第9話 現女王エリザベスは1世か2世か

 君主の名に付く代数、1世とか2世などは、英語では序数詞になっています。King Charles I は King Charles the first であり、「一番目のチャールズ王」と言う意味です。

 問題は、この1番目とか2番目と言うのが、どのような枠内での1番目2番目なのかです。実は国によって違います。


 ナポレオン戦争の時代まで、神聖ローマ帝国と言う虚構の「国」は存在しました。ドイツはウェストファリア条約の結果、諸侯が事実上の独立国になったのですが、皇帝家=ハプスブルク家は、オーストリア大公として領邦君主の性格を保っていました。

 この神聖ローマ帝国は1806年に正式に解体されるのですが、神聖ローマ皇帝フランツ2世はそのまま、オーストリア帝国皇帝フランツ1世として横滑りしました。ハプスブルク=ロートリンゲン王朝自体は継続していたのですが、国家が変わったので、代数がリセットされた、と言うことです。

 つまりオーストリアの場合は、代数の基準は国家だ、と言うことです。


 イングランドの場合は、王位の血統が基準になっています。

 これは非常にややこしい。イングランド王国自体は、ウェセックス王国のアルフレッド大王の時に、イングランド王国に移行したとされていますが、ウェセックス王朝の王家としての血統は、その後、デーン人による侵攻があり、1066年のノルマン人征服でもって、終焉を迎えています。

 簡単に言えば、1066年からのイングランド王国ノルマン王朝は、簒奪王朝であって、ウェセックス王朝との血縁はありません(ただしヘンリー1世王妃のマチルダがアルフレッド大王の子孫であるため、ヘンリー1世の孫のヘンリー2世からは、イングランド王家は再びウェセックス王朝の子孫ではあります)。


 ノルマンコンクエスト以後のイングランド王家は、ノルマン人征服を為したウィリアム1世の直系の子孫になります。従って今日の英王室の歴史と言えば、ウィリアム1世から始められることが多く、ウィリアム1世以前と以後で、君主の代数の断絶(リセット)が見られます。

 そもそもウィリアム1世がイングランド王位を請求したのは、従兄弟であるエドワード懺悔王(ウェセックス王朝の事実上の最後の王です)が、王位を彼にとっては最近者であるウィリアム1世に遺贈すると遺言したと主張したからであり、イングランド王国の歴史にエドワードと言う名前を持つ王が、ウィリアム1世以前にいた、と言うことになります。

 ウィリアム1世の死後、王位は、ウィリアム1世の次男のウィリアム2世、更には同じく三男のヘンリー1世へと伝えられるのですが、ヘンリー1世の没後、紆余曲折を経て、ヘンリー1世の女系の孫であるヘンリー2世が即位します。女系に切り替わっていますので、ヘンリー2世からは父系の姓の異称であるプランタジェネット王朝になります。

 プランタジェネット王朝は、ヘンリー2世(冬のライオン)、リチャード1世(獅子心王)、ジョン(欠地王)、ヘンリー3世、そしてエドワードと続くのですが、ここで出て来たエドワードは、イングランド王エドワード1世です。

 イングランドには先に、エドワード懺悔王がいますが、ウィリアム1世以後は代数を継承していないのです。

 ノルマン王朝からプランタジェネット王朝への王朝の切り替わりには、直系の王族子孫に王位が継承されると言う要点は維持されているので、代数は継承されていますが、同じイングランド王国内の君主であっても、ウェセックス王朝とプランタジェネット王朝は、血統による王位の継続性が担保されていないので、ノルマン王朝の時点で代数がリセットされているのです。


 このノルマン王朝を血統の起源とするイングランド王国は、1707年、アン女王の時代、イングランド王国とスコットランド王国が正式に合邦して、グレートブリテン王国となることで発展的解消を遂げました。

 その時点で別の国家になった、ということですが、実態はイングランド王国の継続、イングランドがスコットランドを呑み込んだ、と言うことです。

 そのため、王の代数は、イングランドの代数が継続して用いられました。しかしながら、アン女王の次代からはハノーヴァー王朝になるのですが、ハノーヴァー王朝では長らくこのことが発覚しませんでした。

 ハノーヴァー王朝はドイツからの移入王朝なのですが、イングランド土産ではないため、歴代王はそれまでイングランド王としては馴染みがなかったジョージを名乗ったので、そもそもジョージ王の過去例が無かったからです。

 ジョージ1世、ジョージ2世、ジョージ3世、ジョージ4世と続き、だいたいその4代で120年近く経過します。

 ジョージ4世の没後、その弟のウィリアム4世が即位するのですが、「イングランド王国からグレートブリテン王国への変化に伴う、君主の代数のリセット」が生じるとすればこのタイミングでした。

