点検口

「お待たせしました!」暫くすると、内装業者「リアルホーム」の片桐社長が軽自動車に乗って駆けつけてくれた。 


 社長と言っても一人親方で、職人をまとめるのが彼の仕事なのであるが、緊急の場合はフットワークが軽くうちのような中小企業の頼みも嫌な顔をせずに対応してくれるので重宝させて頂いている。


「片桐さん、風呂場の天井から黒い水が落ちてくるのだけれど原因解るかな?」


「汚れている水なら汚水か、屋上とかに貯まった汚れた水が流れてきている可能性がありますけれど、この部屋は二階ですよね。さすがに屋上の水は考えにくいな」マンションの漏水は真上が必ずしも原因とは限らない。上の階の端の部屋からの水が、天井を伝って真逆の端の部屋が漏水なんて事もあるのである。それを突き止めなければならない漏水事故は、建物の不具合の中でもかなり厄介な部類に入るのだ。


「車から脚立きゃたつを取ってきます」一度、風呂場の状態を目視してから片桐社長は下に停めた車に向かった。


「奥の部屋は入ってこないわよね。ちょっと仕事の支度をしたいのだけれど」住人の女性はイライラした様子で時計を眺めた。夜の仕事の準備時間を奪われて苛ついているようである。


「結構です。なにかあったらお呼びしますので」俺がそういうと、彼女は奥の部屋に飛び込んだ。その扉を閉める激しい音に彼女の感情が込められているようであった。


「結構、怒ってますね」大西が小声で囁く。


「そりゃ、仕方ないだろう。風呂を使えないんだから」賃貸住宅だから他人に責任を転換できるが自分の所有物件が同じ状態であれば、俺達のやっている手配を居住者がある程度しなければならない。


 このトラブルで発生する様々な費用負担も所有者になるのだ。


 経年劣化による設備の修理・交換も貸主に負担してもらえる。そういう意味では、住宅を購入するよりも賃貸で借りるほうがお得な面でもある。


「よいしょっと!」片桐社長が腰高くらいの脚立きゃたつと工具箱を持参してきた。


「この水どう思う?」黒い水を指差して意見を聞いてみる。


「うーん、給水の水では無さそうですけど、汚水でもここまであからさまに黒いのは珍しいですよ。でも……、なんだか気持ち悪いですね。この部屋……」借主に気を使ってか、彼はかなり小さな声で呟いた。


「やっぱりそう思いますか」大西は同調者が増えて嬉しそうであった。


「とりあえず天井の中を見てもらってもいいですか?」俺は大西を無視してお願いした。


「はい」片桐社長は肩に掛けていた脚立を浴室の床に設置して足をかけて上に立った。そして、天井の点検口を持ち上げる。

 マンションの浴室の点検口は極端に言えば乗っているだけだ。まずよっぽどの事がない限りここを開ける事などない。

 

 片桐社長は、点検口に頭を突っ込むと懐中電灯で中を確認しているようだ。


「どこから水が漏れてるか解りそうですか?」俺は下から片桐社長に問いかける。


「えーとですね。特に水が出ているような場所は……、ん!なんだ……、う、うわー!!!」強烈な悲鳴を上げると、片桐社長は浴室の床に体を落とした。その反動で床が割れるほどであった。


「ちょ、ちょっと!片桐さん!大丈夫……!?」片桐社長の顔は血の気が引いて、死人のような顔であった。


「ひ、人が……!!」


「なに?人がどうした?」片桐社長が何を言おうとしているのかが理解出来なかった。


「上に人がいた!俺の事を睨み付けた!!」彼は目を見開いて天井を指差した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る