……どうも

 石宝先輩と付き合っていた頃に、たまにお邪魔していた石宝家。

 それも石宝先輩と別れてからは来る事もあるわけがなく、先日の件以来にこの家に足を運んだ。

 いや違うな、正確に足を運ばざる得なかった。

 俺の家に石宝先輩が押しかけて来たあの日。

 今の状況から早く脱したかった俺に投げかけて来た石宝先輩の三つのお願い。

 その一つが、この家に来る事だった……。

 天藍に内緒で来ている事が、更に重荷になっていく。

 

 「はい真珠君❤コーヒーで良かったかな?」

 「……どうも」


 快く俺を家に上げてくれた石宝先輩が、二人分のコーヒーを持って、俺のいるリビングまで戻ってきた。

 わざと密着する形で俺の隣に座った石宝先輩。

 間に空間を作る様に離れるも、向こうも同じ様にこっちへ寄って来る。

 何なんだと言う目で石宝先輩を見るも、返って来るのはいつもの微笑みだけ。

 お互いが何もしないまま、時間だけが過ぎていく。

 このままじゃ埒が明かないと、口を開いた。


 「あの……一体、何のために俺を呼んだんですか。……さっきから黙ってるし、何もないなら、もう帰って良いですか」

 「ダメだよ❤まだ来たばかりでしょ? 何もしないのに呼んじゃダメだったかな? それとも、私との約束を破って帰りたいのかな?」

 「そ、れはっ……いえ」


 約束と言う言葉を振りかざされて、口を縫われる。

 我慢しろ。

 耐えろ。

 天藍との為に、今は大人しく……天藍?

 そう言えば、天藍はいつ帰って来るのだろうか……自分の家である、この場所に……。

 そんな考えが巡った時、俺の顔から血の気が引いた。

 もしも今、天藍が帰って来たりしたら……地獄を見る。


 「あれ? どうしたのかな、真珠君。顔色が悪いよ? ふふっ❤」

 「なっ、何ですか!?」


 俺の手の上に、自分の手を重ねる様に置いてくる石宝先輩。

 不意に触れてきた石宝先輩の手は、すごく熱がこもっていた。

 何もしてこないと油断していた矢先の石宝先輩の行動に、体を硬直させる俺。

 重ねられた石宝先輩の手が、徐々に手首から二の腕、二の腕から肩にまで移動していく。

 掴むわけでもなく、撫でる様に俺の肩を弄る石宝先輩。

 ゾワゾワとした嫌な感覚が肩から全身に駆け巡った。


 「真珠君に触れてるだけで、安心できるなぁ❤ふふふっ❤」

 「ひっいぃ!? やめて下さい!!?」

 「あっ。もう、照れなくても良いんだよ? 真珠君❤」


 飛び退いて石宝先輩から距離を置く。

 弄られていた肩の部分を、手で強く押さえつける。

 あと二つのお願いも、こんな事をされると考えただけで投げ出したくなってくる。

 先に俺の方がボロボロになってしまいそうだ……。


 「仕方ないなぁ、一つ目の約束はこれで終わり。今日はもう帰って良いよ。……それにもうすぐ」


 帰っても良いと言ってきた石宝先輩が、チラッと壁に掛けてある時計を見た。

 その行動に何の意味があるのかなんてどうでもよかった。

 早く帰ろう……その事で一杯だった。

 立ち上がり、鞄を持って踵を返した……その時。

 ガチャッ。


 「っ!?」


 ドアの開く音が聞こえた。

 続いてガサゴソと音が聞こえたかと思うと、廊下を歩く足音が、こっち向かって近づいてくる。

 まさか、まさかそんな……。

 身を隠さなければと、周りを見渡した時、目に映り込んだ。

 ――――――まるでこの時を狙っていたという様な、石宝先輩の笑顔が。

 俺の動きが止まったのとは反対に、引き戸が開けられた。


 「ただい………………え」


 嫌な予感が的中し、入って来たのは他の誰でもない天藍だった。

 その天藍は、ここに居るはずの無い俺の姿を見て、固まってしまった。

 そして、同じ様に固まる俺の後ろで、石宝先輩が嬉しそうな声で言った。


 「門限ピッタリに帰って来たね、天藍。……真珠君との時間、楽しかったよ❤」


 天藍の立っていたはずの場所に、鞄だけが落ちている。

 俺の横を、天藍が通り過ぎて行った。

 一瞬だけ見えた天藍の顔は……見た事も無い剣幕だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 甲高い声が響いている。

 耳が張り裂けそうな程の、その声を荒げているのは、天藍。

 石宝先輩を押し倒し、馬乗りになっている天藍が、叫んでいる。

 俺はそんな天藍を、後ろから押さえていた。


 「真珠にっ、何した!! この糞女ァァァ!!!」

 「天藍!! 落ち着けっ、天藍ってば!!」


 すごい力で藻掻く天藍。

 俺の体も左右に振り回される。

 けで、この手だけは離しちゃいけない……離せば、天藍は実の姉を殺してしまうかもしれない。

 そう思わせる程の殺気を、今の天藍からは感じられた。

 そんな天藍とは対照的に、押し倒された石宝先輩は、やれやれといった呆れた表情で天藍を見ている。


 「人の話もよく聞かないで、ダメだよ天藍?」

 「うるさい黙れ!!」

 「ほらまた。別に真珠君に何もしてないよ? ただ、道でばったり会ったからお話がしたくて家に上げただけ。ただの世間話だよ……ね? 真珠君」


 怒りで息を荒げる天藍に、冷静に理由を聞かせる石宝先輩。

 その話を聞いた天藍が、勢いよく俺の方を振り向いた。


 「真珠!! 今の話はホントなの!!?」

 「はっあ、あぁ! ホント、本当だよ!」


 物凄い剣幕と声で俺に問いただす天藍に、ビクつきながらも本当だと答える。

 射殺されそうな目つきの天藍から、目を話す事ができない。

 そうする事を、許さないと言われている感じがした……。


 「分かったら、そろそろ退いてくれる?」

 「このっ!! ……二度と真珠に近寄らないで声を掛けないでっ!! 来てっ、真珠!!」

 「え、ちょっ!? 天藍どこに」


 石宝先輩に捨て台詞を吐きかけ、俺の手を引いてリビングから連れ出す天藍。

 そのまま玄関を通り過ぎて、反対側の廊下を突き進んでいく。

 廊下に響く程の足音を踏み鳴らしながら歩く天藍が、一つのドアの前で立ち止まった。

 説明されなくても分かった……ここは、天藍の部屋だろうという事を……。

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