敗北者たち

「本来、この世界には天地もクソもないと思うんだよね。魂とか非現実的だし、人間だけが特別ってのも納得できないしさ」

 地の底で、醜悪なる獣たちが永遠の闘争を繰り広げ続ける。

「人々の妄執が成せる夢、ってのも納得には至らない。君はどう思う? 彼らのような好き者でもない癖に、ただ世界に漂う亡霊のよしみで教えてよ」

「さあ。私は何も知りませんし、どうでもいい。ただ、この世界は在って、我々はここに残っている。摩耗し切るその時まで、それだけのことでしょう?」

「……存外面白みのない男だねぇ」

「私には君のような人種が理解できませんよ。私は醜悪なる獣を美しいと感じますが、貴方方はそうではないのでしょう?」

「理解不能だね」

「ならば何故、残るのですか?」

 男は筆を置き、天を仰ぐ。

「そりゃ君、消えないしこりがあるのさ。何せ僕らは、敗北者だからね。負けたことには納得している。でも、それと罪は別のお話ってだけ」

「君の罪とは?」

 彼方を見つめながら、

「……さあ、それを口に出せるなら、たぶん僕はここにいないよ」

 矛盾に満ちた己を、嗤う。

「……なるほど」

「君は?」

「私たちはここが心地よいから、単純でしょう?」

「ぶは、ベクトルが違うだけであいつらと同類かよ」

 それでも彼は残る。いつか消えると思っていたものを、摩耗し切ると思っていたものを、未だ拭えずに、この世界に漂い続けるのだ。

 この世界に遺るのは、善人でも悪人でもない。世界にとって善悪と言うのは大した意味はないのだ。遺るは狂人か、愚者か、それだけ。


     ○


 狂人の世界にもヒエラルキーがある。力を示し、存在を示し、強くここに在る者たち。幾千幾万の戦いを制覇し、亡者たちの頂点に君臨する王、無限の戦いに身を投じてなお、磨り減るどころかこの世界に在り続ける。

 その一角が三者、

「いつか飽きるだろ、って思ってんだが、これが中々飽きねえもんだな。戦争は心の癒しだぜ、そう思わねえか?」

「思わんな」

「相変わらずつまんねえ野郎だなぁ。そんなんじゃまた負けるぞ、俺様によぉ」

 黒き王が白き王を挑発する。それに反応したのは白き王本人ではなく、彼の後ろに控える者たちであった。特に漆黒の騎士など、怒髪天を衝く勢いである。それに応じ、黒き王の取り巻きも臨戦態勢を取る。

