女流ラノベ作家・蒼井霧雨の創作者としての本音がダダ漏れるだけの話 京衛武百十
女流ラノベ作家<蒼井霧雨>は、非常に好き嫌いの分かれる作品を書くことで『知る人ぞ知る』作家だった。
そんな彼女の作品は、基本的には年上の女性と少年のラブロマンス物が多かったものの、時流に乗っていわゆる<異世界物>も多く生み出してきた。
これは、彼女、蒼井霧雨が異世界物を書く理由である。
筆者より
「ショタパパ ミハエルくん」が当初想定していた内容からそれまくった挙句、いろいろとっ散らかって収拾つかなくなってしまったので、あちらはあちらでこのまま好き放題するとして、こちらは改めて少しテーマを絞って書こうと思います。
基本的には<創作者の本音>をメインにしていく予定です。
もっとも、また暴走する可能性が高いですが。
追記
案の定、暴走してしまってもはや<創作者の本音>でさえなくなっていますね。
序盤と現在とではまったく別物になっていると思うので、まず最新話から確認されることをお勧めします。ストーリー物ではないので、<ネタバレ>などの心配はありません。
なろうとアルファポリスでも同時連載します。
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目次
連載中 全886話
更新
- 第一幕
- なるほどこれは商品にはならないや
- それが私の願い
- おぞましい妄執
- 自分の価値観こそが
- 作れやしない
- 今日も延々と
- プロ作家っていう肩書
- 本当にずるい……
- 強力な<力>
- 境界はどこになるんだろう?
- 敢えて何も言わないように
- いちいち本気でキレる
- ストレス解消
- 私は育ちが悪いこともあって
- それが何の役に立つかって
- なんに転生しようかな
- 僕はサメに生まれ変わったってこと~っ!!?
- 人魚姫とサメの騎士
- 恐ろしい代償
- めちゃくちゃ嫌われるだろうなあ
- その両方にいい顔しようとして
- 割り切れないって言うんなら
- 後先考えずにその場の感情で
- 目がしみるくらいの
- ぐうの音も出ない評価
- 知ったこっちゃねえ!!
- 炎上すること自体が利益を生む
- 読者としての私は
- 実にスッキリしない話
- 自分で自分を褒めてるって
- もう一人の人生のパートナー
- 卑劣極まりないよね
- 一ミリもありませんな
- 突っ込みどころしかない!
- お前が言うな!案件
- 学んじゃったんだろうな
- メンドクサイこと
- ご都合主義の妄想だとしか思わないね
- 自分とは違う人間
- その効果はまったくなかった
- 子供の習性
- それに何の意味があるの?
- その理屈が成立するなら
- 全てが自分の思い通りになる世界
- ローカルルール
- ルールは守るべきだ!!
- なんで気付かないんだろ?
- バランスが取れてると
- 清廉潔白で高潔な正義の人
- 話が逸れちゃうなあ
- 親子の確執と感動的な和解。のテンプレ
- 実際には滅多に起こらないことが
- ものの価値
- 徹底的にスルーすることこそが
- どの<勢力>にも、私は属さない
- 体験型アトラクションの世界
- 主人公の資質
- サンドバッグにならなきゃいけない理由
- 子供が成人したらもう
- 自分の家族がどこかの誰かを
- ヤバい私を野放しにしなかった人
- 有名税とか、時代錯誤もいいところ
- 私の創作にとっては大事なこと
- まったく教えてくれなかった
- 他人に完璧を求めない
- 人の親であるからこその実感
- 私の方ははっきり言って
- 関連して言いたいことが
- 見習うべき<礼儀礼節>
- わざわざ自分でその原因を作るんだから
- フィクションの中でしか成立しないもの
- 実力行使ができないのは舐められる?
- 面白いと思えない嘘
- いかに他人と噛み合わないことが
- 本当に申し訳なかったと
- 自分はそういうのが好き
- 勢いだけで付けたタイトルだから
- あんたもそうじゃん
- 現実と向き合えない親の姿
- 私の子供達がそんなこと言ってたら
- 可愛いのは可愛げのある子供だけ?
- <権利>には<義務>が付きまとう
- 他山の石
- 実はそれが問題を作ってる
- 謝罪するというのはどういうことか?
- それを願わずにいられない自分自身が嫌い
- ある種の<コミュニティ>
- 私にとっての幸せは
- まだまだ触れたいことはなくならない
- 親であることをやめることはできない
- たとえ子供に疎まれても
- ただの<逃げ得>だとしか
- ホントどうしようもないダメ人間
- その人の<気持ち>は蔑ろにしちゃ
- これでも一応
- フィクションの楽しみ方
- 『ウザい』と感じるなら
- どんな言い訳並べたって
- 卑怯者にはしたくない
- それを放っておかれるのも
- 可能性に目を瞑ってきた結果が
- 自分達に都合のいい世界に
- 実際には金のためでしょうが!!
- 他人の感性についてケチをつけるのは
- ホント大迷惑だから
- 人類の歴史上、ほとんどなかった
- 余計なことをしなくてもさ
- 創作の邪魔になるだけ
- <力>を持ったら何をしようとするのか
- その姿勢がすでに
- 仕事で同じこと言ったら
- 赤の他人に尻拭いさせるとか
- 自分が言われる側なのに
- 家族と穏やかで楽しい時間を
- それが先のはずなんだよね
- 言われて当然じゃないかな
- 自分とは違う存在
- 事が起こってから後出しで
- それが本当に決定的に影響するなら
- 人間の歴史の中で
- 素の顔
- 悪い意味での相乗効果
- どうにか適当にやり過ごして
- 創作の醍醐味だよね
- 相手のことを見てない
- どうするのが相手を敬うことに
- そんなことするのは
- 自分だけが一方的に言うんじゃない
- いい子のフリ
- 別に<綺麗事>を言いたいからじゃない
- ガチで<異世界物>の話に戻れないな~
- 解釈の相違
- 『自分の方が正しい』と思ってるから
- 可能性だけで話をするなら
- この世界の奴らはどうせ
- 毅然とした態度
- 何が<罰>になるかって
- 自分自身の首を絞める行為
- 世界は自分だけのために存在するんじゃない
- 攻撃的なやり方で自分の目的を
- そんな幸せが認めてもらえると
- 命の形が変わったら
- まったく前提条件が違っちゃってる
- 子供に対してその捌け口を
- 悪い意味で<普通>
- 押し売りの理屈
- 物事の一面しか見ないから
- そういうことを危惧してるなら
- たとえ疲れてても虫の居所が悪くても
- 人間なんだから完璧にはできない
- 道理に適ってない
- フィクションだからできること
- スーパーヒーロー
- 宇宙規模の自然災害
- どう頑張ったって全員は救えないのなら
- ちょっと冷静になった方がいいと
- そんなヤバい考え方をしてるのを
- <夢>や<理想>だけを食べて
- 楽な方に惰性で進んじゃった
- 自身の攻撃性を隠そうともしない人間
- 自分の普段の言動を見直すべき
- まともにとり合う価値もない妄言
- なんでなるのか私には分からない
- 分かりすぎるわ~!
- 自分の行いに問題があるとは
- 自分の子供を不幸にするのと同義
- 親の行いに触れるのを
- そんなに自分の責任から逃れたいの?
- 自分で望んでそうなったの?
- 義憤に駆られて<悪>に立ち向かってるだけだ!!
- 他人が好き勝手に罵ってるのに
- やっぱり自分が批難される側
- 甘えたいなら別に甘えててもいいんだよ
- 自分に返ってくるだけだから
- 自分から要求するようなのは
- 自らの承認欲求を満たすのを目的にした
- 幸せになれるかどうかは
- <育ててやった恩>なんて存在しない
- 生んでくれなんて頼んでない!
- で、思い付いたんだけど
- 異世界に転移して普通の家庭を築いたけど娘が高校生で子供を作ったので意地でも幸せにしてやることにした
- その頑張りの方向性を
- マイナス要素を打ち消すプラス要素
- 割と的を射てる時もあるからね~
- この世界の人間じゃない僕がこうして
- ありとあらゆるパターンの罵詈雑言と嘲りと蔑みの言葉が
- それに向き合うことにしたんだ
- 同じ失敗をしないために
- 私の創作の基になってる
- 雛鳥じゃあるまいし
- <売れるノウハウ>自体が曖昧模糊なもの
- 何でもかんでも他人の所為にして攻撃して
- それ、どんな<ディストピア>?
- 創作に関わるあれこれについては
- 全周囲にまんべんなくケンカ売ってる
- そういうのを子供の前で見せてたら
- ゆとり教育もびっくりのぬるま湯じゃん
- どんな親の下に生まれるかで
- 世間じゃそういうのを、<逃げ得>って言うんじゃないの?
- 自分には責任ありませぇ~ん!
- そんな私でも、子供達は
- <他人を傷付けて悦に入るような外道>を野に放つとか
- あんたを勝手にこの世に送り出したのは、他の誰でもないこの私だ。文句があるなら私が聞いてやる。だが、あんたの憂さ晴らしのために他人を傷付けるのは、絶対に許さん!!
- 私が生きてる間は見捨てません
- 他人様を傷付けるような人間のままで世の中に放り出すわけにはいかない
- 私が生んだのは、人間だよ。犬でも猫でもない。人間なんだ。その私が子供を人間として扱わなくてどうすんの?
- 道理でおかしいと思ったよ。あんたは人間を恨みすぎてる。別に誰かに何かされたわけでもないはずなのにさ
- 『子供を一つの人格として敬えばこそ甘えさせる』し、『甘やかしというのは実は子供の人格を蔑ろにしてる』から、やらないようにする
- 『我慢ができるようになった』というのが、大きな変化だった。
- 『他人に迷惑をかけるくらいなら、一人で死ね!』とか言う人は、何も分かってないよね
- 『どんな人間に育つかは<生まれつきの性格>で決まる』みたいに言う人もいるけどさ、それが本当なら、<躾>なんて要らないじゃん
- 私自身、『他人に迷惑をかけるくらいなら、一人で死ね!』とか言われたって、『はい、おっしゃるとおりですね。一人で死にます』なんて一ミリも思わないよ?
- 『他人を罵るのは良くないことだ!』『罵られた側の気持ちを考えろ!』って言われて、ネット上に罵詈雑言書き込むの、やめられんの? ねえ?
- 私がこんな風に言ってることについて、『ムカつく!!』と思うなら、以前から言ってる、『信頼もしてない相手から何を言われたって聞く耳持つ気にはならない』ってことの何よりの証明だよね。
- 元より、<感情>ってもんには、<素直に表に出していい感情>と、<素直に表に出しちゃいけない感情> があると思うんだ。<他人を罵らずにいられない感情>は、たぶん、後者に属するだろうね
- 本当に、自分の家族や身内や身近な誰かが他人を傷付けようとしてるのを止められないのに、どうして見ず知らずの赤の他人を止められると思えるんだろうね
- 群れてるけど実は仲間意識があるわけでもない、連携が取れてるわけでもない、<壊れた奴らの集まり>
- 自分がいかに、殻に閉じこもってて、勝手に周りを敵視してたか、敵認定してたか、分かってきたから
- だって、あんたを生んだのは他の誰でもない私だからね。わざわざ自分で不幸になろうとしてるのを、見ないフリなんてできないよ
- 私自身だけの力でやってこれたとか、そんな思い上がりは無理
- いや~、今回もまったく売れそうにもないのを思い付いてしまったな。基本、読者とか視聴者とかってのは、<スカッとする話>は好きだけど、<耳が痛い話>は嫌うからね。
- 『四の五の言わずに目上の人間を尊敬しろ』って考え方、いったい、どこから来たの? 誰が作ったの? それを唱えた人は、本当に、『どんなロクデナシでも年上なら無条件に尊敬しろ』みたいなことを本当に言ったの?
- だってさあ、人間って完璧じゃいられないじゃん? どんなに偉そうにしてたってやらかしちゃったりもするしさ。で、偉そうにしてたのにもう言ってることとと実態が違ったりしたら、一発で信頼感なんかパアじゃん
- 『子供との約束なんか守れなくても構わないし謝る必要もない』とか親が考えてたら、これはもう<致命的>としか思わないよ。だってそれ、子供をペット以下にしか見てないってことだからさ
- それぞれの企業とか団体とかの中の人達が、『子供から信頼される大人であろう』としてくれるなら、あれこれ言われてることについても道筋は立つと思うんだ
- なんて言うかさ、<ハラスメント>とか<性的なんちゃら>とか、そういう単語で括ってどうこうっていうの、ホント、『どうでもいい』って私は思う
- 仮にも<批判>だっていうなら、<意見>として相手に届かなきゃ意味ないじゃん。なのに、実際には、<意見>を届けようとしてるんじゃなくて、<悪意>と<敵意>と<害意>をぶつけてるだけじゃん
- お金さえあったら何も心配要らないって、それ、マジで言ってる? だったら、世界の富豪とかが何の心配もなく問題もなく過ごせてると思ってんの?
- 十年位前からネットを利用し始めた私の両親は、それを、<他人を攻撃するのに便利な道具>だとしか思ってないのがよく分かるよ
- 『子供に<ストレス耐性>を付けるために敢えてストレスを掛けるんだ』なんてことを言ってる人が、実は<ストレス耐性>なんて持ってないんだよね
- その筆頭が、『こんな世界に一言も相談なく勝手に送り出された』ってことだよね。子供にとってこんな<理不尽>、他にないじゃん
- 大体、他人が何か意見を表明しただけで猛然と食って掛かるとか、<ストレス耐性の高い人>のすることじゃないよね?
- 両親や兄は、自分に掛かったストレスを転嫁するために他人を攻撃しまくるけど、私はその手法は用いないというだけ
- 私は『全方位に喧嘩を売ってる』ってよく言われるけど、でも、根本的な部分を突き詰めたら、ただ単に、『他人に理不尽に傷付けられたりしない世の中の方が、やっぱり生き易いよね?』ってだけの話なんだよ
- 自分だけが一方的に我慢させられるのは嫌だよね。だから反撃したくもなるよね。でもさあ、相手が食って掛ってきたからって自分も誰かを攻撃してたんじゃ、『他人の所為にするな!!』って言葉は使えないよねえ?
- おかしいじゃん。ストレス耐性高いんでしょ? ストレス耐性高いのがいいんでしょ? だったら、<長文を読むストレス>くらい、余裕なんじゃないの? 会社で上司に理不尽なことを言われるストレスに比べたらさ
- 私じゃないどこかの誰かが生んだ子供である<アンチ>やら<日がな一日他人を罵って憂さ晴らししてる輩>に対してなんて、私が責任を負う義理なんかない。そいつらをこの世に送り出したのは私じゃないからね
- ホントにさ、聞きたいんだけど、自分を敬いもしない、信頼もしない、それどころか明らかに嘲って蔑んでくる相手の言うことなんかまともに聞きたいと、本心から思える?
- 『他人がやってるから自分も誰かを傷付けていい!』なんてのは、典型的な、『他人の所為にしてる』ってやつじゃん
- パワハラ上司と同じことをしてる<親>って、尊敬できる? 信頼できる? 私は無理。私の両親がまさにそれだったけど、一ミリも尊敬してないし信頼もできない
- <現実>と向き合わずに自分の思い通りになるなんてのは、それこそ、『異世界に転生してチート能力をもらって何もかもが主人公の都合よくことが運ぶ』ってくらいの<夢物語>なんだよ
- 私が延々としたためてた<恨み言ノート>も、あの人達には届かないってことが今なら分かるよ。だって問題はそこじゃないから。私の恨み言そのものが、あの人達にとっては完全に埒外の<たわごと>だから
- <生まれつきの性格>なんかじゃ人間の性格は決まらないんだよ。本当にぼんやりした<何となくの傾向>が決まるだけだと思う
- 『私はこんなに可哀想なんです。だから私は悪くない』とか考えて、『<可哀想な母親>を演じてた』ってのだったらどうする?
- 自分が子供をこの世に送り出しておきながら、それが上手くいかなかったからって、『私はこんなに可哀想な被害者なんです』とかっておかしくない?
- 『異世界に転移する』なんていう事象は、フィクションの中にしか確認されていないことを知る彼女にとっては
- 約一億六千万秒を全力で駆け抜けたある英雄の記録
- 見知らぬ世界に放り出されたロボ娘が、活動限界(約一億六千万秒)までの間にロリハーレムを築き上げつつ世界を救う?かもしれない物語
- もちろん彼女はロボットだから<ロリハーレム>を喜んだりもしないんだけど、自分を慕ってくれる子供達を守るというのは、彼女にとっては大変重要な<使命>でもある
- <勇気>と<無謀>はまったく別のものですよ?
- そこは<異世界>じゃなかった?
- 人間ならそれを『酷い!!』と憤るところだろうけど、ロボットである彼女は、その事実を淡々と受け入れ、『その上で人間の幸福に資するにはどうすればいいのか?』というのを考えるんだ
- 一般的なフィクションでは、『<エンディガ>という怪物を意図的に作り出して人口の調節なんてことを目論んだかつての<管理者>達とその子孫と思しき王族を断罪して罪もない人々を救う』のが王道だろうね
- 私は<善人>でも、<良識のある人間>でもない。普段は自分のヤバい部分を何とか制御できてるだけの<ドクズ>なんだ。ただ、自分のドクズな部分を正当化したいとは思わないってだけ
- 世の中にはあるよね。<『辛い経験をした分だけ他人に優しくできる』神話>みたいなのが。いや、そう思いたいのは否定しないし悪いことだとも思わないよ。ただ、それじゃ『言葉が足りない』ってだけでさ
- いくらバカにするのがいようとも、貶すのがいようとも、<売れる作品>を心掛けるしかないんだよ。実際に人気がある系統の作品を作るのが、<商業>としては正解なんだと思う
- 『読者の意見とかに耳を傾けるべきだ』とか言うのもいるじゃん。なのに、そうやって読者の意見を参考にして作品作りをするのを貶すのがいるってどういうこと? どっちなんだよ?
- 考えてみれば、創作者さんを揶揄して貶して攻撃して精神的に追い詰めたりするのって、それで仕事に差し障ったりしたら、普通に<業務妨害>じゃないの?
- 『潰す』とか、完全にまともな発想じゃない。相手を<人間>と見做してない輩の発想だよ。そんなのが当たり前にうろついてる世の中が、<生き易い世の中>だっての?
- 『気に入らない奴は潰せばいい』なんて、まともな人間の考えることじゃない
- 『自分の好みに合わない』『気に入らない』とかいう理由で他人を傷付けようとする人間のどこに<正義>があるって?
- この世のすべての創作者が誰か一人の好みに合わせて作品作りするとか、そんな気持ちの悪い世界ってある? ご都合主義の異世界チートものですら、そんな世界を描いてるものってある?
- 本当に、いったい、いつ、『この世のすべての創作者が誰か一人の好みに合わせて作品作りする世界なんてない』ってことに気付くの? その当たり前の話に
- 基本的に私の創作の形は、『自分の中にある様々な人の生きざまをそのまま文章に起こす』って感じなんだよね。私の中に様々な人が生きていて、私はその様子を観察してるだけってことかな
- <批判>はあって当然だとしても、罵詈雑言や誹謗中傷は違う。何度も言うように、そんな文言並べなくたって批判はできるんだからさ。罵詈雑言や誹謗中傷は<批判>でもなければ<正義>でもないよ
- 私自身が作ったものでない限りは、いくらタイトルを使ってようと設定を使ってようと、<別の人の作品>だし。ま、ギリギリ、<並行世界での話>って感じかな
- 私がアンチをスルーするのも、結局は、『自分が言いたいことを言えるような世の中であってほしい』と思うからなんだよね
- <ネットリンチ>が<暴行>と同等に扱われるようになって、それでリンチを受けてた側が自殺したりしたら<暴行致死>と同等に扱われるようになるのが、当面の私の希望かな
- 私は、これまでにも何度も言ってきたと思うけど、<躾>という言葉を好んで使う人を信用しない。なぜなら、躾という言葉を好んで使う人に<躾ができてる人>を見たことがないから
- 赤ん坊は、どうやって言葉を覚える? 周りの人間が話してるのを見て、聞いて、そうして覚えていくんじゃないの? だとしたらさ、覚えるのは<言葉>だけかな?
