おぞましい妄執

こんな風に書くといかにも私が<人格者>みたいに見えるかもだけど、基本的に私、


『他人なんざ知ったこっちゃね~っ!!』


ってタイプの人間だからね? 


本質的には、


『他人が生きようが死のうが興味もねえし』


って思ってるから。


ただ、同時に、<見ず知らずの他人>じゃなくて<自分にとって大切な人>が苦しんだり悲しんだりっていうのは絶対にイヤなんだ。


私の<夫>や<子供達>はもちろん、家族同然の大切な人達がいて、その人達が苦しんだり悲しんだりっていうのはイヤなんだよ。


次いで、ファンの人達が苦しんだり悲しんだりっていうのもイヤだよ。


だから、何を言ったって聞く耳なんか持つつもりのない<アンチ>を相手にレスバとかして嫌な思いをして欲しくないんだ。


本当はアンチがいなくなってくれるのが一番なんだろうけど、でも、


『自分の作品を評価しない人・嫌う人がいなくなればいい』


なんて、はっきり言うと『おぞましい妄執』だからね? そんな、


『自分にとって都合のいい人しかいない世の中』


とか、一見したら<理想の世界>のようにも思えたとしても、私に言わせたらそんなの、完璧な、


<ディストピア>


だよ。


だから、私の作品を評価しない人・嫌う人がいなくなるべきだとは私は思わない。思いたくなるのは正直なところだけど、思わない。


ただ、自分が気に入らないからって罵って貶して蔑んで、それで自分が幸せになれるとでも思ってんのかな~、とは思う。


あと、自分が面白いと思うものにこそ価値があって、その価値が分かる自分も価値のある人間だと思いたいのかもだけど、世の中はそんな単純じゃないんだよね。


私なんか、自分が生み出す作品でも、私にとっては必ずしも面白いと思えないものがちゃんと<お金になる商品>になったりしてるんだから、


『自分が面白いと思えないもの=価値がないもの』


じゃないんだよ。


たとえば、アニメとか漫画とかは好きで面白いと思うけど、世界的な価値があるとされてる美術品の良さが分からないっていう人だっているでしょ?


野球とかサッカーの面白さが一ミリも理解できない人だっているでしょ?


自分にとっては面白いと思えないもの、興味が持てないもの、価値があるとは思えないものだって、価値がないとは限らないんだよ。面白い人には面白いし、価値があると感じる人にとっては価値があるんだよ。


その当たり前のことが理解できないとこの世はきっと生き難いだろうね。


だってさ、自分にとって面白いと思えないもの好きになれないものを罵って貶して蔑むのが当たり前だったら、自分が面白いと思うもの好きなものを他人が罵って貶して蔑むのも認めなきゃいけないんだよ?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る