第12話


 腕が長くてよかったな。

 女で一八〇センチなんて、可愛げないし無駄だと思ってたけどさ、あたしは大きく育ててよかったよ。霞美をちゃんと包み込めるから。からかわれたり頭ぶつけたり服が選べなかったりしてたのは、今日この日のためだったって信じられるから。


「……て、って」


 胸の中で泣いてる小さな女の子は、だんだんと落ちついてきて、ヒトの言葉を紡いだ。


「生きて……、って……。言われた、から……」

「うん」

「幸せに、なって……、って……」

「うん」

「だから、そうしなきゃ、って……」

「うん」

「でも……! だめで……!」


 ぽろぽろ。こぼれてる涙さえ、あたしには尊い。霞美、あんただから。ありがとう。唐突にそう感じる。霞美、生きててくれてありがとう。つらいよね。つらいのにね。いま、ここにいてくれてありがとう。


 あたしの知らない、霞美の大切な人にも。霞美を心配してくれてありがとう。それと、ごめんなさい。


「どうしても、忘れられなくて……! 桜良のこと、思い出して、その度に空っぽになって……!」

「うん」

「せっかく、好きって言ってくれる、鋼音のことも……、さんざん痛めつけて……!」

「うん」

「殴って、ごめんなさい……」

「うん」


 本当に、容赦なかったよね。よく生き延びたぜ、あたしも。

 でもね、霞美。


「いいよ」


 鋼音ちゃんはね、頑丈さが売りなんだぜ。


「いいよ。殴りたかったら殴っていいよ。怒っていいし、怒鳴っていいよ。酷いことしてたのはあたしなんだから。それでもいいからさ、あたしは一緒にいたいんだ」

「……でも、」

「忘れなくていい」


 霞美の赤い瞳が、まんまるく見開いた。そんな顔もできるんだ。


「その子のこと、好きなままでいいよ。大好きなままで、思い出して泣いてもいいよ」


 つらいけどさ、あたしも。

 でも、わかるから。


「霞美の大切な人のこと、忘れてほしいなんて思わない。大好きなままでいてよ」


 あたしにはもう、その気持ちがわかるから。だから、忘れるなんて哀しいから。


「だからさ、それでもいいから、一緒にいよう。好きになれなくても、せめて友達でいようよ。そんでさ、一緒に遊ぼ。それで、」


 できればさ。

 その先に、ふたりの未来があればいいけれど。


「あたしはもう、好きだなんて言えないから……。生きていけないなんて、軽い言葉で霞美を傷つけたくないから。そんなあたしの初恋なんてね、もうどうでもいいんだよ。霞美が気にすることじゃないんだ。でも、だからね」


 息を吸って、改めて。


「うまく言えないけど。これだけは伝えさせてほしい」


 今は名前も知ってるし。


「白隈霞美さん」


 ちょっとずつ、ちょっとずつ、近づいてけたらいいな。手を伸ばせば届いて、泣いてたら抱きしめられて、いつの間にか同じ体温になってる。願わくばそんな距離のまま、ずっと歩いていけたらいいな。そういう気持ちを込めて、贈るよ。



「あたしはあんたの、最後になりたい」



 雲が途切れて。

 満月がまるごと落ちてきたような月明りが、山桜の梢をつやつやと照らし出した。ぼさぼさの黒髪に包まれた最愛を、泥と涙で汚れた霞美の姿をはっきりと瞳に映して、ああ、何度でも惚れなおす。


 小さな肩も、凶悪な目力も、ぜんぶ愛おしくって、顔を近づける。少しだけ躊躇して、霞美の吐息を確かめて、あたしたちは慎重に、二度目のキスを交わし合った。




     *




 泣き疲れて眠った霞美をなでながら、ぼんやりと夜空を眺める。


 朝が来たら、森を抜けよう。コンビニのないド田舎へ、あたしたちの思い出を作りにいこう。すぐに夏がやってくるから、水着を買いに出かけよう。波音の彼女、どんな人だか想像しよう。ちくまろくんにも会えるといいね。


 さくらさん、でいいのかな。

 ごめんね。

 ありがとうね。

 この腕の中にいる、小さくて美しい猛獣は、あたしが引き受けるよ。

 きっと一緒に生きていくよ。

 きっと一緒に幸せになるよ。

 だから、心配しなくていいよ。


 約束して、瞳を閉じると。

 五月の夜、魔法みたいに柔らかい風がふたりの髪をなでながら、森を吹き抜けて消えていった。


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野女と美獣 ヒダマル @hidamaru

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