『この日々/連続に名前はない』

 田畑の緑が色濃く映えるのどかな住宅地。厳しい夏を乗り越え、やや項垂れ気味のひまわりが絵になる哀調を醸し出す中、陽と千影は歩いていました。

 吹く風はいくらか秋めいた涼気を含んでいて、油蝉に勝るつくつく法師ぼうしの鳴き声がじき来る夏の終わりを告げているようでした。

 陽は千影の方を見ました。

 襟と前立て、袖にフリルをあしらった白いドレスシャツに、膝丈の黒いタックスカート。普段の彼女を知る者からすれば、随分とクラシカルロリィタ魂を抑えた装いです。憂いを帯びたその横顔に、陽はわざと冗談っぽい声を作って、

「夏バテか?」

 と尋ねました。

 千影が、陽に顔を向けます。薄く笑って、けれどそれだけでは誤魔化し切れないと悟ったのでしょう。歩調を緩めました。なので、陽もそれに倣うことに致します。


 最近よく夢を見るのです──と千影は切り出しました。


「夢?」

「はい。幼かった頃のわたくしが出て来る夢です。ただ──どうにも視点がおかしいのです。夢の中で、私は小さい頃の私と遊んでいるのです」

 陽は、答えに窮します。今現在の自分が幼き日の自分と戯れている──そんなシチュエーションだって、夢の中ならば断然アリでしょう。とはいえ、千影の様子を見ていると、そんな一般論で片付けてしまうのは、どうにも軽率である気が致します。

「千暁だったんじゃないか、それ?」

「私も最初はそう思いました。ですが、それにしては目線の高さが違い過ぎる気がして」

 姉と弟にしては、大人と子どもほどの身長差がある気がして。

 千影が不安げであると同時にどこか申し訳なさそうなのは、やはり気付いているからでしょう。

 それは、夢でしかない。客観的事実に基づく記録でもなければ、おぼろげな記憶とも言い難い。自身のパートナーにそれが不安の種であると共感してもらえない、所詮夢は夢だと一蹴されてしまうやもしれない恐怖。


「僕にも──あったよ」


「え?」

 足を止めた千影に合わせて、陽もまた歩みを止めます。

「夢だったり、外をぶらついてるとき何気なく目に入ったものだったり、視え始めた頃って、何でも意味深に感じちゃうんだよな。これが、これから自分の身に降りかかる"何か"を表してるんじゃないかって。まあ、怖いのはホントにそれが正夢っていうか、僕らの場合マジで何かのサインだってことがあり得るってことなんだけど──まあいずれにせよだ」

 陽は、千影の手を握りました。


「どっちみち僕がついてる」


 千影は伏し目がちに、けれども口元には確かな笑みを滲ませて、

「──はい」

 こくりと頷きます。

 互いの指を絡ませ合い、所謂恋人繋ぎの果て、見つめ合う二人。そんないつか見上げた太陽と月のような男女を生暖かく見守る視線が二対──。

「まーた秒で二人の世界作ってるよ」

「その点に関しては、もはや屋敷神要らずだな」

「なぁんか巧いこと言ってっしー」

 陽と千影の五メートルほど前を行く、王子と白狐でございます。

 メルヒェンの世界から飛び出して来たかのような馴染みの衣装である王子に対し、彼の肩にちょこんと腰掛ける狐は、額縁入りのフラワーバスケットがプリントされたTシャツに、グレーのフレアスカート。大凡アクロバットを決めるには不向きな厚底のトゥシューズを履いております。

