第5話 皇太后/王太后と皇后/王妃

 令和の世になって、美智子様は上皇后陛下となりましたが、これは明仁天皇が生前退位をすると言う特殊な状況に対応した称号であって、本来は皇太后です。

 尤も、今の美智子様も皇太后ではない、と言うことではありません。定義上、皇太后なのですが、今の時点では皇太后を名乗らず、上皇后を名乗ると言うことです。


 皇太后と言うのはですね、先代の皇后のことです。

 現在の天皇の母(養母を含む)のことではありません。

 今の日本の皇室で言えば、徳仁天皇の後、何らかの事情で秋篠宮をとばして悠仁親王が即位したとしましょう。

 その場合の皇太后は、先代の皇后になる雅子様です。

 紀子様は、新天皇の母であっても皇后位についていないので、皇母ではあっても皇太后ではありません。

 太皇太后と言うのは先々代、あるいはそれ以前の代の皇后(存命であれば)のことです。

 先述の状況の場合では、美智子様が太皇太后になります。


 その状況、令和の天皇から直接、悠仁親王に皇位が伝えられたとした場合、そして悠仁天皇にA子様と言う皇后がいた場合、A子様、美智子様、雅子様、紀子様の序列は、その順序通り、つまりA子様が一番高位で、次に美智子様、雅子様、紀子様の順になります。


 皇族に嫁いだ女性配偶者の序列は夫の序列に準じます。

 そして皇室で一番偉いのは常に天皇ですから、天皇の次に位置するのは天皇の配偶者である皇后なのです。

 太皇太后と皇太后では、先任の皇后である太皇太后の方が上になります。

 つまり皇后-太皇太后-皇太后の順になります。


 大正天皇が崩御した時、大正天皇の皇后の貞明皇后は、新天皇となった昭和天皇に対してのみならず、新皇后となった香淳皇后にも即座に臣下の礼をとりました。

 大正天皇の崩御と同時に地位が逆転したわけです。


 貞明皇后、香淳皇后には皇太后であった期間がありますが、皇太后ではなく皇后とおくりなされているのは、皇后の方が格上の称号だからです。

 しかし明治天皇の皇后は昭憲皇太后とおくりなされていますね。

 はっきり言ってこれは手違いです。

 明治以後、日本の皇室の制度は欧州の制度に寄せられていますが、昭憲皇太后におくりなされた時には、「妻よりも母の方が格上だろう」と言う世俗の常識にひきずられてしまったのです。

 後でよくよく制度上、考えてみれば、皇太后よりは皇后の方が格上だ、と言うことになってしまったのですが、もはやその時点では勅命でおくりなされていたためどうにもならなかった、と言うことです。


 ちなみに今現在の皇族の序列を示しておきます。


1.天皇徳仁

2.皇后雅子

3.上皇明仁

4.上皇后美智子

5.愛子内親王

6.秋篠宮文仁親王

7.秋篠宮文仁妃紀子

8.悠仁親王

9.眞子内親王

10.佳子内親王

11.常陸宮正仁親王

12.常陸宮正仁親王妃華子

13.三笠宮崇仁親王妃百合子

14.寛仁親王妃信子

15.彬子女王

16.瑶子女王

17.高円宮憲仁親王妃久子

18.承子女王


 今、ウィキペディアで、ナポレオンの母のレティシアの項目を確認してみましたが、フランス皇太后と記載されていますがこれは誤りです。

 何故だかは分かりますよね?

 レティシアの夫はフランス皇帝ではなかったからです。

 息子のナポレオンが皇帝になったとはいえ、皇后の経験がないのですから、皇太后にはなり得ません。なれるのは皇母です。

 レティシアの場合は、皇母と言う名称は単なる立場の説明ではなく、これはナポレオンから正式に与えられた称号であるので、通常の皇母/王母とは異なりますが、同様の状況では、普通は王母は、立場の説明に過ぎず、称号ではありません。


 ヴィクトリア女王が即位した時に、王太后 Queen Dowager を名乗ったのは、先王ウィリアム4世妃のアデレードで、これは国家の正式な称号で陛下の敬称で呼ばれます。ヴィクトリアの母(ケント公妃)が名乗ったのは王母であって、Queen's Mom, Queen's Mother です。

 アデレード王妃の称号に含まれる Queen は自身の称号ですが、ケント公妃の名称に含まれる Queen はヴィクトリア女王、すなわち娘を指しています。ケント公妃自身は Queen ではなく Queen の経歴も無いからです。

 Queen's Mom ではなく、Queen Mom の場合は、これは現女王の母のエリザベス王太后が、未亡人となってからは名乗っていた名称ですが、「元 Queen であり、現女王の母でもある」と言う二重の意味になっています。


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 さて、この項目でついでに書いておきますが、欧州王侯貴族では原則的には、側室は存在しません。

 側室とは何かといえば、王の卑妻であり、その間に出生する子には継承権が発生する立場の妾のことです。

 妾はいます。

 特にフランスでは公認された宮妾(ロワイヤルコンキュビーニュ)がいます。ルイ14世のモンテスパン夫人、マントノン夫人、ルイ15世のポンパドゥール夫人、デュバリー夫人が有名ですね。

 彼女たちはただの愛人ではなくて、公に認められた愛人です。しかし、間に生まれた子には王位継承権はありません。


 ヨーロッパで側室制度が認められなかったのは、キリスト教の影響が大きいですね。

 古い言い方ですけど、ユダヤ教に端を発する一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を啓典宗教と言います。

 共同体の宗教として発展したユダヤ教、支配者の宗教として成立したイスラム教と比較すれば、キリスト教は、ローマ世界の中でも弱者の宗教、被差別者の宗教として成立し、発展していきました。

 そのため、こう言うと誤解を招くかも知れませんが、教義そのものがわりあい弱者に寄り添ったものになっていて、倫理観も庶民の素朴なものに沿っています。

 学生のうちは非の打ちどころのない正義漢なことを言う人は多いですが、社会人になると現実とのはざまでそうそう勇ましいことは言えなくなりますよね。

 それになぞらえて言うならば、キリスト教は学生の宗教なんです。

 青臭いんです。

 

「え? 不倫? 駄目じゃん」


 で即決するんです。

 実際にはそうは言っても人間のことだから、ある程度幅がないと現実にはそぐわなくなりますね、っていう大人の知恵を排除しがちなんです。


 庶子に生まれて、王位や爵位を継承した例は、ヨーロッパでは本当に少ないです。まったく無いわけではないのですが、本当に数えるくらいしかありません。

 有力者の庶子に生まれて、貴族の身分を与えられた例は多いですよ。

 フェリペ2世期のスペイン軍を担ったドン・フアン・デ・アウストリアは、皇帝カール5世の庶子です。

 イギリス王のチャールズ2世には嫡出子はいませんでしたが、愛人との間の子はしこたまいて、それぞれの愛人の長男はだいたい公爵になっています。

 ただしそれらは「継承した」わけではないのですね。

 ナーロッパに側室制度を導入するのであれば、相続権や継承権はどうなっているのか、よくよくつめたほうがいいと思います。


 日本でも、側室制度はあっても継承権は、弟であっても本妻の子の方が優先するのが普通ですね。

 伊達政宗の子なんかそうでしょう?

 織田信秀の子もそうですね。


 

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