第22話 秘湯で勃発、三角関係

「え? ……え?」


 素流が心底怪訝けげんにすれば、相手は真剣な面持ちで「裸族」と更に何度か繰り返した。


(えーと、何かなこの人は? 裸族って連呼する意図が全然掴めない)


 彼は表情も真面目なものに固定したままであり、それが余計に不審でしかない。

 ひくりと口の端を引き攣らせて「ええとホント何?」と半笑いしてしまえば、彼は不満そうにした。


「そうじゃねえんだって。さっき普通に笑っただろ」

「……あなた私を笑わせたいの?」

「ああ」

「え、いきなりどうして?」


「――可愛いかったから」


「……はい?」

「笑うと可愛かったから」

「いや二度も言わないでいいわ!」


 困惑する素流を余所に、彼は微かな水音を立てて近付いてきた。


「な、なに?」

「お前さ、この傷の責任を取れ」

「はい? え、でもさっきはあなただって戦場でのことだって納得してたでしょう?」

「そういう意味じゃねえよ。剣振り回して勝負するとかじゃなくて、別の方向でって意味だ」

「別のって……?」


 青年は素流の正面に来ると、じっと見下ろして逞しい腕を伸ばした。


「は!? ホント何!?」


 ぎゅっと詰まったような警戒を見せる素流に彼はちょっと苦笑を浮かべると、素流の頬に張り付いた髪の毛を優しく耳に掛けた。

 一体全体何なのか。

 こちらを害する意思は全くなさそうで、本気で当惑する。


 と、武骨な掌を回されうなじを引き寄せられた。


 湯船から胸が出ない程度に引っ張られ、極近い距離で目を合わせられる。

 その黒々とした一対の瞳には、挑むような色があった。


「ちょっ、なに…」

「オレはらく龍靖りゅうせい。ここで再会できたのも運命の導きだ。お前に傷を負わされたのも、お前を男だと信じて疑わず探し続けたのも」

「え、え?」

「だからお前、――このオレ、洛龍靖の嫁になれ」

「よ…め……? 嫁えええっ!?」


 すぐにでも既婚者なのでごめんなさいと言うべきだろうが、予想外過ぎて頭が上手く回転しない。

 復讐から一転してどうしたらそんな結論に至るのかと、素流はこの上ない困惑を浮かべ両目を大きく見開くほかない。


 ――刹那、戦場でもそうそうないような、極めて鋭い殺気を感じた。


 ぞわりと背筋が粟立った直後、洛龍靖と名乗ったばかりの青年が後ろに飛んで素流から離れる。


 素流もハッとしたが、その時には既に風圧を伴って天から振るわれた真っ直ぐ大きな一閃によって、たった今まで龍靖の居た場所の水面が断ち切られ激しく波打った。

 素流が水飛沫に思わず目を細めてしまえば、温泉に飛び込んできた誰かに布にくるまれ肩を抱かれた。

 見ればそれは上質な男性物の上着だ。


「俺の女に手を出そうとは、貴様万死に値すると知っているか?」


 何だか悪役上等な台詞を口にしたその人は、紛れもなくこの国のいと高き御方、皇帝の楊一翔だった。


 そういえば失念していたが、いつ彼が到着してもおかしくはなかったのだった。

 彼は鍛錬時以外は基本帯剣はしない。普段同様にこの街に来てからもそのようだったので、護衛の誰かから借りてきたのだろう。鞘と柄の装飾の揃ったその一振りの剣を握り締め素流の肩を抱き寄せつつ、今し方斬り掛かった相手へと切っ先を向ける。


(うう、だけど何て最悪のタイミングで来ちゃったかなあこの人。もうちょっと後だったら私がきっぱり断って何事もなく済んだかもしれないのに……)