- つくづく思う。他人を攻撃しておいて自分は幸せになろうとか、他人がそれで納得してくれるとか思うの?ってさ
- 世の中にはさ、似た系統の作品があると、すぐ、<劣化○○>とか言って貶すのが現れるんだけど、正直、それを言ってるのって、ネタ元とされる作品のファンかどうか疑わしいって気がするんだよ
- 自分の身を守るためには<建前>を振りかざしつつ、相手が自分よりも非力だったり立場が弱かったりすれば途端に<人に優しくという建前>を放棄すんの?
- 私が<躾>という言葉を嫌うのは、それが結局、<躾という言葉を使いたがる側の甘え>でしかないからだよ。加えて、何より、『効果がない』からね
- 世の中には、息をするように他人を嘲る人がいるよね。それってなんでなんだろう? 『嘲る』って行為は、そんなに自然に出てくるものなのか
- 私はさ、自分の子供達が他人を嘲るような人になってほしくないから、子供たちのことを嘲ったりしないように心掛けてきたんだよ。子供達の前で誰かを嘲ったりしないように心掛けてきたんだよ。大人として
- いきなり『お前が悪い』的なコメントするのって、客観的に見て、 『他人の痛みや苦しみをまったく理解しようとしない』 『他人の気持ちが分からない。空気が読めない』『いきなり否定から入る』ってやつだよね
- 『レスが欲しくて嘘を書き込む』そんな心理状態にあるってことは、その人は、 『心が弱ってる』ってことじゃないの? 私はレスが欲しくてコメントしたりなんてしないし、したいとも思わない
- 『そうやって甘やかすとロクな大人にならない!』 二言目にはそんなことを口にするのが、<立派な大人>だとは私は思わないけど?
- ハーレムを夢見てその名も<惑星トゥルー・ハーレム>に移住した件について話す
- ハーレムを完全な合法と認めてる<惑星トゥルー・ハーレム>だけど、実際には、婚姻関係にある人の九十八パーセントが一対一の夫婦なんだ
- <大和撫子>って、たぶん、<馬鹿>じゃ勤まらないよ?
- どういう主義主張を持ってようとそれは個人の自由だから別にいいけどさ。ただ、私はそんな男性に魅力は感じないよ
- 『<当該ポストに求められる能力>については前任者に劣るのに、<他人を陥れ蹴落とす能力>が高かったからそこに収まれちゃった』なんてことを認めてて、それで本当に会社や組織が上手くいくの?
- そもそも、ロボットは、女性や男性の姿をしててもロボット自体には性別なんかないわけで、女性男性どちらにも肩入れしたりもしないし。単純に、働いてる人を理不尽から守ってくれるだけなんだよね
- お互いに、身の程をわきまえないプライドをへし折られた者同士。傷を舐め合う形ではあるけど、一緒にいると安心できて、なんか、これまで拘ってたことがバカバカしくなっていって
- 苦しいこと辛いことがあった時点で、それ自体がすでに本人にとっての<報い>になってるんだから、そこに、『自業自得だ!』『因果応報だ!』なんてのは、それを言う側のただの<ストレス転嫁>でしかないじゃん
- 人間って本当に自分が見たくない認めたくない事実からは目を逸らし耳を塞ぐよね。『自分は絶対に事故は起こさない』的なのはその典型だと思う
- 自分の子供が他人を死ぬまで追い詰めたりなんて、普通に考えて<地獄>だよ? 自分の子供が誰かの命を終わらせるんだよ? 自分の勝手でこの世に送り出した子供が
- 自分の子供達がそんなことをしてたらと思うと、親として情けなくて情けなくて情けなくて、それこそ、自分の胎に押し込んでぎゅうぎゅうに締め上げて死にそうな思いした上で改めて生んでやりたいくらいだよ
- 『自分にとって役に立たないから不必要』なんだったら、『誰かにとって役に立たないと思われた時点で自分もその<誰か>から蔑ろにされる』ってことでしょ?
- 『こいつだけは尊敬できね~!』ってのはあるよね。私だって、自分の両親や兄は一ミリだって尊敬できないし。 ただ、『尊び敬う』まではできなくても
- 自分を育ててくれてる親の教えをわざわざ蔑ろにしてまで赤の他人の教えを取り入れなきゃいけない理由は何なのさ? 赤の他人よりも実感のないことしか言えない親だったってこと?
- ま、私は、泣き言も並べたいし言い訳だってするからね。だから自分の子供達が泣き言を口にしたって言い訳を並べたって、それを理由にキレたりしないようには心掛けてるよ
- 三十年間クソヒキニートしてる間に、世界の方がなんだかとんでもないことになっていた件
- 最初は興味を示してやる気を見せてくれてたのに、やっぱり小さい子って集中力は続かなくて、すぐにやる気をなくしちゃうんだよ。そこで無理に続けようとしても、当然、上手くいかない
- うるっせぇな!! ごちゃごちゃ言うんじゃねえよ! 俺はどうせお前ら程度の遺伝子でできてるんだから、大したことできるわけねえだろ!
- 主人公は、そんなロボットにも八つ当たりする。母親は荒れる息子を恐れて二階にも上がってこない
- ほら、そもそもの<正しい状態>や<問題のない状態>ってものを知らなかったら、何が<正しくない>のか<問題がある>のか分かんないじゃん。主人公は、両親からそれを教わることができなかった
- アリサはロボットなんだ。見た目そのものは<不気味の壁>を乗り越えることに成功した美女そのものなんだけど、彼女は苦痛を感じない。悲しみも感じない。ストレスも感じない。そのために作られたロボットなんだよ
- 自分達の息子が、他人の目からは、<甘ったれのクズニート>に見えるように、<自分達は親としてちゃんとやってきましたっていうポーズ>を取るよね
- 正直、私だって、今のAI やロボットは、まだまだ|玩具《おもちゃ》みたいなものだと私も感じているし、五年や十年で、これだけのことをできるようになるとは思わない。だから舞台を二百年後にしたんだし
- 正直、現代においてこれは<夢物語>だろうね。今のAIやロボットの性能じゃ、到底無理だと私も思う。だけど、引きこもりやニートの問題は決して小さいものじゃなくて、有効な対応策は今後も切望されるだろうから
- 同じ<キモオタ>でも、<性根が本質的に穏やかで、他人を気遣えるタイプ>と、<他人を傷付けても平気なタイプ>じゃ、まったくジャンルが違うよ?
- なるほど確かに、一瞬でも他人を妬んだり恨んだりしない人間なんてまずいないかもしれない。だけどさ、そこで、そういう自分を正当化するかしないかってのは、あまりにも大きな違いだと思うけど?
- 子供が赤ん坊の頃からそうやってちゃんと親のことを見てるっていう事実を認められないというのは、つまり、親の方が自分の子供のことをちゃんと見てないっていう何よりの証拠だと思う
- 『うまく言葉が話せない』『うまく自分の気持ちを表現できない』からって、『何も考えてない』『何も感じてない』とか、そんなわけないじゃん
- 手を抜きたい。楽をしたい。面倒なことはしたくない。そう考えたらそれが自分に返ってくる。どう考えたって当たり前のことじゃん。私はその当たり前のことを受け止めなきゃいけないと思ってるだけだよ
- 『生まれつきの性格の所為で悪いのに育った』なんて、『世間が悪い』『社会が悪い』とか言ってるのと同レベルの<責任転嫁>でしかないよ
- ゲームの中は確かに仮想現実かもしれないけど、ネットの中にいるのはゲームのNPCじゃない。生きた生身の人間なんだよ。なんでそれが分からないの? 親はそれを教えないの?
- 私は子供たちのことを大切に思えばこそ、ちゃんと自分というものを省みることができる人間でいなくちゃって自分に言い聞かせてるんだ。もっとも、わざわざ言い聞かせなきゃいけないということは
- 正直、面倒くさいと思う。そこまでやってられるかと感じると思う。だけどさ、大事なことだよね。その大事なことを面倒くさいからやりたくないって考えてて、それで子供が大人を尊敬してくれると思う?
- 『親だから、大人だから、信用して尊敬するのが当たり前だ』とか、もし、本気で考えてるなら、私を信用し尊敬してみせてごらんよ。できないでしょ? 信用も尊敬も
- こう言うと今度は、『親以外からの影響を受けることもあるはずだ!』って言うんだけど、いやいや、それ、言ってて気付かない? 『親が、子供に与える影響力で、親以外の人間に負けてる』って意味になってることをさ
- たとえ赤ん坊であってもそれは<れっきとした人間>だってことがどうして分からないの? 自分が、自分の親からちゃんと人間として扱われてこなかったから?
- 自分が負けるはずない弱い相手には強く出られて、負けるかもしれないってなったら注意もできないって? そんな親の姿を、子供に見せてきたってこと?
- 確かに、世の中には、<育ててもらった恩を感じる親>ってのもいると思う。でもそれは結局、その人の親が、恩を感じるに値する親だったっていうことでしょ?
- 私はさ、なにも、<信頼や尊敬に値する親>に対してまで、『信頼も尊敬もするな』って言ってるんじゃないんだ。あくまで、『世の中には、<信頼も尊敬もできない親>ってのが現にいる』ってだけでさ
- 私の親も徹底的に恩を押し付けてくるタイプだったから、『親は自分に徹底的に恩を押し付けてきたのに自分は子供にそれをしちゃいけないと言われても釈然としない』という気持ちは私にだって確かにある
- 『自分は弱い生き物だから、甘えさせて下さい、甘やかしてください、優しくしてください』って言うんだったらさ、子供を甘えさせないのはおかしいじゃん?
- 親の顔とかも覚えるじゃん。やっぱ、言葉だけじゃないじゃん。言葉や親の顔は覚えるのに、『親の振る舞いは覚えない』って考える方が無理があるんじゃないの?
- 世の中には、『親に勝手に結婚相手を決められた』ってことも今でもあるのかもしれない。でもそれを考えたら、結婚相手を勝手に決めてくるような親を子供が選んだわけじゃないよね
- 『言葉で言っても分からない』これ自体がものすごく便利な言葉だよね。だって、分からないことを相手の所為にする前提の言葉だしさ。私は、正直、こういうのって卑怯な考え方だと思う
- キャラとして演じてるだけならまだ分かるんだけど 大の大人が本気でキレ倒す姿は マジで情けない。怒鳴って喚いてそれで何か解決すると思ってるんだろうか
- 自分の、<礼儀やマナーに反した振る舞い>を誰かのせいにして正当化するというその振る舞いを改めないと、何の説得力もないと思うけど? それどころか、『お前が言うな!』って反発を招くだけじゃないの?
- 自分の行いが適切かどうか、自分の発言が適切かどうか、それを省みることができない大人が子供に何を教えられるって言うの? せいぜい反面教師になれるかどうかって感じじゃないの?
- 私は、子供達の存在そのものを否定はしないけど、だからって、行為のすべてを認めることはない。特に、他人を傷付けようとするような行為については認めない。許さない
- 『私は、誰かを死ぬまで追い詰めさせるために子供達を生んだんじゃないんだ』 私があれこれ言ってるのは、結局、これに行き着くと思う。自分の子供を<人殺し>にするために生んだんじゃないから
- 『簡単に単純に考えればいいじゃん!』なんてのは、『面倒なことは他人に押し付けたらいい』って言ってるのと同じじゃないの?
- 『友達だったら、信号守るとかウザいこと言わないよね』的な同調圧力を掛けてくるのがいるのもおかしいんじゃないの? どうして、ルールを蔑ろにする側に合わせなきゃいけないの?
- 『簡単に単純に考えればいいだろ』みたいなのも、<言葉のあや>としては有用な場合もあると思うから、『一切口にするな』なんて思わないけど、だからってそれがいつだって当てはまるわけじゃないでしょ
- 『逃げた先でもどうせ同じことになる』とか言うのがいるけど、だったらどうして、<匿名>の陰に逃げ込んでんの? 隠れてんの? 自分じゃコントロールできないリスクを回避するためじゃないの?
- 自分は他人に対して『逃げるな』と言いながら、都合が悪くなると雲隠れしたり病院に入院しちゃう人がいるよね。そうやって逃げるんなら、他人に対しても『逃げるな』とか言っちゃダメでしょ
- 自分も誰かに傷付けられるのが嫌なのなら どうして 誰かを傷付けようとするの? 他人は傷付けることは許されないけど、自分が誰かを傷付けることは許されるとでも思ってるの?
- 子供をおとなしくさせておく必要がある場所で本を読んだりスマホをいじったりという<自分の楽しみ>を優先するために口先だけで命令するなんていうのは、むしろ悪手だと思ってる
- 私自身がそうだったけど、親から怒鳴られたり小言を言われたりするのって、割と早々に堪えなくなるんだよね。小学校に上がる頃にはもう、『煩いなぁ』って思うだけで別にそんなに怖くなかった
- 私はさ、いくら、仕事や家事を完璧にこなして社会的な体裁を整えられたって、私の子供達が誰かを傷付けたり苦しめたりしてたら何の意味もないって思ってるんだよ
- 親にであれ他人にであれ迷惑をかけずにいられない状態ってのがもう、まともじゃないよ。自分の子供がまともじゃない状態になってるのに見て見ぬフリができるのが分からない
- 自分より確実に強い相手が、自分より遥かに格上の相手が、自分のことを完全に認めてくれてるんだよ? 自分の存在を百パーセント認めてくれてるんだよ? それでなんで反発する必要があるの?
- <孤独>であること自体は別に<悪>じゃないと私も思うよ、私も、結構な期間、<ボッチ>だったしさ
- 私もさ、<善意>だの<好意>だの<正義>だのっていうポジティブな概念を盾に一方的に押し付けてくることはノーサンキューだと思ってる。でも、だからって自分の方からそれを掲げてる誰かを攻撃しようとは
- 人間は家畜を産まない。自分の子供を家畜扱いするってことは、家畜だと思っているってことは、自分自身が家畜だってことだよね。逆に、自分を人間だと思うのなら、自分が産んだ子供も家畜じゃなくて人間なんだよね
- ただの感情論で、ノープランで、『敵だからって殺したくない』とか言ってるなら、なるほどそれは確かに無責任ってもんだろうけど、敵を新しく作らないというのも、れっきとした戦略なんだよ
- 読者Aの意見を取り入れたら、読者Bの不評を買って、そこで読者Aと読者Bの意見の折衷案を採用したら今度は読者Cの反発を買った。なんてことが、これまでにも無数にあったじゃん
- 私があれこれ言ってるのはさ、結局、『自分のやってることを棚に挙げて誰かを責めるのとか、それはどうなの?』って思ってるだけの話なんだ。親子の間でも、他人との間でも、それはあると思う
- 私もなんだかんだで甘えることはあるから 子供達が私に甘えるのは認めるんだよ。何より他人に甘えるのは色々迷惑になるかもしれないから、なるべくは避けてほしいと思う
- 私の娘も、学校とかで嫌な思いをしてきたりもする。ストレス耐性とやらをつけるんなら、そうやって学校とかで受けてくるストレスを利用して、それとどう向き合っていくのかを学んでもらえばいいじゃん
- 『自分がその<厳しい世の中>を渡っていくために子供にストレスを転嫁する』 ねえ、それが、<我慢強い立派な大人>のすること? いやいや、全然、<我慢>なんかできてないじゃん
- 『自分の好きな作品が他人に貶されてたから、自分も他人の好きな作品を貶してやるんだ!』 みたいに考えてたら、自分にこそ<正義>が<道理>があるような気もしてくるのも事実
- 金を払ってやってるんだから言いなりになれ的な考えを是認することで、それが自分に返ってきてる。仕事をしてる時の、横柄で横暴で理不尽なクライアントや顧客の存在とかを、自分こそが認めちゃってるんだよね
- 自分だけは『金を払ってやってるんだから言うことを聞け』って態度をとることが許されて、他人が自分に対してそういう態度をとることを許さないとか、<甘え>以外の何物でもないじゃん
- 個人的に『気に入らない』『不快だ』って感じるんならそれを口にするのは勝手だけど、その意見そのものを『気に入らない』『不快だ』って感じる人がいることも忘れちゃいけないよ
- 自分のすぐ身近な人間が誰かを傷付けたり苦しめたりしてるのをやめさせられないのなら、それこそ、赤の他人が誰かを傷付けたり苦しめようとしてるのをやめさせるなんて、できるわけないじゃん
- 世の中の犯罪とかを抑止しようなんて大仰なことを考えるくらいなら、自分の身近な人が誰かを傷付けようとしてたりしたら、それこそ止めなきゃおかしいじゃん
- 『家庭環境に問題があっても、ほとんどの奴はまともに育つ』とか言うのいるけど、それ何をもって『まとも』って言ってるんだろうね。『大きな事件さえ起こさなきゃまとも』とでも言いたいのかなあ
- 『事件さえ起こしてなけりゃまとも』だって言うんなら、『イジメられる側にも原因がある』とか言ってんのは、何? <事件も起こしてないようなまともな人>がイジメられなきゃならない原因って、何?
- 明らかに自分が渡してるお小遣いでは到底どうにもならないようなお金の使い方してる子供を放置してるとか、<監督責任>をまったく果たしてないじゃん
- 私だって、第一子である長男が生まれた時には、<産後鬱><産後クライシス>的な状態にもなりかけたよ。何しろ、<子供の育て方>なんて、教わってないからさ。私の両親は教えてくれなかったからさ
- 私はさ、本質的には、<自分にとって大切な人以外はどうなろうが知ったこっちゃない鬼畜外道>なんだよ。<サイコパス>だか<ソシオパス>だか、別にそれはどっちでもいいけど、そう思われるならその通りだと思う
- 『自分にとって大切な人以外の人間がどうなろうと知ったこっちゃない』そんな風に思える私の感性を、私の子供達は学びとってしまうかもしれない。そう考えたら、それこそ手を抜けないじゃん
- 『イジメられる側にも原因がある』なんてことを言っちゃうのが当たり前にいる時点で、『事件を起こすまでには至ってないけど『まとも』とも言い難い』のが、この世には溢れかえってるってのが
- だいたいさ、『学校で人間関係を学ぶ』とか言ったって、教師は別に<心理学>のエキスパートとかじゃないんでしょ? しかも、大学卒業してそのまま教師になって学校から学校へ来ただけだったりしたら、それこそ
- 別に、他人を見下し蔑み貶める輩を<大人>って称したいなら勝手にしててくれていいよ。そういうのを平気でできるのこそが<大人>だって言いたいのならね。だけど私は、そんな<大人>ではいたくない
- 自分は、『<そうせずにいられない事情>に甘えて匿名の陰に隠れて他人を見下して蔑んで貶めてそれで自分自身を慰める』なんて甘ったれたことしてて他人の可能性を否定するんじゃないよ
- 自分の子供が犯罪に走ろうとしてるのを止めることもできない親だなんて、情けなくて情けなくて。だから私は止めるよ。自分の子供に犯罪なんてやらせない。たとえ子供が何歳になってもね
- 『お前が勝手に生んだ子供なんだからこっちが気遣う必要はない』とか言うんなら、『じゃあ、どっかの誰かが勝手に生んだ子供であるあなたのことも気遣う必要はないよね?』って話だからね?
- なんて言うかさ、<普通>って言葉、私には<呪い>にしか思えないんだよね。よく、<普通の親>って言われるじゃん? とんでもない事件を起こした人の親について、『親は普通の人なのに』みたいにさ
- おかしいよね? 自分の家族が犯罪に走ろうとしてるのをみんなが止めれば、犯罪は起きないんじゃないの? どうしてそうしないの?
- いやもうマジで、すでに起こってしまった事件に対してやいやい言うより、自分の身近な人が犯罪に走らないようにする方が大事なんじゃないの? って思うんだけど、どうよ?
- 家族を恨んでて、自分がやらかすことで世間から叩かれることを望んでるようなのの場合だったら、逆に喜ばせることになるじゃん。家族を叩けば叩くほど、やらかした本人の希望を叶えることになるじゃん
- 『家族が犯罪に走るのを止めようとする』どころか、自分の子供の犯罪を親が積極的に隠蔽しようとするようなことも結構あるよね? で、それさえ、『自分達の生活を守るためだった』的な言い訳を並べるよね?
