解説――どうしてこうなった――

 まず本編を読んでいただき誠にありがとうございます。

 ここからはセルフコメンタリー、私が何を意図してこのような物語を書いたのかを恥ずかしながら自分で解説したいと思います。少し長めですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


1、そもそもこの作品のテーマは何?

 この作品のテーマを一言でいえば「自然を犯す人間の欲」です。もう少し具体的に言えば「未知、神秘を蹂躙する人間の欲望の力」。そのため「男に犯される哀れな女」「ついに行動を起こしたお爺さんの反逆」のようなテーマではないです。(ポジティブでもネガティブでもないというのは先に了解しておいてください)

 私はかぐや姫の物語を読むと、彼女はそもそもどういう存在、何のために現れた存在なのだろうと常々疑問に思います。

 何故なら彼女は究極的には人間側――お爺さんお婆さん、五人の求婚者、天皇など――に対して、何も与えはしないからです。いいえ、むしろ奪っていったと言っても過言ではないでしょう。五人の求婚者は彼女のせいで人生を狂わされ、最悪の場合死んでしまいます。不死の霊薬を与えられたお爺さんお婆さんと天皇も、結局はその霊薬を使わず、悲しみに心を深く囚われてしまいます。

 かぐや姫と言う物語の基本骨子は言うまでもなく悲劇です。

 しかし物語において、感情を失くしたかぐや姫だけは唯一悲劇的な結末を――少なくとも彼女の主観としては――体験せずに済んでいます。

 彼女が巻き起こした悲劇を、彼女だけは体験しない。何とも奇妙な構造です。

 これらを踏まえたうえで私が出した結論は「かぐや姫とは人類が届かない奇跡の象徴」と言うモノです。おそらくは多くの人が同じ考えに至っていると思います。

 常人では考えられないほどの成長速度、その美麗さ、放つ物理的な輝き。地球の兵士を容易に無力化する月の軍勢に、身に着けるだけで記憶と感情の一切をなかったことにする羽衣。そのほかにも多くの摩訶不思議な、超常的な現象や道具を彼らが披露することからも、「月の存在=人類には届かない領域」と言う図式は問題なく成立するでしょう。そしてその図式が成立している以上、かぐや姫だけが悲劇を被らなかったのは道理です。何故なら彼女はそもそも人類よりも高次の存在であり、彼女の行動の責任を人類と同レベルで訴求されることはないからです。

 さて、ここまで書いてきたことはいわば、土台の確認、今までかぐや姫はどのように考察されてきたのかと言う認識のすり合わせに近い工程です。これからはいよいよ踏み込んだ話をしましょう。

 直截に行ってしまえば、私は「月の存在=人類には届かない領域」という図式が崩壊、少なくとも従来に比べて意味を為さなくなってきているのではないかと思っています。と言うよりも「人類には届かない領域」と言う領域そのものが大幅に縮小しているのではないか、と考えています。そしてその流れには当然「科学」と言う人類がこの数百年の内に獲得し、発展させてきたツールが深く関わっています。

 竹取物語は平安初期、9世紀後半から10世紀前半の間に描かれたとされる作品です。この頃、妖怪や悪霊は実在すると信じられ、貴族は占いによる言伝で行動を決定していました。

 そのような時代において、少しでも不思議な事象は大まか超常現象、人類不可侵の領域として映ったことでしょう。

 科学が進歩していないというのは、同時に科学的マインド――批判的かつ懐疑的な思考――が発達していないことを意味しています。そしてその頃の人類がアニミズムに陥り、肉眼では観測されない精霊たちによって自然は動かされているのだと考えたことは世界的にも少なからぬ実例がある事です。

 しかし今の人類は科学を手にし、かなり多くの現象を合理的に解析できるようになりました。それは地震のメカニズムであり、太陽系の仕組みであり、遺伝の特性です。多くの学問分野において私たちは事実――少なくとも今現在矛盾なく成立している学説――を発見し、その度に従来のアニミズムを駆逐してきました。

 その過程はまさしく「解体」と言えます。

 精霊や神の怒りによる現象とされてきたものの多くは消え去りました。それでもなお人類は好奇心がために多くの未知を解体し、飽くなき欲望をエンジンに、止まることなくどこまでも突き進みます。

 そしてその最たる例が、私にとっては「月面着陸」です。

 かつては太陽と双璧を為したあの月に、人類はロケットを飛ばし、その地表に踵を付けることに成功しました。夜空に輝くあの月にです。

 時には異界とさえされてきた場所に辿り着いたという事実は、もはや「不可侵領域」と言う概念自体の緩やかな崩壊の契機なのではないかと思います。

 現時点においては不可能とされていることさえも、将来的には十分可能となりうる。

 その事実をどうしようもない程鮮烈に、端的に示してくれた月面着陸。

 ここに私が感じたのが「未知、神秘を蹂躙する人間の欲の力」と言う今作のテーマでした。

 それは自然破壊や神への冒涜とは少しニュアンスが違います。

 あくまでも力そのものの強さに対する感嘆であり、感動です。ですので勘違いしないでほしいのは、最初にも書いた通り私はその力の是非、善悪についてどうこう論じるつもりはありません。「自然を大事にしなさい!科学技術なんて最低だ!」と主張する気も「科学最高!人類すげえ!」とはしゃぐ気もありません。あくまで力そのものに対する所感を作品に取り入れたと思ってください。(とはいえ”蹂躙”と言う単語や物語の終わらせ方から、多少なりともそれを「醜い」と思っていることは容易に想像出来ると思いますが)

