『いつか余は父上と母上を護るために』

 ある日のことです。王子が目を覚ますと、彼の躰は元通りになっていました。古代中国のあやかし然とした三本脚のそれではなく、ハイブランドのスーツに身を飾った若手社長然としたそれでもなく──。まるでメルヒェンの世界からやって来たかのような、勝手知ったる王子のそれでした。

 跳ね起きました。失ったはずの五体が意のままに動いていました。

 大地には花がひしめいていて、空からは咲いたままの容姿を誇ったそれがしずしずと降り注いで降ります。

 ふと傍らを見れば、フェザー柄のスーツをまとった男が一人。こちらを見下ろすは、水槽に佇む鳥の頭蓋。


「極楽浄土に来た──というわけでもなさそうだ」


 そう自らに言い聞かせるように呟きながら、王子は立ち上がります。その間も決して男から目を離しません。ただ、不思議と彼の経験則がそれ以上の警鐘けいしょうを鳴らすことはありませんでした。自身の胸に手を当てて、その内にある"彼ら"の動向を探って──。

 王子は、にでも弾かれたかのように胸元を見ました。

 自らの感覚が、あまりにも信じ難かったからです。

 蜮という存在を、陽と千影のもとに生まれた王子という存在を、全てを捨てる覚悟で取り込んだ数多の水怪たち。そのことごとくが。


「鎮静化しているのではない。正しくは喰らい方を忘れている」


 王子は、ゆるりと男へ目線を移しました。黙して、続く言葉を待ちます。

「水怪たちにとって、君が宿主であるという事実に変わりはない。君が、いずれ糧となる捕食対象であるという事実に今なお変わりはない。ただ、喰らい方を──君の存在を脅かすすべを忘れてもらった」

 ──忘れてもらった?

「だから、余にはもう手が出せないと?」

「少なくとも、今は」

 あり得ません。名もなき矮小なる水怪ばかりであればともかく、あのとき喚び寄せてしまった内には現れるだけで洪水や旱魃かんばつ、戦乱を世に巻き起こすものなど、名立たるそれも存在していたはずです。それら全てから術を奪うなどと。手段そのものを忘却の彼方へ追いやるなどと。

 そんな真似をやってのける存在があるとすれば──。


「天神──エンディグウズウか。言の葉を奪う水を使ったのか」


 男は何も答えません。王子はさらに問いを重ねます。

「だが、それによって彼奴らを無力化したところで余の躰を元に戻すことなど」

「それは、君の"父上"がこの異界諸共もろとも君を喚起し直したからだ。彼の思い描く未来の中に君たちの姿があったからだ」

 ──君たち。


 ──なってない。作法が。だから、やり直せよ。あとで。

 ──どうした父上。具合でも優れないのか?

 ──もっと擬宝珠ぎぼし持ち上げてけー。

 

 王子は、どこか苦しげに目を細めました。

 屋敷神の作った異界を陽と千影の"合作"であると見抜いたように、彼は他の鬼神たちにはない識別眼を持ち合わせておりました。それは、陽と千影の気の交わりより成ったという特殊な経緯があるからに他なりません。

 だからこそ、気付いてしまうものがありました。どういうわけかエンディグウズウの力の一端を使える、かつては生粋のヒトであったのだろうこの男が何者であるのか、己が両親と如何様いかような間柄であるのか、つい察してしまうものがありました。

 手に、力が入ります。知らず、握り込んでいた花がぐしゃりと潰れて。


「父上は、知っているのか」


 貴方がいずれそうなることを。その道を歩むことを承知しているのか。

 知らないよ──と男は即答致します。心なしか砕けた声色に聞こえました。


「あの二人が知らなくていいことを知らないでいいように、本当の意味であの二人らしく生涯を送れるように、俺はこっちを選んだんだからさ」


 途端、雨脚ならぬ花脚が強まります。さながら四季の檻に囚われた心地とでも言いましょうか。男の輪郭が色彩に溺れ、ほどけ消えゆくところへ待ってくれ──と果敢に手を伸ばした王子の後頭部を、

「王子ちゃーん‼︎」

 八分の一スケールの衝撃が襲いました。ヘッドスライディングをかます王子。金髪碧眼のうら若きイケメンが色とりどりの飛沫を上げながら滑り込む、恐らくは世界で通用するほどに芸術点の高いスライディング。

 奇襲の主はもはや言わずもがな。すぐさま上体を起こし、その首根っこを摘んで、抗議の声を上げようとしたところで。


 王子は──頬を緩めました。


 狐の目尻に、涙が滲んでいたからです。

 生きてる生きてるよね王子ちゃんだよね──と無遠慮に顔を触ってくる小さな手を甘んじて受け入れながら、王子はふよふよと近寄って来たジジイを見ました。彼は不敵な笑みを浮かべたまま、何故か袂に手を忍ばせております。

 枯れ木に花を咲かせましょう──とばかりに袂より解き放たれる桜吹雪(これ以上属性を増やすなジジイ)。ジジイなりに王子の無事を祝ってくれているのでしょう。日常的にトイレグッズを収納している"そこ"に溜めた桜で祝われるというのも若干もやもやしましたが、まあ今回ばかりは目を瞑るとして。

 にしても、本当に純度百パーセントの桜吹雪です。まさかこの神、この花の楽園の中から桜のみをちまちま拾い集めたとでもいうのでしょうか。あるいは、数ある花の中から特定のそれのみを選出する、使いどころが些か局所的過ぎる術でも心得ているのでしょうか。

 ええい止めんか止めんかと口では言いつつ満更でもない面持ちでジジイの桜を浴びながら、でもって狐にそっと差し出したハンカチーフで思いっきり鼻をかまれてげんなりしながら。

 王子は、男のいた方へと目を向けました。

 硝子のに飼われた"鳥"は、もう何処いずこかへと翔び立っていました。

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