- <子供に対して高圧的に振る舞って自分の思い通りに操ろうとする大人>の<やらかし>が止まらない。集団を自分に都合よく操りたいがために一人の子供をスケープゴートにする大人がいる
- <他人に厳しい人間>ってのはね、<自分に甘い人間>なんだよ。自分にとって都合の悪いことを認めたくなくて自分の都合を一方的に押し付けたいから他人に対して厳しい態度取んの
- 『何でもかんでも<ハラスメント>にするな!』とか言ってるのがいるけど、あのね、そうやって文句言うってことは、『なんでも<ハラスメント>にしてしまうことに対してストレスを感じて不満を口にしてる』ってこと
- そう言えば、世の中には、『イヤよイヤよも好きのうち』なんて、おぞましい言葉もあるよね。いや、ただの酔っぱらい同士の与太話として口にする程度ならまあ勝手にしててくれて構わないんだけど
- だいたいさあ、<モテ>ってなんなの? 不特定多数にモテるって、そんなに嬉しいこと? いや、確かに自分を評価してもらえてるってことだから悪い気はしないんだろうけどさ
- はっきり言っちゃうと、男性が、相手のことをよく知りもしないうちに『好きだ』ってなんのは、ほとんどが『ヤりたい!』ってことでしょ? いや、言い訳はいいから。ガチの本音で言ってごらんよ
- 女性からしたらさ、『生理的に無理!』っていう男性に『ヤりたい!』とか思われてるのって、ホンっと正直な本音で言わせてもらうと、『死ねばいいのに!』ってレベルの気持ち悪さなんだよ。ホントはね
- だけどこのまま、<言いたいことが言える社会>にしていくっていうなら、『勝手に興奮してんな! キモブタが!!』みたいな言い方されるようになっても文句ないよね? だってそれが本音なんだし
- 他人を見下し、嘲り、蔑んで、それをしっかりと口に出してた。気に入らない部下とかがいれば、思い付く限りの罵倒をぶつけてたよ。それが、<言いたいことが言える社会>の正体だと思うけど?
- 『勝手に妄想含まらませて頭の中であれやこれや』をしないようになれんの? できんの? そんなこと。頭の中であれやこれや考えることさえない人間を育てられんの? できないんでしょ?
- なんてことを延々と言ってたって、別に私が世の中を変えられるなんて思ってないよ。逆逆、そういう世の中に自分が引っ張られないように流されないように自分自身に言い聞かせてるだけ
- ああでも、『<言いたいことがなんでもそのまま言える社会>なんてただの地獄だ』って言っても、『<内部告発>とかすんな』って言ってるわけじゃないんだよ? 犯罪行為を通報するのは当たり前のことだと思うしさ
- ただ私は、思うんだよね。『<正しい言葉>って、どれ? どの時代のを言うの? 平安時代? 戦国時代? 江戸時代? 明治? 大正? 昭和初期? どの時代に使われてた言葉が『正しい』の?』ってさ
- <ラ抜き言葉>ってあるじゃん? あれも、それ以前のを『正しい』とするなら、『正しくない』よね。なのに、どうして修正されないの? テレビでさえ当たり前のように<ラ抜き言葉>が使われてたりするよね
- 『正しいの基準をどこに置くか』で正しさが変わってきちゃうようなものなんか、そもそも全員の合意なんか得られるわけないじゃん。『こう決まってるんだからそれを守れ!』とか言うのなら、それこそ
- 子供用ハーネスを使うことにケチ付けてるのがまだいるらしいね。『子供をペット扱いするな』とか何とか。こういうところでも、<言葉>ってものの使い方なんてどうでもいいと考えてるのが多いことが分かるよ
- 『ご都合主義でできた異世界に転生してチート無双で俺TSUEEE!に浸って一時的に現実を忘れようとしてる』のと、何が違うの? 薬物を使ってHAPPYになろうとしてるのって、それと同じじゃん
- 『薬物に頼らなきゃストレス解消さえままならない自分のために法律を変えろ! 世の中の方こそ変われ!』なんて考えるのは、自慢できることなの? とは思うかな
- 『一時の現実逃避を楽しむ』ってのは、別に問題ないと思うよ。私が小説を読んでたのも、両親や兄から掛かるストレスを、『小説を読むことで現実逃避する』って形で緩和するためだったしさ
- 私は、私の子供達のためにも、現時点で法律で禁止されてる、 <一時的な現実逃避のための嗜好品>なんてものを、認めたいとは思わないよ? 私の子供達にはそんなもの必要ないし、<医薬品>としてならともかく
- 何よりさ、私がこうして反対したらブチ切れて攻撃してくるような人達が欲してるものなんて、なんで法律を変えてまで与えなきゃいけないの? それのためなら他人を平気で傷付けようなんてのを認めるとか
- なんで自分がそこまでしなきゃならない状態の方を改善・解消・解決するんじゃなくて、他人にストレスを転嫁することで癒される方を選択すんの? それって、要するに、その方が楽だからでしょ?
- 私はさ、自分の子供が<イジメの被害者>にならないようにというのも当然だけど、それ以上に、『<イジメの加害者>にならないように』ってことに気を付けてるんだよ
- 必要なのは、<言いたいことが言いたいように言える社会>じゃなくて、<自分の素直な気持ちを伝えられる相手>と、<自分の伝えたいことを穏当な表現で表すことができるスキル>だよね?
- 相変わらず、『被害者にも問題がある』とか言ってるのがいるんだね。それって、<他人の所為>にしてるだけってのが何で分かんないのかなあ。『被害者にも問題がある』と思うなら、どうして
- インフルエンザをウイルス干渉で抑え込めるほど蔓延してて、でも日本人は発症しにくい重症化しにくいんだったら、日本国内の感染者のほとんどが、日本に在留してる外国人(てか、欧米人?)でないとおかしいよね?
- <イジメ>も<ネットで他人を罵る行為>も、要するに自分のストレスを他人に転嫁する行為だよね? あ~っと、『正義を執行してる』とか言わないでよ? どんなに言い訳並べても『他人の所為にしてる』のは
- つくづく、『ネットはあくまで他人からも見える<公共の場>であって、そこで他人を罵るという<問題行動>を自分では止められない』って事実を自分では認められない人が多いんだねえ。って感じるよ
- でさ、『<あるアニメが好きな人達が和気藹々と楽しくやってたところに押し掛けてきて荒らしまくるなんていう問題行動>をしたからって自分が非難されるいわれはない!』とか言うのなら
- だけどさ、『私が生んだわけでもない<余所の子供>が問題行動を改められずに苦しんでたって、それは私の所為じゃないし、私が対処しなきゃならない義理もない』と言ったって、私の子供達がそういう子をイジメるのは
- ホント、学校なんて、命を懸けてまで行かなきゃいけないところじゃないよね。 命の危険があるなら、さっさと逃げればいいと私は思う。『そこで逃げたところで逃げた先でもまた逃げることになる』とか
- でさ、子供が安心安全に教育を受けられる環境を実現できてない、管理監督者が仕事してないような学校があるのも事実なんだろうけど、逆に、保護者の側も学校に我が子について丸投げしすぎとは感じてるかな
- ホントにさ、冷静に客観的に考えてみてほしいんだけど、実際に子供を育ててみて実感したんだけど、自分の子供の、<他人との接し方>って、親自身がやってた、<子供との接し方>が基本になってるんだよね
- マジでさ、『自分より弱い相手、立場が低い相手、反撃してこないできない相手に対して横柄になったり居丈高になったりするのがどうしてこんなに多いの?』って話なんだよね。なんでだと思う?
- 『自分の子供がイジメられたら? イジメの加害者になったら? ニートになったら? それ考えたら子供作るのとか有り得ないじゃん』とか言ってるのがいるみたいだけど、いや、文句だったら自分の親に言わなきゃ
- 『子供が学校に行きたくないと言い出したら?』私は行かせないよ。そんなことを言わずにいられないような学校なら行かせない。それに対して『甘やかしてる!』とか言う人間の言葉なんか知ったこっちゃない
- とにかくさ、この世に生まれてきたことについて文句があるなら、まず第一に自分の親に言ってちょうだい。他人を巻き込むのは筋が違う。他人が生んだんじゃないからね
- <躾>だなんて考えるから、よく分かんなくなるだけじゃないの? 『子供を躾ける』じゃなくて、『親が子供に対して手本を見せる』でいいんだよ。親の振る舞いを見て、子供は<人間としての在り方>学ぶんだから
- 『金を払ってやってるんだから何言われても仕方ない』『金を払ってやってるんだからこっちの言うことは何でも聞け』そんな態度、<ちゃんと躾けられてる人>のそれじゃないじゃん
- ところでさ、<嗜好品>で、『感受性が高まって、音楽や映画をより楽しむことができる』とか言ってるのがいるけど、私は作り手側だからこそその考え方はおかしいと思う。だってそうじゃん。それって
- まあとにかく、医薬品としてちゃんとした効能があってそれで救われる人がいるなら医薬品として加工してしっかりした管理の下で<治療>に使えばいいじゃん。『攻撃的な人間もおとなしくなる』って言うなら
- そういえば最近さ、制服で、女子でもスラックスが選べる学校が増えてきてるらしいんだけど、それでスラックスを選ぶ女子について、『女性として見られたくないんだろ、男性として扱われたいんだろ』みたいなことを
- しかし、いまだに<養育費>を払おうとしないのがいるんだね。それでよく<大人>だなんて言えると思う。根本的に理解してないじゃん。<養育費>ってのは子供自身の権利であって、配偶者の権利じゃないんだよ?
- しかし、自分の子供に文句を言われる程度のことを、『我が子が悪魔に憑かれた!!』とばかりに恐れ慄く親ってなんなんだろうね。いや、子供だって人間なんだからそりゃ文句の一つも言いたい時だってあるでしょうよ
- 批判がなければ質を上げることはできないみたいに思い込んでるみたいだけど、自分の好みを押し付けることが<建設的な意見>だとでも思ってる? それはちょっとね~
- 『大ヒットを飛ばした作者が、次回作で、自分の作りたいものを作りたいように作る。ってして、なのにぜんぜん人気出なくて打ち切られる』そういうの、これまでにも散々見てきたことだよね?
- 結局さ、『自分の勝手で子供をこの世に送り出した』っていう現実とも向き合えないような親の姿を見て育った子供が、何のフォローもないままに放置されるから、現実と向き合えない人間になるってだけでしょ?
- 経験を積むことで、言い方が微妙に変わってくることはあるんだよ。『この言い方は伝わらないみたいだから、こういう風に言おう』って形で変化することもある
- 最近さ、『かつて<弱者>だった側が、権利とかが保証されることで<強者の立場>を得て、それで他人を虐げる』みたいなことが起こってきてるって言われてるじゃん? それって結局
- 『モテたい』って、結局、なんなの? それって要するにただの<承認欲求>じゃないの? 私は別に、自分にとってどうでもいい相手からモテたいなんて思わないけどね。てか、普通にキモいよ
- マジで、『男らしさ』『女らしさ』ってなんなの? 訊かれたって答えられないじゃん。てか、答えたつもりでも、人によってその内容が違ってるじゃん。そんなものが<定義>として成立するとか思ってんの?
- 『男らしさ』ってのだけでも、狩猟で暮らしてた頃には、力が強くて獲物を確実に獲れるのが男らしかったかもしれなくても、農耕が主流になった頃には、当然、作物をうまく育てられて収穫量を上げられるのが良かった
- 結局さ、他人が思う曖昧な価値観に迎合しようとするから人によって言うことが違うし、『じゃあ、どうすりゃいいんだよ!?』ってなるんじゃないの? 『男らしい』とか『女らしい』なんてその最たるものじゃん
- ニートになるような、犯罪者になるような、そういう人間性だって言うなら、それは乳幼児の頃に親が作るってことだよね? <子供ガチャ>なんて、運で決まるわけじゃないよね?
- 『フィクションは、現実では許されないことを描ける』ってのが最大の強みじゃん。もちろん、たった一回のやらかしが取り返しのつかないことに至る可能性もあるから現実においては『別にいいじゃん』とは言わないよ
- 自分の子供が余所の子をイジメるなんてことを放置してるような親がどんなご立派なことを口にしてたって、何の価値も感じない。『偉そうなこと言う前に自分の子供と向き合ったらどうなの?』としか思わない
- <中年のブタ>が主人公だったアニメ映画とかもあったじゃん。でも、すっごくカッコよかったじゃん。過去を消すためにダンゴっ鼻のブサメンに整形した宇宙海賊が主人公の漫画とかもあったじゃん
- かつて<弱者>だった人間が<同情>とか<大きな声>を集めることで<強者の立場>を得て強者として振る舞い他人を虐げようとするのって、結局、『強者は弱者を虐げていい』って考えに従ってるだけだよね
- しかしさあ、『強くなればイジメられない』とか、よくそんな寝言を並べられるもんだと思う。問題があるのはイジメる側なんだよ。私の子供達は、自分より弱い相手をイジメたりしないよ
- 精神力が強ければ、そもそも『イジメられない』じゃなくて『イジメない』んだよ。精神が弱いからイジメなんてくだらないものに頼らなくちゃいけなくなる。他人をイジメることでしか自分を守れないからね
- 私はさ、<親>に対して厳しいことを言ってるように思えるだろうけど、それはあくまで、私自身が<親>だからだよ。自分を甘やかさないように、『他人もやってるから自分も』と、他人の所為にして甘えないように
- 私が親に対して厳しいことを言ってるように見えても実際にはそれは自分自身に言い聞かせるためにそう考えるようにしてるだけなのと同じで、『イジメられる方が悪い』というのも、自分自身に言い聞かせるためなら
- 昨今の、『何もかも説明してもらわないと理解できない読者や視聴者が増えた』って話は、まあ、なんとなく分かる気がするよ。先日も触れた、<原付に二人乗りしてる女子高生のアニメ>の件だって
- 私自身も、<創作者>であると同時に、他の創作者さんの作品を摂取する、<読者>であり<視聴者>でもあるんだ。だからこそ、他の創作者さんの作品について、<自分の好み>を基準にしてあれこれ言うのは違う気が
- 『<昭和の親>の在り方の方が正しい』? いやいや、あのね? その<昭和の親>世代が今、何をやってるか、よく見てごらんよ。その<正しい人達>が何をやってるかをさ
- とまあ、毎度毎度、厳しいことを言ってるように見えるかもだけどさ、これもあくまで、『人間は正しいばかりじゃいられない』ってのを認めるからこそなんだよ
- なんか私が、<品行方正で清廉潔癖な人間しか認めないヤツ> みたいに思われてるらしいんだけど、逆だよ逆。私は基本的に、『<品行方正で清廉潔癖な人間>なんて嘘くせ~っ!』って思ってる人間だから
- 最近さ、『正しいのはいつも自分で、間違っているのはいつも自分以外の誰か』って考えてるのが目立つよね。フィクションの描写や演出にケチつけたり、新しい伝染病について自分の解釈でどうにかしようってするの
- 正しいことしかしない親がどうして信号無視したりすんの? 自転車の傘差し運転とかすんの? スピード違反すんの? 駐車違反すんの? 飲酒運転したりすんの? 不倫すんの? 離婚したりすんの?
- 『みんな望まれて生まれてきた』 この種の言葉がちょっと取り上げられると猛烈に反発する人が出てくるのは、なんでなんだろうね? ま、そう言う私も、この言葉には嫌な気しかしないけどさ
- 『自分だけが正しい。間違ってるのはいつだって自分以外の誰か』 って考える人って、ホントに自分に甘いよね。そして<人間>ってものを分かってない。『自分だけが正しい』なんて、あるわけないのに
- 子供が赤の他人やフィクションの真似してるのを諫めるのが面倒臭いから『子供が真似するようなことを見せるな!』って言ってんの? それってただ単に、自分が楽したいからってだけの話だよね?
- 世の中にはさ、『<いい人>は間違えない、失敗しない』みたいな妙な思い込みがあるよね。アニメとかでさ、<嫌な親>ムーブを繰り返してきた親がちょっと<いい人な一面>を見せるだけで
- ところで最近、<性的搾取>って言葉がやけに使われるようになった印象があるんだけど、正直、違和感しかない。いや、もちろん、女性の側が望んでないのを搾取されるのは駄目だよ思うよ? それは許せない
- 『親の所為にするな』とか『他人の所為にするな』とか『社会の所為にするな』とか言ってる人ほど、実は、『他人の所為』にしてたりするんだよね。だってそうじゃん? ネットとかで誰かを罵ってるの、『相手の所為』
- 『子供がニートになる一番の原因は親にある』とは私は言うけど、でもそれは、親を批難するためのものじゃない。だってそうじゃなきゃ、『イジメはイジメられる側にも原因がある』ってのを否定できないじゃん?
- 病気の治療だってそうでしょ? 患者それぞれの体質や体形や持病とか、個々人の事情を勘案して治療を行うじゃん。患者を診もしないで治療法を決める医師とかいるの? 普通はいないでしょ?
- それにしても、男性ってなんで<月経>をあんなに特別視するんだろうね? ただの生理現象じゃん。別に特別でも何でもない。その点、ダンナはまったくそんなことで動じないから、すっごく助かってる
- どうして、『すべての作品が自分の好みに合わせて作られるのが正しい』 とか、思い上がれるんだろうね? それって、『すべてが自分の好みに合わせて作られるなんて有り得ない』って現実を無視してるよね?
- 正直、作品作りにおいて、『どこに創作者としての矜持を持つか?』は人それぞれだからね。他の創作者さんのスタンスについては私は論じるつもりはないよ。私自身、影響を受けた作品っていうのはたくさんあるし
- 私が言いたいのはさ、要するに、『意図的に他人を傷付けようとする行いは、結局、誰も幸せにならない』ってことなんだ。誰かを傷付けようとする本人はその場ではすっきりしたような気がするかもだけどさ
- さすがにまあ、『自分は他人を傷付けてもいいけど他人が自分を傷付けようとするのは許さない』なんて甘ったれたことが本気で通用するとは思わないよね? でも、本気で思ってそうなのもいるけどさ
- 『いくら自分が他者を傷付けないようにしても、他者は自分を傷付けようとしてくる!!』 そんなことを言うのもいるかもだけど、だからって自分から他者を傷付けようとするのは、『他人の所為にしてる』っての
- 『自分の好みに合わなきゃ駄作』なんて、なんでそんな、『世界は自分のために存在してる』みたいな考え方できんのかなあ。普通に考えたら分かるじゃん。何もかもが自分の好みに合わせて存在とかできないって
- ところで最近、<批評本>が売れないんだってね。う~ん、なんかそれ、当然の流れのような気がするんだよね。だって、今、誰でも彼でもネットに<批評>を気軽にアップできるじゃん?
- まーだ、『自分はこのキャラは好きになれない。だからこの作品は面白くない』とか言ってんの? だからそれ、ただの<好み>だから。何度も言うように、万人の好みに合うものなんて作れないから
- よくさ、<綺麗事>って言葉を伝家の宝刀みたいに使うのがいるけどさ、いやいや、それって、『綺麗事を看破できる自分カッコイー!』ってだけだからね? もし、<綺麗事>云々の話をしたいなら
- なんかさ、『タブーに切り込む俺カッコイーッ!』ってのをよく見かけるんだけど、あのね? それをするなら、まず、『どうして自分は上手くできなかったのか?』っていう最大のタブーにまず踏み込みなさいな
- 『入所者が問題行動をやめられないのなら、それは、職員や親族の接し方の方が適切じゃないからかもしれない』って言われたらどう反応する? 『職員や親族の努力を蔑ろにするのか!?』みたいに思うなら、それが
- もし、私の実の両親が認知症を患ったら、私は、両親を、<ひたすらキレ倒す問題入所者>にしてしまう自信がある。それはどうやるか? 簡単だよ。私が攻撃的に接したらいい。直接暴力を振るわなくたって、攻撃的な
- 今の世の中はね、<上手くいってない事例を基準にして命の選別>なんて行えないんだよ。なんでかって?そんなの、『<上手くいってる事例>に対してまで理不尽な切り捨てによる死をもたらさないため』に決まって
- 『刑事責任能力も持たない奴が起こした事件の被害者や遺族の気持ちを考えろ!』って? はあ? それを言うなら、<事件も起こしてないのに『事件を起こすかもしれない』で殺される本人やその遺族の気持ち>も考え
- 『入所者が問題行動を起こすのは、家族や職員の接し方に瑕疵があるからかもしれない』 そういう観点でも見ることができなきゃ、『タブーに切り込む』なんて、典型的な、<絵に描いた餅>だよ
- 今の時代ってさ、もう、『結婚しなくていい』『子供も持たなくていい』って世の中なんだよね? じゃあ、結婚できるような、子供を持てるような、そういう生き方をしなくてもいいんだよね?
