十丁目 月夜に幼女をぬかれる
お客さんがそう言うから、ここまで来ましたけどねぇ。
いやぁ、びっくりしましたよ。
何がかって。
いやいやいや。
お客さん。
お客さんが仰ったんじゃないですか。
この町から出ましょうって。
私はてっきり冗談だと思いましたよ、だって、ほら外に出ようとすると死んじゃう訳でしょう。実際、私の仕事仲間も何人か死んだって聞きましたし。
私は怖くて出れませんでしたよ。
なのに。
お客さんときたら、町の外までとか言ってタクシーに勝手に乗ってきたじゃないですか。
私は肝が冷えましたよ。
そんな人がいるとは、なんて。
もちろん、断ろうとはおもいましたけど。お金にねぇ、目がくらみましたねぇ。
へへへ。
だって、現金で七百万くらいですよね、それ。
いや、バックミラーでちらちら見てしまうんだけども。いや、だいじょうぶですよ、ちゃんと安全運転ですからね。そこは信用してくださいよ、お客さん。
いやいや、私もね、七百万よりも自分の命の価値の方が低いなんて思ってませんよ。でもね、親の借金肩代わりさせられて早くから働き始めて、気が付いたら、自分の親父と同じ競馬にはまって借金作っちまって。
七百万なんて、大金。喉から手が出るほど欲しいっていうか。
いやあ、ハンドルを持ってアクセルを踏み込んでましたよ。
これはもう、しょうがないですね。
うん。
DNAレベルでのお金に対する執着というやつですよ。
えぇ。
気が付いたら。
もう。
ほら。
町も遥か後ろですからねえ。
へへへへ。
笑いが止まりませんよ、本当にねえ。
へへへへへ。
で、お客さんは何者なんですか。
え。
ただの元気な幼女。
いやいや。
馬鹿言っちゃいけないよ、お客さん。へへへ。からかっちゃいけない。確かに七百万円はもらえて浮足立ってはいますよ、確かにね。
でも。
だからって自分の見ているものを信じられなくなるほどじゃあないんですよ。そこまでじゃあない。このバックミラーを信用してるんですよ。
ねぇ。
だって、お客さん。
いないでしょ、本当は。
その席にいないでしょ。
見えますよ、そりゃ、見えますけどね。
お客さん亡くなってるんじゃないですか、本当は随分前に。
タクシーなんかやってますと、お客さんみたいな人、乗せるんですよ。そんでもっていっつもまとってる雰囲気は同じなんですよ。
ああ。
乗せちゃったなって。
思いますけど、ね。
他のタクシー運転手だと、無理矢理降ろしたり、動かなかったりする人もいるみたいですけどね。別にもう、そういうのが怖い年齢でもないですし。それに別に死んでもいいかな、なんて思いながらタクシーを運転してますし。
いいですよ、だからね。
七百万だって払わなくたって、いいですよ。
地獄の沙汰も金次第なんていいますし、持って行けるならもっていった方が良いんじゃないですか。死んだことないんで分かりませんけどね。
でも。
こうやってお客さんを乗せて、気が付いたら町から出ることもできて、こんなに不思議な日はありませんよ。驚くようなことが二つも起きた。
じゃあ、お返しにお客さんに驚きを一つあげましょうか。
実はね。
あの町生まれなんですよ。私。
でね。
あの町のことが大嫌いだったんです。
二度と帰るもんかって思ってた。いやいや、大した理由じゃあないんですけどね。
で。
久しぶりに帰ってきて、こんなことになって。
もう、あの町には戻らないなあ。
過疎化のことを気にする人もいますけどね、そういうことじゃないんでしょうね。
だって、人ですよ。
成長する限り、同じところに居続けることなんてありはしないでしょう。
過疎化したってことは、それだけ。
そこで人が育ち、そして、育てられ、巣立って行ったということじゃあないですかね。
そう思うんですよ。
過疎化という言葉を直ぐに、悲しみに繋げる。
そういう考え方、私は、あんまり好きじゃあないなあ。
うん。
お客さんなんで泣いてるんですか。
どうしたんですか、お客さん。
嬉しいなあ。
いいお客さんだなあ。
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