという話でしたが、わたしたちの中で誰も身体に斑点が残った人はいません。
ペリンダさんの背中だって、前と変わらずすべすべなままです。
「ラナ――」
急にまた悲しい気持ちがこみ上げてきて、鼻と喉が詰まります。
「獣人族はわたしよりずっと身体が丈夫なはずなのに。だからきっと、ラナはわたしの身代わりで……」
「いや。獣人は怪我には強いが病気には弱いって聞いたことがある。おまえが気に病む必要はねえよ」
そういってオズマさんはお墓の前に供えた革袋を持ち上げました。あのブレスレッドが入った袋です。
「どうだ、ロサ。おまえが形見として貰っておいちゃ」
わたしは首を振ります。
「大丈夫です。もう貰っていますから」
「そうかい」
オズマさんはお墓の前に少し穴を掘ると、そこに革袋を埋めています。
「……姉妹仲良く眠るんだぜ」
もう一度二人でお祈りをして、それから墓地を出ました。
その頃になると、急に雨の勢いは強くなってきました。
皆が雨宿りをしようと教会に入っていく中、なぜかオズマさんはそのまま歩くのをやめません。
「店長さん! 雨宿りはしないんですか!?」
「んん? 俺はいいや。ちょいと用事があるからよ。おまえは病み上がりだから、雨宿りをしてゆっくりと帰ってきな」
そういって、片手を上げてブラブラと歩いていく背中を、わたしは追いかけます。
「待ってください! わたしも一緒に帰ります!」
「おいおい」
オズマさんは驚いたあとに軽い溜息。
それから自分の着ていた上着を脱ぐと、わたしを包むようにしてかけてくれました。
「帰ったらまずは風呂だな。それと、頼むから風邪なんぞ引いてくれるなよ?」
「はい!」
元気よく返事をすると、オズマさんはしっかりとわたしの手を握って歩き出します。
ふんわりと胸の奥が温かくなるこの感じは、とても懐かしいものです。
思わず「お……」と呼びかけそうになって、けれどやっぱり恥ずかしくて口を閉じてしまうわたし。
そんなわたしの様子に気づいたのか、オズマさんは前を向いたまま「なんだ?」と訊いてきました。
横顔を雨に濡らしたままはわたしの方を向いてくれなかったのは――きっとオズマさんは泣いていることを知られたくなかったのでしょう。
わたしは、形見としてロサの尻尾の毛をもらいました。
それを綺麗に編み込んで、クエスティンさんに習ってお人形のお尻に縫い付けます。
こうしてわたしの大切なお人形の名前は〝ラナ〟となりました。
あれから何年か経ち、わたしは娼婦見習いとなりました。
もう、娼館かどういうものなのか理解していますし、かつてのサヤさんのように、下働きの子供たちの監督をしたり、お使いにも行きます。
そして今。
わたしの暮らしている娼館は、いつもと比べると静かに営業をしています。
それというのもこの店に、いえ、ヒエロの街のほとんどの娼館に従軍要請が来たからです。
なので、お店の仲間たちの何人かが、オズマさんに連れられて遠い北の国へと向かいました。
従軍メンバーの中にはマリィとメリィもいたから、よけいに今の娼館は静かに感じられるのかも知れませんね。
従軍は交替性とのことで、もし期間が長引くようであれば、先に行ったメンバーと入れ替わりで、いずれわたしも向かわなければならないかも知れません。
それでも、みんなが出発して一月半くらいしか経っていないので、まだまだ先の話です。
そんな風に思っていた、お昼ご飯も済ませたある日のことでした。
足早にお店の中に入ってきたのはサイベージさんにびっくりします。
オズマさんと一緒に北の方へ行ったはずのなのに、どうしてここにいるのでしょう?