- 別にさ、<完璧な親>になる必要なんてないじゃん。てか、そもそも<完璧な親>って何? 何をもって<完璧な親>なわけ? 社会的に立派なポストに就いて、家庭も円満で、子供も品行方正で清廉潔癖なってのが
- 親が結婚相手まで決めなくても、『結婚して子供を作って親の面倒を見るのが当たり前』って有形無形の圧力掛けて子供の人生にまで干渉してくることに反発してるじゃん。その種の愚痴や文句や泣き言を見ない日はない
- 『多様性を口にする奴ほど、<多様性を認めたくないという多様性>を認めない』とか言うのがいるけど、ごめん、それ、『上手いこと言ってる』つもりなんだろうけど、言えてないよ。だって、それを言ってる
- 『他人の幸せを不快に思うのは人間の本能』とか言ってるのがいるらしいけど、は? それが<本能>だって誰が確認したっての? なるほど確かにそう感じるのも少なくないかもしれないにしても、だからって
- 結局さ、『他人の幸せを見てると不愉快になる』なんてのはさ、こんな世界に勝手に送り出した自分の親に文句言ってもらえる? そんな理由で八つ当たりされるのは迷惑千万だから
- 私は、他人の考えを変えようと思ってるわけじゃないんだ。自分の考えを押し付けるつもりもない。ただただ、『その考え方をしてたらどうなるか? 何が自分に返ってくるか? 自分の家族が、子供が、どういう人間に
- 自分の子供を洗脳して、『パパ嫌~い!』『ママ嫌~い!』とか言わせるような相手とどうして結婚したの? 何が魅力でそんな相手と結婚したの? その人のどこに良さがあったの? わけが分からないんですけど?
- 自分は六股してるのに彼氏に浮気されたって被害者面したり、自分は間違ったことしてるのにそれを認めないとか、もし、私自身がそんなことしてたら、私の子供達は私をどんな風に見るかな? ってさ
- 職場で後輩とか部下とか出入り業者とかをいびってる人とかいるよね? そういう人で、実家を出て一人暮らしして、『自分は自立してる』とか思ってる人、実際には自立なんてできてないよね
- マジでさ、『他者を馬鹿にして見下して嘲って蔑んでってしてるのに、それで自分は幸せになれるはずだ』と思ってる人って、何考えてるんだろうね? 自分は他者をわざと意図的に不快にさせてるのに、自分はそんな目に
- フィクションを楽しむのはいい。私だって楽しんでる。だけど、フィクションと現実は違うの。だからこそ、フィクションの中では現実では有り得ないことを描くの。あくまでも一時的な娯楽に過ぎないから
- 『ギャグやコメディで最初からハチャメチャな世界観なら何やってたって気にならないけど、リアル寄りの世界観だとちょっとした犯罪行為や違反行為も気になってしまうからダメ』とか言うのがいるけど
- 『過去の犯罪行為を<武勇伝>として笑いながら話す』ってさ、そりゃ確かに<反省>なんかしてないよね。反省してたらその態度はとれないでしょ。となれば、『反省してない相手を許す』のも無理だよね
- 自分の勝手でこの世に送り出した子供が、他者を蔑ろにして嘲って虐げてってして、どこかの誰かを害してるんだよ? なんでそれを放置しておけんの? そんなことをさせるために子供を生んだの?
- 私は、イジメや虐待を正当化したい人らからは嫌われてるそうだ。でも、それは構わない。万人から好かれるなんてどうせ無理だからね。たださ、イジメや虐待をせずにいられない状態ってのは辛いよね
- なるほど、『自分の所為だ!』と強く思い込んで自分を責めてしまうタイプの人には、『子供は親を選んで生まれてきた』ってことにして逃げ道を作る必要はあったのかもしれない。『自分が悪いんじゃない。自分なんかを
- だけどさ、子供を虐待するのって、なんでそんなことをするんだろうね? なんでそんなことをしなきゃならないんだろうね? だってそうじゃん。そんなことして何の意味があんの? なにを求めてそんなことをすんの?
- <子供の習性>ってのをよく理解してたら、叩く必要もないと思うんだけどね。何しろ子供って、何か興味を引かれることを前にしたら、他のことが頭から吹っ飛んじゃう傾向があるじゃん
- 『異世界に転生してチートを得てイキってるとかwww』みたいなことを言ってるのがいるけどさ、でも、それを言ってる当人が、『ネットという異世界で匿名というチートを得てイキってる』じゃん
- そもそも、<いい作品>ってなんなの? 大ヒットしてお金をたくさん生むもの? たくさんの人の心に感銘を与えるもの? それとも、たくさんの人の記憶にずっと残るもの? そういうのだけが<いい作品>なの?
- 見てて感じるんだよ。『自分の好みに合わない作品をひたすら貶すだけの行為に何の意味があるの?』ってさ。ねえ、何の意味があるの? そんなことをしてて本当に<いい作品>ができるとでも思ってるの?
- 『情けは人の為ならず』って言葉があるけど、それって、『他人に情けを掛けるのは、その人のためという以上に自分自身のため』っていうのが本来の意味だよね? つまり、その言葉が生まれた時にはもうそれに気付いて
- 自分を『日本人だ』って思うなら、日本の美意識みたいなものを大事にしたいなって私は感じるんだよ。『情けは人の為ならず』みたいに考えるのとかさ、<察し>や<思いやり>を大事にしようと感じるとかさ
- でさ、自分とどんなに噛み合わない価値観持ってる人だって<人間>なんだっていうのをちゃんとわきまえなきゃってつくづく思う。人間じゃないものだと考えること自体が、甘えだと思うんだよね
- 『リアル』『リアルさ』『リアリティ』。言い方変えても、結局は、『自分の好みを押し付けたい』だけなのには変わりないよ。その辺りの匙加減そのものが個人の好みでしかないからさ
- でさ、すごく人気があって売れてる作品に対してもさ、『辻褄が合ってない!』『リアリティがない!』とかケチ付けるのがいるじゃん。なんで? 人気があって売れてるってことは、それを『面白い』って感じてる人が
- 『自分の好みに合わない』のは、別にいいんだよ。好みは人それぞれなんだから。だけど、『自分の好みに合わないものが世間から評価されることが許せない』ってのは、どういう心理? 何がそこまでさせるの?
- 『編集がいなくちゃ、作家はそれこそ好き勝手なことしかしない』それは確かにあると思う。だって、<作品>と<商品>は、別物だから。<商品>にするためには<客観的な目>ってのも必要なのは事実だと私も思う
- 私は本来、<作品>と<商品>とは、別のものだと思ってる。加えて、<作品>は作者のものだけど、<商品>は権利者のものだってね。権利者は、作者以外にもいる。権利者が作者とのコミュニケーションを怠って
- いずれにせよ、『金貰ってる以上は何言われても仕方ない』って理屈はもう時代錯誤だと私は思う。それにさ、いわゆる<伝統的なエンタメ産業>じゃさ、演者はそれこそ人間扱いされてないのがあるじゃん
- 『金貰ってるから何言われたって仕方ない』ってのが通用してた時代って、なんだかんだ言ったって、『その一方で外の世界の常識からは守られてた』というのがあった気がするんだよ。ほら、『昔の役者や芸人は
- 『その世界が面白いか面白くないか』って話になると、これは、完全に<好み>の問題だから、興味を持てない人が面白さについてはあれこれ語るのは<野暮の極み>だとしか思わないし、口出しするべきじゃないとは私は
- ホント、『お客しか見ていない』って考えるのは、今の世の中じゃむしろ危険だと思うんだけどな。昔は、自分が興味ない世界について何か言おうとしても、それを発信できる場が、その世界のファン向けの雑誌の
- インターネットはあくまで<現実の一部>でしかないんだよ。<チート能力で無双できる異世界>じゃない。まさにそういうことなんだと私は思う。それを忘れちゃいけないし、親として自分の子供にそれを教えなくちゃ
- 『ルールに縛られない俺、カッコイー!』なんての、それこそ子供のうちに卒業しておくべきことだと思うんだけど、いい歳した大人がそれっていうのは、本当に情けないと思う
- でさ、私は、『ルールや法律に縛られない俺、カッコイー!』なんてのがなんでやめられないのか、考えてみるんだよ。なんでやめられないの? それ、誰にアピールしてんの? 誰に見てもらいたいの?
- 私なんかの作品を好きだって言ってくれる人は、それこそ敬っちゃうよ。だってそうじゃん? 私なんかの作品を好きだって言ってくれるんだよ? すごいことだよ。尊敬する。でもそれって、<モテ>とは関係ないよね?
- 何度も言うけどさ、自分は何一つ間違わず失敗せず正しいことしかしないわけ? おかしいよね? だったらどうして、『自動車を走らせてる時には流れに乗れ』とか、『自動車も来てないのに信号守らなくてもいいだろ』
- あとさ、『ルールや法律に縛られない俺、カッコイー!』の派生キャラみたいなので、『この世のタブーに切り込む俺、カッコイー!』みたいなのもいるよね。ま、それを言ったら私もそこに含まれてるように見えるかも
- でもさ、ただの凡人で、凡才で、凡俗で、凡夫でもさ、自分自身と自分の家族くらいは幸せにできるはずなんだよ。実際にそうしてきた人間も数多くいたはずなんだ。私は、それでいい
- 確か前にも言ったけど、私にとってはね、創作の中で描く<世界>は、たとえ現実をモデルにしたものであっても、所詮は<現実>じゃないんだよ。フィクションの中に落とし込んだ時点でもう現実じゃないんだ
- <私の中の世界>にはさ、ホント、存在してるだけで胸糞悪いタイプもごく普通にいるんだ。だけどそれを描写するとさ、私自身のメンタルもゴリッゴリに削れるんだよね。だから普段は触れないようにしてる
- 自分以外の誰かを攻撃して、それをネットで配信して、『言いにくいことを言える自分って、カッコイーッ!』ってやってさ、それで反発を招いて、たくさんの人から罵詈雑言まで集めて、『はいはい聞こえな~い!』とか
- 『過去は振り返らない!』『過去を振り返るような奴は馬鹿だ』とか言ってる人もいるらしいけど、いやいや、<過去の自分自身>こそが大変な教訓になることだってあるんだよ?
- 『素直な気持ちをその都度吐き出さないと、ストレスたまるだろ!?』攻撃的な人ってよくそんなこと言うけど、自身のその攻撃性が周囲からの非難の的になっててそれがストレスになってんじゃないの?
- 『<こどおじ>とか<こどおば>とか言われたくないから実家出て一人暮らししてる』けど、『家に自分を労わってくれる人がいないから赤の他人を攻撃してストレス発散してる』なんて、それ、<自立>じゃないよね?
- 『アニメの質をよくするためだ!』とか言い訳したって無駄だよ? だって、アニメの質が上がったところで、『作られるすべてのアニメが自分の好みに合ったものになる』ことは有り得ないんだからさ
- 『自分の好みこそが価値観こそが至高』そんなの、ただの<承認欲求>だよね? 自分の好みや価値観こそが素晴らしくて正しいと誰かに認めてもらいたいだけじゃん。そんなに誰かに認めてもらわないと不安なの?
- 昔はさ、そもそも先例になるものがほとんどなかったこともあってさ、それこそ試行錯誤の連続だったと思う。でもその分、細かいあれこれに縛られず好きにやれたんじゃないかな
- まあ、私もダンナが初めての男性だからあんまり偉そうなこと言えないんだけどさ、私の場合はたまたまそれまで『いい』と思える男性に巡り会えなかっただけで、別に自分の純潔を大事に思ってたわけじゃないんだよ
- いわゆる<性感染症>だって、性行為やそれに類する行為でしか感染しないわけじゃないし、ヘタすりゃキスだけで感染することだってあり得るし。で、キスしか経験がない女性が処女か非処女か、どうやって判別すんの?
- でさ、ここが最も重要なんだけど、一切そういうことで嘘を吐かないような誠実な女性が、相手を、『処女か非処女か?』っていう属性でしか見ないような人間をどうして好きになってくれると思えんの?
- <属性>だけで付き合うかどうか決めるような相手を自分が好きになれるかどうかを考えてみたら、『処女かどうか』って属性でしか判断しない相手を好きになってくれるかどうか、分からない?
- まあとにかく、『処女じゃなきゃダメ』って思うのは自由だけどさ。そもそも自分はどうやってその<処女>に好かれるつもりなわけ? そこがまず大前提だよね? あと、<処女>と一口に言ったって
- 赤の他人、まったく別の男女から生まれて自分の知らない家庭で自分の知らない境遇で自分の知らない人生経験を積んできた相手が完璧に自分にとって都合のいい存在に育ってくれるのを期待するとか、いやはやマジで
- ふむ。ここらで逆に考えてみよう。『<処女とヤりたいってだけの相手を好きになってくる処女>ってどういうタイプか?』ってさ。マジでどういうタイプだろう? Let’sThinking!
- 結婚してからパートナーに対する不平不満をネットにまで垂れ流してる人達のことは私には理解できない。ましてや<性格>とか<価値観>とか<金銭感覚>とか<味覚>とか、付き合ってる段階でも察することが
- 『自分が選んだ相手のことを罵る』っていうのはさ、『自分がその相手を選んだ』って事実から完全に目を逸らしてるよね。ましてや、ちゃんと相手を見てれば見抜けるようなことを結婚してから文句言ってるのって
- そう言えばさ、『親の所為にするな!』よく言われるじゃん? 『親の所為にしててそれで上手くいくとか思ってんのか!?』ってさ。でもそれ、<親>って主語を<夫>とか<妻>とかに入れ替えても通じるんじゃない?
- とにかく、ネット上で自分の伴侶とか恋人の<やらかし>を一方的にあげつらってるような人のことは信用しちゃいけないって私は子供達に教えてる。だって、自分に都合のいい情報しか出さないじゃん。そういう人は
- 『可愛いキャラがただわちゃわちゃ可愛い可愛いしてるだけ』なのを見たいなら、そういうコンセプトの作品を探せばいいじゃん。『辛い悲しい過去を持つキャラが今は幸せに生きられてる姿を愛でる』という作品は
- ところでさ、『話し合いで解決』ってことになるとすぐに、『綺麗事だ!』とか言うのもいるよね? でもそれ、<話し合い>ってものを分かってないって証拠だと思うけど?
- だってさあ、<漫画表現の技術>がどんなに高くてもごく少数のコアなマニアが評価してくれるだけで利益に繋がらないんなら、利益を上げなきゃならない私企業がそこに拘る必要はないじゃん
- いくら『漫画やアニメの実写化はやめろ!』って言ってもされる時はされるじゃん? それって、<企業の論理>が背景にあるからでしょ? 『ファンのために』なんていう建前が実際には効いてないっていう証拠かな
- 『利益を上げること』が<企業の論理>として存在する以上は、『ファンのために』なんていうのはどこまで行っても<建前>でしかないことは動かしようのない事実だと思う
- プロレスって熱狂的なファンがいるよね? 今でもそうなんでしょ? なのに、ゴールデンタイムからは消えてしまった。『ファンのため』『ファンのことを考えて』ってしてるなら、どうしてそんなことになるの?
- 創作者さんの中には自分の作品を、『自分の子供みたいに思ってる』って人がいるんだけど、私にもそういう感覚はないこともないんだけど、同時に、『自分の子供って考えるとおかしなことになるよなあ』とは感じてる
- 私はね、実は<努力>って言葉が嫌いなんだ。だって、私が子供達の言葉に耳を傾けるのは私がしてる<努力>だけど、それを、『私はこんなに努力してますよ~』ってアピールしたらキレる人が必ずいると思うしさ
- 自己矛盾に気付こうとしないのは、『努力してる』って言えるの? ほら、こう言ったら自分を正当化しようとして言い訳するじゃん? 自分を正当化するために言い訳を並べることが<努力>なの?
- <親に育ててもらった恩>なんてことを盾にとって子供を自分の言いなりさせようとする動物なんて、人間以外にどこにいんの? てか、<親に育ててもらった恩>なんていう概念を持ってる動物がどのくらいいるっての?
- 『<親ガチャ>なんて言葉を使うな』とか言う前にさ、子供がいくら努力して幸せになったって、<虐待親とかが犯した罪>は消えてなくなったりしないんだって事実と向き合うべきだと思うけど?
- 政治手法とか企業経営とか芸能人としての常識とか、そんなのは私には分からないから基本的には触れないだけ。私に分かるのは、『人間としてそれはどうなの?』ってことだけだよ
- 『自分に与えられたカードの中で自分にできることをするしかない。自分の努力が足りないことで自分が這い上がれないのは自分の所為』って考え方がどうして子供にだけ当てはまると考えられんのさ?
- 改めて言うけど、世の中には、子供の努力を片っ端から踏みにじっていく親ってのも現にいるんだよ。私の両親だって、あの人達が私の実の両親だって知れたら、それはそれは私達の家庭にまで多大な影響あると思うよ?
- 私は、<親ガチャ>なんて言葉が広まっても何とも思わないし、自分の子供に『<親ガチャ>に外れた!』って言われたってそれは自分の所為だと思えるんだよ? 努力したら誰でも同じことができるって言うのなら
- そう言えば、<毒親>って言葉にはここまで反応がなかったみたいだけど、その理由は簡単に想像できるよ。だって、『自分は毒親ムーブなんてしてない』って思い込むだけでスルーできるからね。対して<親ガチャ>って
- ああそうだ。私が、<親ガチャって言葉に対する世間の拒否反応>について何とも言えない気持ち悪さを感じる理由の一つが分かった。<未婚の母>とかに対する世間の反応との矛盾だ
- 子供に対して『努力したらどうにでもなる』って言うんならさ、親の側だってそうだよね? 未婚の母でも、離婚してても、夫婦別姓を選択してても、同性婚して養子を育てても、『努力したら』不利なんて
- 『ネタにマジレス』って言葉もあるけど、まあそれも<逃げ>のための言葉だよね。<ネタ>としてコメントされたことをきっかけにして話を膨らませるというのもあって当然だと思うけど?