 いずれにせよ、私にとって今回のかぐや姫は「人類には届かない奇跡の象徴」ではなく「人類の手に収められるかつての奇跡」であったわけです。そしてそれはちょうど月と言う存在に対する認識の変遷と同じです。かつて神秘と謳われたものさえもいずれはコントローラブルなものになる、ということは否定し得ない事実でしょう。

 これらを頭の片隅に入れたうえでもう一度本編を読んでいただければ、「かぐや姫の求婚を拒む際の台詞」「お爺さんがかぐや姫に強姦を働いた理由」「どうしてかぐや姫が身籠り、意味深な台詞を呟いたのか(その必要性、意味)?」と言ったところがもう少し楽しんでいただけるのかなと思います。


2、竹から生まれないかぐや姫

 かぐや姫は従来竹の節で眠っているところを発見され、それ故なよ竹のかぐや姫と命名されますが、今回のアレンジ版では海辺で見つけられます。さらにかぐや姫は物語の終わり、月には帰らず海へと身投げします。

 これもまたきちんと意味を込めた改変なので、解説したいと思います

 そもそもどうして竹からかぐや姫が発見されるのかと言えば、それは(私の記憶が正しければ)彼女の成長速度の象徴のためです。つまり子供から大人にすくすくと成長していくことを竹が暗示しているわけです。

 ではどうして今回は海なのか。

 当然、これもまたいくつかの暗示を孕んでいるからです。

 そもそも、「月」と「海」はどちらも古来より女性の象徴とされてきました(それが妥当かは今回は論じません)。そして二つには、大きな相違と類似点があります。以下に「月」と「海」が持っているイメージをそれぞれ並べてみましょう。


 「月」…女性(主に純潔)、死・薄命、超自然

 「海」…女性(主に母親)、死、未知の自然


 月は古来より太陽との対の関係上、女性を象徴してきました。さらにギリシア神話において、月を象徴するのはアルテミスという女神であり、彼女は同時に処女貞潔の女神でもあります。また月は一カ月単位の周期を持っているため、女性の月経と結びつけて考えられます。

 死・薄命さと言うのは特に銀月の薄明さから派生したイメージですが、満ち欠けをするところ、最終的には新月となるところからも栄枯盛衰の流れをやはり孕んでいると考えられます。(個人的には「新世紀エヴァンゲリオン」のOP映像にある「銀月をバックに立つ綾波レイ」というカットが一番説明としてしっくりきます。ガンダムのオマージュらしいんですが、見てないので詳しくはわかりません)

 最後の超自然ですが、これは「月の裏側には宇宙人の基地がある」「月とは空に穿たれた異界に繋がる孔である」と言う俗説が持っていたものです。月は最も身近な宇宙を感じさせる天体の一つであり、そこにかつての人間はこの世ならざる何かを見ていたのでしょう。

 次に海ですが、これは大地との対から生まれたイメージです。「母なる大海、父なる大地」と言うのはある程度有名なフレーズでしょう。また生命の起源が水にあることからも、海は大いなる母としての側面を強く持っていると考えられます(とはいえこれは比較的近代的なイメージです。かつて父とは神ゼウスに見られるように空を統べる存在で、空との対から母は大地を象徴し、豊穣を司っていたそうです。ティアマトの知識を中途半端に引用したのが迂闊でした)

 最後の未知の自然と言うのは、特に深海に対して抱かれるイメージです。また人類は海と密接に関わっていながら、その中で生きることは出来ません(このことから海に対して死と言うイメージを持つことも出来ます)。このような事実を考えると、海が未知の自然であることもある程度想像できると思います。

 海と月が上記の事柄を象徴していると考えていただければ、今回のかぐや姫の物語において、序盤からその終わりは暗示されていたと言えます。

 少なくとも、月のかぐや姫が海に落ちた時点で、彼女の行く末はある程度明かされていたわけです。

 これを踏まえたうえで最後の展開を読み返していただけると、いくつか対比が見えてくると思います。また「彼女を包んでいたという膜が何を表しているのか」「どうしてあの日月は紅く染まっていたのか」と言う部分も、この辺りを理解していただけるとスムーズに納得していただけるのではと思います。


3、終わりに

 ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。

 これ以上は細かいものの羅列になってしまうと思ったので、セルフコメンタリーはここまでにしたいと思います。比較的対比にこだわった作品なので、その辺りに意識を向けながら再度読んでいただければと思います。

 忘れないでほしいことは、これら全ては所詮作者個人の独りよがりな意見に過ぎないということです(俗にいう「公式が言ってるだけ」状態)。

 ここに書いてあること(特に前半部分)について私は基本門外漢です。勿論ある程度は知識を持っていますが、間違っていることはいくつもあると思います。気になった点がある方、にわか知識晒しているのが気に食わない方は、遠慮せずに指摘してください。私もこれを機に色々な範囲のことを勉強したいと思っていますので。


 それと特にコメント書くことないよと言う人は、良ろしければ今から出すクイズに答えてください。


 Q、実はこの作品には「かぐや姫」以外にかなり参考にした作品があります(と言うよりその作品を読んだからこの話を考えました)。その作品のタイトルは何でしょうか?


 多分大抵の人は分からないと思いますが「これだろ?」と思う作品があれば書いてみてください。下にヒントを残しておきます。


1、比較的有名な題名である。

2、海外作者の作品である。

3、戯曲形式で書かれた作品である(この作品が戯曲なのもそのため)。

4、舞台は日本人とは基本縁のない場所、時代である。

5、三島由紀夫と縁を持った作品である

6、有名なのはそのショッキングな結末だが、今作とそれに直接の関連性はない。


 以上です。3、5が分かったうえで6を提示されれば簡単ですね。逆にそれがなければほぼ無理ゲーな難易度ですけど。分かった方はかなりすごいと思います。

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家に帰らぬかぐや姫 宮蛍 @ff15

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