教育の質保証とGPA

日本の大学では、ただ単に、GPAを導入したかどうかということが話題になることが多い。

GPAを導入しても、厳密な適用には慎重な姿勢をとっている。


GPAを成績証明書に記載するかどうかとか、アメリカのGPAと互換性があるかとか、他大学と比べて成績評価がインフレになってないかとか、GPAが就職に影響するかどうかとか。あるいは再履修した科目の Grade Point で GPAは再計算されるのかどうかとか。そんなことは実はどうでもよいのだ。


GPAは大学ごとに勝手に決めてよい。GPAなんてのは要するに高校でいうところの評定平均値に過ぎない。そんな、単なる数字上の、高校や大学入試では当たり前のことをいまさら大騒ぎしても何の意味も無い。


今、GPAを導入し活用している大学が日本にたくさんあるのは、私立大学等改革総合支援事業調査票において、


> 成績評価において全学部等でGPA制度を導入するとともに、進級判定、卒業判定、退学勧告のいずれか及び以下のア~ウの基準として用いていますか。

> ア 履修上限単位数

> イ 授業科目履修者に求められる成績水準の設定

> ウ 教員間もしくは授業科目間の成績評価基準の平準化


などという項目が設けられているからだろう。

日本私立学校振興・共済事業団も、私立大学等に経常費補助金を支給する指標として「学習ポートフォリオ、GPAのいずれかを実施している。」などを設けている。

GPA導入の動きは、1998年に出た大学審議会「21 世紀の大学像と今後の改革方策につい て(答申)」と、2008年に出た中央教育審議会「学士課程教育の構築に向けて(答申)」までさかのぼるとされる(国公立大学は文科省から直接指導があるのだろうか。よくわからない)。


GPA とは、学修成果を用いた Probation (進級要件)であり、Advisership (学修指導)であり、Scholarship (奨学金制度、あるいは日本の場合、大学無償化制度もだろうか)なのである。


* GPAを学修指導に用いているかどうか。

* 専従の学修指導員がいて、こまめに呼び出しをかけて、退学勧告したり、仮進級延長願いを書かせたりしてるかどうか。

* 奨学金や無償化制度と成績評価をリンクさせているかどうか。


これらをきちんとやるには大学にそれなりの覚悟と体力がなくてはならない。しかしながら、教育の質保証をほとんど入試制度に頼っている日本の大学が、いきなりまともなGPA制度を実行できるはずがない。

日本の異常な入試制度を修正して、入試業務の弊害や負担を減らしつつ、新たにより多くの人的リソースを投入して、在学中の学修指導を充実させる。それが本質的な、教育質保証の問題であって、そのための道具として GPA が使われるべきなのではないか。


そう、これはおそらく単純に「金」の問題だ。

大学の運営予算をどう使うか。リソース配分の問題なのである。

現在は、補助金対策として、リソースをできるだけかけずに、調査票の項目をクリアすることだけが、現場の教職員に求められている。

アメリカの上位大学はいずれも学費が高い。

だから専従の学修指導員を雇うことができる。教員は事務仕事から解放されて教育と研究に没頭できる。

日本は違う。そんな余計なリソースは無いから、教職員が学修指導員をやらされる。

現場の教職員にできることは限られている。

教育の質保証と言いながら結局は蛸が自分の足を食ってるのと同じで、リソースが増えない限り質は向上しない。むしろ余計な雑用ばかり増えて低下するだろう。


小中高校では教師が担任をやるではないか。大学でもできるだろと言われれば、そりゃ出来ないことはない。ただしアメリカのような手厚い学生サポートをやれと言われても無理だ。アメリカでやってるから日本でもやれといわれても同じようにできるはずがない。アメリカとは事情が何もかも違うからだ。


アメリカのGPA制度がまちまちなのは当然だ。アレは、大学間の自由競争によって自然発生的にできたものだから。私立大学や州立大学がそれぞれ自発的に工夫したらああいうふうになった。

日本のように官僚主導でやれといわれてやったものではない。


ルーブリックにしてもまったく事情は同じだ。ああいうものは「ルーブリック」と呼ばれる前からあった。アレは、主観評価を客観評価に、定性評価を定量評価に変換するための、手の込んだ仕掛けだ。部分点を決めたり、評価基準を明文化して複数人で手分けして採点できるようにしたものだ。

たとえば、マークシート方式の試験なら評価は最初から定量化されているからルーブリックは不要だ。

同様に出席と筆記試験だけで評価する科目にも、ルーブリックは不要だ。当たり前ではないか。

記述式の、レポートや小論文のような試験にルーブリックは使われる。

大学共通入試でマークシートをやめて記述式にするなら当然ルーブリックを使わなくてはならない。民間に委託しても良い。アルバイトの学生を使っても良い。ルーブリックを使いさえすれば、採点者の能力に依存しない定量的評価ができるはず。それがルーブリックというものなのだから。

逆に、小論文の評価を一人の採点者(それは往々にして出題者自身の場合が多いが)に任せるほうが問題だ。客観評価である担保が何も無い(大学の授業で出されるレポートや卒業論文はほぼそのように採点されているのが現状のようだが)。

ルーブリックをまともにやろうと思えば教員のほかに補助員を雇って手分けして採点しなきゃならない。しかしそんな人件費はないから、ルーブリックは絵に描いた餅となって活用されない。そりゃそうだろう。だって補助金をもらうためにやっているのに、その補助金よりも金がかかるんならやらないほうがましに決まってる。


この問題は、国立大学法人や学校法人がなんとかできることだろうか。文科省が旗を振ればよいことだろうか。

いや、日本社会が、日本人自身が、認識を改めない限り改革は不可能なことは明らかではかいか。

大学のランキングは今も入試の難易度で決まっているし、受験勉強には必死になるが、入試を突破すると4年間ろくに勉強しない(そういう大学のほうがいまだに多いのは事実だろう)。企業も大学教育の質保証など当てにせず、単に入試の難易度だけで大学生を選別し、採用してから社内で教育すればよいと思っている。

こんな状況で、現場の教職員に、小手先の補助金対策をやらせていても、効果はまったくないし、現場は疲弊するだけ、文科省主導の支援事業も多くの人的資源を投入して、まったく時間と金の無駄に終わるだろう。


diploma, curriculum, admission policies にしても、こんなものを喧々諤々と議論しているのは日本の大学ばかりだ。ざっとググっても、アメリカの大学ではほとんど文書化すらされていない。いったい誰がこんな和製英語を作り出して、大学教育を翻弄させているのだろうか?

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