第11話 貴族の姓、爵位に伴う固有名詞
ちょうど良い言い方がなかなか無いので、爵位に伴う固有名詞を爵添名と呼ぶことにします。
モールバラ公爵家のモールバラとか、スペンサー伯爵家のスペンサーがそうです。
この爵添名、とりあえず姓とそれ以外に分けるとして、それ以外が領地名かと言えばそうとも言い切れない。地名かと言えばそうとも言い切れない。
国によって違うのは勿論ですが、一国の中でも基準がまちまちなことが多くて、なかなかややこしいです。
まあ、基本は姓か領地名です。領地名でなくとも、少なくとも地名です。
ただですね、ドイツの名族の場合は、姓がそもそも領地名が転化したものであったりして、なかなかカオスです。
ハプスブルク、ホーエンツォレルン、元は地名です。元々の姓が何なのかははっきりしません。
イギリスの場合は…。
基本的には、姓か地名(領地名)かのいずれかだと思ってください。
ただ非常にややこしいケースもあります。
同名の爵位であっても、断絶すれば別の家系に同名の爵位が与えられることがあります。
例えばバッキンガム公爵位は4期に及んで創設されていますね。
第1期はスタフォード家。この家の2代目バッキンガム公爵が、シェイクスピアの戯曲『リチャード3世』に登場するバッキンガム公です。
第2期はヴィリアーズ家。この家の初代バッキンガム公爵は、『三銃士』でフランス王妃と密通する人物として描かれています。
第3期はシェフィールド家。
第4期はグレンヴィル家。
すべて断絶しています。
ちなみに、バッキンガムはバッキンガムシャー州の中核都市で、バッキンガム公爵位の爵添名はその都市に由来しています。シェフィールド家がバッキンガム公爵であった頃に、ロンドンで大豪邸を建てました。それがバッキンガム宮殿です。ヴィクトリア女王以後、君主の本宅となっています。
で、同じく薔薇戦争の頃にサマセット公爵と言う人がいました。この家の姓はボーフォート家です。3代目のサマセット公爵に、チャールズと言う庶子がいたんですが、庶子なんでボーフォートの姓を名乗れずにお父ちゃんの爵添名であるサマセットを姓にしました。チャールズ・サマセットですね。
で、サマセット公爵家自体は、嫡出子がいなかったので断絶しました。
で、チャールズ・サマセットの子孫が、後に功績を上げて、公爵位を得ました。
その公爵位がボーフォート公爵位なんです。
つまりサマセット公爵ボーフォート家だったのが、紆余曲折の果てに、ボーフォート公爵サマセット家になったわけです。
更に気が狂いそうにややこしいのが、サマセット公爵位自体は、また再創設されて、シーモア家にサマセット公位が与えられているんです。
ボーフォート公爵サマセット家とサマセット公爵シーモア家は現在も続いています。
「サマセット」の歴史は特別ややこしいのですが、このように、爵添名で用いられる地名と姓は、相互に取り換えられることが結構あるんだよ、と言うことを踏まえておいてください。
もうひとつややこしい例として挙げられるのは、モールバラ公爵家の「チャーチル」と「スペンサー」の果てしない絡まり具合です。
初代モールバラ公爵はアン女王の寵臣ジョン・チャーチルです。
彼と彼の妻、サラ・ジェニングスは、アン女王がまだ一介の王女で孤立無援だった時からアンを支え、名誉革命を主導した大英雄です。
軍人としてもスペイン継承戦争を指揮し、フランスの太陽王ルイ14世を敵に回して、イギリスを勝利に導きました。
アン女王の側近中の側近だったのですが、あんまりにおねだりが激しかったので、後に女王から夫婦ともども絶交されています。
一介の弁護士の家系であるチャーチル家から出て、一代で公爵まで上り詰めた人ですが、毀誉褒貶はあっても国家的英雄ではあったわけです。
つまり国家としては、この人の家系を断絶させたくなかったのです。
しかしジョン・チャーチルには、娘しかいませんでした。息子もいたんですが、早くに亡くなっています。
貴族の爵位は普通は初代の男系男子しか継承できませんので、モールバラ公爵位を与える時に、既にジョン・チャーチルには娘しかいなかったので、次代で自動的に断絶することになります。
そこで仕方なく、この家に限って、女系継承、女子継承もあり、と言うことにしました。
ジョン・チャーチルは初代です。
2代目は次女のハリエットが継承しました。
