第3話 すべての道はローマに通ず
称号は歴史的に形成されてきたもの、と言いました。
歴史的ですから、言ってしまえばいきあたりばったりで、生物の身体が歴史的に進化によって形成されるため、機能的にはパーフェクトな形態ではなくて、既にあるものをああでもないこうでもないと間に合わせで何とかしているように、称号でも似たような感じが見られます。
西洋史の土台はローマ帝国ですから、基本的には、欧州の称号はローマに端を発している、つまりローマと言う固有名詞性を帯びているんだということです。
少し迂回しましょうか。
ローマはロムルスが建国した都市国家に端を発しますが、この建国の母体となった人たちはいったいどういう人たちなんでしょう。
まあ、この辺は伝説なんですけど、ロムルスが建国した当初はローマは女が著しく不足していて近隣のサビニ人の女たちを略奪して妻にした、女を略奪されたサビニ人は怒って、ローマと戦争になったのだけど、夫と父の戦いの間に当の女たちが割って入って、和睦がなって、サビニ人はローマ人に吸収されて、ローマはようやく性比が安定した、と言う話があります。
普通の民族集団ならばこういうことはあり得ないんですよ。
だから原始ローマ人の母胎は、民族集団ではない、たぶん傭兵集団のようなものだったということが推測できます。
ローマはその最初から、非民族的で、文明的な集団だった、と言うことになります。
このローマは当初は王政でしたが、まあ王政期は、限りなく伝説です。歴史として登場した時には共和制です。
共和制と言っても、貴族が合議で国家を運営する寡頭共和制ですね。
この寡頭共和制はヨーロッパの歴史ではしばしばみられます。民主主義の典型例のように言われるギリシャのポリスもそもそもは寡頭共和制です。
1776年のアメリカ独立革命を経て成立したアメリカ合衆国ですが、その時点で、アメリカが国制の参考に出来た共和国は、欧州には3つの共和国がありました。
オランダとヴェネツィアとスイスです。
オランダとヴェネツィアは貴族制度のある寡頭共和制です。
スイスは直接民主制の連邦制国家です。
アメリカの参考にはなりませんでした。代議制度のある非貴族制の近代議会制民主主義国家としては実はアメリカは世界最古なのです。ただしイギリスでは既にハノーヴァー王朝の下で責任内閣制が成立していましたから、イギリスの制度を模している点も多々あります。
そこは話が本題から外れますので触れませんけども。
で、ローマの話ですが、ローマは本来、寡頭制共和国なんだ、つまり元老院が統治する国なのだと言う話なんですが、後世ではローマ帝国と言いますよね。
一般にはアウグストゥスが初代皇帝とされていますが、スエトニウスの「皇帝列伝」ではカエサルから始めています。
カエサルにしろ、アウグストゥスにしろ、いついつの時点で皇帝に即位した、とは言えないのですね。彼らがやったことは、独裁権力の確立であって、外形的には共和制を維持しながら、彼らが作り出した地位が後に、皇帝、になっていったということであり、皇帝とはそもそもは、ローマの最高権力者を意味する固有名詞どころではなく、カエサルとアウグストゥスを指す、厳然たる固有名詞なのです。
欧州語の皇帝を意味する単語は基本的には「カエサル系」(カイザー、カイゼル、セサル、セザール、チェーザレ、ツァーリ、ツァー)と「インペラトール系」(アンペルール、エンペラー、インペラトーリ)に分かれますが、カエサルが文字通りの固有名詞であることはお判りだと思いますが、インペラトールもこれは最高軍事司令官の意味であって、アウグストゥスを代表する公職であり、共和政期にもファビウス・マクシムスなどが就任しています。
つまり皇帝とはローマ皇帝のことであり、ローマ皇帝とはカエサル家の当主のことであり(アウグストゥスはカエサルの養子です)、従って欧州史にあって皇帝は、基本はローマ皇帝しかいない、ローマが東西にわかれてからは、二人しか皇帝はいない、ということになります。
あくまで主張の話として、史実の実際がそうだというわけじゃなくて、西ローマ帝国皇帝位はフランク王国を経て神聖ローマ帝国皇帝に引き継がれました。東ローマ帝国皇帝位はビザンチン帝国を経てロシア帝国に引き継がれました。
まあ、実際はともかく彼らはそう主張していたわけです。
ナポレオンが「フランス人の皇帝」に即位した時に初めて、皇帝と言う単語がローマから切り離されて、一般名詞化したのです。
皇帝は多民族国家の君主であり、王は民族の首長で、皇帝は王よりも上だ、と言う論がありますが、これは誤解です。
皇帝がローマ皇帝の意味ならば、ローマは多民族国家だったので、多民族性がなくはない、とは言えますが、神聖ローマ帝国皇帝はそもそも「ドイツ人の皇帝」であったわけですし、ナポレオンなんかは「フランス人の皇帝」とわざわざ民族性を限定しています。
皇帝と王に上も下もありません。
ただですね。
ただ、ここでキリスト教が出てきます。
忘れちゃいけないのは、キリスト教はローマ帝国の領土で発生した宗教であって、コンスタンティヌス大帝以後はキリスト教会とローマ皇帝権力は結託していたと言うことです。
ローマ教皇が本来はローマ司教であるように、本来はローマ教皇は、ローマ地区の教会の責任者に過ぎず、皇帝との関係は、教会側が保護される立場であったのですが、西ローマ帝国、滅んだでしょう?