 虫が出たなどと言う無難な理由で護衛たちを下がらせたのもこれで無駄になった。

 それどころか、見知らぬ男との逢瀬を隠そうとしたと思われて裏目に出ていそうでもある。

 素流には当然龍靖へ他意は微塵もないが、状況から見て誤解されても致し方なさそうだとは彼女自身でも思っていた。

 間一髪で攻撃を避けた龍靖を一翔が睨んでいると、その龍靖は明らかに不機嫌な声を出した。


「お前の女? 何だよじゃあそいつともうやることやってんのかよ」

「ややややることって、失礼な言い方しないで! ま、まだ生娘だけど、こっこれからなんだから!」


 あけすけな問いに居た堪れなくなった素流が思わず素直に叫べば、男性陣は沈黙した。

 特に一翔はこの上なく憮然としていて、今にも大きな溜息をつきたそうな顔をしている。


「素流、そなたもう少し慎みを…」

「あーっはっはっはっはっ!」


 窘める一翔とは裏腹に、台詞に被せるようにして龍靖が心底愉快そうに大笑した。


「んじゃオレにもチャンスがあるな、素流! 一度もまだなら尚更に好都合だ。うっかり他の男の子供を自分のだって勘違いする心配もなさそうだからな」

「はあ!? ちょちょちょっと何変なこと言ってんの! あなたとなんて絶対にしないわよ!」

「んなこと言っても女って生き物は良い体に迫られりゃ、最終的には本能に負けて絆されるだろ。自慢じゃねえがこれでもオレ結構良い体してんだろ?」

「何得意気に胸張ってるのよ。そんなの昔からピンからキリまで見慣れてるから屁でもないわ。あなたより良い体のオジサンたちだって沢山いるわよ。熟れた胸筋腹筋万歳だわ!」

「はああ!? じゃあオレに落ちないって試してみるか?」

「頭固い男ね。試すまでもないって言ってるの!」

「何だと!?」

「……二人共やめよ」


 素流も素流なら龍靖も龍靖だ。折り合いが悪いのは一翔的には全然いいが、色々堂々と言い過ぎだとイラッとした。それに熟れた胸筋腹筋って何だと問いたい。

 それに何より、仲が悪そうでも生き生きとして言い合っている姿に嫉妬した。自分にはいつも敬語であるしどこか控えめな態度でいるくせに、と彼はだいぶ面白くなく感じていた。

 どこまでも低く地を這ったような一翔の制止にピタリと言い合いを止めていた二人は、探るように彼を見やる。

 武芸者でもある二人なので、今確実に本気で殺気立たれたと悟った故だ。

 特に動きがないとわかれば、龍靖は気を取り直したように素流に目を向けた。


「お前、素流ってのは名前の方だろ? 名字は何てんだ?」

「景だけど」

「そっか景素流か。オレとピッタリな名だよな」

「どういう根拠よ!」

「そういうわけでオレは景素流を嫁にする」

「話聞いてる?」

「だから悪いがそこのあんたは身を引いてくれ」


 どうしてわざわざ姓名を教えるのかと腹を立てているのがわかる顔付きで、一翔が素流をより抱き寄せる。

 自らで上着の前を掻き合わせる素流は、こんな時なのに湿った布一枚越しに感じる彼の男らしい掌にいつも以上に頼もしさを感じて、ドキドキとしてしまった。


「戯言は死んでから言え、下郎」

「はんっ、どっかの貴公子さまからすれば下郎かもしんねえが、いくら高貴だろうと他国の野郎にオレの嫁取りにまで口出しされる筋合いはねえよ。それに可愛い女に男装させて連れ歩くような無粋な奴に素流は勿体ない」

