僕の気持ちを叫びに乗せて

烏川 ハル

僕の気持ちを叫びに乗せて

   

 ジリジリと照らす、夏の太陽の下。

 ふと足を止めて、僕は額の汗をぬぐった。

 この暑い中をわざわざ大学へ行くなんて、自分でも物好きだと思う。

 無意識のうちに、小さな呟きが口から漏れる。

「京香ちゃん、今日もいるかな……」


 さすがに夏休みだけあって、大学構内を歩いていても、あまり人の姿を見かけなかった。前期授業のあった頃が嘘のような静けさだ。

 もちろん僕だって、勉強しに来たわけではない。行き先は、文化系の部室ボックスが集まるサークル棟だった。

 僕の所属するサークルは、クラシック系の音楽サークルだ。他にも合唱団とか器楽部とか、似たようなサークルが同じプレハブの建物に押し込められている。ギター部やロック音楽のサークルまで一緒の棟だった。

 どのサークルでも、部室ボックスは練習をする場所というより、演奏道具の置き場とかミーティングのための部屋なのだろう。公式的なサークル活動の際は、別の練習会場を使うものだ。

 ただし、自主的な個人練習に励む学生たちは、建物の近辺で勝手に演奏している。だから、いつもならば、サークル棟のある区画だけは本当に騒々しいのだが……。今は、その人数も大きく減っていた。

 日頃の騒音ではなく、適度なBGMに囲まれた建物だ。近づいて、自分のサークルの部室ボックスへ目を向けると、窓から灯りが漏れていた。

 中に誰かいるということだ。期待に胸を膨らませながら、部室ボックスの扉を開けると……。

「あら、こんにちは」

 ぺたんと青いカーペットに座り込んでいたのは、長い黒髪の美しい、同学年の女子大生。京香ちゃんだった。


 ふわりとした緑色のスカートも、少しモコモコした白いブラウスも、よく似合っていて可愛らしい。夏だから少し薄手の生地であり、ブラジャーの紐らしきものが透けて見えているけれど、大丈夫なのだろうか。

 つい、そちらに視線が釘付けになってしまい、挨拶を返すことすら忘れてしまう。

「……小坂くんも、個人練習に来たの?」

「やあ、京香ちゃん。そうだよ、僕も練習したくて……」

 話しかけられて、慌てて口を開く僕。

 彼女の目つきが少し訝しげに感じられるのは、気のせいだろうか。

「……へえ。小坂くん、相変わらず練習熱心なのね」

「いやあ、まだまだ僕は下手っぴだから、頑張らないと!」

 なんだか褒められた気分で、自然に声が明るくなってしまう。

 いや、むしろ不自然なくらいだったらしい。目の前の京香ちゃんは、小首を傾げている。

「……まあ、いいわ。そういえば小坂くん、帰省はしないの?」

「ああ、うん。あんまり、その気になれなくて……。こっちに残ってた方が、勉強するにしても音楽やるにしても遊ぶにしても、何かと都合がいいからね」

「小坂くん、ちゃんと勉強してるのかしら? 私が部室ボックス来ると、いつも見かける気がするんだけど」

「気のせいじゃないかな、それは」

 と返しておくが……。

 全然、気のせいではなかった。

 そもそも僕は、京香ちゃんが来そうな時間帯を見計らって、部室ボックスを訪れているのだから。


 サークルの仲間たちの大半が、帰省してしまった夏休み。

 でも、僕が密かに恋い焦がれている京香ちゃんは、実家から大学に通う女の子だ。帰省することはなかった。

 だから、こうして部室ボックスに顔を出せば、京香ちゃんと会う機会もある!