 あくまで厳密に法的に言えばウィリアム4世以前にはグレートブリテン王にはウィリアム王はいなかったので、ウィリアム1世となるべき、と言うのが筋論でしたが、当時はイングランド王国=グレートブリテン王国が常識でしたので、イングランドからの代数が継承されてウィリアム4世となるのに何の異論もありませんでした。


 ウィリアム4世とはほぼほぼ同世代の英雄になりますが、かのネルソン提督が、ナポレオン麾下のフランス海軍を破ったトラファルガーの海戦において、


「イングランドは諸君が義務を果たさんことを期待する」


 と檄を飛ばしています。

 当時はグレートブリテン王国であり、英国海軍にはスコットランド人も多かったにもかかわらず、です。今日的なポリティカルコレクトネスから言えばNGですが、素でネルソンが、グレートブリテン王国と言う固有名詞の代わりにイングランドを用いる程度には、イングランド王国=グレートブリテン王国が常識だったのです。


 しかし20世紀にもなるとそんな政治的鈍感さはさすがに通用しません。

 最近の英国首相は自国のことを言う時には the United Kingdom と言うことが多いようですが、サッチャーは Britain と言っていました。Britain ですら北部アイルランドを字義的には含んでいないのですから厳密にはポリコレ的にはNGです。しかし、あの、右翼の女王たるサッチャーですら、20世紀にはさすがに自国を England とは言わないようになっていたわけです。


 1952年にエリザベス2世が即位した時に、スコットランド選出の議員が、「スコットランドには過去にエリザベス女王はいない。そもそもグレートブリテン王国としては初のエリザベス女王なのだから1世を称するべきではないか」と主張して、英王室は何らかのレスポンスを迫られることになりました。

 理屈から言えばその通りなのです。


 法理的にはグレートブリテン王国の「建国」で継続性は切り替わっています。しかしすでにウィリアム4世の事例があります。現実には、イングランドが継続している、イングランドが優遇されているのは誰の目にも明らかです。

 その議員はスコットランドが劣位に置かれている実態をアピールするために、そこを突いたわけです。

 すでにウィリアム4世の事例がありますから、既に120年以上までのかの王をグレートブリテン王としては最初のウィリアム王だからウィリアム1世とする、となすのはいかにも不都合があり過ぎます。


 そこでひねりだした理屈が、


「グレートブリテン王国成立以後の歴代君主の代数は、イングランドとスコットランドの歴代君主のうち代数が多い方を用いる」


 と言うものでした。

 これでソートすれば、スコットランドには過去にはウィリアム王がひとりいますが、ウィリアム4世よりも前にイングランドにはウィリアム王は3人いますので、ウィリアム4世で差し支えないということになります。

 同じくエリザベス2世も、スコットランドには過去にエリザベス女王はいないので、イングランドの処女王エリザベス1世のみを前例として2世と名乗って差し支えないということになります。


 この方法を使うことでグレートブリテン王国成立後の君主の代数は、現実にはイングランドのそれを継承しながらも、スコットランドにも配慮しているかのようにみせかけることが出来るわけです。


 逆に言えば、今後、実態としてのイングランドとの継続性を維持するためには、この方針を打ち出した以上、スコットランドのみに用いられている君主名、スコットランドの方が代数が多い君主名は用いられない、と言うことになります。


 ジェイムス、ロバート、アレキサンダー、マーガレット、デイヴィッド、ケネスなどがそれに相当します。


 危うかったのは王冠を賭けた恋、で知られるエドワード8世です。

 彼は、全名が、エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッドで、即位する前は一般的にはデイヴィッド王子の名前で知られていました。

 即位する際に何を名乗りにするかは君主が自分で選ぶのですが、エリザベス2世は全名はエリザベス・アレクサンドラ・メアリーで、一般にエリザベス王女の名で知られていて、そのまま素直に「エリザベス」を君主の名乗りとして用いています。

 即位前に呼ばれていた名前と君主としての名前が違う例は、英王室では結構あって、エドワード7世は即位前はアルバート王子(皇太子)として知られていて、その母親のヴィクトリア女王は即位前はアレクサンドラ王女の名で通っていました。

 現在のチャールズ皇太子も即位後はジョージ7世を名乗る意向を既に示しています。

 もしエドワード8世が、即位前の通名デイヴィッドを素直に用いて、デイヴィッド1世になっていれば、先述のソート方法は使えないところでした。


 このように君主の代数は、たかが数字ではありますが、国家のアイデンティティに関わってくる場合が結構あります。


 

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