八丁目 花より幼女

 うまいこと生きてる方だとは思うけど。

 別に幸せでもなんでもない。

 だって、生贄の幼女だし。

 儀式を最初に行ったのが、誰で、どういう意思の元集められたのかもよく分からない。

 あたしのせいで死んだ、というか、あたしが殺した他の女の子は逆に幸せだったんじゃないかと本気で思う節もある。

 町の過疎化は止まる。

 これは間違いない。

 でも。

 決して町は幸せにはならない。

 これに尽きる。

 結局、それぞれの幼女が生き残ることを一番に考えたせいで、どこにも居場所はなくなってしまったのだ。儀式自体は幼女が十三人は必要だけれど、一度始まってしまえば一人生き残っていれば全く問題ない。

 そうなると、幼女の命は途端に軽くなる。

 所詮、最初だけしかいらない存在。

 それが幼女だと思う。

 捨てられることはないけれど、別にその特別視をずっと浴びられるわけでもない。

 あたしだって。

 自殺しようかと思っているくらいだ。

 日本が少しずつ諸外国から文化的にも経済的にも遅れてきたころ。

 幼女の使い道が国会でも議論されるようになったのだそうだ。あたしは色々と深い話を母親から聞くことがあった。

 望まれて生まれた存在であると。

 人を救う存在であると。

 答えを導ける存在であると。

 だとして。

 幼女を幸せにするのは誰なのか。

 誰が幸せにしてくれるのか。

 幼女のために生贄になるのは誰なのか。

 あたしは。

 その答えを知りたかったのだ。

 分からないだろうけれど、幼女は生きている限り簡単に誰かの役に立てる。そしてそれは誰かの役に立つことが命の使い道だと言わんばかりの生き方の強制。

 あたしは、それを受け入れた。

 というか。

 受け入れざるを得ない。

 重要だったのは。

 その後だ。

 生贄になった幼女たちでも何人かしか知らされていなかった。

 事実というか、考えれば当たり前のなのだけれど。

 生贄をやめることも可能なのだそうだ。もちろん、死ぬ以外の道で。

 儀式自体は当然、全員がやめてしまった時点で終了となり、町の過疎化を止めることはできない。けれど、幼女は普通の幼女に戻り幸せになることができる。

 あたしは当然その方法を知っている。

 別の幼女を生贄に使う事。

 それだけだ。

 ただし。

 巫女にそれを認めさせること。

 そして。

 巫女はもう死んでいる。

 残念なことだが。

 あたしはもうやめることはできないし、あたし以外の幼女たちもやめられない。

 それでいいのかもしれない。

 幼女という被害者を次から次へと増やすことに余り意味はないし、それを繰り返してもあたしの心が晴れる訳ではない。確かに、今更殺しておいてどの口が語っているのか、とは思う。でも、それでも、なのだ。

 それなりに良心はある。

 あたしなりに。

 あたしなりの考えで抱えた良心だ。

 たまにジャズを聴くようにしている。

 暇だからではない。忘れられるからだ。

 幼女だけれど、あたしはもう、立派な大人だ。

 その分別を付けさせたかったから。

 あたしの母親は。

 他の幼女十三人を生贄に。

 あたしを二十三年生きた状態で産んだ。

 あたしは生を受けた瞬間に、既に二十三歳だったのだ。

 けれど、儀式のためには幼女でいなければならない。

 だから、二十三歳の幼女。

 笑える。

 笑えるではないか。

 十三人の生贄にするために生まれる娘のことを想って、十三人の生贄を使って人工的な幸せを与えた。

 本当に。

 あたしの母親は話の分かる人だと思う。

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