蜃気楼との境目を探すように、曖昧な不思議な中で

海洋信仰、というものがある。
人は食べ物を恵んでくれる自然を人に置き換えたある種の擬人化のようなものだ。

しかしそれ以外の形で神を見るとしたら?
人は神を見る際には何かしら極限的な状況にあるのだという。
フリーダイバーの動画を見た時、自身と、そして挑むべき馬との心境を「対話」というのもあながち間違いではないと強く感じた。

話は少し逸れたが、不可思議なことには極限的なことがつきものである。
走馬灯であったり、ゾーンであったり。
それが彼女たちにとっては××××だったという。
不可思議が不可思議を呼び、重なる。
故に現実との境が曖昧になる。

幕が上がり
そしていつか
幕が下がる
そしていつか
幕が上がる

あの終わった演目はもう見れない。

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