- それにしても、<親ガチャ>って言葉を使いたがる心理の裏側には、結局、『自分と他者を比べて勝手に卑屈になってしまう』っていうのがありそうな印象はあるかな。だから私の子供達はそれを使わない
- 『あんまり好ましいとは言えない親の下に生まれてしまう』ことがあるのは事実。『この世で作られる作品がすべて自分の好みに合わせて作られることはない』のもまた事実。そのことについてついつい愚痴をこぼしたく
- 『この世で作られるすべての作品が自分の好みに合わせて作られるべきだ』って考えてる人は、いったい、この世のどこを見てるの? なんかそういう人って、自分の境遇も<親ガチャ>で説明しそうな印象があるんだけど
- 『自分が親になったら親の気持ちが分かった』って言葉も、私は好きじゃないんだ。だってそれって、自分が子供の頃は親のすることに反発してて、でも自分が親になったら反発してた親と同じことをしてるからそんな言い
- ま~だ、<親ガチャ>って言葉を使うことについてガチャガチャ言ってるみたいだねえ。<品のない言葉><学のない言葉>だって言うなら、そんな言葉にいつまでも振り回されてるのが情けないと思うんだけどな
- 『<親ガチャ>なんて言葉を使っているのを見過ごせない!!』なんて、『ネットで誰かを袋叩きにして死を選ばせてるのを放っておいて今さらそれを言う?』正直、これに尽きると思う
- だいたいさ、『お前の親は子ガチャ外したなwww』みたいなこと言うのって、言われた方の親からしたら自分の子供を侮辱されてるってことだよ? なんでそっちは放置しといて<親ガチャ>って言葉だけにそんなに反応
- 私の言ってることを、『説教臭い!』って言う人もいるだろうけどさ、私の言ってる内容を要約すると『自分が気に入らないからって他所様に迷惑掛けなさんな』ってだけの、親なら大抵、子供にしてるお説教なんだけどね
- 再度言うけど、親が老後の人生設計もロクにしてなくて一人で生きられないってなったら、子供に扶養の責任が発生したりするんだよ? なんで? 老後の人生設計を怠ったのは親自身のヘマなのにさ
- <努力>でなんとでもなるって言うなら、世帯年収一千万いってない親は<努力>してないってことだよね? 努力したらそれくらいなれるんでしょ? なれてないってことはその親は努力してないってことになっちゃう
- 親が、『他人様に迷惑を掛けるな』『他人様を傷付けたり困らせるようなことをするな』って子供に対してお説教してきたのにそれを無視して他所様に悪態吐いて不快にさせたりイジメたりしてたんなら、それ、親の努力が
- 親が意識を向けるべきは、見ず知らずの他所の子供じゃなくて、自分の子供でしょ? その努力を惜しんでおいて『努力さえすれば何とでもなる!』とか言ってたんじゃ、そりゃ説得力の欠片もないって
- ましてや、<自分の子供が他所の子供をイジメてるのを学校から知らされるまで見過ごしていた親>なんて、なんの<努力>をしてたって? してないじゃん、努力。してたとしてたそれが報われてないじゃん
- <自分の子供が他所様の子供を死ぬまで追い詰めてるのを放置してる親>なんてものが存在する限りは、親なんて、<必ず尊敬すべきもの>でも、<必ず恩を返すべきもの>でもなんでもないよ
- 一般的に<イジメ>ってのはさ、複数が一人に対してするものだよね? となれば、自分の子供が<イジメられる側>になる確率よりも、<イジメる側>になる確率の方が何倍も高いってことだよね?
- 私が<イジメ云々についての話>でいっつも疑問に感じてるのが、『なんで学校ばっかりが責められるの? イジメ加害者の親は何をやってたの?』ってことなんだよね。いや、マジで。何をやってたのさ? 学校に丸投げ
- 学校自体、あてにならない。イジメは被害者よりも加害者の方が数が多い。子供だって自分に都合の悪いことは正直に話さない。『イジメはなくならない』と思ってるのがいる。これだけ取っても、イジメの対策を学校だけ
- 私が作品の中で描くキャラ同士の関係性とかについて、『そんなことできるはずがない。作者の妄想だ!!』って意見があるそうなんだけど、でも、それを言う人は、いったい、どれだけ人間のことを知ってるの?
- 今の時代さ、『職場がブラックであることが当たり前』ってなってるみたいだけど、それを<普通>だと思い込まされてるのって、いいの? それで。『ブラック職場だから些細なことで怒鳴ったり殴ったりしていい』とか
- いや、ホントにマジで疑問なんだけどさ、『自分のストレスを他人に転嫁することで解消を図る』なんてことを正当な行いだと考えるような人間を育てるのが<親の役目>なの? それでいいとホントに思ってんの?
- ホントにさ、<他所様の子供>が<生きている人間>だって認識できないって、冷静に考えたらものすごくヤバいことじゃないの? 自分の子供が、『他者を<生きている人間>と認識できていない』なんて状態を
- あとさ、口を酸っぱくして言うけど、『自分の憂さ晴らしのために他人を利用する』ってのも、それこそが<自分がこの世で嫌な思いする原因>だってことを、いい加減に気付いた方がいいと思うよ? 正義かどうかは関係
- そう言えばさ、世の中には、<夫に対する不満><妻に対する不満>が、笑っちゃうぐらいに溢れてるよね? しかも、結婚して子供ができてから、子供に対して夫や妻がいかにどうしようもないダメ人間か吹き込んでるの
- <既婚女性>を<鬼女>なんて称するようなネットスラングが生まれるほど、既婚かつ子持ちの女性がどういう振る舞いをしてるのか、説明してごらんよ。その<鬼女>が夫のことをどんな風に評してるか、説明してよ
- 私もね、<努力>はしてるつもりだよ。そのおかげで今の自分があるとも思う。でもね、私がダンナとの法律婚を諦めて<未婚の母>になったというのはどう足掻いてもまぎれもない事実で、世間はそれを色眼鏡で見るよね
- 『ニートなんて家から放り出して一人で生きるしかないようにすれば解決するだろ!!』とか言ってるのがいまだにいるみたいだけど、あのね? それ、親の手に負えない、でも手のかかるのを他所様に押し付けるってこと
- 私の勝手でこの世に送り出したんだから、せめて『生まれてくるんじゃなかった』なんて思わなくても済むようにしなきゃ、<子供を勝手にこの世に送り出したという行為>について責任を取ったとは言えないと私は思う
- 自分がやらかしたことと向き合うこともしない親の姿を見て育った子供が、<自分のやらかしたことに真摯に向き合うことができる人間>に育つかどうか、教えてよ? もし育つってんなら、どうしてこんなに
- マジで謎なんだけど、<まともな大人>がこの世で大多数なら、なんで『こんな世の中はクソだ!!』みたいなことを言ってんのが多いの? まともな大人が大半だったら、まともな世の中になるんじゃないの?
- ホントに今の世の中さあ、『尊敬に値する大人なんてごく少数』だってことがすっかりバレちゃったじゃん? ニュースで無様な大人の姿を見ない日はないし、ネットでも、<結婚して子供もいる大人の行状>が明らかに
- 『夫がずっと家にいるとストレスになる。ケンカになる。子供に悪影響が出る』 そんな風に言ってるのがいるらしいけど、私はむしろ逆だけどな。ダンナにはずっと家にいてほしいと思う。そう思える相手を選んだから
- 私の創作のモチベーションは、結局、そこなんだよね。人間が人間として生きる以上は、それこそいろんなことが起こる。それをフィクションに落とし込んでいくことが、私にとっての創作なんだよ
- 今の世の中には、ありとあらゆる<創作物>が溢れてる。それこそいろんなのがね。その中から自分の好みの作品を探し出す努力をしないで好みに合わない作品にケチをつけてるなんてのは、ただの甘えだから
- 『私の作品は、メジャーにはなれない』別にそれで構わないよ。そりゃ、世間から評価されたら嬉しいだろうなっていうのは事実。それを、『世間から評価とかされても嬉しくない』なんて言わないよ。それ言ったら嘘だし
- <ママ友問題>ってあるじゃん? ママ友内でのいざこざってやつ。そんなことしてるような親って、『当たり』なの? 他所様の親を平気で貶めて蔑んで嘲笑ったりしてるような親だよ? なんでそれを改めていかないの
- 『<ママ友>なんて、PTAよりも得体の知れない集団じゃん。なんでそんなものに参加しなきゃなんないの?』なんて言ったら、『コミュ障陰キャがなんか言ってるwwwww』とか言うんだろうな。でもさあ
- 『叩かれる理由があるから叩かれる』相変わらずそんな、『他人の所為にして自分を正当化する』ってのをやってるんだね。実際に直接被害を受けた人が憤るのは当然だと思うよ。だけど、そうじゃないのが罵詈雑言まで
- 『〇〇だから自分がこれをするのは仕方ない』『〇〇だから自分が法を無視しても許される』私は、自分の子供達がそんな風に考えることを許さない。認めない。反社会性を正当化しようとする行為そのものを放置しない
- なんかさあ、ネットで、『〇〇の所為で傷付いた!』って言ってる人、いるじゃん? まあそれはいいんだけど、でも、だからってなんで『だから私には、〇〇を攻撃する権利がある!!』って話になんのさ? おかしくな
- 『殴らなきゃ他人の痛みが分からない!!』なんて幻想をいつまで信じるつもり? そんな言い訳で誰かを攻撃して自分の憂さを晴らすのに利用してるだけなのを、いつまで言い訳並べて誤魔化すつもり? それが<大人>
- 人間はね、環境や状況によって<狂う>んだよ。真面目で仕事熱心で誠実そうに見える人でもね、まったく別の面を見せることもあるんだよ。私の両親がまさにそういうタイプだった。よく知らない他人からは、真面目で
- <親ガチャ>って言葉を否定したがってる人間はさ、致命的なミスをしてるんだよ。<親ガチャ>って言葉を否定しつつ、自分達こそがその<親>を見下し蔑み貶めてるって致命的なミスをね。 私の両親をこれだけの人間
- 『まさに今時だな』って感じる夫婦の諍いに、『夫が妻の生んだ子供との血縁関係を一方的に疑い、妻がそんな夫の態度に気持ちが冷める』ってのがあると思う。DNA鑑定で親子関係がはっきりさせられる時代だからって
- 母親が父親を、父親が母親を、これまでどれだけ貶して蔑んで罵倒してきたか、振り返ってごらんよ。『お前みたいなのは子供の親として認められない!!』みたいなことを言ってきたのか、数えてごらんよ。さあ
- ま、ここまで散々好き勝手言ってきたけど、そろそろダンナと上の子供達二人が帰国してくるし、三人が帰ってきたら、今より時間の融通が利かなくなるかな
- 第二幕
- 『フィクションに鬱展開とか不幸は要らない!』って話だけどさ。それ、前にも言ったと思うけど、ただの<個人の好み>だよね? まあ世の中が相変わらずだから私も再度言うけど
- 再度言うけど、<胸糞なフィクション>ってのは、フィクションだからこそ意味があるんだよ。そこには本当に被害に遭った人はいないからさ。そして、創作者の思い付く限りいくらでも詳細に内容を描写することができる
- さ~て、いつもながら<異世界もの>とはなんの関係もない話から始めたところで、またちょっと異世界もののネタに触れようかな
- 結局、前世では、『狡い奴が得をする』という仕組みが根源的にあって、ただただ真面目なだけでそういう<狡さ>を持たなかった主人公はいいように使われるだけだったのが、こっちでは
- 『子供を甘やかしすぎ』とか言う人は、結局、自分が甘えたいだけなんじゃないの? 自分が手を抜きたいからそれを言うんだろうなとしか思わない。だって、そういう人、『甘やかす』のと『甘えさせる』のの区別も
- 人間ってさ、『自分が正しいことをしてると思えばいくらでも残酷なことができる』 って面があるじゃん? ネットで相手を死ぬまで追い詰めたりなんてのも、結局はそういうことでしょ?
- 私の子供達が<アンチ>として誰かを攻撃することは許さない。そして、私のアンチを攻撃することも許さない。私の気持ちを勝手に斟酌して誰かを攻撃することは許さない
- 『その人が口にしてる言葉ではなくて、その人の行動こそが本性を表してる』みたいなことが言われたりするけどさ。なるほどそうかもしれないね。私が何を言ったって他所様が耳を傾けないのは、
- ホントにさ、よく考えてみようよ。どうして他の誰かに対して酷いことができるのかをさ。相手は自分と同じ<人間>なんだよ? 自分が嫌なこと酷いことされたら嫌でしょ? なのになんで他の人に対してはできんの?
- <自分自身が人間として扱われなかった経験を持つ人>ってさ、『自分にとって都合の悪い相手を人間と見做さなくていい』って考えてそうだと思わない? 相手が人間だと思えば躊躇うようなことでも、人間じゃないと
- 『言いたいことも言えない世の中なんておかしい!』って言ってる人がいて、『ネットはネットなんだから自由に振る舞えるべきだ!』って言ってる人がいて、それで今、ネットはどんなことになってる?
- 私は、たとえアンチであっても<害虫>みたいに言わないように心掛けてるんだよ。だって相手は<害虫>じゃないじゃん。人間じゃん。自分に都合が悪いからって人間を人間じゃないものと見做すとか、それ、ただの
- 『女は嘘吐きだ!』って言うのも多いけどさ。そんな人にいい言葉を送ったげる。『類は友を呼ぶ』 自分の周りに嘘吐きな女性が多いと感じてるんだったら、まずそれを疑った方がいいと思うよ?
- 人間を<人間じゃない何か>だと言い張るのだって、それはれっきとした<嘘>でしょ? なのにその嘘を『事実だ!』とか重ねて言い張るのって、『嘘を嘘と認識できてない』ってことじゃん?
- <作品>ってのは自由でいいんだよ。だってそれは<嘘>なんだから。最初から嘘を嘘として構築してるんだから、現実とは違って嘘であることが大事だと思う。問題なのはその嘘を嘘と認識できないことなんじゃないの?
- 人間はね、創作が好きなんだよ。神話なんてそれこそ大昔の創作じゃん。しかも神話とかで描かれるのって、たいていが陰惨な話だったよね? 殺し殺され浮気も不倫も凌辱だってやりたい放題。それをやめろって?
- これも何度も言うけどさ。人間はね、人間の親から生まれる限りは何をどう転んだって人間なんだよ。知能が高いとか低いとか関係ない。責任能力があるとかないとか関係ない。人間は人間しか生まないんだよ
- 私はね、自分の子供達に、『自分にとって都合の悪い相手は人間じゃない。なんて考えない』ように、<相手を人間として接するという手本>を見せてきたんだよ。親としてそれを怠けるつもりはなかっただけ
- だからさ、例えば創作の中では、<人間を人間として接するのが当たり前の世界>だって描けるじゃん。ある種の<思考実験>として、『人間を人間として接することしか知らない子供がどう生きていくか?』ってことも
- それに私は思うんだよね。ただの<お人好し>って、実は相手を人間だと思ってないんじゃないかって。だってそうじゃん? 相手は自分じゃないんだよ? 自分じゃない人が何をしてくるかなんて分かんないじゃん
- 『社会的に役に立たないのを生かしておくから社会が疲弊するんだ』みたいなことを言ってる人もいるけど、んん~? 具体的にそれを証明する根拠は一体どこにあるの? そういう人は人口の何割いて、そういう人を
- 私は自分の家族の命の価値をどこかの誰かに勝手に決められたくないからそんな価値観には絶対に賛同しないし、もし責任能力を持たない人が起こした事件に自分や家族が巻き込まれたとしても、それは個別に考えるべき
- 『誰かに騙される』ってのは、結局『相手が自分にとって都合のいい振る舞いしかしない』って大前提で考えてるから騙されるんでしょ? 悪意で騙してくるのはもちろん騙す方が悪いけど『悪意なくやったことが結果的に
- 『核家族の場合、家には大人が二人しかいないんだからそれぞれが協力し合って家事や育児を行うのは現実に即した対応でしょうが。それと同時に、昔はよく分かっていなかったからオカルトに頼って『たぶんこうだろう』
- ホントにさ、『責任能力があるから人間だ』なんて、いつ、誰が、何の根拠があってそんなこと言ったってのさ? 政治家とか自称専門家がどっかで受け狙いで口にした妄言だったりしたらそれこそどうかしてるよ?
- とにかく、私は自分の子供達を人間として接することで、『相手を人間として接する』ってのを学んでもらっただけなんだよ。前にも言ったと思うけど、『言葉を覚える』のと同じようにして<人間としての振る舞い>も
- まあそれはそれとして、創作に関する話に戻るとさ、家ではアニメとかについても、家族みんなで見てることが多いんだよね。だから必ずしも好みに合わない作品でも、それぞれ、『そうはならんやろ!』みたいにツッコミ
- 『一緒に<ツッコミどころの多い作品>を楽しむ』ということについて、『自分は一人暮らししてるから!』とか言う人も多いかもしれないけど、なに? 『一人暮らししてたら他所様を自分の憂さ晴らしに利用していい!
- あと、フィクションの中の登場人物の振る舞いについていちいちリアルにキレ倒す意味が分からない。それがどんなに嫌な奴だとしても、憎たらしい奴だとしても、それはあくまで作劇上<そういうキャラクター>と
- ところでさ、いまだに<体罰の効能>を信じてる人がいるんだけど、あれこそ、『認識をアップデートできてない』典型じゃないの? 私もさくらも、自分の子供達に対して体罰なんか使ってない上に学校でも体罰なんて
- 以前にも確か触れたと思うんだけど、体罰って根本的な欠陥があるんだよね。『自分より弱い相手にしか通用しない。使えない』っていうさ。そうなんだよ。子供に対して、『自分より弱い相手は殴って言うことを聞かせれ
- とにかく、<体罰できない教師を舐める子供>なんて、そもそも親に問題があるんだって。『人間を人間として扱う接するという意識を学ばせていない』だけだから。そして学校はそんな親の不始末や手抜きの尻拭いする
- 国や行政がいくらいい制度を作ってくれたって支援を行おうとしてくれたって、間に必ず<親>が咬むんだよ? 分かる? 国や行政からの支援を親が掠め取ったりしてんの。それで『親に責任はない』って?
- 子供はさ、特に乳幼児の間は、親に見捨てられたら生きていけないの。だから親がどんなロクデナシでも依存してくれる。だけど成長するにしたがって、自分の親が、親として人間としてはたしてまっとうかどうかが見えて
- 相手をちゃんと人間だと思っていたら、自分と同じく人間なんだと分かっていたら、できないことってあるでしょ? 人間である自分がされて嬉しくないことを、自分と同じく人間である相手に何でできるのさ?
- もう一度言うよ? 『教師を舐めるような子供は親に問題がある』って。『教師は生徒に舐められたら負け』なんて、『自分より弱い相手にイキってるだけ』以外の何だって言うのさ? それ、教師を舐める生徒がやってる
- そうだね。最初に、『自分より弱い相手にイキる』ことを覚えさせた上で、『人に優しく』とか言われたって、『だってお前、自分より弱い相手にイキってんじゃん!』って思われたら説得力の欠片もなくなるよね
- ところでさ、はっきり言うけど、出版社とかと契約している漫画家や作家にとっての読者は、<お客さん>じゃないんだよね。誰と契約しているかを考えてみれば分かるじゃん。出版社と契約している漫画家や作家が契約し
- あのね、『子供も作れないし生物として不自然だから同性愛は異常だ』ってんなら、『結婚しない』『結婚できない』『子供は要らない』『子供ができない』人も<異常>ってことになっちゃうよ? いいの? それで
- 『工業製品みたいに決まりきった形質を必ず備えてるってわけじゃない』ってこと自体が『生き物としては当たり前』なんだよ。なんでそれが理解できないの? ねえ? それって脳に欠陥があるから? 異常があるから?
- <自分にとって都合のいい人間しかいない世界>なんて、現実には存在し得ないから。それこそが現実なの。そんな世界はフィクションの中にしか存在しない。現実の世界で生きていくには、自分にとって都合の悪い相手と
- それにしても、フィクションのキャラクター相手にムキになる人がどうしてこんなにいるのやら。『幼い頃から秘密機関に殺戮マシンに仕立て上げられてきた美人の殺し屋が幸せな家庭を築く』のが、そんなに許せないの?
- 自分を差し置いて幸せになる人が妬ましいのかもしれないけど、そもそも自分が幸せじゃないからって妬むようなことをしていたって別に幸せになれるわけじゃないんだよ? 『他人の不幸は蜜の味』なんて言葉もあったり
- 『自分は家事なんかやりたくない。育児なんかしたくない!』って主張するのは自由だと思うけど、でもだったらその自由に伴うリスクについてはちゃんと自分で負わなきゃ駄目でしょ。『自由は主張したい。でもリスクは
- これまで私が語ってきたようなことを面と向かって真顔で話しされたりしたら、たいていの人がドン引くと思うよ。正直、私だってドン引くと思うしさ。流れで真面目な話をするのはアリでも、いきなりはそれこそ無理で
- 大きなことを成し遂げる人というのはサイコパス気質だったりすることが多いという話も聞いたことがある。その話については、『そもそもサイコパスっていうのが何を指すのか?』という大前提はありつつも 、まあ
- 私の子供達は、そんなに強い好き嫌いはないんだけど、『好んでは食べない』というものは確かにあって、私も別に無理に食べさせようとは思わなかったんだよね。だってそうじゃん? 無理に食べさせたところで、必ず
- そういえばさ、『親は子供と一緒に成長していくものだ』っていう話あるじゃん? 私もそれはまあそれだと思うんだけど、でもさあ、そこで何か具体的な<手本>みたいなものを示してもらえるわけじゃないよね?
