第11話
白隈霞美は信じていた。
中学時代、幼馴染の笹栗桜良と、一生を添い遂げる約束を交わした。初めての友達で、初めての恋人だった。武道の稽古と学業だけの退屈な人生から、彼女と共に飛び出す未来を心から信じていた。
白隈家は裕福な家庭であり、霞美は所謂お嬢様学校の生徒だった。かたや桜良の家は豪奢ではなく、少々無理をして同じ中学へ通っている事実は子どもながらに察していた。しかし問題ではなかった。桜良がいてくれることが、桜良と出会えた運命が、ただひたすらに幸福だった。
休日に時間は取れなかったが、学校ではいつも一緒にいた。同じ班になれたら嬉しかった。隣の席になれたら最高だった。同じクラスになれたら、一年間幸せだった。ずっとずっと楽しかった。
ある日の授業中、桜良が倒れた。保健室まで付き添って、次の休み時間に救急車がきて、心配で心配でたまらなかった。
心臓の疾患だった。ポンプ機能が弱まって、血液の流れが悪くなり、体力が衰えていく難病だった。移植か手術か、どちらにしても簡単に治るものではないそうだった。
ふたりの仲睦まじさに違和を抱いていた両親は、これを機に引き離そうとした。
霞美は暴れた。
力の限りの暴力で対抗した。
けれど大人には敵わなかった。なにもできない子どもだと思い知らされた。
味方もいた。風変わりな女性執事の奮闘で、桜良が入院している病室に入り込むことができた。彼女は白衣で変装し、職員の巡回がない時間帯を調べてくれていた。深夜、屋敷からこっそりと連れ出してくれた。
久しぶりに逢った桜良は、明らかに頬が痩せていた。
動揺を隠しながら、学校でこんなことがあったとか、こんな宿題が出たから大変だとか、益体のない言葉を交わした。
「お嬢様」
期限が迫ると、扉の向こうから執事が声をかけてきた。きっとまた来るよ、明日ね、と約束をして、別れた直後から翌朝まで涙が止まらなかった。嘘だ。こんなのは嘘だ。悪い夢だとしか思えなかった。
毎日、日付が変わる前の五分間だけ、ふたりは逢うことができた。
桜良のそばには死神がいた。いつも隣に立っていて、ゆっくりと鎌を振り降ろし続けていた。桜良の顔色は逢う度に悪くなっていた。死神よりも近くにいたい。ずっと一緒に寄り添っていたい。そうすれば勝てるかもしれない、死神にだって。私たちなら。
明りのない個室で、毎日他愛のない会話をして、女子中学生らしいお喋りを楽しんで、魔法のような五分間は過ぎていった。日に日に体力が落ちているようだった。
現実だった。
理解するしか道はなかった。受け入れることしかできなかった。せめて涙は見せないと誓った。桜良に心配をさせまいと強く決意した。
泣かないと決めたら、うまく笑えなくなった。
吐息と一緒にこぼれそうだった。笑顔と一緒に嗚咽しそうだった。それでもよかった。獣になろう。桜良の前で泣くくらいなら、人間の感情なんて捨ててしまおう。強く。強く。
手術の前日。いつもの五分間。
いつも通りの暗闇で、普段と変わらない無駄話をして、時間が来てもいつもと同じに、なんでもないふうに踵を返して、病室の扉に手をかけた背中から、
「霞美ちゃん」
呼び止められて、
「生きてね」
小さな声で、笑って。
「幸せになってね」
時間が止まった。
返事ができなかった。
呼吸ができなかった。
心だけが、張り裂けながら叫んでいた。
桜良ちゃん。
私は、あなたと生きていたい。
あなたとだけ、幸せになりたい。
「お嬢様」
魔法は解けていた。
「お嬢様」
足が動かなかった。口が動かなかった。そんな約束したくなかった。大切なことは何も伝えられなかった。涙のせいで桜良の笑顔を見られないのが、ただ悔しかった。
葬儀には行けなかった。
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