3代目はジョン・チャーチルの三女の息子のチャールズが継承しました。
この3代はみんな姓が違うんですね。
初代はチャーチルです。
2代目は結婚してゴドルフィンになっています。
3代目は初代の外孫ですから当然、姓が違っていてスペンサーです。
スペンサー家は、元々、サンダーランド伯爵家なんですね。第5代サンダーランド伯爵チャールズ・スペンサーが、モールバラ公爵位を継承したため、今現在は、サンダーランド伯爵位は、モールバラ公爵位の従属爵位となっていて、その嫡男が儀礼称号として名乗ることになっています。
3代目のチャールズ・スペンサーには弟がいて、この弟の家系が後にスペンサー伯爵家になっています。
モールバラ公爵家は、3代目以後は、スペンサー家なんです。スペンサー伯爵家と本来、同姓なんですね。同じ一族ですから。
モールバラ公爵家は3代目の長男が4代目になるのですが、4代目には長男ジョージと次男フランシス、2人の息子がいました。家督は長男が継ぐのですが、次男フランシスも政治家として功績を上げたため、男爵に叙されています。
この男爵位の爵添名が、モールバラ公爵家初代を記念して「チャーチル」なんです。チャーチル男爵スペンサー家の誕生です。この家系は今も続いています。
チャーチル男爵家の「チャーチル」はこれは何なんだと言う話です。
姓ではない。同家の姓はスペンサーです。かと言って地名でもない。3代前の母系の祖先の姓です。これは非常に珍しい例ですね。
5代モールバラ公爵には先代の長男ジョージが就任しました。
弟がチャーチル男爵になったのに刺激されたのか、この人の代から姓をスペンサーから、スペンサー=チャーチルと言う二重姓に変更しています。
以後、モールバラ公爵家の姓はスペンサー=チャーチルです。
ただし、本来の姓はあくまで男系の姓であるスペンサーです。しかし「チャーチル」の方が圧倒的に訴求力が強いわけです。みんな教科書で大英雄ジョン・チャーチルのことは学びますから。
スペンサー家はもともと羊飼いから立身した家系です。
モールバラ公爵家の人たちも、うちの祖先は羊飼いで、と言うよりは、うちの祖先は大英雄のかのジョン・チャーチルで、と言いたかったんでしょう。
19世紀末に保守党の政治家として大蔵大臣を務めたランドルフ・スペンサー=チャーチルは、7代モールバラ公爵の三男です。
公爵家の三男ですから、Lord の敬称称号を持ち、ランドルフ卿(Lord Randolph)と呼ばれました。
このランドルフ卿の息子が、第2次大戦でイギリスを率いた救国の英雄、ウィンストン・スペンサー=チャーチルです。
ちなみに「ウィンストン」と言うのは、チャーチル家の伝統名で、ジョン・チャーチルの父親の名前です。
この人は一般的に、チャーチル、として知られています。今となっては、チャーチルと言えば初代モールバラ公爵ではなく、彼を指すことが多いでしょうね。
しかし、分かりますね?
本来の姓はスペンサー=チャーチルです。
スペンサーとチャーチル、どちらかを省略するのであれば、本来の姓はスペンサーなので、チャーチルが省略されるべきなんです。
本当ならば、彼は、ウィンストン・スペンサーとして知られるべきなんですが、そもそも当人からして、チャーチルを名乗っています。
そこは、政治家、ですよね。
チャーチルと言う固有名詞は、みんな教科書で勉強するわけです。名誉革命の記述では必ず、ジョン・チャーチルが出てきますから。
ウィンストン・スペンサーよりも、ウィンストン・チャーチルの方が圧倒的に記憶に残りやすい。
さてこの家系には、姓と領地名として以下の固有名詞が出ています。
モールバラ公爵チャーチル家
サンダーランド伯爵スペンサー家
モールバラ公爵スペンサー家
スペンサー伯爵スペンサー家
チャーチル男爵スペンサー家
モールバラ公爵スペンサー=チャーチル家
モールバラ公爵チャーチル家以外すべて、現存しています。実は既に断絶していますが、チャーチル子爵スペンサー家と言うのもありました。
ウィンストン・スペンサー=チャーチルは引退に際して、エリザべス2世女王から、ロンドン公爵の叙爵を打診されていますが、断っています。もし受けていればこれに更に、
ロンドン公爵スペンサー=チャーチル家
が加わるところでした。
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