- 自分に子供が生まれたのに、経験者であるはずの親に頼りたくないというのは、自分に対する自分の親の接し方に齟齬を感じてたという何よりの証拠じゃないの? 真っ先に自分の親に頼るんじゃなくて、見ず知らずの
- それを考えたらさ、『親は子供と一緒に成長する』なんて、必ず上手くいくとは限らないよね。それどころか、実際には、『子供の目から見て<頼りたくもない親>になっちゃってる』ていう事例の方がずっと多いんじゃ
- 『他の誰かを見下して嘲笑う』 なんて振る舞いを、一体誰から学ぶんだろうね? 『人間は本能的に自分より劣ってる相手を馬鹿にするものだ!』って言うかもしれないけど、んん? おかしいな。馬鹿にしない人は
- これも、何度も言うことだけど、私は自分が親だからこそ親に対しては厳しくなるんだよね。だってさ、甘えすぎたりしないように自分自身に言い聞かせようと思うとそうなっちゃうんだよ。別に親を攻撃したい訳じゃない
- 人間の高い知能はなんのためにあるの? 独裁者の言いなりになって手足のように働くため? 奴隷として最も効率よく働くため? そうじゃない。そんなのはまっぴらごめんだって思うなら、やっぱりしっかり考えなきゃ
- 『自分じゃない人間を一方的に勝手にこの世に送り出したことに対する責任を最後まで持つ』っていうのはさ、決して、『育成に失敗した子供を親の手で殺す』 いう意味じゃないんだよね。だってそうじゃん。子供は親の
- 『育てるのが嫌だから養子に出すとか、そんなことできるわけないだろ!』って? んん~? 『育てるのが嫌だから養子に出す』のはできなくて、『子供を殺す』のはできるの? いくら何でもそれおかしくない?
- とにもかくにも子供本人に承諾も取らずに勝手にこの世に送り出しておいてそれで、『育ててやってる』って、どういう神経なんだろうね。押し売りしておいて『売ってやった』とか言ってるのよりひどいと思うんだけどな
- なんかさあ、最近の世の中って、『見返りを求めるのは取引だ』ってことを認識してない理解してない人が多い気がするんだよね。そして取引は、<あくまで事前に条件を提示し双方の合意の上で成立するもの>だと理解
- 何度も言うけどさ、大事なことだから何度でも言うけどさ、私はすでに現に存在するものに対して、『認めない』みたいなことを言うのって、現実を見てないとしか思わないんだよね。だってそうじゃん?
- 『相手を喜ばせないと対価は得られない』あ~、それはある意味、真理だと思う。対価を、見返りを、しっかりと得たいなら、相手を喜ばせないと結局はダメだよね。商売、特にエンターテイメントの場合はそうなんだろう
- 『相手を喜ばせないと対価は得られない』って話、『見返りを求めてる』って話にもしっかりと当てはまるよね。見返りが欲しいなら相手を喜ばせないといけないのに、相手が喜ぶかどうかも考えずに一方的に押し付けて
- なんかさあ、世の中には、構ってほしくてわざと気に障ることを口にしたり発信したりする人っているじゃん? まあ私もその一人だと思われてるみたいだけど、別にそれはいいんだけど、たださ、私は別に誰かを傷付け
- そうだね。『子ガチャハズレ』なら、引いた瞬間にもう結果が決まってて、誰が育てても結果は同じになって、何をどうしたってその人が変わることはもうない。ってことじゃないとおかしいよね? 違うの? ねえ?
- そうそう、『ガチャの仕組みをよく考えてみたら、<親ガチャ>も<子ガチャ>も正しくない』ってのが事実だと思う。特に、『育ててみないと分からない』なんて、<ガチャ>じゃないじゃん。でしょ? 違うの?
- 何度も言うけどさ、親だからって立派な人間である必要はないと思う。親が立派な人間じゃなければ子供がまともに育たないってわけじゃないと思う。そもそも『立派な人間ってなんなの?』って話だしさ。だいたい
- なんかさ、<子育て>に関するあれこれで人気が出るものの多くって、結局、『親の方だけがなんだかんだで許される。擁護される』もののような気がする。いわゆる<毒親>的な行いをしてても最終的には子供にそれを許
- いくら<親ガチャ>って言葉を否定しようとしても、いくら言葉としては決して正確じゃないというのは事実だとしても、生まれて数ヶ月の子供をほったらかしにしておいて遊んでて死なせるような親は現にいるんだよね
- <毒親>とか<ハズレ親>とか言われるような親について『そんな特殊な事例を出してきて<親ガチャ>はあるとか言ってんじゃねーよ』とか言ってるのもいるけど、え? どこが<特殊な事例>? これだけしょっちゅう
- <親を選んで生まれてこれるわけじゃない子供>にさえも、『<育ててやってる恩><面倒を見てやってる恩>を売れる』と思うくらいなんだから、そりゃ、<自分の意思で結婚相手を選んだ場合なんて、『結婚してやった
- 『出生率が下がり続けてる』とか言われてるみたいだけど、いやあ、私だってダンナと出逢ってなかったら子供なんて生もうとも思ってなかったよ。だって自分の両親見てたら、『どう考えても無理! 育児とかしたくない
- 『こんな世界に子供を送り出すなんて酷いことはできない!』って思うのならやっぱ、『子供自身が生まれること望んでたわけじゃない』『子供をこの世に送り出したのは何をどう言い訳したって百パーセント親の身勝手』
- それはさておき、最近、制服でスラックスを選ぶ女の子が地味に増えてきてるらしいね。いいことだと私は思う。だって、『私服のボトムはほとんどズボン』『社会人になったらほとんどスラックス』って女性も多いじゃん
- なんて言うかさ、『スカートを穿くことで女性らしい格好になる』的な思い込みって、<かつて貴族の女性達に憧れた庶民の羨望のなれの果て>なんじゃないかなって気がする。もしくは、 『どこでもトイレでしかない
- そう言えば最近、<あだ名禁止>の学校が増えてきてるみたいだよね。私は別にそれには反対しないんだ。だって、『親しみを込めて』とかいう綺麗事を盾にして完全にその人を揶揄したり貶したりするニュアンスを込めた
- そうだね。『相手がそれを本当に望んでるかどうか、喜んでるかどうか、きちんと見分けられるくらいに慮ることができる人は、悪態を吐いたりしない』 でしょ。だって、『相手の気持ちを慮る』ことができるんだからさ
- 『運動会で順位を付けるのはやめる』ってのが実際には広まらなかったのは、それの意味が実感できる人が少なかったからって気がするんだよね。対して、<あだ名禁止>はどうなのかな。『嫌なあだ名を付けられて
- 結局、『イジメはイジメられる側にも問題がある』と似たような理屈なんだろうなって印象しかないんだよ。<あだ名禁止>に反対するのって。自分が誰かに付けたあだ名について『実は嫌だった』って言われるのが嫌って
- なんかさあ、異性に対して異常に攻撃的な人っているじゃん? もう<性別>だけで一括りにして全否定する感じでさ。だけど、どっちも言ってる内容はかなり被ってんの。特に『絶対に間違いを認めない』みたいな点とか
- 『自分の間違いを絶対に認めない』って話はさ、交通ルールなんかを考えてみた時にそれこそ如実に表れると思う。だってそうじゃん? 自分が交通ルールを無視してんのに、その自分こそが正しいと考えてる人って少なく
- 『誰のおかげで生活できてると思ってるんだ』いまだにこれを言う人がいるんだけど、いや、『だったらなんで結婚したの?』って話だと思うんですけど? 結婚したら働いて家族を養うのは<当たり前のこと>なんでしょ
- 世の中にはさ、自分の家族に対する愚痴とかが溢れてるけど、確かに親兄弟姉妹については自分で選べないけど、<自分で選んだ結婚相手>については、その人を選んだ自分にも責任があるんだからね? 子供にとっての親
- 人間の内心なんて、どれほど詳細に描写したって完璧に描写し切れるなんてことはないと思うよ? 作家ごときが完璧に表すことができるのなら、人間社会の問題なんてほとんど解決できてるでしょ。そうは思わない?
- 『他者に対して厳しい人間はとにかく自分には甘い』 ホントにつくづくそれを実感させられる。『教育や躾のためには厳しく叱ることも必要だ!』とか言っちゃう人ほど自分に対しては激甘なんだって改めて実感させられ
- 世の中にはさ、『最近の奴は喧嘩慣れしてないから手加減ができないんだ』とか言っちゃう人がいるんだけど、いやいや、その感覚がもうおかしいからね?『喧嘩慣れしてる奴は事件にならないように手加減できる』みたい
- ああそうだね。そうだ。<喧嘩慣れしてる人間>だって、実際に慣れるまでは『慣れてなかった』わけでしょ? じゃあ、慣れてなかった頃に相手を死なせたりしなかったのは、ただ運がよかったってだけじゃん。違うの?
- 『喧嘩でやりすぎないためには喧嘩慣れすることが大事』みたいに考えてる人って、完全に認知が歪んでるよね。前提がおかしいんだよ。そもそも喧嘩なんかしなきゃいいだけなのに、することが前提になってるしさ
- そうだよ。人間って本質はそうなんだ。泣き喚いて涎や鼻水垂れ流してゲロ吐いておしっこ漏らしたりウンチ漏らしたり、そうやって育ってきて、大人になってからでさえ酔ってゲロ吐いておしっこ漏らしてウンチ漏ら
- あのさあ、『殴られなきゃ痛みを知ることはできない!』とか、ホントそれ、典型的な<認知の歪み>ってヤツだよね。『いやよいやよも好きのうち』と同類の、一方的な身勝手な歪みだよ。なんで分かんないのかなあ
- 『殴られてこそ分かることもある』『殴られたからこそ気付けたことがあった』『自分は殴られたことに感謝してる』ってさあ、要するに自分が大人になって『自分より弱い相手にイキがりたい』から、そんなこと言ってる
- 『体罰は必要だ』って言ってる人が並べる根拠はいつだって結局、『舐めたガキは殴らなきゃダメだ』『殴ることでしか伝わらないことがある』『殴られたことで自分は成長できた』みたいなことだけだよね? いっつも
- 私の言ってることを見て、『こんな女は殴って身の程をわきまえさせないといけない!』とか思ったのなら、それこそ完全に、『自分より弱い相手にイキがっている』以外の何ものでもないじゃん。違うって言うのならどう
- 相手に、自分の言ってることに耳を傾けてもらいたいと思うなら一にも二にもまず信頼されるところから始めなきゃダメでしょ。その手順をすっ飛ばして『自分の言うことを聞け!』とか、いやいや甘ったれちゃダメでしょ
- それでもって、『殴ってもらえたからこそ今の自分がある』みたいな話も、なに? 『相手が子供だとか警察官だとか後輩だとか若手だとか弟子だとか、そういう相手だからって横柄な態度をとって怒鳴ってみたいなことを
- 『殴ってもらえたからこそ今の自分がある』個人的にそう思ってるだけなら別に好きにすればいいと思うんだよ。そう思わせてもらえる相手に出会えたのはよかったと思う。だけどさ、それを理由に自分が他の誰かを殴って
- 私の身近にはさ、本当に物心つく前から暴力に曝されてきて、それで暴力に対して耐性ができた上に麻痺しちゃって、本人も暴力に頼るようになっちゃったっていう事例が実際にあるんだよ。 それじゃあ意味ないでしょ?
- ただまあ、それと同時に、『誠意をもって言葉を重ねれば相手もきっと分かってくれます』みたいなことを普段は口にしてる人の中にも、自分の思い通りにならないとなればやたらと攻撃的になる人っているよね。実はそう
- あと、『ストレス耐性を付けるためには厳しくしなきゃダメだ!』とか言ってる人は、はっきり言ってストレス耐性がないよね。だってそういう人って自分を批判されたらすぐにキレるじゃん。ストレス耐性がないでしょ
- 本当にさあ、『都合の悪い人間は殺してしまえばいい』そんな考えが何をもたらすのか何をもたらしてきたのか、どうして考えることができないの? テロリストがテロ行為に及ぶのも、結局はそういう考えの下で自分を
- 『復讐は認められるべきもの』そんなことを言ってるのがまだいるみたいだけど、あのさあ、その、<復讐>の巻き添えで亡くなった人のことはなんで頭から外してんの? なんで意図的に無視してんの? 復讐に囚われる
- とにかく、<法律>ってのはその社会の秩序を守るために作られるのであって、<正義>を実現するためにあるんじゃないから。まあ、<国家にとっての正義>ってことだと<社会秩序の維持>だろうから、その意味では
- もっとも、自分の家族が理不尽な事件に巻き込まれて命を落とせばまず間違いなく復讐を望むと思う。法律がどうだろうがどんな犠牲を払おうが、仇を殺したいと強く望むだろうね。それは決して否定しないよ。事実だしさ
- 『自分の家庭がめちゃくちゃになったことを恨み、誰かの命を狙う』そういうのもよく聞く話だけれど、この場合は復讐を肯定する人らが根拠にしてる『目には目を、歯には歯を、命には命を』みたいな話とも噛み合わない
- 『結局、問題は暴力でしか解決しない』あのさあ、ネットの匿名の陰に隠れてそんな風にイキってたって、自分がその暴力に怯えてるのが見え見えなんだよ? 暴力を肯定したいなら、ちゃんと顔を出して言わなきゃダメで
- 『力を理性的に使う』ためにはね、まず、『この力の使い方は適切なのだろうか?』ってのを考えるところから入らなきゃダメだって私は思ってる。じゃなきゃ、人間っていくらでも残酷なことができちゃうからね
- 『暴力こそが問題を解決する』ってのが<嘘>だって根本的な話をしてあげる。『暴力で相手を屈服させるというのは、相手がその暴力を拒絶しなきゃ成立しない』それが事実。分かる? 相手が暴力を肯定し、暴力での
- 改めて言うけど、<テロリストが生まれてくる国そのものを核ミサイルで消し去ってしまう国>なんてのが実在したらそれこそ、<魔王を倒した後の勇者>みたいな存在になるとは思わない? しかも、どこまでも尊大で
- 人間の歴史上これまでいくつも<滅亡した国>っていうのはあっただろうけどさ、国という形は滅んでも、そこに暮らしていた人達全員が完全にこの世から消えてなくなっちゃったことってそうそうある? なんだかんだと
- それにしても不思議に思うんだけどさ、『外国のカルト教団が政治の中枢にまで入り込んでる』とかいう話について、普段、『外国の侵略に対して強い態度で臨むべきだ!』みたいな勇ましいことを言ってる人らは何を
- 私はね、別に<信仰>そのものは好きにすればいいと思ってるんだよ。何かを信じることによって自分を支えるという意味でなら結構なことだと思う。でもね、それを、誰かを騙したり利用したりするために用いるのは
- 『尊敬すべき相手、信頼すべき相手なんだから、どんなにおかしいと感じたことも、どんなに間尺に合わないことも、批判するな疑問に思うな、ただただ信じろ』なんて、カルト教団が信者に対して求めてることじゃん
- ところでさ、<傲慢>ってのは、『あなたのことより自分自身が大事』ってことだよ? どんなに立派なことを口にしてても要はそういうこと。そんな人の言葉なんて聞きたくないでしょうよ。ただ<自己愛の塊>だしさ
- 人の弱みに付け込んで利用しようとしてるあくどい宗教が少なくないことは事実だと思う。だけどさ、『<どこの誰だか分かんない人が作った胡散臭い教義>なんてのが説得力を持ってるように思える』ってのがそもそも
- 釈尊は言ったんだよね?『親しくするべき人とそうでない人はいる。親しくするべき人とは親しくして、そうでない人とは距離を置くべき』みたいなことをさ。そして、<そうでない人>というのについて<騙そうとする人
- ああ、でも、<自分が必要とされている実感>というものは、平穏な生活の中に必ずしもあるものとは言えないのか。いわゆる<お布施>とか<献金>とか<寄付>とかにのめり込んでる人の場合は、『自分が必要とされて
- 『自分が必要とされている実感に依存している状態にある人の認識を改めさせる』というのは、容易じゃなさそうだよね。ブラック職場で働いている人とかについても、『無理しないで!』みたいな言葉じゃ届かなかったり
- 『義憤じゃなく単なる家族への想いで事件を起こすのは幼稚』みたいな言い方だと、まるで、『義憤で事件を起こす分には構わない』って言ってるように感じるよね。こう言うと、『勝手な解釈をするな!』って言うんだ
- 私はとにかく、カルト宗教にはまることを責めるよりも、『どうして自分の家族や家庭よりもカルト宗教を選んじゃったのか、その理由について、変な予断を挟まず、先入観に囚われず、きちんと考えた方がいい』と思って
- 『私がどうして今の私になれたのか?』って考えたら、結局、一にも二にも、『子供達をこの世に送り出したのは、何をどう言い訳したって私とダンナの勝手だよね』という現実と向き合うことができるようになったから
- それにしてもなんで親って『子供をこの世に送り出したのは、何をどう言い訳したって親の身勝手』という現実を認めたがらないんだろうね? 『子供に対して事前に確認も承諾もとってない』のはどう足掻いたって事実
- 確かにさ。今も完全に私と同じことができてるわけじゃないよ? てか、それ自体が当然のことだよね? 私だって昔は今の自分と同じことができてなかったんだからさ。経験と共にできるようになっていっただけの話でさ
- それにしてもやっぱりおかしいよね。『外国の侵略的行為に対しては毅然とした態度で臨むべき!』とか普段勇ましいことを口にしている人が多い政府の中枢に外国のカルト宗教ががっつり入り込んでるっていうのはさ
- やっぱりさ、『宗教に溺れてる』ってのは『親の脛を齧って自立できてない』のと同じだと思うんだよね。『自分じゃ決められないから神様に決めてもらおう』ってことだからさ。何より、責任を神様に擦り付けてるじゃん
- とにかくいつまでも親の脛を齧るみたいにして神様の脛を齧って責任を擦り付けてそれで偉そうにするのはもういい加減にしたらどうなのって思うよ。少なくとも私はそれを立派な大人の姿だとは思わないんだよね。マジで
- 本当にさ、よく考えてみようよ。<狡い人>はどうして<狡い人>になっちゃったのか。誰だって赤ちゃんの時は別にそんなこと考えてなかったよね。赤ちゃんが親の都合を考えずに泣いたりするのは、あくまで命に関わる
- 『平気で嘘を吐く。約束を反故にする。嘘を吐いても約束を破っても、それを反省もしない』とか、『人に優しくと言いながら、何か気に入らない事があると平気で他者を傷付ける』とか、『現に自分がやってることを認め
- 『親や目上の人間は四の五の言わずにとにかく敬え』ってのは、どんなロクデナシでも、親や目上の人間だってだけで敬ってもらえるようになれるって考え方だよね? 自分を省みて拙い部分は改めていこうとしなくても