「何だと?」

「あらかた人様に言えない身分差でもあるんだろ? ああやって偽装しないと会えないような事情があるにしろ、女に無理を強いる奴にオレの素流をやれるかよ」


 身なりから一翔をどこかの裕福な家の若様とでも思ったのだろう、龍靖は鼻であしらうようにした。


「え、あれは私から言い出し…」

「素流、良い。ところで貴様この国の人間ではないのか?」

「おう。オレの国じゃあ女を懸けて決闘もやるぜ。必要なら今ここで素流を懸けて決闘しようぜ、なあ色男?」

「素流は物ではない」

「真面目か。けどお前なら女は他に選び放題だろ。素流は譲ってくれ」


「――他の女など要らぬ」


 一翔は実に清々しい程にきっぱりと宣言した。

 素流は何か甘美なもので心臓がぎゅっと鷲掴まれたように思った。

 湯気で上気する以上に頬が熱くなる。


「貴様こそどうして彼女にこだわる? 以前からの知り合いなのか?」

「まさか。あーいや、んーまあ以前の知り合いっちゃそうかもな。何せオレのこの生涯消えねえ傷を付けたのが、そこの素流だ」

「何?」

「戦場で会ったんだよ」


 肩から胸への傷を指でなぞってみせる龍靖に、素流は思わず逸らした目をややを伏せる。

 そんな様子だけで一翔には確認の必要がなくなった。


「なるほど遠征の時のか。だからと言って素流が貴様と婚姻するいわれはない。傷を負ったのも貴様が素流より弱かったからに過ぎぬ。それに傷物になったからと女に無理を強いているのは貴様の方だろうが」

「痛いとこ突いてくれるぜ。確かにあの頃のオレは地元じゃガキ大将だったけど、意気がってそれだけで戦えると志願したからな。単に喧嘩っ早いだけで基礎もなってなかったから、本当の殺し合いの場じゃ何の役にも立たなかった。けど素流のおかげで目が覚めたんだよ。オレより小せえ奴にやられて当時は本当に悔しかったんだ。復讐心がここまでオレを駆り立てて鍛えてくれた」


 龍靖は素流を見つめ、ニッと歯を見せて笑った。


「けどな、そいつが女ならまた話が違ってくる。憎しみが一周回って好意になったって感じか? だから素流、オレの妻になれよ。強い女は好きだぜ」

「ほざけ。俺から素流を奪わんとするのなら、丸腰相手だろうと容赦せぬ。死にたくなければ即刻ね」


 龍靖は「おーこわ」と大仰に両手を掲げうそぶくと、潔くも岩陰の向こうへと退散した。

 諦めて去ってくれるつもりだろうかと素流が内心疑問を抱いていると、岩の上に影が差す。


「待たせたな。売られた喧嘩を放り出して逃げる気はねえぜ」


 声に振り仰げば、向こう側に荷を置いていたのか、腰布を巻き片手に剣を携えた龍靖が岩の上から水面へと飛び降りる所だった。

 派手な飛沫が上がる。


「素流離れていろ」


 一翔から横へと押し出され慌てて振り返れば、一翔は昼間の喧嘩を忘れたように「案ずるな」と微笑んだ。


「さっさと蹴散らしてくる。そこで待っておれ」

「だ、駄目ですよ! どうして戦いに応じる必要があるんですか! それこそあなたがいつも言うように護衛の皆さんに仕事をさせてあげればいいでしょう!?」

「駄目だ。そなたのあられもない姿を配下とは言え他の者に見せられるか」

「そんな理由!?」


 素流が呆れと責めと恥ずかしさとちょっとの嬉しさに口をパクパクさせてしまえば、龍靖が喜々とした。


「ははっそれだけじゃねえだろ。好きになった女を得るために、男ってのは時に命さえ懸ける愚かな生き物なんだぜ」

「馬鹿なこと言ってないであなたもやめて! 大体ついさっき性別を女だって知っただけでろくに知りもしない相手をどうして好きになるのよ。あなた女なら誰でもいいんでしょ。私じゃなくても世の中に女性は沢山いるわ」

「オレは運命を信じる質なんでね。どっちかが一足遅ければ相手が違っていただろう戦場で出会って、広い異国の地のこんな所で再会するなんつー偶然、きっと他にはねえよ」


 龍靖は白い歯を見せて破顔した。


「オレは素流がいいんだって」


(いや勝手に運命感じられても……)


 素流の方は全く微塵も何も運命的なものは感じない。

 この状況を長引かせても何も良いことはないと素流が断ろうとすれば、


「貴様の都合などどうでも良い」


 先に口を開いた一翔が妙に凪いだ声を出した。


「言い遺したいことはそれだけか?」

「あ?」

「絶対に素流は渡さぬ」


 抑揚のない彼の声が戦闘開始の合図だった。

 突如として始まった得物を振り回しての物騒な喧嘩に、素流は頭を抱えたくなった。

 いや抱えた。


(どうしてこうなった!)

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