 なっちゃん夏服バージョン。──美少女フィギュア界隈で些か幅を利かせ過ぎではないでしょうか。なっちゃん。こうなると原作がちょっと気になってきました。

「ところで王子ちゃん」

「意味もなく余の耳たぶを弄るのは止せ」

「ないことないよ。ほっとするから弄ってんだよ」

「──何だ?」

「陽ちゃんと千影ちゃんのこと、前ほど父上母上って呼ばなくなったね」

「それは──二人の進展を急いているふうに、受け取られかねないからな」

 陽だけならともかく千影にも声が届くようになった今、受け取り方は変わってくるわけで。

「メッチャ気ぃ遣うじゃん。妖怪のクセに」

「そういう君はあまり父上の肩に乗らなくなった」

「──耳たぶコレが気に入っただけだし」

左様さよか」

 束の間の沈黙──王子と狐は目線を合わせて、こつんと互いの拳をぶつけ合いました。何やら共感を抱く部分があったようです。


 さて、何故彼らは何喰わぬ顔で外を出歩けているのでしょう。狐が狸の縄張シマで自由に行動できないという設定を作者は忘れてしまったのでしょうか。

 屋敷神の一件以降、どういうわけか王子と狐の行動範囲に(少なくとも陽と千影の認識できる範囲で)制限がなくなりました。原因は王子にも説明がつかないようで、恐らくは屋敷神の件が関わっているのだろうが、はっきり言って詳細はわからん──とのことでした。

 それはジジイも例外ではなく(厠神として流石にそれは不味くないかというツッコミはさておき)、トイレを留守にすることが増えました。この前など、脈絡なく行方を晦ませたかと思うや、一週間後ハイビスカスの首飾りにアロハシャツ姿、ウクレレを片手に廊下をふよふよしておりました(その後、如何様な術を用いたのかトイレの壁紙を勝手にハワイアンブルーに塗り替えたことで、陽とガチ揉めするのですがその話はまた追々)。

 これまで同様ヒトの立場にある者が、彼の声を拝聴することは不可能になってしまいましたが──どうにもスーパーエイジャーじみた自由を謳歌しているようです。

 とはいえ、いつまで続くかわからないこの鬼神フリーダム空間。明日には突然。否、もしかしたら今日出歩いている最中にでも、容赦なくシャットダウンされてしまうやもしれません。


 ──それって超怖くないか? 今日出られた外に明日は出られないかもしれないんだろ。

 これは、陽と狐と王子が、鬼神の置かれた現状について語る記憶の断片。

 ──そっかなー。陽ちゃんだって、一秒後何に見舞われるかわからないって意味じゃ似たようなもんじゃない?

 ──父上は、姉上の術式と我らによって有害な鬼神からは護られている。が、それ以外の脅威に対しては無防備に過ぎない。普通の人間と何ら変わらぬということだ。

 ──そーそー。明日陽ちゃんが家を出た矢先、雷に打たれてポックリ〜みたいな可能性だって絶対なくはないでしょ? だから、あたしたちの状況にそんな大差ってないよ。お互いに偶然の連続で今を生きてる。

 ──いつの世も、人間はすぐ訪れる未来に目を向けがちだ。これを観れば楽しい気分になれるかもしれない。これを食せば幸せな心地に浸れるかもしれない。"今"よりも"期待"に目を向けて生きている。だからこそ、時に選択を誤るし、誤りだと解っている選択を繰り返すこともある。未来に重きを置くことを一概に悪と呼ぶつもりはないが、直近のそれに思いを馳せるあまり、今を楽しめないのでは本末転倒だろう。


 それは、目から鱗と呼ぶほどの言葉ではなかったかもしれません。


 事実、陽は似たような話をトリとのやりとりの中で耳にした憶えがあります。が、王子と狐の言語化された価値観に触れて、彼は改めてこう思ったのです。

 ──どしたの陽ちゃん。きょとんとして。

 ──いや、やっぱお前らってヒトじゃないんだなーって。

 王子と狐は顔を見合わせたあと、半ば呆れたような表情でこう口を揃えました。

 ──何を今さら。


「名前を考えているのです」

 千影のいつくしむような眼差しの先には、王子と狐のせながあります。

「アイツらの?」

「はい。もちろんお二方が命名を良しとするのであればの話ですが」

「そこらへんは平気なんじゃないか? 最近のジジイとかもうトイレの神様っぷり皆無だろ」

 

 思えば、真のオバケとは案外そういう連中なのかもしれません。


 都市化に伴い自然が破壊されたことで住処を失った魑魅魍魎。そんな型にハマったオバケ像を創作界隈では時折目に致しますが──はたして彼らはそれほどに軟弱なのでしょうか。

