精算業務

「社長、お帰りなさい!」事務員の岡田おかだ百合子ゆりこが元気な声で迎えてくれる。


「ただいま、今日は解約立ち会いのオンパレードでヘトヘトだわ」俺は少しだけネクタイをゆるめる。さすがに一日四件の立ち会いはハードであった。


「お疲れです」彼女は温かいコーヒーを注いでくれる。こういう時はインスタントでも美味しく感じるものなのだ。


「まあ、解約自体の儲けは少ないけれど、この業務をしないと物件を受けられないからね」貸主様の物件を管理して頂戴する管理費も重要だが、この解約時の立ち会いをキチンとしないことには物件と貸主様は、他の業者に流れていってしまう。


 細心の注意が必要なのだ。


「ネットで反響がきていましたよ。今日、解約のメゾン・ド・リープ」最近は来店顧客よりネット反響のお客様のほうが熱い。成約しやすいということだ。


「百合ちゃん、返信メール送っておいてよ。鍵は紛失しているけど、クリーニングだけでいけそうだから、見学もすぐに出来るってことで!」簡単なメール返信は事務員さんにお願いする。解約立ち会いが終わったあとには、解約の立ち会い報告と精算業務が多々残っているのだ。


「了解しました」百合子は滑稽な敬礼をしたかと思うとメールの作成を始めた。


「これ、最後のメゾン・ド・リープのだな」ファイルには入居時に提出された証明写真が収められていた。ちなみに、提出してくる写真は本人の顔が解るものであればいいのだが、人によって面白い物を提出される人もいる。結婚式の二人並んだ写真とかA4用紙いっぱいの顔面アップとかもたまにあったりする。


「えーと、敷金が十万円で、鍵がディンプルで二万五千円と」預り金から入居者負担を引いた金額が借主への返金となる。この金額を貸主へ連絡し承認を頂けると借主に連絡して、更に借主からも承認を貰ってから貸主に連絡し、相殺した残金を借主の指定口座に振り込んでもらう。


「社長、さくらマンションの201号室の田中さんが天井から漏水ですって」百合子が電話の受話器を手で覆いながら、少し慌てた声で捲し立てる。


「あっ、解った。電話変わるわ・・・・・・」全く気を抜く暇もないったらありゃしない。




「ただいま戻りました」日が暮れた頃、賃貸仲介担当の大西が帰社してきた。転勤のシーズンという事もあり、この時期は朝から晩まで案内、案内の繰り返しである。月末の解約と重なると、時間がいくつあっても足りないのが本音である。


「どう、申し込みは取れたか?」一応上司らしく案内の結果を確認する。


「今日は、3件の法人顧客を案内して、2件の申し込みを頂きました。最後の顧客は、もう暗くなって部屋の中が見えませんでしたので、決めきれませんでした。明日に持ち越しです」大西は悔しそうな顔を見せた。3件案内して当日に2件の申し込みをもらえれば、成約率は6割以上なので、十分優秀な成績である。


「ご苦労さん、明日も忙しそうだから今日は早めに上がれよ。俺も明日からは動けるからさ」言いながら、大西の肩を軽く叩いた。


「有難うございます。でも、申し込みの処理を今日中に終わらせたいので、少し残ります。そう言えば益留ますどめさんはまだ帰って来てないのですか?」益留はも賃貸仲介専門の女子社員である。物件の管理関係は、俺と百合子でほぼ回している状態だ。


「本当だな、ちょっと遅いと心配になるよな」賃貸の案内中に、男の顧客に悪戯されたなんて話は、この業界ではよくある事なのだ。


「ただいま帰りました」噂をしていたら益留ますどめ恭子きょうこが扉を開けて帰ってきた。


「遅くなったようだけど、何かあったのか?」


「いいえ、今日案内した女の子と意気投合しちゃって、話し込んでたら遅くなりました。あっ、きちんと申込はもらいましたよ」自慢げに賃貸の入居申込書を感謝状のように開いて差し出した。


「よしよし!でも、出来るだけ遅くならないように時間配分をしてくれよ。車両事故にも気をつけてな」


「はい!」大西おおにし益留ますどめは照らし合わせたように元気に返事をした。


「よし、飯でも食いに行くか」二人の頑張りにご褒美という意味でお誘いをする。


「やったー!」三人の歓声が上がった。


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