読後感は、夭折の天才を見た喪失感に似ていました。
その喪失感は、巧みな言葉の選択によって生み出されていると思います。
比較的シンプルなストーリーが、言葉選びのセンスの高さと、読後の喪失感を際立たせているなあと感嘆しました。
上品で巧みな言葉遣い、加えて身体に花が咲く病という面白いアイデアも、すべては作者の才能あってこそで、だからこそ、雛牡丹という人物を描けるのかもしれないなと思いました。
凄いなあと感じた部分は他にもあって、それは登場人物の名づけかたです。
牡丹の花言葉の一つに「百花の王」があるらしいのですが、雛牡丹の性格はまさしく王者の風格であり、「雛」には小さなという意味があります。小さくても、王者の風格だから雛牡丹なのかと気づいて感心しましたし、彼女の行く末を思うと、ストーリーとも符合する部分があって驚きました。椿にも「控えめな美」や「控えめな愛」などの花言葉あって、作中で描かれる椿にぴったりだなあと唸りました。
ラストは本当に綺麗という言葉では片づけられないほど、頭の中に美しい絵が浮かんできて、読後は、良いものを読ませてもらったなあと天井を仰ぎました。
超おすすめです。
「それは、病というには美しすぎた。」
この印象的な冒頭の一行から最後まで、徹頭徹尾やわらかで壮絶な美しさに包まれた作品です。
音楽の才能に恵まれた娘・雛牡丹。彼女は身体から枝が生えてくるという奇妙な病を得てしまいます。
畳にころりと落ちた梅の蕾。
それはまだ若い彼女から、芸も命をも奪ってしまう、残酷な病です。しかし、可憐な娘に似合ってもおり、あまりに美しいのです。
驕慢だと人に見られがちな雛牡丹ですが、その胸には年齢の幼さに不釣り合いなほどの矜持を抱いています。その、己自身も「華」と生きようとするさまが、また彼女の容貌や梅の蕾に劣らず美しいのです。
下働きの椿少年が、心酔し、お仕えしようとする気持ちもわかります。
幼いのに、あまりに気高い。
「ああ、僕は、彼女の凄みに惚れたのだと。」
オマージュ元の『春琴抄』の美しさ、関係性の尊さを思い起こさせながらも、こちらの作品にはまた独自のしなやかな美の描写とやさしさがあります。
名作をこれほど心打つ別の作品に仕立て上げる才能に脱帽です。
言葉を尽くすより、とにかく一読して、この世界に浸っていただきたい作品です。
この世界の艶めかしい美しさ、儚くやさしい雰囲気を、言葉で説明するだけの力がありません。ぜひ読んで欲しいです。
とびきり美しい珠玉の短編です。
そして、雛牡丹と椿の関係性がとても尊いのです……。
下働きであった僕は、病に侵された美しき娘、雛牡丹の花を詰む。
二人だけの密やかな時間に糸切りはさみの音が響き、花が散る。
病を持つ者と持たざる者。才ある者と才なき者。
美しくも恐ろしい、病の行方は――。
冒頭の一文から最後の一文まで、徹頭徹尾、美しく、艶やかで、息が詰まるほどに濃厚でした。物語に溺れるとはこのことを言うのでしょうか。一つ一つの文章から頭を狂わせるような華の薫りが立ち昇ってくる……そんな気さえします。
また、単に美しいだけではない――物語の裏に込められたテーマも私の胸を突きました。才ある者と才なき者。芸に生きる者の定めとも呼ぶべき主題というのでしょうか…。けれど決して、嫉妬にまみれた醜いものではない。そこのバランス感も絶妙です。本当に素晴らしい。
どこまでも美しい、華に満ちた世界観に浸れる本作。
是非一度、お読みくださいませ…!