 特に最近は、毎日のように京香ちゃんは来ているらしい。僕に言わせれば、僕なんかよりも京香ちゃんの方が、よっぽど練習熱心だった。

 僕の方は、純粋に練習をしたいだけでなく、京香ちゃんに会いたいという別の目的もある。でも彼女には、そうした下心は存在しないのだろうから。


 いつもは他にも誰かしら来ているのだが、今日は京香ちゃんと僕の二人だけ。ならば……。

「ねえ、京香ちゃん。せっかくだから、たまには一緒に練習しない?」

 こんな機会は、めったにない。そう思って誘ってしまったが、

「えっ、でも……。私と小坂くんじゃ演奏パートも異なるし、意味ないよね?」

「いや、違うパートだからこそ、アンサンブルの意味でさ」

「うーん。それはそれで、二人じゃパートが少なすぎる気が……」

 京香ちゃんは、乗り気ではなかった。

 苦笑いにも見える笑みを口元に浮かべて、考え事をするかのように、視線を宙にさまよわせる。

 それから再び僕の方へ、くりっと可愛らしい瞳を向けてくれた。

「じゃあ、他に誰か来るのを待つ? それならアンサンブル練習も……」

「それはダメだよ!」

 思わず、京香ちゃんの言葉を遮ってしまう。

 本心の発露だ。口に出すつもりはなかったのに。

「……なんで?」

「いや、なんで、って言われても……」

 そう、理由を説明できないからだ。好きな女の子と一緒に練習したいという、僕の男心……。

 音と音を重ねることは、相手が好きな女子であるならば特に、体と体を重ねることにも匹敵する悦びなのだ!

 こんな気持ち、間違っても言えるわけがなかった。


「もう一度きくよ、小坂くん。……なんで?」

 京香ちゃんは立ち上がり、少し下からグイッと覗き込むような格好で、追及を続けてくる。なんだか面白がっているような表情にも見えるが……。

 まさか京香ちゃん、僕の恋心に気づいているのだろうか? それを僕の口から、言わせようとしているのだろうか?

 ……いや。

 冷静に考えれば、僕にとっても、これは良い機会かもしれない。京香ちゃんと二人きりのシチュエーション、次にいつ訪れるのか、わからないのだから。

 もう思い切って告白するしかない!

 たぶん顔を真っ赤にさせながら、僕は気持ちを告げるのだった。

「……す、好きだから……。京香ちゃんのこと、好きだから……」


 僕としては『思い切って』のつもりだったのに、口から出た声は、驚くほど小さかった。

 とはいえ、二人しかいない部室ボックスだ。京香ちゃんの耳にも、きちんと届いていたはず。

 それなのに、

「うーん……。そんなppピアニッシモで告白されても、よく聞こえないから、喜べないなあ」

 と言いながら、京香ちゃんは、ニヤニヤ笑いを浮かべている。

 いくら何でも、ppピアニッシモ――「とても弱く」――と言われるほど小声ではなかったはず。でも頭が真っ白になった僕は、何も言い返せなかった。

「小坂くんの『好き』って、その程度なの? そんなに小さい気持ちなの?」

 そんなわけない!

 ただドキドキして、小声になってしまっただけ!

 だから。

 今度こそ。

 僕は大声で叫んだ。

「好きだ! 大好きだ、京香ちゃん!」


「そんなffフォルティッシモの気持ちなら、受け入れるしかないわね」

 また強弱記号――今度は「とても強く」――で例えながら、京香ちゃんが抱きついてきた。

 これって、そういう意味だよね? 『受け入れる』と言ってくれたのだから、告白OKという意味だよね?

 信じられない、と思いながらも、ここは絶対に聞き返してはいけない場面だ、というのは理解できた。

 だから僕は何も言わずに、彼女の背中に手を回そうとしたのだが……。


 ドン!

 ドン! ドン!


 左右両隣の部室ボックスから、激しく壁を叩く音。

 僕たちは、慌ててバッと体を離した。

「小坂くん……。今の静かな部室ボックス内でffフォルティッシモは、ちょっと、まずかったみたいだね」

 京香ちゃんが、小さくペロッと舌を出す。なんとも可愛らしい仕草だ。もう、その舌に吸い付きたいくらいだった。

 でもグッと我慢して、

「そうだね」

 僕は余裕の微笑みを返した。

 すると京香ちゃんから、嬉しい提案が!

「じゃあ、どこか別の場所へ行きましょうか?」

「うん、京香ちゃん!」

 僕たちは、手を繋いで部室ボックスを出る……。


 こうして、今日の個人練習は中止になった。

 さあ、これから二人の初デートだ!




(「僕の気持ちを叫びに乗せて」完)

   

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僕の気持ちを叫びに乗せて 烏川 ハル @haru_karasugawa

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