十一丁目 二階から幼女
町の地下での研究が日の目を見ることはない。
そのことを分かった上で、ここに記す。
十三人の人柱を使って儀式については批判の多いことと思うが、そもそも、これは秘密裏に日本が行ってきた政策の一部であることをことわっておく。所詮は、地方都市の研究施設であるから、本丸からの要望なしには予算も降りない。この儀式自体が魅力的であることは十分に理解するが、だからといって、この研究によって全貌が明らかになることもなければ、使うことのできる要素の抽出も難しいことは明白である。
超科学的、という言葉でもいい。超物理的、という言葉でもいい。個人的には超常現象という単語自体が余り好きではないので使いたくはないが、このあたりが多くの人間のとらえやすい所であると思う。
最初に言うべき事柄として、この儀式が人に手によって生み出されたものであることと、それを制限することは可能であるという点がある。まず、この儀式の制御には巫女の教育が最も重要となる。本来の目的のまま利用するためには巫女が、その目的を理解することが必要不可欠ということになる。この部分の問題点は、儀式を利用したいものと、巫女が同一人物ではない点である。また、巫女は幼女であることもさることながら、純粋な女性であることが第一条件となっており精神年齢を他の儀式を利用して嵩増しするといった手段を取ることはできない。つまりは、本当にただの幼女のみ巫女になれるということである。このことから、儀式を利用する人間は大抵は大人であり、その政治的概念や今、直面している問題の軸とは何か、などを幼女が理解できるとは到底思えない。
コントロールすることは可能であるが、解決すべき問題があるという事である。
幼女の教育を早急に行うことと、生まれた瞬間から他の幼女や母親との面会をできる限り避けることにより、理解をする、という一転特化した成長を狙うことが主題となる。この部分に、人としての感情の起伏や、情緒、果ては身体的な成長に何かしらの異常がみられる可能性があるが、この部分は当然不問とする。
次に考えるべき問題は巫女が何かしらの影響によって目的の変更を願った場合である。この回避方法は、その巫女が他の人間と会わない状況を作ること、そして、会っても受け入れない教育を施すことにある。
結果、この儀式の研究は巫女に集約され、そして、巫女に対する影響の研究は教育へと発展する。この点から、文化的な研究を行う研究員が非常に増えたことは間違いがないものの、単純な理系的研究を主とする者とは違い、結論を出すことやデータを出すことができないために、予算を圧迫した事実がある。文化というものの正当性、いわゆる人文学的とも言うべきジャンルは、どれだけの人員が必要であるかを正確にはじき出すことは不可能に近い。
長らくされていた研究の結論が出なかった理由に触れている気がする。
そんな私も。
人柱となった幼女のうちの一人である。
このままこの場所で餓死をするのも悪くはないと思っているが、酸素の供給を止めることによる窒息を所望している。
そして。
それは問題なく叶うようである。
他の研究員たちも同意してくれた。
話の分かるものたちであることに感謝する。
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