 僅かの暗がりさえ許さない、眠ることを忘れたコンクリートジャングル。そんな中でものうのうと活きていける、いとも容易く順応してこそ真のオバケと言えるのではないでしょうか。

 明日太陽がなくなって、光合成が停止した末、地球上のあらゆる生物が酸素不足に悶え苦しむハメになったとしても、きっと彼らだけは。変幻自在がモットーの彼らだけは、我が物顔でそこにいるのです。

「名前、候補でもあるのか?」

「王子さまはカガリ、狐さまはダッキです」

「──『封神演義』?」

「いえ、荼枳尼天だきにてんです」

 陽は、しばし黒瞳こくとうを斜め上にやったあと、

「なるほど」

 と口にしました。言わずもがなノリで返しただけでございます。一応補足しておきますと、まあ確かに白狐には乗っております。

「カガリってのは?」

篝火花かがりびばな──シクラメンが由来です。シクラメンはその形から篝火花という和名を持つ一方で、仏蘭西フランス語由来では豚の饅頭と呼ばれているのです」

「──随分印象が違うな。同じ花なのに」


「ええ、同じ花であるにもかかわらず、大きく異なる二つの顔を持っている──まさに妖怪と王子の顔を兼ね備えた蜮さまに、相応しいお名前ではないかと」


 珍しく童女のように弾んだ瞳を見るに、千影の中では会心の出来なのでしょう。事実、巧いことは言っています。ただ、それ王子がプロセスを知ったらそこそこ傷付くんじゃないか──なんて思いつつ、陽は。


「いいんじゃないか」


 ベタ甘でした。あまつさえ微笑まで添付しておりました。その辺りは、バレたとしても王子は懐が広いので。多分。

 それにしても、一緒に暮らす誰かに名前をつけるだなんて──。


「何か予行練習っぽいよな。将来の」


 千影が──目を皿のように丸くします。噫、自分も似たような顔をしているのだろうなと、陽は他人事みたいに思います。

 ついまろび出た本音の欠片。内容が内容だけにスマン今のは聞かなかったことに──と頭を下げるのもおかしな話です。

「あー、今のはだな」

 トリならば持ち前の語彙で、こんなシーンもスマートに切り抜けるのでしょうか。自前の言葉の引き出しを片っ端から開けて、わたわたする陽を他所に、千影は徐に眉根を寄せて──。

 心底わからんと言わんばかりに首を傾げました。

「な──」

 今のが、通じなかったというのか?


 思ったより──鈍い女子おなごです。


 つまり、肚をくくれと。鈍い女子でもわかるように、もっとストレートに表現せよと。

 そういうことかと、息を呑んだ陽の耳に届いたのは。

 鈴の音を聞いているような心地になる、あの笑い声。

「申し訳ありません。つい──」

 口元に手を添えて、ころころ笑う千影を前に、陽は肩の力を抜きました。深呼吸を一度だけ、全身の不要な強張りが薄れたところで、彼女の手を握り直します。

 千影──と名前を呼びました。その真剣な声色に、千影は笑いをおさめると、はい──と言って、彼の目を見つめ返します。


「そういう大事なことは、もっといい場所で、もっとふさわしいタイミングで言うから。だから、待っててほしい。ただ、これだけは約束する。絶対に──君を待ちぼうけにはさせない」


 あんな陰鬱な世界でたった独り、もう二度と黒い涙の海なんて作らせたりはしないから。

 たとえ君がそっちに傾くことがあっても、僕が意地でもお花畑に引っぱって行くから。


 何度だって、世界を塗り替えてやるから。


 千影は、目を伏せました。頬を幽かに紅潮させて、上目遣いに陽を見るや、笑みを零して。


「楽しみにしてますね」


 そう応えて、目尻を拭いました。瞳が、潤んで輝きました。

 陽は、ぐいと手を引っ張られます。どういうわけか──否、そういう気分だったのでしょう。それ以上の理由など必要でしょうか。


 千影が、彼の手を引いて駆け出したのです。


 陽は、彼女の足許を見ました。かけっこには決して向かない、狐のそれとよく似た厚底のトゥシューズ。転んだら危ないぞ──とテンプレオカンみたいな台詞が口を突きます。千影が、肩越しに振り向いて。