「俺は勝つべき時に勝つ。どうでも良い時の勝ちはくれてやるよ、欲しけりゃな」

「はっは、ならまた貰おうかねえ。勝利ってのはいくつあっても良いもんだ」

「なら、俺たちは二人とも、彼女には負け越しているぞ」

「……俺はトントンだ、馬鹿野郎!」

 言い合う二人の王をよそに、お高く留まる紅き女王。旗を掲げ、多くの騎士を従える怪物は二人のやり取りを聞き鼻で笑った。

 ついでに後ろの騎士たちも笑う。

「……調子に乗ってんな、他力本願女ァ」

「弱兵を抱えると大変だな、狼の王よ。いつまでも子犬の世話に追われねばならぬ、か。我が騎士を貸してやりたいのだが、生憎獣の下に付きたい者はおらぬのでな」

「ここにいる時点で同類だろうが、阿呆らしい」

 幾千、幾万やり合った。これから先幾億、やり合ってもここにいる者たちは擦り切れない。擦り切れ、いつの間にかいなくなる者もいる。

 と言うよりも、常人は必ずそうなる。

「今日は先約がある。預けるぜ、白猿よォ」

「この世界に今日も明日もあるものか」

「細けぇ野郎だな、テメエは」

「まあ、俺たちも適当にやっているさ。無限の闘争が広がる、戦士の楽園だ。戦う相手には困らん。活きの良さそうな新入りも入って来たからな」

「俺の子孫だろ。可愛らしいよなぁ」

「あれが可愛い? 冗談だろ?」

「可愛いじゃねえか。俺様がいるのに、最強ってんだ。笑わせるぜェ」

「……煮えくり返ってんじゃねえか。なら、テメエが躾けて来いよ」

「いや、今日は騎士共を殺すと決めた」

「……勝手にしろ」

 戦う相手には困らない。古今東西、あらゆる時代の戦士たちがここに集うのだ。亡者の中でも最も性質が悪い、闘争を楽園とする狂人たちが。

 ここに至る者は心に何かしこりを残し、自罰によって摩耗し、擦り切れ、消える。稀に消えぬ者もいるが、残るのは大概戦士のような、この手の場所を楽園と定めるどうしようもない連中ばかり。人間のエラーとも呼べる生き物だけが、この地に遺り不毛な戦いを嬉々として続けるのだ。

 心の底から幸せを噛み締めながら。

「俺は行くぞ――」

 永遠に続く戦いの世界。至る場所はここだけではないのだが、白の王はここを自らの居場所に定めた。おそらくここが、噛み合わぬ世界に漂い続けることが、己への罰になるのだと、そう思っていたから。

 だが、無限の闘争、無限の痛み、それらが日常となれば何てことはない。この世界は、かつて生きてきた大地よりもよほど、楽な場所であった。

 こんな場所で、どうすれば摩耗できると言うのか。

 こんな場所で、どう罪を注げばよいと言うのか。

 ある意味で男にとって一番の地獄であっただろう。到達点の、着地点の見えない無限獄、当て所なく揺蕩う、虚無の如し時間。

 これでは永劫、己を許すことなど出来ない。

 そう思っていた。それが己への罰なのだとすら、思っていた。

 だが――

「あ?」

「……?」

 彼らが自ら選んだ地の底、戦士の楽園に、何かが垂れる。

 小さく、か細く、白い、腕。

 白の王の陣営、その中の一人が眼を見開き、微かに微笑む。

「魔術式だ? これは、どの時代のだ?」

「さてな。どの代の戦士たちとも相争ったが、このような術式を見たことはない」

 黒の王、紅の女王、共に首を捻る。時代のるつぼであるこの世界では、魔術自体珍しくはない。亡者である彼らはそれを知っているし、戦いの中で嫌でも学習していた。しかし、必死に何かを掴もうとする腕の周りに浮かぶそれを、彼らは見たことがない。古今東西、ありとあらゆる時代の戦士と戦う彼らが、である。

「……魔術式、ニュクス。いや、少し違う。おそらく、第五法だろう。力を産むためではなく、扉を開くための力、か? 何がために?」

 白の王は困惑する。

「そんなもの見ればわかる。この腕は、貴殿へと伸びている」

 紅の女王の言葉に、白の王は眉をひそめる。

「だな。どうすんだ? お熱い御誘いだがよ……十中八九ろくな誘いじゃねえぜ。なにせ、猫の手でも足りねえから亡者の手をも借りようってんだ」

「……確かに、な」

 にやつく黒の王に、白の王は同意する。

(今の俺に何が出来る? そもそも、何かすべきなのか? 俺の役割はとうに終わっている。俺の生に意味があったとしたら、それはあの時代であったから、だ。俺自身が特別であったわけではない。この先の時代に、俺が寄与できるか?)

 自らよりも優れたる者、黄金の王に引き継いだ時点で、白の王は破壊者としての役割を終えた。その役割でさえ、のちの時代には、その時代に適した破壊者がいたはずなのだ。今更自分に何が出来るのか、考えても答えは出ない。

