六丁目 馬の耳に幼女
そもそも儀式における幼女の扱いというものは歴史的に見ても余り変化していない。
というのも、本来であれば幼女というものを神聖化するのは明治以降の文化であるためである。では、それ以前ではどのようであったかというと、あくまで生贄としての役割でしかないのである。
定義的な部分での揺らぎはあるものの、特別視することで幼女というものを一つの道具、もしくは形式的な装置としての役割に閉じ込めていたことは言うに及ばない。他直などの、多くの東北で見られる燃焼系儀式、いわゆるクチテアとの同項もここから見出すことができる。
十分な検証を行ってから言葉にするべきではあるが、今後の幼女の役割は大きく変化すると考えられる。一つは生贄としてではなく、儀式そのものになる、ということである。これにより、幼女の死は儀式自体の壊滅、終了を意味し、儀式によって恩恵を受けたいものたちは、幼女を守る必要が出てくる。そもそも、ヨーロッパ圏の儀式などにみられる生贄とされる存在を、丁寧に扱うといった文化はアジア圏にはそこま多くは見られない。つまりは、明治以降から始まったこの特別視という単純なものから神聖化というものへの移行は今後もよりスムーズに行われ、かつ色濃くなるということである。もう一つは、この幼女たちの意思についてである。儀式への研究は結果が出る事を一つの結論としていたが、昨今ではその結果がどれほどの効果を生むものであるか、つまりは質についての観点が主立っている。その中で幼女たちの意思が儀式の結果に紐づけられていることが分かっている。初期では生贄となる幼女に儀式の重要性を理解させることに力を入れていたが、中期になると儀式のために生贄となる幼女を産むということから教育の必要性をなくすことで経費の削減を可能とした。今現在、つまりは後期ではあるが、中期での取り組みと並行して精神的な疾患を持った幼女たちを生贄にすることにより、より質の高い儀式、そして教育というよりも洗脳に近い行為が効果を高めるということを証明することができた。
日善治修教授の研究として有名である、日本文化的儀式における敗戦からなる戦後美術との繋がり、はまさにこの点について言及しており、日本と諸外国の戦争が間違いのないものとなった場合は多くの可能性を鑑みる必要はあるが、幼女と儀式は一つの兵器としての価値を持つため、研究が必要であるとされている。実際、第二次世界大戦以降この分野において、日本の研究はトップクラスで行われており、日善治修教授はその事実について何らかの形で知っていたのだと考えられる。また、日善治修教授の娘である、はるか、と、かえで、であるが、この二人も儀式の生贄として使用されている。日善治修教授についてはモラルや、文化人としてのありかたに疑問を呈する有識者も多く、研究結果については甚だ疑問との意見もある。しかしながら、数十年という時間が、研究を進め、結果として事実であることを証明しており、文化再審の場により議長は、日善治修という名前を残すことについて確かにいささかの疑問はあるものの、研究結果についてはこの上ない程意義のあるものであるということについては議長としても個人としても認めざるをえない、と語っている。
今日をもって、六人の幼女が死亡していることが確認されている。
今後の動向を注視するべきであると結論づける。
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