 陽は、言葉を失いました。


 いや、全く以て惚気もいいとこなのですが。千影の──良い意味で彼女らしからぬ朗らかな笑みが、あまりにも眩しくて、底抜けに愛おしくて。胸も声帯も締め付けられるような想いで溢れたからです。

 少しだけ、走る足幅を広げました。千影と肩を並べました。


 なあ、千暁。お前の言ってた救いようのない事態。ホントは、何となくだけど察しがついているんだ。

 僕は──僕たちは、特別なんかじゃなかった。

 遅かれ早かれ、人は皆こっち側に来るんだ。アイツらが視えるようになるんだろ?

 僕は、そのとき混乱するだろう人たちのために、孤独に苛まれるだろう人たちのために何ができるかを真面目に考えてみようと思う。

 鬼神の抹消を目的とする君と、できることなら鬼神と共生していきたいと思ってる僕。

 立場上、頼っていい間柄ではないのかもしれないけど、千暁さえ良ければ色々教えてほしい。

 それが千影やトリ、これまで出会って来た人たちとこれから出会う人たちを護ることに繋がるのであれば。

 必要ならば、姉ちゃんからも学びたいと思ってる。いや、そこは必要ならばの話だから。

 結局、姉ちゃんの恩恵を受けた世界で育った僕は、千暁が普段身を置いてる殺伐とした世界を知らないんだけど、それでも──。

 鬼神と人間。オバケと僕ら。


 お互いが "時々"イジりあえるくらいの丁度いい関係をつくれたらなって思ってる。


 まあ──ウチは時々どころかガッツリなんだけどさ。

 皆が皆視えるようになって、そうやって世界は変わってゆく。

 そうしたら、この症状の進行を止めようと奮起する人だって現れるかもしれない。

 そのとき、僕はどうするだろう。どういう立場をとればいいだろう。いつか──僕が誰かの倒すべき敵になってしまう日が来るんだろうか。

 ただ一つわかってることは、今コイツらと過ごす日々が決して悪くないってこと。

 ありのままを受け止めるしかない。


 "今"を楽しむしかないんだよ。


「いつ行けなくなっちゃうかわかんないんだしさー、皆で旅行行きたいよねー」

「もの悲しい前置きで情に訴えてくるの止めれ。えー付いてくんのオマエら?」

「お言葉だが、我らを同行させた方が身のためだぞ。お二人が何の警護もなしに揃って出歩こうものなら、その度鬼神を二三は連れ帰るはめになる」

「連れ帰る──陽さま、一つご提案が」

「──どうした?」

「私、京都の二条公園に是非とも行ってみたいのですが」

「わかるぞ。そういうのに疎い僕でも、君がとんでもないことを考えてるのはわかるぞ」

「いいじゃんかー。二人で行ったって、どーせホテルでエッチしてばっかでしょー」

「なあ、お前設定忘れてるだろ。千影、聞こえてるからな? 僕にしか聞こえてないわけじゃないからな?」

「あっ、そーだった。いやー、未だに千影ちゃんにも聞こえてるってことに慣れてなくてさー。うんうん、千影ちゃんにもフツーに聞こえる。──ねぇ、今日のパンツ何色?」

「いや、設定思い出した途端、なぁに言い出してんだこの神使は」

「狐さま。少しお耳を拝借しても?」

「え、何々? えっ、ええっ、わーおぅ」

「なあ、何だよそのリアクション。えっ、何? な、何を履いてんの僕の彼女?」

「すべて世はこともなし。全く大平たいへいであることよなぁ」

 どう足掻いたって、ツラいこと尽くしの日々にはなりようがないんだからさ。

(了)

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僕と千影と時々オバケ 姫乃 只紫 @murasakikohaku75

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