第8話


 カポーン、っていうお風呂の音はどこからでてくるんだろう。まぁ洗面器とか桶とかか。たぶん銭湯みたいなおっきい場所じゃなきゃ響かないんだろうな。


 益体のないコト考えて、気づいたら夜で、家のお風呂に浸かってた。あたしの身体じゃ足を伸ばせない、古くさい銀色の湯船に。キャンプっていつ終わったっけ。どうやって帰って来たっけ。まーあたしは頭つかって動くってより、元から自動運転みたいなもんだけどさ。


 いや。


 逃げてるな。心がさ、大切なことを考えないようにしてるんだ。嘘かもしれないとか、何かの間違いだとか、本人に聞いたわけじゃないだとか、そういう場所に逃げたがってる。

 でも、もう理解してるんだ。繋がってるんだ。そろそろちゃんと向き合わなきゃね。


 あたしが霞美にしたことを。

 あたしが霞美にしてきたことを。


 想うと夜も眠れない?

 あなたがいないと生きていけない?


 あっははは、思い返すと笑えてくるよ。救いようがないよ。




 波音が言うにはね。

 霞美にはね、大好きな人がいたんだって。女の子でさ、幼馴染で、ずっと一緒にいたんだって。これからも一緒にいようねって約束してたんだって。


 でもね、その子が病気で死んじゃったんだって。




 コンビニがないから田舎に来た?


 そりゃそうだ。見たら絶対思い出すもん。

 平日の朝、駅で霞美を待ってるあたしがさ、いつも霞美のこと考えてるみたいに。いなくなった人のこと、どうしても思い出してつらい気持ちになるもん。そりゃド田舎に越すしかないわ。


 ほんとの愛を教えてあげる?


 そんなの、とっくに知ってたんだ、霞美は。最愛を知ってて、持ってて、そして失くしたんだよ。そんなところに、何も知らない能天気女が「恋」だの「愛」だの言い寄ってきたら? 「あなたがいないと生きていけない」なんて、甘っちょろいこと叫んできたら?


 あたしだったら、ぶん殴るね。


 当時は中学生だったらしいから、どうだろうなぁ、キスはしてたかな。微妙なトコだよね。考えなしの野生児が、直感で、自然に、雰囲気の中でやっちゃった口づけは、霞美にとっては大事な大事な宝物だったのかな。初めてだったのかな。


 例えば、もう会えない大切な人を想って、一生守っていようとか。心に決めてたのかもしれないな。それをさ、何も知らない能天気女に奪われたとしたら?

 あたしだったら、


 ……あたしだったら。



 くくく、ああホント面白いわこれ。笑みがこぼれる。湯船のお湯がたぷたぷ動く。肩を抱いて笑う。膝におでこをくっつける。


 あたしの言葉で、霞美はどれだけ傷ついただろう? 告白した時なんて言った? あなたを想うと夜も眠れない? それでも霞美は眠るしかないんだよ。 あなたがいないと生きていけない? それでも霞美は生きてるんだよ。最愛の人がいない人生なんて考えられない? それでも霞美は生き続けるしかないんだよ。


 霞美に大嫌いって言われたら、それで諦めてればよかったよ。ついて来るなと退けられたら、そこで立ち止まってりゃよかったんだよ。そうしたら、そうしてたら、霞美は泣いてなかったよ。


「ねーちゃんは、もっと相手の気持ちを考えるべきだと思うよ」


 考えるのは苦手だ。あたしはバカだから。でも、ここまでバカだとは知らなかったな。あはは。肩に指が食い込んで痛い。でもいいよ、いくらでも傷つけなこんなやつ。皮も肉も骨も持ってっていいから殺しちゃって、図体だけデカい嫌な女。誰か、この救いようのない脳みそを叩き潰して。


 ああ。


 ぬるくなったお湯に浸って、悔しいとか情けないとか誰に聞かれるとか、そういうのぜんぶひっくるめて、あたしは久しぶりに、もしかすると初めて、泣き叫んだ。


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