「……しばし、留守にする」

「御意」

「いってらっしゃい」

 だが、白の王は決断した。そしてその決断に対し、王の友であり、騎士である彼らは何も言わずにただ是とだけ返す。

 何か言いそうな者まで、今回は何故か沈黙している。

 何も言わず、ただ、珍しい種類の笑みを浮かべていた。

「勝負は預けるぞ」

「構わねえよ。どうせまた戻ってくるんだろ? なら、大した問題じゃねえさ。精々楽しんでくりゃ良いんじゃねえの」

「ああ。只人の生涯など、刹那と変わらん」

 白の王は好敵手である彼らを一瞥した後、地獄の垂れる腕を軽く掴む。

 まるで踊りの誘いでも受けるかのように。

「役目を終えた亡者に、価値があると言うのなら――」

 その手もまた、握り返す。ようやく、見つけたとばかりに。

「示して見せろ。新たなる時代よ!」

 そして、白の王は光と化し世界を、越える。

 摩耗し果てる以外で、この世界からいなくなることなど滅多にない。しかもそれが、元居た世界であることなど――

「……どうなることやら」

「そうだな」

 二人の王は苦笑する。いい予感はしない。先にも述べた通り、亡者の助けを求めるなど尋常な状況ではないだろう。あそこで暴れ散らかす新参者に問いかけるのも悪くないが、二人の王はとりあえず考えるのをやめた。

 考えたところで、大した意味はないから。

「まあ、この世界が死ぬほど似合わねえ嘘吐きくんが戻ってくる前によ、どっちが強いかってのは決めとこうぜ。いい加減、横並びってのも業腹だ」

「悪くない提案だ。紅蓮に圧し潰してくれる」

「何でも喰い千切るぜ。狼は悪食なんでな」

 睨み合う二人の王。力とカリスマ、底無しの欲望と天高き情熱が、爆ぜる。

 そこに、

「王の留守を任されたのだ。覚悟はあるか?」

「当然。そっちこそ大丈夫? 模倣じゃ困るよ」

「ほざけ」

 白の王の部下たちが割って入る。当然、王である彼らにとっては笑えない冗談。今まで白の王の下で良しとしていた連中などに、負ける道理はない。

「舐めてんのかァ?」

「いやいや。貴方だってわかっているだろう? 彼よりも僕らの方がずっと、君たちに近い。彼は嘘吐きな愚者だが、僕らはれっきとした、狂人だよ」

「そう言うことだ。ずっと思っていたのだが、あの御方に横並びは、似合わない。折角の留守、ゴミ掃除をして……ご帰還の際には綺麗な玉座に至って頂く」

「……笑えん冗談だ。だが、その意気や良し」

「まずはテメエらからだ。覚悟は良いか、三下どもォ!」

 地の底が揺れる。世界を揺らがせるような圧倒的な力が二つ、漆黒の餓狼と紅蓮の女王が牙を剥く。覇者に牙剥く戦士たちは笑みを浮かべ、天へ挑む。

 永遠の闘争を繰り広げる亡者たちは一斉に、彼らへと視線を向ける。

「かかか、バケモンしかいねえな、ここはよォ」

「本当に、な」

 新参者たちは身震いする。これが戦士の時代、その頂点に輝いた者たち。彼らに比肩する王は他にもいるが、それでも彼ら以上は、存在しない。

 ここが戦士の楽園、であるから。

「うわーお、いつもより激しいじゃん。ほんと、好きだねえ、彼らは」

 蒼き傍観者はケタケタと笑う。

「……ここには敗北者しか至らない。敗北者しか、残らない。さて、そんな僕らにこの先、何か役割が振られることがあるのだろうか。彼が今、掴み取った手は吉兆か、それとも凶兆か……興味深いけど、それを僕が知る術はない」

 傍観者は、天を見つめる。相変わらずも曇り模様。日が差す気配などない。

 変化があるとすれば、今日一人の王が消えたこと。王でありながら、この世界に適さずに、在ること自体を罰と定めた男。

 戦士の時代の覇者にして、

「……今はただ、この地にいよう。僕もまた、ここに在ると決めたから」

 破壊した後、新たなる時代の前に敗れ去った敗北者。

「永遠の戦士たちと共に、ね」

 その彼に敗れた者たちは今日も闘争に明け暮れる。

 永遠に、彼らにとっての楽園で――

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カルマの塔【断章】 富士田けやき @Fujita_Keyaki

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