保護者がいなくなって非常に困ったわけです、ローマ司教は。
最初の頃はビザンティン帝国に保護を求めていましたが、なにしろイタリアまでは手が回らない。そうこうするうちにゲルマン人がどんどん侵入してくる。しょうがないのでローマ教皇になって神の代理人と言うフィクションを作り上げて、自立せざるを得ず、「コンスタンティヌス帝の寄進状」なんていう偽文書も作って、教皇領を作り上げたんですが、ゲルマン人の脅威には対抗しきれない。
そこでフランク王を西ローマ皇帝にして、教会が聖別したわけです。
そんでもって俺っちを守ってくれよ、皇帝さんよ、ということです。
皇帝の聖別性、王に対する優越と言う虚構はこれに端を発するのです。キリスト教の必要から生じたことです。
フランク王国の域外の王様たちにとっちゃ知ったこっちゃありません。
ヴィクトリア女王の長男はエドワード7世ですよね、っていきなり19世紀にとびますが。
エドワード7世は、アレクサンドラと言う美人の奥さんをデンマーク王室から貰います。そうですね、王女とか女王とかは、地位のせいか、美人だって言われやすいんですが、欧州王侯のうち正真正銘の美人を三人上げるなら、例のエリーザベト皇后とダイアナ妃と、このアレクサンドラ王妃(デンマーク王族としてはアレクサンドラ王女)になるかと思います。この3人は美貌と言う点では桁が違います。
ただ、チャールズ皇太子もそうなんですが、美人の奥さんを貰っても大人しくできない殿方ってのはいるんですよね。ある意味、容姿だけで女性を見ていないと言う点ではフェミニストなのかも知れませんけどね、エドワード7世もそうで、アレクサンドラ王妃は夫の浮気に悩まされ続けました。
この人が悩まされたのは婚家の人間関係もそうで、エドワードの弟にアルフレッドと言う人がいて、このアルフレッドは、お父さんの家系を継いでザクセン・コーブルク・ゴータ公(君主です)になっています。この人の妻のマリアが、ロシア皇帝クサンデル2世の娘、つまりはロシア大公女(皇女)になります。
で、イギリス王室の儀式で、この次男の嫁が、
「あたしゃ皇女なのよ? なんでデンマーク王女ふぜいの下につかないといけないのさ?」
と皇太子妃であったアレクサンドラに真っ向から喧嘩を売ります。
結局、ヴィクトリア女王が裁定して、
「皇帝が上だとか、そんなの英国では関係ありませんし」
と決めました。現在の外交儀礼(プロトコル)は英国式を基準にしていますから、天皇が国王よりも上の席次だなんてことは上記のことから言ってもあり得ないわけです。
ただね。
ヴィクトリア女王は、フランス皇帝ナポレオン3世とは家族ぐるみのつきあいをしていて、仲が良かったんですね。
で、長女の嫁ぎ先はドイツ皇帝になっている。
皇帝や女帝の称号がうらやましくて仕方が無かった。
ディズレーリが、インド帝国をこしらえてインド女帝の称号をプレゼントすると、すっかりディズレーリびいきになりました。
ナーロッパの話で言えばですね、皇帝を持ち出すのであれば、それはむしろ、多民族国家的であり、諸侯の力が強く、コントロールが難しい政治状況が、暗示されているんだと言うことですね。
あんまり群雄割拠的な状況を望まないのであれば、素直に王国にしておいた方が無難です。
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