- うん、やっぱり、『親や目上の人間は四の五の言わずにとにかく敬え』てのを強烈に押し付けてくる国ってのが、謙虚さを持たないとそのまま、<強烈に狡い国>になるような気がする。個人主義を標榜しているような国で
- 人間という生き物が<謙虚さ>を失うとどうなるかなんてのも、『その実例には枚挙の暇もない』って話になるような気しかしないんだよね。自分に自信を持つのはいいと思う。自分の信じる道を力強く突き進むというのも
- もし私の子供達が私に対する文句を言ってても、それに対して、『親に育ててもらってるクセに』とか言うのは許さない。それは、私自身の、<親としての矜持>に対する最大の侮辱だからね。だって私は、現実を受け止め
- <子供が何一つ不平不満を抱くことのない完璧な親>なんてものがこの世のどこに存在するって? そんなものがいるって言うなら是非お目にかかりたいものだよね。外面を取り繕うのが上手い親っていうのなら、私の実の
- 『親に育ててもらってるクセに』っていうの自体を煽りの定型文としてネタとして使ってるつもりなんだとしても、だったら今度はマジ悩みに対するレスとしては、それこそ下の下だよね。人として最低だよ。いや、マジで
- 親なんてのはね、資格試験があるわけでもなんでもない、子供さえ生んじゃえば誰にでもなれるようないい加減なものなんだよ。それをさもありがたいものに見せかけようとしてるその性根が卑劣極まりないっての
- 別にお願いしたわけでもないのに勝手にこんな世界に送り出されて、その上で『生んでやった』だの『育ててやった』だのいい気がするはずないでしょうが。ましてや大していい条件の下に生まれたんじゃなければね
- <激しい気性>というのは生まれつき備わっていても別に不思議じゃないと思う。<生まれつきの性格・気性>というものがあるだろうなというのは否定はしない。だけどそれがすべてを決めるとは、私はまったく思わない
- ところで私はこうやって好き勝手言いまくってるけどさ、でも、『これだけは外しちゃいけないよね』ってポイントがあって、それを忘れないようにしてるんだ。それは『批判はしても、誰かの存在そのものを否定はしない
- 問題に対するアプローチの仕方は様々あって当然だとは思う。だけどさ、それではあくまで『法に基づいて』ということだよね。法に基づかないそれは結局、ただの蛮行にすぎないしさ。<強要>もれっきとした<法に基づ
- 『自分が破滅する道しか先にないことを危惧するかどうかというのは、そもそも生きてる限りはいずれ<死>という結末しかないんだからそれを恐れる人間にとっては<破滅に至る過程>こそが大事なのかもしれないね』
- <非出生主義>は<命>そのものを否定してるし、そうなるとこの<宇宙>そのものを否定することになると思うけど? なぜあなたの個人的な主義主張のために宇宙そのものが否定されなきゃならないの? この宇宙は
- 自分に都合の良いオカルトを信じようとするのって本当に<逃げ>だよね。別に、『逃げる』こと自体はいいんだよ。自分を追い詰めようとする状況から距離を置くの自体は実に咎められるようなことじゃないはずなんだ
- 大企業のトップだって政治家だって、どうせどっちも人間だもん。弱いところもあればダメな所だってある。心が弱ればオカルトに逃げ込みたくなることだってあるでしょうよ。だから私は、誰かのことを一から十まで
- 『自分は完璧だ』『自分は何も間違わない』そんな風に思ってたら、上手くいってる間はいいけど、上手くいかなくなってきたらもうどうにもならなくなるじゃん。『自分は完璧だ。何も間違ってない』って思ってんだから
- 私の言ってることのほとんどは、今現在の科学技術でも十分に裏が取れることだと思うんだけどね。『子供を生む時に事前に承諾なんか取ってない』なんてそれこそ、余裕で科学的事実じゃん。むしろどうやってそれを否定
- 私も昔は<非出生主義>みたいなことを考えていた時期がある。だけど、当時も同じようにして何度も何度も繰り返して考えて検証してみたら、どう考えても間尺に合わない部分が出てきちゃって、その考えを貫くことが
- その人は『親のことは尊敬してます』『感謝してます』みたいに言ってたけど、本当に尊敬しているなら、感謝しているなら、自分がそれだけ苦しんでることをどうして打ち明けてあげなかったの?って余計に思うんだよ
- だから<非出生主義>を掲げてる人も、あくまで自分自身の考えとして完結してる人と、自分の承認欲求を拗らせて、『自分の考えこそが正しい!』って考えて押し付けようとしてる人がいるんだろうなって感じてる
- 先に言っておく。これは決して<作品批判>じゃないんだ。あくまでただの私個人の<感想>でさえない<印象>。それを大前提として、私は、<人間失格>の主人公が嫌いだ。確かに大変な境遇にあるのは事実だし
- 私が<人間失格>みたいな作品を読んで感じるのは、『じゃあ、こんな風にならないようにするためにはどうすればいいんだろう?』ってことだ。作品の登場人物に対して『ああしろ』『こうしろ』言ったところで結末が
- お互いに穏当に厄介事を切り抜けられたのは、私と先方の<組み合わせの妙>だったと思うし。これでムカつく相手だったりしたらそれこそ相手に関するネガティブな情報とか流しまくるような陰湿な形で尾を引いてたかも
- はあ……いくらカルト宗教が憎いからってテロを肯定するとか、そんな考えの人達のところだから帰りたくなかったんじゃないかなあ……って思ってしまうんだよねえ。『暴力こそが問題を解決してきた』なんて、所詮
- 『目先の派手な衝突さえ終わったら問題は解決した』とか本気で思ってるんだとしたらびっくりだよ。何なのその、『頭隠して尻隠さず』的な考え方は。大人がそんな考えで子供がちゃんと問題と向き合える人に育つと本気
- ホント、どんなに勇ましいことを口にしてても、自分にとって都合の悪い現実からは目を背けてるような人じゃ、お話になんないって。強い言葉を使えば使うほど、<自分にとって都合の悪い現実から目を背ける姿>が
- ところでさ、『親の育て方でどんな人間に育つか決まるわけじゃない』みたいなことを言ってる人って、なんの根拠があってそんなこと言ってんの? 私が、『子供は親の振る舞いを見て人間としての在り方を学ぶ』って
- とにかく、ちょっと考えたら、『親の育て方でどんな人間に育つか決まるわけじゃない』『どんな人間に育つかは生まれた時にもう決まってる』なんてのは論理として破綻してるって分かるのに、いつまでそんな甘えた考え
- 『学校の教師に余裕がない』って? そりゃそうでしょ。親が自分の手抜きの尻拭いを教師に押し付けてるんだから。としか私は思わないなあ。もちろんそもそもの人員不足もあるんだろうけど、本来は親がやるべきことを
- なんかさあ、子供に、『幸せじゃない夫婦の実例を目の当たりにしてるんだから結婚とかしたいと思わない』みたいなことを言われて怒る親がいるらしいんだけど、『怒る』ってことは完全に図星だってことだよねえ
- 『自分の子供が親である自分に対して不満を抱き、それを正直に口にすることさえ許さない』なんて、ホントに傲慢極まりない考え方だし、そもそも子供を人間として扱ってない何よりの証拠だとしか思わない。いや、マジ
- 『子供がどんな人間になるかに、親の育て方は関係ない』とか言ってる人らが根拠としてるのが、『兄弟姉妹で同じ育て方をしたのにそれでも中には駄目な奴が出ることがある』ってものなんでしょうけど、だから、『生ま
- もう一度言うよ?『生まれた時点ですべて決まってる』って言うんだったら、それこそ、<その可能性を知ってて子供を生んだ親の責任>じゃん。違うの? ホントのガチャとかでも、『希望のキャラが出ないから返金しろ
- 『子供が駄々をこねる』っていうのもあるよね。私さあ、自分が子供を生んで育ててきて、あれが何なのか分かっちゃったんだよね。『ああ、これも親の真似なんだなって』さ。こう言うと、『大人は別に駄々とかこねない
- 『子供が駄々をこねるのは当たり前のこと』そういう思い込みがあるかもしれないけど、まずそこを疑ってみるのから始めてみるといいかもね。私もそれを当たり前だって思い込んでたけどさ、実際に子供が生まれてみると
- 人間の親って、ホントどうして『親は間違わない。親は正しい。親は失敗しない。親は何も改めなくていい。親は何も反省しなくていい』みたいに思い込めるんだろうね? 『子供が駄々をこねるのは当たり前のこと』なん
- ま、私がどんなにこんなこと言ってたって信じない人は信じないだろうし、『子供が駄々をこねるのは当たり前のこと』だって言い張る人は言い張るだろうね。別にいいんだよ。私はそこを敢えて疑ったから腑に落ちる答を
- なんで現実を見られないんだろうね。親ってさ。自分はそうやって現実と向き合いもしないのに、子供には『現実はそんなに甘くない!』とか言うんだよ? 現実から目を背けてるのは自分じゃん! それがホントに不思議
- 『休み明けに学校に行くのを渋る子供を休ませるかどうか』って? そんなのそれぞれの事例で判断するしかないじゃん。一律で、『休ませるのが正しい』『無理にでも行かせるのが正しい』なんて答が出せると考えること
- ホントにさあ、<親>なんて勉強なんかしなくたってなれるんだよ? 医師とかと違って。そんな<勉強なんかしなくてもなれるもの>で『親子関係の問題がいつまで経っても解決しない』って、何なの? おかしくない?
- 改めて言うよ? 『親なんて、勉強しなくても、子供さえ生んじゃえば誰にだってなれる程度のものだ』ってさ。医師や教師や弁護士と違って、『勉強しなくてもなれる、免許も要らない、その程度のもの』なんだよ?
- 最近の異世界物ってさ、『神様とかからチート能力とかもらって人生イージーモード』みたいなのが多いって言われてるじゃん? 私もさあ、そんな感じのを書くことはあるんだけど、確かに違和感しかなかったりするんだ
- 突然、異世界になんか放り出されたら、『そもそも現地の環境に適応できるのかどうか?』ってことを気にする人もいるよね? 呼吸ができるかどうかってのもそうだし、現地の細菌やウイルスに対応できるかどうか?って
- だからさ、ルールなんてものは後からゆっくり学んでもらえばいいんだよ。だってそうじゃん? ある程度成長してから、それどころか、大人になってからでさえいろいろ状況に合わせて新しくルールを学んでそれに合わせ
- 改めて言うけどさ、自分が異世界に転移や転生した場合に、まずどうあって欲しいと思う? 『チート能力は授けられない』前提で考えてみたらさ。しかも周りにいるのは、自分じゃ絶対に勝てない、ものすごく大きな怪物
- 自分が他人からやられたらムカつくのに、キレたりすんのに、親がついつい子供に対してはやってることを列挙していくよ? 『話を聞かない』『頭ごなしに決めつけてくる』『嘘を吐く』 『約束を守らない』『怒鳴る
- そうだねえ『ムカつく相手に嫌がらせをしたい』みたいに考えた時に、その<嫌がらせ>が嫌がらせとして成立することを何で知ってるの? 誰から教わったの? 保育園とかで他の園児にされたから? ホントにそれだけ
- 自分の子供がたとえニートになったって親に<法的責任>はないと思うよ? それは事実。だけどさ、『法的責任がない』ことと『影響を与えていない』というのはまったく別の話のはずだけど? 大人ならそこんとこ混同
- 私はさ、以前にも言ったと思うけど、だからって別に親を責めたいわけじゃないんだ。だって、いくら親を責めたって<そうなってしまった現実>そのものはなかったことにはならないからさ。でも、だからこそ、なんだよ
- 『ネットの匿名の陰に隠れて関係者を袋叩きにしよう』てのは、結局、『ふざけた真似をしたら社会からリンチを受けるぞ?』って<脅し>のつもりでやってるんじゃないの? それを言い訳にしてるんじゃないの?
- なんかさあ、『反抗期がないのはおかしい』『思春期に反抗期を迎えないと成人してから反抗期がくる』とか言ってるのがいるみたいだけど、あのね? 『前提がそもそも違うかもしれない』ってのを考えられないってのが
- 何かあるとすぐ、 『親だって人間なんだ!』って泣き言を口にするじゃん。その一方で、『親は何も間違えない。何も失敗しない。上手くいかないのは、全部、子供の所為』って? どんだけ自分を甘やかしたいの?
- 私の子供達もさ、私に対して文句を言うことだってあったよ。「ママはどうしてお掃除しないの?」って言われたりしたこともあった。私が家事をしないことについてそんな風に言われたこともあった。だけどさ、それ
- 他人から見て、『いい家庭だった。いい人だった』ってのは、ホントあてにならないからね? だってその人の一面しか、外面しか知らないんだからさ。<外面を取り繕うのが巧い人>というのは現にいるんだよ
- あ~、母乳育児かあ。私は確かに母乳がよく出たから三人とも母乳メインだったけど、別に『母乳じゃないとダメ』とか思ってなかったんだよね。ダンナも、私の<主治医>だったダンナの親戚も、何も言わなかったし
- もし、『生まれた時点でどんな人間に育つか決まってる』とか言ってるのがさ、<問題を抱えた子を持つ親>だったら、それはただの卑怯で無責任だとしか思わないんだよね。『自分は悪くない』『自分に責任はない』とか
- <大きな声を出したり叩いて相手を従わせようとするやり方>ってのを学ばせなかったら、そんなやり方、実践しようもないんだよ。たったそれだけの話。それを自分が楽したいからって、親が実践してるんだから、始末に
- 世の中にはさ、どうして物事を自分にばっかり都合よく解釈するのがこんなに多いんだろうね? 特に法律とか規則とかも自分に都合よく解釈して、『自分の都合が最優先されて当たり前』って考えるんだろうね。大音量で
- ところでさ、どうして世の中には、自分は物事を都合よく解釈してるってのに『他の人は自分と同じように物事をいいように解釈することがない』とか考えられる人がいるんだろうね。だってそうじゃん? 死刑とかの話に
- とにかく自分は勝手な解釈すんのに他の誰かがそれをしないと考えるとか、それを許さないと考えるなんてのは、いくらなんでも筋が通らないと思うんですけど? 他の誰かに対してそれを許さないって言うんなら、自分も
- 改めて言うけど、私がこうやって延々とあれこれ考え続けるのって、私にとってはストレスになるどころかむしろ<ストレス発散>なんだ。世の中にはね、そういうタイプの人間もいるってことだよ。自分と同じタイプの
- なんかさあ、『母親辞めたい』とか言った人が叩かれてるらしいんだけど、私は、何度も言うけど、『親を責めたい』からこんなことしてるんじゃないからね? 『母親辞めたい』と瞬間的に思ってしまうくらいは私だって
- 本当にしみじみ思うけど、『どうして自分だけが一方的に誰かを攻撃出来るって考えられるんだろうな』って。そんなわけないじゃん。自分が攻撃できるということは、他の誰かも自分を攻撃できるってことなんだからさ
- 『同性婚を認めると少子化が加速する』とか言ってる人って、<少子化の原因>ってものをまったく理解してないんだろうなあとしか感じないかな。だってそうじゃん? 同性愛者って<マイノリティ>なんでしょ? 少数
- ホントにさ、どうして当たり前みたいに誰かをバカにするような言葉とか、嫌がるような言葉とか、不快にさせるような言葉とか、口にできんの? それも、当人に届くような形でさ。私だってまあ面と向かっては言わない
- だからさ、誰かをバカにしたり蔑んだり嘲ったりなんてことして傷付けようとしてる人らは、なんでそんなことしてんの? できんの? ねえ、なんでそんなことができんのか教えてよ? 誰からそんなのを教わったかをさ
- 物語の中で、大変な苦境を乗り越えて強大な敵に打ち勝つことができたら、それはすごくカタルシスを得られるよね。それこそが物語の醍醐味だよね。『フィクションだからどんなに都合のいい展開だって起こりえる』って
- だからさ、今は自分の<自己満足>をじゃんじゃん発表する場がいくつもあることに感謝してる。私も、さくらにボツを食らった作品とかを発表したりするだけじゃなくて、別名義で、商業向けでは絶対に書けないのを書い
- 『自分の子供が性に目覚めることに対して母親は過剰反応し過ぎる』みたいなことを言ってる人がいるけど、違う違う、これこそ、『一部の声が大きくて目立つ人の反応が取り上げられてるだけ』だからさ。なにしろ私の
- 普通に自分の身の回りを見渡しても、<我慢のできない大人>がどれほどいる? たった一分かそこらの信号待ちさえ我慢できない大人なんて、それこそ掃いて捨てるほどいるでしょうよ。店とかでも、本当にちょっとした
- 『同性愛を認めたら出生率が下がる』とか言ってる人は、『同性愛という存在はそこまで社会に影響を与えるものだ』って言ってるのと同じだってなんで気付かないんだろうね? 同性愛は例外であり異端であり意見に耳を
- どうしてこの世の創作がすべて自分の好みに合わせて作られるべきだと思えるんだろうね? 展開とか演出とか、そんなのは所詮、『それぞれ個人の好みに合うかどうか?』だけの問題じゃん。 序盤でムチャクチャ頭の
- なんかさあ、<他所様のマナーに煩い人>って、マナーがいいとは感じないんだよね。たいていが自分のことは棚に上げてる印象しかないしさ。私もね、『あ~……』って思う人は見掛けるよ? だけど自分がそもそも
- あのさあ、『子供は痛みや恐怖で躾けるべきだ!』とか言ってる人らは、そういう考えの下に<躾>が行われたことでどれだけの犠牲が出てるのか、考えたことがあんの? てか、実際にそうやって躾けられてきたはずの人
- ところで私さ、同性愛について擁護する立場だと思われてるらしいんだけど、ちょっと違うんだよね。あくまで、『存在を否定はしない』ってだけで、『同性の気安さを利用して相手に強引に迫る』なんてのは普通に犯罪
- それにしても、なんか、<理解のある彼くん>みたいなのをバカにするような風潮があるみたいだね。私にとってのダンナも、言ってしまえば、<理解のある彼くん>の一種なのかな? それをバカにしてる人らにとっては
- あ~、『躾が甘い』とか他所様にケチつける輩自身がそもそも、『礼儀がなってない』からね? そんなのは気にする必要なんて微塵もないよ。ただ、子供がスーパーとかで走り回ったりしてるのを放っておく親の気持ちは
- 子供を乗せた自転車で信号無視してる親とかって、子供から『赤の信号は渡っちゃいけないんだよ』みたいに言われたらどうするんだろうね? キレんの? それとも『大人はいいの』とかの心底身勝手な理屈を並べんの?