もしかして一足先に帰ってきたのでしょうか。
「あ、サイベージさん、お帰りなさい」
わたしがそう挨拶をしたのに、サイベージさんはチラリとこちらを見ただけ行ってしまいました。
いつもであれば、きちんと足を止めて誰にでも挨拶を返してくれるはずなのに。
そのまま行ってしまったのは三階にある支配人室のようです。
当然そこには今はオズマさんはいないのですが……。
不思議に思いながら夕方からの営業の準備をしていると、急に後ろから声をかけられます。
「ロサ。急いで、下働きの子たちも全員食堂に集まるように伝えてちょうだい」
今は娼婦として働いているサヤさんです。
「は、はい」
珍しいサヤさんの険しい雰囲気に、こちらも不思議に思いながら、離れにいた下働きたちの子へ声をかけに行きます。
子供たちを連れて食堂に戻ると、もうたくさんの人が集まっていました。
コック長のゲンシュリオンさんに、お風呂の設備を担当しているボグボロさんまでいるのはとても珍しいことですね。
集まったみんながざわざわしていると、真っ黒なドレスに銀の煙管を持った女の人が二階からの階段を降りてきます。
彼女の名前はマリエさん。
幻翆苑という娼館の支配人で、オズマさんの知り合いだそうです。
オズマさんが不在になる間、マリエさんがこのお店の支配人代理ということなのですが。
「みんな、ちょっとこっちに注目して」
階段の途中でパンパンと手を叩くマリエさん。
みんなの視線が集中する中、マリエさんがそっと背後を振り返れば、そこにはいつの間にか立っているサイベージさん。
サイベージさんがオズマさんと一緒に行ったことは誰もが知っています。
なので、どうしてサイベージさんが一人だけでここにいるのか、みんなも疑問に思ったことでしょう。
そんなサイベージさんが口にした内容に、そんな疑問は吹き飛び、集められた全員が驚くことになりました。
「旦那が、ドライゼン王国に捕まったんです…!」
オズマさんが無事、従軍メンバーを連れて駐屯地に入れたこと。
駐屯地の営業を安定させてから、休暇で遠乗りをしたところ、国境近くでドライゼン王国の軍に捕まったこと。
今は、ドライゼン王国の辺境都市カナルタインで、地下牢に閉じ込められていること。
おそらく、何かしらの拷問を受けていること……。
聞かされた内容に、胸の奥がひゅっと冷たくなります。
特に『拷問を受けている』のところで、わたしみたいに顔を青くした子が他にもたくさん。
「ところでサイベージさん。支配人さんは何をして捕まったの?」
ペリンダさんの質問に、サイベージさんいつもの飄々とした顔つきではなく、そっけないほどの無表情で答えました。
「旦那が悪いことをするわけないでしょう?」
「……ごめん、余計なことを訊いたわ」
ぴしゃり、と自分の額を叩くようにして謝罪したペリンダさんが引き下がると、替わりに前に一歩踏み出してきたのはマリエさんでした。
「みんな安心して。万が一の時の引継ぎはちゃんと受けているわ。だから落ち着いて今まで通りの営業を……?」
マリエさんの声を無視するように、ゲンシュリオンさんが立ち上がっていました。
そのまま真っすぐ歩いて行ったのはキッチンで、そこから大きな包丁を取り出すと、白い布で丁寧に包みます。
みんながどうしたんだろうと注目していると、大きなカバンようなものの中に包丁を仕舞いそれを担ぎました。
そのままのっしのっしと食堂を出て行ってしまいます。
続いて、小走りで温泉設備のある地下室へ向かったのはボクボロさん。
戻ってきたボクボロさんの手には、凄く大きな斧がもたれていました。
そしてボクボロさんもゲンシュリオンさんの後を追うように食堂を出ていきます。
「……ロサ、手伝って」
ペリンダさんの声に我に返ります。
見上げれば、 マリエさんの横をすり抜けるように二階への階段を駆け上がって行くぺリンダさん。
気づけば、他のみんなも一斉に自分の部屋を目指して走り出しています。
「ちょ、ちょっとみんな、どうしたの……!?」
慌てるマリエさんを横目に部屋に駆け込めば、ペリンダさんは着ていたドレスを脱ぎ捨てて乱暴に髪を結い上げていました。
「別に仕事に行くわけじゃないからね。動きやすい服だけにしましょう。他の荷物も最低限で」
「……はい!」
わたしも着替え、急いで荷造りを済ませて食堂へ降りて行けば、そこには示し合わせたように旅支度を終えたみんなが。
娼婦も、娼婦見習いも、下働きも関係ありません。
みんながみんな、思いを一つにしてるのが分かります。
そんなみんなを代表するように、ペリンダさんがマリエさんに笑いかけました。
「それじゃ支配人代理! ちょいとうちの支配人さんを迎えに行ってきますね!」
それからサイベージさんに向かってお願いします。