- ネットとかを見ててもさ、とにかく子供を馬鹿にしてくる親の多さを感じるよね。自分の子供が何をやっても馬鹿にして見下して嘲ってくんの。ちょっとおしゃれとかに気を遣いだしたら、『色気づきやがって』とかね
- あのさあ、<人間>って、そもそも、<嘘を吐く生き物>だよね? 『嘘を吐かない』なんてことがそもそもないよね? だからさ、相手が一切嘘を吐かないと、嘘を吐いてないと、そんな風に信じ込むなんて、それって
- 自転車による交通違反の取り締まり強化を本気でするなら、私もそれは応援したいと思う。だって、私は極力守るようにしてるからぜんぜん怖くないし。たださ、昔はそうじゃなかったんだよね。ぜんぜん気にしてなかった
- 『歩きスマホをしない』『自転車に乗りながらスマホを見ないいじらない』『誰かを攻撃することに利用しない』たったそれだけのことを守るのがどうしてそんなに難しいの? ねえ? なんで? 本当に謎なんだよ
- 私は別に自分を利口だと思ってるわけじゃないんだよ。他所様を『馬鹿だ』『低能だ』と罵ってるような人らが、私が考えてる程度のことも考えてないってのが不思議なだけ。私なんかが思い付く程度のことがなんで
- 他所様の作品を貶す時の決まり文句が、『脚本が~』『演出が~』『展開が~』『描写が~』に加えて、『中身がない』とかだったりするけど、そういうのっていかにも『自分は分かってます~』ってのを演出したいだけの
- 『高齢者は切り捨てるべき』ってさあ、今の高齢者のほとんどは<誰かの親>なんじゃないの? それを『切り捨てるべき』ってのは、つまり、『親なんて敬う必要がない』って言ってるのと同じじゃないの? てか
- 昭和以前の厳しい躾を受けて育ってきたはずの世代が、『切り捨ててもいい』と思われるような大人で、社会そのものを圧迫するような存在だと思われてるということ自体が本当に情けないよねえ。どうしてそんなことに
- 『言いたいことも自由に言えないとかおかしい』って、何度も言うけど<自由>ってのは<無法>のことじゃないんだよ? 『言いたいことは言ってもいい、責任を負う覚悟があるのなら。なんてのはただの詭弁だろ』とか
- 読者さんからのメールで、『知り合いの高校生の子が、自分が不登校気味になったことについて、『お父さんは子育てが下手だよね』みたいなことを言ってしまったらしいんです』ってのがあった。で、それについて
- 自分の子供から、『お父さんは子育てが下手だよね』って言われたそのお父さんの気持ちって、どんなだったんだろうね。私ももしそんな風に言われたらショックを受けそうな気はするかな。だけど、自分の子供が疑問を
- 『不登校気味になったのが本格的な不登校にならなかった』のなら、対処に成功してるでしょ。うん、そうだよね。結局はそういうことだと思う。これが本格的な不登校から引きこもりみたいなことになってたら問題だと
- そうだなあ、二言目には、『親の所為にするな!』とか言ってる人らって、<反抗期>についてどう思ってんの? 子供が反抗するのは親に対して納得できない部分があるからであって、その『親に納得できない部分がある
- 私もさ、自分の行いを正当化せずにいられないことはあるよ。それを否定するつもりもない。だけどさ、少なくとも、『法に反する行いについて正当化するのは好ましくない』ってのは認めなきゃいけないと思ってる
- 誰かを追い詰めようとしてるのとかもさ、『相手の所為』にしてるよね? ついでに、『そうするのが社会のためだから』とか、『社会の所為』にしてるよね? で、『そんな自分の行いが好ましくないと親が教えてくれな
- 確かにさ、他者を敬い気遣い慮ってても、嫌な思いをすることはあるしつらいこと苦しいことはあると思うよ。それは事実だと思う。『他者を敬い気遣い慮れば不幸は訪れない』なんて嘘は言わない。言うつもりもない
- なんかさあ<弱者男性>ってのが最近よく言われてるみたいなんだけど、そもそもそういう言葉を作る神経が私には謎なんだけど、同時に気にしすぎるのもどうかと思うんだよね。私の周りにも外見とかは必ずしもイケて
- これまでにも何度も言ってきたことだと思うけど、<創作>って本質的には<自己満足>だからね? 自分の好みに合わない作品に対しては作者のオ〇ニーだのなんだの言うけど、確かに商業ベースのそれはより多くの人に
- 『実は本人も創作者で、自分の作品が人気出ないのに他の創作者さんの作品が人気になったりしてるのが妬ましいからコキおろしてるなんてのも、けっこういるんだろうなとは思う』正直、これなんだよね。特に情けない
- とにかくさ、他所様を見下して腐して貶して蔑んでコキおろすなんてことが当たり前の社会が本当に生き易い社会なの? そんな社会を本当に望んでるの? それが幸せなの? それがとにかくものすごく疑問なんだよ
- はあ、やだやだ、『言いたいことも言えない世の中なんておかしい』とか言いながら、誰かが正直な気持ちを吐露したら、<お気持ち表明>みたいに言って揶揄するとか、ホントに自分にばっかり甘いよね。それが嫌
- 本当に世の中には家族関係の問題についてのあれこれが、ネットが普及することでさらに表に出てきてるってのに、いまだに、『親のことは無条件で敬え』みたいなのがいるのってなんなんだろうね? どう考えても人間と
- ところでさ、また話は変わるけど、『漫画やアニメやゲームが犯罪を誘発するわけじゃない』ってのを主張したいのなら、<復讐>とかを、漫画やアニメやゲームを引用して正当化するのはやめた方がいいよ? だってそれ
- ある大御所漫画家さんが、『読者は作品を批判する自由を持ってる』みたいに言ったらしいけど、あのねえ、それ、大前提として、『<批判>と<罵詈雑言>や<悪態>を混同していい』とは言ってないと思うんだけど?
- ところで、私の知り合いの作家さんも実は別名義で小説投稿サイトに投稿したりするんだけどさ、それがまた私に輪をかけて本音ぶちかましてんの。商用じゃないからまるっきり遠慮がない。ただ、私と同じで言葉は選ぶ
- 再度言うけど、『言うべきことを言う』ってのが、本当に『世の中のため』だとか『それが社会にとって有益だから』とか思ってるなら、相手にとってダメージになるかどうか関係なくやるべきじゃんねえ。でも実際は
- 相手が理路整然と根拠を示してこれるなら、なるほど信念をもってやってるんだろうなって思うけど、ひたすら感情的に罵ってくるだけじゃ、要するに道理も何もない、自分の感情だけを優先したいってことになるよね?
- とにかく、自分の感情ばかりを押し通すなんてことは、現実にはできないの。ってか、実際に独裁者みたいのでもすべてを完全に押し通すなんてことできてないじゃん。脅しかけようとかしててもそのすべてが通ってるわけ
- 改めて言うよ?『自己満足の評論を垂れ流すのなんて、ただのオ〇ニー』だってさ。そんな評論を垂れ流して他の人から見えるようにするなんてのも<公開オナ〇ニー>でしょうが。創作者が自分好みの作品を作るのと何が
- <男性の性欲の値打ち>かあ。これは女には永久に理解できない感覚かなって気がする。なるほど男性の性欲が性産業を成立させてるのかもしれないけど、別にそんなものがなければないで別のことに注力すると思うけど?
- 人間が人間として幸せに生きてられたのは、本当に産業革命後の猛烈に発展した世界だけなの? ほとんど進歩らしい進歩もなくて淡々と何千年も過ごしてた頃には幸せじゃなかったの? まあその頃には奴隷制度もあって
- 『親は子供に舐められたらおしまい』『大人は子供に舐められたらおしまい』そんなことを言ってる人がいるけど、いや、どれほど偉そうに振る舞っててもそんなのはただの上辺だけだからなんてのは子供にもバレバレ
- 何て言うかさ、何か普段と違う行動を起こせばそれだけ何らかの形でリスクは増えるよね。例えば、テーマパークに遊びに行こうとしたらその途中で事故に遭うかもしれない。何か急病に罹るかもしれない。それこそ
- 私は、『自分の子供一人と、見ず知らずの十億人のどっちを取るか?』だったら、間違いなく自分の子供を取るよ。たとえ十億人でも自分と関わりのない見ず知らずの赤の他人だったら比べるまでもないしさ。でもそれは
- <子育て>は難しいと、『私には子育てなんて無理』と、私も実際に子供を産んで育ててみるまではそんなことを思っていたりもした。だけどさ、実際に産んで育ててみるとそこまで無理難題なことじゃないっていうのは
- これももう何度も言ってきたけどさあ、『子供に我慢を教える』って何なの? 何をもって『我慢を教える』って言ってんの? 我慢もできてない大人がさあ。いい歳をした大人がネットで誰かを罵ることを我慢できてない
- とにかく、自分以外の誰かに我慢をさせようとする人ほど、本人は我慢をしたがらないという印象しかないんだよね。と言うか、結局は自分が我慢をしたくないから自分以外の人に我慢をさせることで帳尻を合わせようと
- まあそれはそれとして、私は自分が凡人だから実感あるけどさ、凡人がいくら天才を真似ようとしても参考にしようとしても、真似ることも参考にすることもできないってのは感じるよ。それよりはやっぱ人生経験かな
- 私は最近、買い物は電子マネーで支払いしてるんだけど、電子マネーの欠点みたいなのを目の当たりにしたんだよね。というのも、私がいつも買い物に行くスーパーはセミセルフレジで、店員さんが商品の読み込みをして
- そうだよね。他の人が忘れていった電子マネー機能の付いたカードで決済されちゃったのをこれ幸いと利用しようなんて親がやってて、それで子供に何を偉そうにできるって? 人間として学び直さなきゃいけないのは親の
- 大事なことだから何度でも言うけど、『親が子供を養育するのは、親自身の行いの尻拭いでしかない』からね? それを盾にして子供を自分に従わせようなんてのは、ただの<傲慢>でしかないからね? あと、無責任だよ
- 一方的に恩を押し付けようとするから反発されるんだって、なんで分からないんだろうね。で、大人になって今度は自分が子供を育てる場合なった途端に、『親のありがたさが分かった』とか、いやいや、自分が押し付ける
- 『子供を生むのなんて自分のために決まってるだろ!』って言うかもしれないけど、そう思ってるなら好きにすればいいかもしれないけど、でもね、子供は<自分とは別の人間>なんだよ。それはれっきとした事実なんだ
- 親自身が、『自分の行いに責任を負う』という姿勢を見せないでどうやって子供がそれを学び取るって言うの? 何一つまったく手本を見せないでできるようになるなんていうのはそれこそ滅多にあることじゃないはず
- あのさあ、『昔は厳しい環境だったら強かった。今は守られすぎて軟弱になってる』とか、いかにも『昔はよかった』的なことを言うのがいるけど、それ、自分がその<厳しい環境>に放り込まれることを想定してないよね
- もう一度言うよ? <ぬるい社会>だったらそもそも死を選ぶ必要もないでしょうが。強い弱いなんてのは所詮は相対的なものでしかないでしょうが。今の社会は今の社会で厳しいから生きるのがつらくなる。それだけの話
- なんかさあ、事件や事故で亡くなった人の遺族とかに対して誹謗中傷を繰り返すようなのがいるらしいけど、それってどういう心理なんだろうね? 正直、今の私には理解できないけど、私の子供達がそんなことをせずに
- それとテロ行為の後で色々状況が動いたりしてるのを見て、『やっぱり暴力による革命は必要だ』とか言っちゃってるのもいるみたいだけど、あのね? たまたま自分にとって都合のいいように動いたように思えたからって
- そもそもさあ、大きな力を持った人が煽動して音頭をとって力ずくで強引に社会の仕組みを変えて、大多数の人はただそれに流されるままに乗っかってるだけなんて、本当にいつまでもそのままでいいと思ってんの?
- 私の子供達が、『自分がこんなポンコツに生まれたのはお前の所為だ!』とか私やダンナに言ったとしても、『誠に申し訳ございません』としか思わないし言えないよ。だって私とダンナの子供だってのはまぎれもない事実
- 問題っていうのはさ、一面から見てるだけじゃその本質は分からないと思う。ネットとかにはいわゆる<切り抜き動画>みたいなのがあげられて誰かを貶めようとする行為がそれこそ横行してるじゃん。何でそこから学ば
- とにかく夫婦や家族のいざこざについて、自分だけを被害者であるかのように語って一方的に相手を貶めてる話についてはそれこそ鵜呑みにしないようにしなきゃと思ってる。これは私が自分の両親や兄について語ってる
- 何度でも言うよ?『暴力で強引に状況を変えることを正当化するなんて正気の沙汰じゃない』 ってさ。『自分にとって都合よく状況が変わる保証なんて一ミリもない』ってさ。『軍事クーデターも侵略戦争もテロも全部
- だからさあ<昭和の躾で我慢を教え込まれてきたはずの人ら>がどうして我慢しなくなったの? そこでまた『社会の所為』にするつもり?『社会の所為にして我慢しない』なんてのは、そもそも我慢強くなんかないでしょ
- 躾、躾、って言ってる人って、基本的に我慢強くなんかないよね? 自分にとって気に入らないことがあったってだけですぐにキレるしさ。だから私は、<躾>って言葉を好んで使う人のことは信用しないんだ。厄介だし
- ホントにさ、暴力をふるうことを<躾>だと思ってるのがマジ情けない。あのね? 一歳やそこらの乳幼児相手に負けることがあるとでも思ってんの? 漫画やアニメや小説のキャラじゃないんだよ? 人間の乳幼児はさ
- もう一度言うよ?<力で威圧してきた大人が自分じゃない別の力を頼って身を守ろうとする姿>を見て、子供は何を学ぶかなあ?<自分じゃない別の力を頼って身を守ろうとすること>を学んじゃったりしないかなあ?
- 『怪我さえさせなけれりゃいいだろ』って? あのさあ、そうやって自分勝手な解釈を加えて法律の理念を捻じ曲げるから、大人が率先してそんなことをしてるから、子供もそれを真似するんでしょうが。なんでそういう
- だけど現実には、<親のダメなところをそのまま受け継いじゃってる人>って、多くない? ほとんどの人が親や前の世代のダメなところを反面教師として改めていければ世の中はどんどん良くなっていくはずなのに
- ネットでもそうだけど現実世界の日常でも、いちいち悪態を吐いて嫌な気分にさせてくる人っているじゃん。そういう人と関わっちゃったらそれこそ一日中気分が悪かったりするじゃん。そしてそういう親を持っちゃった
- ところでさ、世の中には、やたらと女性を敵視している男性がいるみたいだけど、そういう人ってきっと友達がいないんだろうなっていう印象がある。だってそうじゃん? 友達の大切に思っている女性のことも同じように
- そもそも自分以外の誰かを露骨に侮辱したり貶したり見下したり嘲笑ったり罵倒したりということをなんで当たり前みたいにできるの? 自分自身が直接何か嫌な思いをしてその場で感情的になっているというのならまだ
- 改めて言うけど、<急迫不正の侵害行為>から自分や自分の大切な人を守るためには力を振るう必要があるのは、私だって決して否定しないよ。だけど、<感情のもつれ>は別に急迫不正の侵害行為ってわけじゃないじゃん
- そうだよね。批判したり意見を述べたりっていうのは本来、好ましくない状況について是正を促すためにすることのはずだよね、それが本来の目的のはずだよね? 気に入らない相手を痛めつけてダメージを与えるのが目的
- ところで、いまだにお酒の力に頼らなきゃコミュニケーションが取れないようなのを正当化しようとする人がいるみたいだけど、あのね? それって普通に<コミュ障>ってもんだと思うけど? 本当にまともなコミュ力が
- まあ、そんなこと言ってる私も、ダンナと出逢って子供達を迎えてちゃんと相手を人間として認めて向き合うことが大事なんだっていうのを実感できたってだけなんだけどさ。結局、相手も人間なんだって理解するしかない
- それにしてもどうしてこう、法律やルールを自分に都合よく解釈して捻じ曲げてってすることこそが正しいみたいな考え方をする人が多いんだろうね。交通ルールとかそれこそ『律儀に守る方がおかしい』みたいな空気が
- 法律もルールも勝手な解釈を加えて自分に都合よく捻じ曲げて好き勝手することこそを『ちゃんと自分で考えて行動してる』ってことにしたい人って、本当に何を考えてるんだろうね? 自分のそういう振る舞いが何を招く
- <ヒヤリハット>って言葉があるよね。ヒヤリとする瞬間とかハッとなる瞬間とかをいくつも重ねてるうちにそれがいつしか大きな事故につながることがあるっていうあれ。『信号を守る』っていうのはさ、それを減らす
- あとさあ、自分の思い通りにならないからって暴力に訴える人って本当にただの<身勝手な人>だよね。そんな人のことを『本当は優しい人だから』とか言われたって、『何言ってんの?』としか思わないよ。だって
- だからさ、『自分に対してだけは優しい』とか『仲間に対してだけは優しい』ってのは、まったくあてにならないんだよ。そんな相手を信頼することはできない。ましてや『自分にとって都合の悪いことを言われたからって
- 暴力で相手を従わせようとするような人を私は<大人>だとは思わない。だってそんなのは、乳幼児が、自分の思い通りにならないことに対して癇癪を起こして叩いてるのと同じだからね? それ以外の何だって言うのさ?
- とにかく改めて言うけど『暴力で他者を従わせようとする』なんてのは、乳幼児が癇癪を起こして叩いてくるというのと同じだよ。<大人>がすることじゃない。実際そういうことをしようとする人の普段の振る舞いを見て
- 残念ながら、<狡い人ほど得をする社会>ってことになってきちゃってるのはなるほど事実だと思う。だけどさあ、だからって自分まで<狡いこと>をしていいと考えるなんてのは『社会の所為にしてる』以外のなんだって
- その場その場で調子のいいことを言って、ウケることを言って、それでいわゆる<信者>を集めてる人のことをバカにしてたりするじゃん。適当なことを言ってそれで信者にだけチヤホヤされている人のことをバカにして
- で、改めて言っておくけど、私は『理由があるからって何をしてもいい』とか考えてるわけじゃないからね? そういうことについても『ちゃんと考えてる』んなら、『理由さえあれば何をしてもいい』なんてのが何を
- 『自分の妄想が自分にとって都合のいい結果しか招かない』みたいな考え方って、いわゆる<性暴力>を肯定する人らの考え方でもあるんじゃないのかなあ。『相手も喜んでるはずだ』『自分のしてることは許されるはずだ
- 『幼い子供は自分で考えるということができないのだから、敢えて親が考えを一方的に押し付ける方が望ましい場合もある』とか言ってる人もいるみたいだけど、あのさあそれって、子供の事を舐めすぎだと思うんだけど?
- 小さい頃から『自分で考える』ことを否定されてきた人間が、成長してからいきなり自分の頭で考えるようになると思うの? 考えられるようになると思うの? 自分にとって都合のいい狭い範囲だけを見てるような人に
- 『痛い思いをしてこそ人間は成長できる。強くなれる』とか言ってる人もいるじゃん。それなのに子供が自分で考えて行動して失敗して痛い思いをすることもあるってのは否定するんだ? 許さないんだ? そういうのを
- そりゃね、大きなことを成し遂げる人って大変な危機を乗り越えた人だったりするかもしれないけどさ、だからって何もわざわざ死にそうな目に遭わせる必要はないし、意図的に過剰な試練を与えたりするのってただの虐待
- つくづく思うよ。『人間としてこの世界に生まれてくる』っていうのは、『なんだかよく分からない存在に一方的に勝手に異世界に転位させられたり転生させられたり召喚されたりする』ってのと同じだよね? ってさ
- 飲酒運転してるような人だってさあ、本人は、『自分は事故なんか起こさない』って思ってるんだよね? 思ってるからそんなことができるんだよね? だけど実際に事故は起こっちゃう。どんなに気を付けてても、事故は
- 前にも言ったけど確かに不合理に感じる法律とかルーとかもあると思うよ?『自分ならそんなものに縛られなくてもちゃんとできる』って思いたくなるのも、私にだってある。だけどさ、それが本当に実現できる人間なんて
- 超有名になった人だって、とんでもなく儲けて凄い資産を築いた人だって、結局は既存のシステムを利用してその上でやれたことじゃん。違うの?『既存のシステムをぶち壊したことで成功できたんだ!』って言うかも
- あのさあ、『自分はこの作品を面白いと思わないんだけど、何が面白いのか具体的に説明してくれ』とか言うのいるじゃん? でも、それ言ってる当人が面白いと思ってるものを『具体的に』説明しても共感できない人は
- 『例え<ニワカ>でもサッカーの話題だったら盛り上がれたりする』もうその時点で『サッカーの方がコンテンツとして圧倒的に強い』ってのが分かるんじゃないの?学校とか職場でサッカーの話で盛り上がったりしてても
- 商業的に成功したかどうかだけで価値を論じるってのはいささか浅慮に過ぎるってもんでしょ。これまでにも何度か言ってきた通り、私が面白いと思った漫画とかが、読者アンケートの結果が芳しくないからって打ち切られ
- 出版社はさ、あくまで商売でやってるんだから<商業的な価値>である程度の判断を下すのは当然だと思うよ? それを否定したいわけじゃない。だけどさ、勝ち馬に乗ろうとするような形で自分の価値を粉飾しようとする
- つくづく、『自分の好みに合わないもの都合の悪いものを貶めることで自分の好みに合うもの都合のいいものに価値があるように見せかけようとする』なんてことをせずにいられないというのはどういう心理なんだろうね?
- 『<どっかの誰かが勝手に決めた価値>なんて知るか』私はそう思ってるんだけど、でもこれは決して『自分以外の誰かの価値なんて認めない』という意味じゃないんだ。むしろ逆。自分以外の誰かの価値も認めるからこそ
- 『バカって言った方がバカだ!』『バカって言った方がバカだって言った方がバカだ!』『バカって言った方がバカだって言った方がバカだって言った方がバカだ!』 <レスバ>って結局こういうことだよね? 違う?
- もし私が延々とこんなことを言ってるのを<私の両親の影響><私の両親の真似><私の両親がやってることと同じもの>だと思うなら、親のやってることがどれほど子供に影響するのかってことの証明以外の何ものでも
- 『自分にとって都合が悪い事は想定しなくていい』『自分にとって都合の悪いことはたとえ法律で決まっていることであっても従わなくていい』そんな風に考えてる人がこんなに多いのはどうしてなんだろうね?誰がそう
- 人間は間違う。失敗する。それは事実だ。だけど間違いや失敗を反省しそこから学んで成長していくもんじゃないの? それなのにその間違いや失敗そのものを『自分にとって都合が悪いから』でなかったことにしてて
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