「サイベージさん。疲れているところ悪いけれど、とんぼ返りで案内を頼んでもいいかしら?」
「……喜んで!」
サイベージさんの表情が一気に笑顔になります。
みんなで一斉にお店を出たところで、マリエさんの声が後ろから聞こえました。
「あ~~もう! ちゃんとこっちでも護衛を手配するから、みんな先走らないでよッ……!」
馬車に乗って、乗り換えて。
夜通し馬車に揺られ続ける強行軍。
行き先は見知らぬ土地で、見知らぬ生き物に見知らぬ植物。
全てが初めて目にする光景ばかり。
初めての長い旅は、正直にいって少し怖いです。
下働きの子たちなんかわたしよりもっと怖いと思います。
けれど、誰も怖いだなんて口にしません。
馬車の乗り心地も最悪で、お尻はジンジンと痛くなるし、下手にしゃべろうとすると舌を噛みます。
みんなただ歯を食いしばるだけで、それでも誰一人文句を口にしようとすらしませんでした。
替わりにみんなが口にするのは、オズマさんとの楽しい話や思い出話ばかりです。
短い食事の時間や休憩の時間になると、みんなして先を争うようにそんな話ばかりをしていました。
「ワシは甥っ子の筆おろしを頼んだ借りがあるからのう」
ボクボロさんがお酒を飲みながら陽気に語り出すと、たちまちマニさんが詰め寄ります。
「ね、ね! あのギルギレみたいな子、ドワーフ族の中で他にいないの? いたら紹介してちょーだい!」
マニさんの横で、ルーさんとセルフィさんも一緒に熱心に頷いています。
その様子をボクボロさんは横目で眺めると、しみじとした口調でこういうのです。
「前から言おうと思っていたが、おぬしたちはつくづくドワーフの趣味が悪いの」
三人そろって絶句する姿に、みんなして大笑いしました。
誰もが疲れているはずなのに、そんな素振りを見せません。
むしろみんなで良く笑ったのは、きっと不安の方が大きかったんだと思います。
行先は外国です。
それも決して大聖皇国に好意的ではない大国ドライゼン。
もしかしたら、わたしたちもオズマさんと一緒に捕らえられてしまうかも知れません。
何かしら処罰されてしまうかもしれません。
でも、それ以上に心配なのは、オズマさんが拷問を受けているかも知れないというところです。
こうやって駆けつけても、間に合わなかったら?
もし、間に合わずにオズマさんが死んでしまったら―――。
考えただけで心が冷たくなり、泣き出したくなります。
わたしは大切な人形をギュッと抱きしめて耐えるのですが、下働きの子たちはこらえきれなくなったのか、シクシクと泣き出す子もいました。
彼女たちを慰めながら、わたしはオズマさんの無事をアルメニア様に祈るのです。
誰もが不安な気持ちを押し隠して到着した、辺境最大の都市カナルタイン。
先に入国していたクエスティンさんたちからオズマさんが生きていると知らされて、ほっと胸を撫でおろしました。
同時に、間もなく広場で処刑されると聞いて耳を疑います。
なんで? どうして?
わたしたちが広場に駆けつけると、遠く処刑台の上に引きたてられた男の人が。
ボロボロの格好で、髭だらかの顔でしたけれど、あれは間違いありません。オズマさんです。生きていてくれたのです!
その後、オズマさんの罪状が読み上げられたましたが、わたしたちは誰一人そんなことは信じていません。
むしろオズマさんも大声で否定したのですが、処刑人らしき人たちに無理やりしゃべれなくされています。
その様子を見ているクエスティンさんを始めとしたみんなは怒りに身を震わせています。
ゲンシュリオンさんとボグボロさんは完全に怒り狂っています。
それを、マリエさんが護衛依頼して派遣してくれた徒党六弁花の皆さんが必死で抑えているのですが、実は一番怒っていたのは、いつの間にかわたしたちと合流していた勇者であるアレス様だったのかも知れません。
オズマさんが断頭台に頭を押し付けられた瞬間。
アレス様は素早く馬に跨ると、兵隊さんがたくさんいる広場へと駆け込んでいきます。
こうなったら誰もみんなを止められません。
アレス様の後を先を争うように追いかけて、あとは大混乱です。
「支配人さんッ!」
処刑台に向けてクエスティンさんが叫びます。
ハッとしてあげられたオズマさんの顔に、抑えていた感情が溢れ出して止まりません。
「支配人さんを放せー!」
「店長さんを返せー!」
仲間のみんなも口々に叫んでいます。
わたしも一緒に「店長さん」と叫ぼうとして、腕の中の〝ラナ〟をぎゅっと抱きしめて。
勇気をもらったわたしは、心からの願いを叫ぶのです。
「お、お父さんを返してくださいッ」
娼館オズマ 鳥なんこつ @kamonohasi007
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